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EVIL TARGET~標的の宿命~  作者: 深井陽介
第一章 生者を弄する死者の罪
13/53

その13 星奴署への突撃

 <13>


 翌日の朝を迎え、わたしは再び、一昨日もキキとの待ち合わせ場所にしていたバス停に立っていた。普段バスで通学しないわたしがなぜ、平日のきょう、学校指定のバッグも持たずにここにいるのか。……一応、外行き用のショルダーバッグなら持っているが。

 原因は、一昨日も同じように来ていた、その待ち合わせ相手にある。

「もっちゃぁん、お待たせぇ」

 満面に笑みを浮かべ、大手を振りながら駆け寄ってくるキキが見えた。燦環中学校の制服である。手の届く距離までキキが接近したところで、わたしは渾身の力をこめてキキの額に手刀をお見舞いした。

「いったぁはは……」キキは苦笑しながら額を押さえた。「もっちゃん、おでこへのチョップが挨拶代わりなんてあんまりだよ」

「やかましい。平日に学校をサボっている立場だって事を自覚しろ。それともっちゃんと呼ぶな」

「それよりもっちゃん、家の人にはちゃんと言い訳しておいた?」

 ナチュラルに無視しやがったぞ、こいつ。

「言い訳? 全部の事情を正直に話したけど?」

「ええっ! なんで?」

「わたしはあんたと違って、人前で平然と嘘をつけるほど心臓が強くないのよ。下手にそんな事したら一か月くらい罪悪感に苛まれるんだから」

「あ、以前にやったことあるんだ……」

「学校の方にはお母さんから、家の用事で急遽休むと伝えてもらうことにした。さすがにこのわたしが病欠なんて、嘘にしてもあまりにリアリティなさすぎるもの」

 わたしは自嘲をこめて言った。記憶する限り、病気にかかった事はあっても、それで学校を休んだ事はほとんどない。大怪我をして休んだ事は何度かあったけど。

「た、確かに……」

「そっちはどうなの。予定通り仮病で?」

「うん、家を抜け出してきた。一応怪しまれないように制服にしたけど」

「制服着て怪しまれないのは朝のうちだけでしょ。お昼が近づいたらどうするの」

「その辺のショップで買っていけばいいかな、と思って。悪いけど半分出してね」

「断る」

 えー、とキキが文句を言っている間に、バスがやって来た。一昨日乗ったバスと同じ路線である。行き先は違うけれど。

 あさひが銃撃を受けて意識不明になった事を受けて、キキは学校をサボってでもこの事件を調査し、犯人の正体を突き止めようと立ち上がった。わたしはそれに付き合わされた形だ。他にキキのストッパーとして適任者がいないなら、致し方ないけれど……。

 バスに乗り込むと、キキは一番奥の席に向かった。誰にも見られずこっそり会話をするには、その席がいちばん好都合らしい。わたしとキキで、並んで腰かけた。幸い、バスの中にあまり人はいない。

「それで、まずはどこに行くの。事件現場?」

「いや……能登田中にはまだ警察がいるだろうから、とりあえず後回しかな。まずは事件の情報をもう少し集めよう。交渉してみない事には何とも言えないけど」

「まさか、星奴署に行くつもり?」

「こればかりは警察に頼るしかないよ。メディアには一切出ていない事件だし、誰がどこで殺されたかもはっきりしないから、聞き込み調査も時間がかかるし。あっちゃんの事件はまだ発生したばかりで、正面から挑もうにも簡単に立ち入れない。周囲から徐々に固めていくしかないけど、あまり時間をかけられそうにないから……」

 それもそうだよなぁ。先々月の事件だって、正面突破の手法をほとんど警察がしていたから、わたし達は回りくどい手段に訴えるしかなかった。それでもキキが、持ち前の閃きと直感で効率的に動いたおかげで、警察に先んじて真相に到達できたのだ。今回もそうなるとは保証できないのだが……。

「本当に」わたしは背もたれに寄り掛かった。「せめて少しでもネット上に情報が載っていたら、こんな上手くいくかどうかも分からない調査をしなくて済むのに」

「それはどんなに適切な情報を手に入れたとしても同じだけどね……でも、それが逆に気になるよね」

「え?」わたしはキキを見た。

「新聞やテレビで公表されていないのは、単に警察がマスコミに報道規制をかけているだけだろうけど、誰もが情報を放てるネットの世界にも流れていないのは、だいぶおかしな事じゃないかな」

 おかしいという事はわたしも感じていた。しかし……。

「だけど、警察が情報を公開していないなら、具体的な事がネットユーザーの耳に入らないのは不自然じゃないよね」

「それでもイタズラ半分で嘘の情報を流す人はいるよ。あるいは、これ見よがしに自分の勝手な想像を書き込む人だっている。それを見た人が、SNSを通じてネット上に拡散していても不思議はないのに、それが見当たらないのは十分に不自然だよ」

「確かに……嘘の情報さえないというのは気になるね」

「まるで、そうした情報が広まる前に、発信元から情報がごっそり消えたみたい……」

 キキは物憂げな顔で言うが、ちょっとその発想には賛同できない。

「いやいや、まさか……この事件を小耳に挟んでいる人たち全員が、揃って情報の発信をやめるなんて、今のご時世では無理があるんじゃない? その人たちが自発的に削除したとしても、また別の人たちが同じことをするのがオチだろうし」

「もっちゃん、無関係の他人への興味なんて一過性だよ。自発的であるか否かは置いといて、そうした結果どこからも事件の情報が湧いてこなければ、後から興味を持つ人間なんてほんのわずかな数になる。同じことをする人はそうそう現れないよ」

「うーん……」

「それと、警察の動きにも気になる点があるんだ」

「警察に?」

「今からそれを確かめようと思っているんだけど……実は、あれから美衣がネットで色々調べてくれて、一件目と二件目の事件が起きた、大体の時刻が判明したんだ」

「時刻? どこで誰が殺されたかも分からないのに?」

「でも日付だけははっきりしているでしょ」

 ああ、そうか。この事件は一日おきに発生している。わたし達が目撃した三件目が三日前だから、二件目は五日前、一件目はちょうど一週間前だ。

「その日に星奴町のどこかで、野次馬が集まるなどの異様な光景が目撃された時間帯を、ツイッターなどで調べてくれたの。結果は、一件目が午後三時から三時半まで、二件目が午後一時半から二時少し過ぎまで。そして三件目はわたし達が見た通り、午後四時半を過ぎた頃……どれも日が高い時間帯に起きている」

「昼間に犯行があっても特におかしくは……あっ、あるか」

「そう、おかしいの。一件目から三件目まで全て、平日の昼間に起きている。つまり被害者である中学生は平日にもかかわらず学校に通っていない事になる。まあ、三人目の真鍋くんだけは、そうとも言い切れないけどね。同じ学校に通っているみかんも、すでに帰路についていたし」

「でも、少なくとも最初の二人は、明らかに学校をサボっている……」

 それに、真鍋少年にしても、彼は絵笛中学校の制服を着ていなかった。だからキキも、カバンの校章で出身学校を判断するしかなかったのだ。わたし達と遭遇する前からあちこちを歩いていたみたいだし、時間的に考えて制服を着替える時間はない。彼もまた学校に通っていなかったとするのが筋だろう。

「恐らくそれが、被害者の共通点だと思う。でも、二日ごとにそんな中学生が偶然に現れるとも思えない。たぶん彼らは、日常的に学校へ通っていない」

「いわゆる不良ってやつか。真鍋くんは“いかにも”という感じだったけど」

「その真鍋くんだけど、撃たれたあの場所は毎日通っていたらしいから、行動パターンをあらかじめ知っていれば犯人は待ち伏せができた。もちろん、捕まらずに逃げるための対策だってとれた」

 そういえばあの犯人、自分が使う非常階段にカバーをかけて、下にいる通行人に見られないようにしていた。最初から、あのビルの屋上から真鍋少年を撃つつもりだったのだ。あのビルでなければいけない理由があったのだろうか?

「これは明らかに、いつどこで誰を撃つのか明確に決めていた、計画犯罪だよ。犯人は最初から、不良中学生だけに的を絞っていた」

「やっぱり、その辺に動機があるのかな。日常的に学校をサボって街を徘徊する不良を一掃して、風紀を正そうとしたとか……」

「どうかなぁ。それだけなら、二日ごとじゃなくて毎日犯行に及びそうなものだけど」

 よくもそんなおぞましい事が平然と言えるものだ。

「それよりわたしが気になるのは、警察がこの事に気づいているかどうかだよ。学校とか親とか、それこそ近所の聞き込みだけでも、辿り着くのは簡単なはず」

「辿り着いているかもよ? 単に公表していないだけで」

「でも、そこまで分かっているなら、昼の時間帯に出歩かないよう、星奴町在住の中学生たちに警戒を促すと思うよ。そっちの方が、確実に被害を抑えられるし」

「む、言われてみれば……」

「警察が頑なに事件を公表しようとしないのは、何か理由があるのかな」

「警察サイドに、知られたくないような事があるのかしら」

「でも、星奴町内の中学校には知らせているみたいだけど。生徒に情報が降りてこないという事は、管理職レベルで伏せられているのかも」

「そうか、それで臨時の職員会議があったんだ。ああ、でも事件と関係ない可能性だってあるし……金曜日のあの日だけの出来事だったかもしれないし」

「今日も臨時の会議があれば、ぐっと可能性が高まるかも」

 ならばすぐに確認だ。わたしは携帯を取り出し、学内の友人の要綾子に向けてメッセージを送った。ちょうど今はホームルームが終わったばかりのはず……。


『綾ちゃん? ごめんね、今日はちょっと外せない用事があって、不本意ながら学校を休んでしまいました。部長と副部長が訪ねてきたら、その通りに伝えておいてね。それで、確認したい事があるんだけど、ひょっとして今日も、臨時の職員会議で午後の時間が削られる、なんて事が先生から言われなかった? 無性に気になったので、教えてほしいのです。はい』

 欠席する人がどうして、今日の学校の予定を気にするのだろう……。

 要綾子は、珍しく学校を休んだ友人から届いたメッセージの内容に、若干の疑念を抱いていた。ホームルームが終わったばかりで、次の授業まではまだ五分ほどの余裕がある。リプライをするだけの時間はあるのだが……。

「なぜ気になるのか尋ねるのは、やっぱり野暮かなぁ……」

 そもそも、臨時の職員会議が行われる可能性を、どうしてもみじは察しえたのだろう。まるで予言である。ここまで勘の鋭い人だっただろうか。

 自分の席の椅子に腰かけている綾子は、両足をブラブラと揺らしながら、退屈しのぎになりそうな言葉を頭で探した。

 もみじの欠席は家の人から伝えられたそうだが、それは今朝になってからのことで、報告するにしてもだいぶ遅い気がする。しかももみじは剣道部で指導長に任命されて、忙しい時期だというのに……一応部活のことも気にしているみたいだが。よほど重大な用が、今朝になって突然発生したという事か。いったい何が起きたのだろう。

「……まあ、もみじちゃんにはもみじちゃんの事情があるよね」

 綾子はそれで納得した事にして、もみじに訊かれた事を答えた。

『うん、言われたよ。授業も午前中だけ。それよりわたしは、話の相手になってくれる人がいなくて寂しいですよぉ。もみじちゃん、明日は学校に来てくれるよね?』

「うーわぁ……」送信した直後、綾子は机に突っ伏した。「願望全開だよ。寂しいなんて何で書いちゃったかなぁ」

 早くもみじ以外の友人も作った方がいいかもしれない、綾子は密かに思った。


 バスが星奴警察署近くのバス停に到着し、キキと一緒に降りたところで、綾子からメッセージが返ってきた。彼女、どうやらわたしがいなくて寂しいらしい。

「キキ、やっぱり今日も臨時の会議で、午前中だけ授業をやって終わるみたい」

「土日を挟んで連続の臨時職員会議……事件の影響だと考えた方がよさそうだね」

 そうすると、いよいよキキの言った疑問が重要になってくる。銃撃事件のことを公表したくない理由が警察の側にあって、でも町内の中学校の管理職レベルには通達し、それが生徒たちの耳に入らないようにしている。いったいなぜか?

 警察のマスコミ対応は、本庁の意向を無視して所轄が決められるものではないと、友永刑事が言っていた。キキが指摘するこの謎めいた行動は、警視庁本部の思惑によるものと考えていい。だとしたら、星奴署の刑事に尋ねても本当のことは分からない。今は推測に頼るしかなさそうだ。

 バス停から星奴署までは歩いて一分もかからない。先々月に二、三度来たことのある星奴署の敷地に、またしても自発的に足を踏み入れる事となる。たぶん今回も、好奇の視線にさらされながら刑事部屋に行くことになるだろうなぁ。

 そんな事を思い浮かべながら敷地内に入ろうとした、その直前。

「…………?」

 わたしは妙な気配を感じ取り、立ち止まって振り向いた。

 誰かが、道路の向こう側の電柱の後ろに立って、こちらを見ている。黒の帽子とコートのせいで、顔も性別も分からない。見ているものは何だろう。星奴署に入っていく人たちか、それとも星奴署の建物の方か……。

「どうしたの?」

 突然に立ち止まったわたしを見て、キキが言った。

「……いや、何でもない」

 気になる所はあるが、考えなしに首を突っ込んでもいいことはない。わたしはあの人影について、キキにも言わない事にした。追究を諦め、わたしは歩を進める。

 星奴署の建物の中に入り、さっそく刑事部屋へ向かおうとした矢先のことだ。

「やっぱりあなた達だったのね」

 痩躯でスーツ姿の、見るからに気の強そうな女性が、腕組みをして仁王立ちしながらこちらを睨んでいた。友永刑事と同じ強行犯捜査係の紀伊刑事である。苛立ちがそのまま顔に出ていた。

「なんで中学生が平日の昼間に出歩いているのよ。しかも片方は制服だし」

「わたしが答えるまでもなく、予想はつきますよね?」キキは少しも慌てない。「紀伊刑事だって、昨日の被害者のことをよく知っているでしょうし」

 そう、先々月の事件の捜査には紀伊刑事も参加していて、その際にあさひと対面している。紀伊刑事は大袈裟にため息をついた。

「警察官の建前としては、どんな理由であれ中学生の警察捜査への介入は認められない。あなた達もそれは承知していると思うけど」

「大人たちの建前なんて知りませんよ。わたしはわたしの信じる事をするだけです」

「そういう純朴さが、大抵の大人から見れば目の上のたんこぶなのよ」

「ところで紀伊刑事はこんな所で何を? 捜査中ですよね」

「窓の外を見たらあなた達がいたから、また問題を起こす前に止めようと思ったのよ」

 ああ、見られていたのね……紀伊刑事だからまだよかったけど。これが木嶋だったら確実に門前払いを食らっていただろう。この女性刑事の場合は五分五分かな。

「それで刑事部屋を抜け出して、わたし達が来る前に対処しようと……でも、なんで窓の外なんか見てたんですか? 捜査中に感傷に浸っていたとか」

「そんなわけあるか。刑事課長がなぜかしかめ面で窓の外を見ていたから、気になって覗いた時に偶然、あなた達を見かけたのよ」

「刑事課長さんが? 何を見ていたんですか」

「さあ。一捜査員の立場では、気軽に尋ねるのも憚られるのよね」

 もしかして、電柱の陰に立っていた、あの謎の人影を見ていたのだろうか。紀伊刑事のいた場所からわたし達が見えたなら、同じようにあの人影も見えたはずだけど。

「で、どうしますか」キキはにやにやと笑いながら言った。「先ほどおっしゃった、警察官の建前を持ち出して、わたし達を追い返しますか? まあ、そうなったとしても、考えつく限りの手段を駆使してここに留まり続けますけどね」

 言ってみせるなぁ。これがブラフである可能性は否定できないが、本当にやってのけるのではないかと不安にさせるだけの能力が、このキキという少女には備わっている。実行する時は本当に手段を選ばないから、わたしみたいに止める役が必要になるのだ。

 紀伊刑事は半眼でわたし達をじっと見ていたが、やがて、吹っ切れたようにため息をついて、くるりと背を向けて歩き出した。

「ついて来なさい。ここで聞いた話を無闇に他人へ明かさないと承知するなら、詳細を説明してあげるから」

 呆然としてしまう。他言無用の条件付きとはいえ、あっさりとわたし達を受け入れた。組織に属する人間ながら、建前を振りかざすだけの凡庸な人ではないらしい。追い返されるかもしれないと覚悟していた側としては、困惑するしかないのだけど。

 紀伊刑事が何を考えているのか知らないが、一刻も早く微に入り細を穿(うが)った情報が欲しいわたし達としては、願ってもいない展開である。何しろ、わたしとキキが事件の存在を知って、二日ほどは何もせずに放置して情報収集をしなかった一方で、警察は一週間もかけて調べているのだ。他人からの伝聞に頼るので、正確性が若干落ちる事は仕方ないとしても、わたし達が一から調査するより数段も効率がいいのだから、この好機を逃す手はない。

 紀伊刑事の後を追って、階段を上っていく。足を止めずにキキが尋ねる。

「前回にも増して寛容な態度に見えますが、何かありました?」

「……そうね」紀伊刑事は振り向かなかった。「子供の手でも借りたいと思える状況に陥っているのは確かよ。この事件、すでに二日前から本庁の捜査一課も参加しているけど、混迷を極めていると言わざるを得ない。こっちも想定していなかった事態が、昨夜になって突然に起きたものだから、誰もが戸惑っているのよ」

「想定していなかった事態?」と、わたし。

「ええ。これまでの三件の被害者の親たちが、いつの間にか蒸発していたのよ」

 何だって? これは確かに、耳を疑うような事態である。

「蒸発……行方不明になったという事ですか」

 キキはかなり基本的な部分を訊いた。そりゃあ、物理現象の意味で人間が蒸発するはずもなかろうし。それだと別の意味で恐いわ。

「ほら、昨日は初めて女子中学生が狙われたから、もう一度被害者の共通点について洗い直すべきだって判断が下ったの。それで、前の三件の被害者の家を訪ねたら、全ての家がもぬけの殻になっていたってわけ。前日までは、普通に連絡が取れる状況だったのに、いきなり姿を消したものだから捜査本部は大混乱よ」

「それは、限りなく訳の分からない展開ですね……」

「もっと奇妙な事もあるのよ。最低限の貴重品が持ち去られていた事は理解できるけど、どういうわけか、ルータが粉々に破壊されていたのよ」

「るーた?」

 キキは目をしばたたかせて言った。知らない言葉に出会った時に見せる反応だ。

「パソコンをネットに繋ぐための機械でしょ」

「まあ、簡単に言えばそうね。あの家にはパソコンもタブレット端末もなかった。ルータがあるのにパソコンがないという事は、それらは財布などと一緒に持ち去られたと考えられるけど、なぜかルータはその場で破壊しているのよ。奇妙な状況でしょ?」

 ふむ……わたしは少し考えてみた。

 ルータを破壊したという事は、ネットに接続できないようにしたわけだが、それはかなり不便なことにならないだろうか。警察に自分たちのプライバシーを探られたくないだけかもしれないが、だったら片方だけ持ち去るわけがない。本来、ルータとパソコンは一体でなければならないはずだ。それなのに片方は持ち去り、片方は破壊した。あるいはパソコンの方も別の場所で壊したのか。でもルータは家で壊しているし……。

 やっぱり無謀だったかな。わたしがまともに推理を展開するのは。

「ちなみに、本庁からは誰が派遣されたんですか」

「キキちゃんもよく知っている、捜査一課殺人犯捜査四係……つまり高村(たかむら)警部が率いている係よ。今は、もみじちゃんが提供してくれた犯人の写真を元に、事件現場周辺で聞き込みをしているはずよ」

 高村警部というと、周囲から変わり者と評されていて、なぜか初対面する前からキキのことを信頼していたという、警視庁実力ナンバーワンと噂の警部だ。キキはなぜか取調室でその人と対面したらしいけど、わたしはまだ会った事がない。

「そうですか、高村警部が……あの人が来てくれるなら心強いですね」

 すでに一度会っているキキは安心しているが、星奴署の人たちはそれほど安心しているように見えない。楽観視できる状況とは言えないからなぁ。

「逆にあの人が頭を抱えてしまうようだと、解決は絶望的になるけどね」

「それにしても、本庁の警部が聞き込みに参加するのは珍しいのではありません? 友永刑事が言っていましたけど、本庁の刑事はほとんど現場に出ないそうですね」

「所轄の捜査員に比べれば少ないのは事実だけど、それでも自分で最低限の情報収集はするわよ。大抵は、土地勘のある所轄の刑事が主導する事になるけど。ただ高村警部の場合は、そんな慣例なんてお構いなしに、自分の足で情報収集するのがモットーらしいわ」

「それが優秀な捜査官である所以ではないですか?」

「否定はしないけどね……この件でいえば、犯人に繋がりそうなまともな証拠は、もみじちゃんが撮ってくれた写真くらいで、そこからできる限り多くの情報を引き出すために、高村警部もあちこちを走り回っているみたい」

「確かバイクが写っていたはずですが、そこから何か分かりませんでした?」

 わたしが尋ねると、紀伊刑事は肩をすくめながら答えた。

「調べてみたら、あれは盗難届が出されているバイクだったわ。翌日に、空き地に捨てられた物が発見されたけど、指紋などの痕跡は綺麗に消されていたし、燃料も全部抜かれてメーターもリセットされていた。手掛かりは完全にゼロよ」

 盗難車両の可能性は考えていたけど、思ったより証拠の消し方が徹底しているな。友永刑事が言うような犯人像を考えれば、自然かもしれないが。

「これだけ手掛かりが少ないと、捜査もなかなか進展しそうになさそうですね」

「はっきりそう言われると腹立たしいけど……確かに今のところ、犯人に繋がりそうな証拠は見つかっていない。これじゃあ、もし犯人が特定できたとしても、証拠不十分で釈放されるか、最悪、逮捕さえできないかもしれない」

「だったら、一般にも広く情報提供を呼びかけるべきじゃありません? なんで、こんな派手な事件が表沙汰になっていないんですか」

 キキの問いに、紀伊刑事は顔をしかめながら振り向いた。周囲を気にしながら、耳を貸すようにと手で合図してしゃがみ込む。キキとわたしは中腰の姿勢になって、紀伊刑事の言葉に耳を傾けた。

「ネット上でも事件の話題が取り上げられていない事は、私も気になっているけど、その辺の状況については取り立てて考察しないように言われているのよ。ネットの情報はただでさえ玉石(ぎょくせき)混淆(こんこう)だから、全部を検証しようとすれば手間がかかるし、直接の聞き込みの方が効率的に正確な情報を集められるとか……」

「理由になってない気もしますけど」

「それが本庁捜査一課の示した方針なのよ。我々の掴んでいない情報が浮上するまでは、なるべく関心を寄せないように言われているの。それと、これは大きな声じゃ言えないけど、その本庁からは、本件に関する一切の情報を伏せるように通達されているのよ。だからこうやってあなた達に話すこと自体が、すでに捜査方針に反した行動ってわけ。私は一応あなた達を信用する事にしているけど、他の捜査員はそうでもないから……」

「わたしらが他言無用の約束を守るかどうか以前の問題じゃないですか」わたしは苦言を呈した。「中学生に捜査状況を打ち明けている時点で色々とまずいでしょうし」

「ええ、そうよ」紀伊刑事は立ち上がった。「これでもあなた達に賭けているのよ。お人好しの友永さんはともかく、高村警部まで信頼しているなら、賭けてみるのも悪くないでしょうし」

 さらっと重い責任を被せてくるなぁ。第一、高村警部が信頼しているのはキキ一人で、わたしはオプションに過ぎないような気がするのだが。我ながら情けない話だ。

「その友永刑事は、公安が絡んでいるんじゃないかと疑っていましたけど」

「公安? ああ……」紀伊刑事は宙を眺めた。「あそこなら不思議はないわね。警視庁で最も影響力を持つ部署だし、情報管理がいちばん徹底しているし」

「木嶋さんもそう言って賛同していました。厄介だとも」

「厄介では……あるでしょうね」紀伊刑事は苦笑した。「あそこは捜査対象の範疇が刑事部や刑事課と異なるから、手を組んでくれるとは思えないし。何よりあそこの人たちは、自分の名前すら明かしちゃくれないっていうし。噂にしか聞いたことないけど」

 何かで見たことがあるが、公安というのはテロリストなどの反乱分子を対象に捜査する部署らしい。事を起こす前に捕まえるために、非合法な捜査も厭わないとか。たぶん他の部署の人たちは、公安に対していい印象を持っていない。

「さて、外で話せるのはここまで。あとは部屋の中で説明しましょう。色々資料が揃っている場所の方が、何かと都合がいいだろうし」

「大丈夫ですか?」わたしは不安になって尋ねた。「わたし達がここに来ていること、たぶん刑事課の人たちは誰も気づいていませんよね」

「心配いらないわ。刑事課の中にも、あなた達みたいな人を歓迎する人はいるのよ。高村警部と同様に破天荒な人がいると、誰が来ても狼狽(うろた)えなくなるものよ」

 紀伊刑事のこの、諦観しているような態度は何なのだろう。よもやキキみたいに、常識外れの言動ばかりする刑事が、この星奴署にいるとでもいうのか。

 すでに目的の場所の前まで来ていたが、ドアの上のプレートには『鑑識係』と書かれていた。紀伊刑事が言うところの破天荒な捜査官は、どうやら鑑識官らしい。まあ、問題の鑑識官がどういう人であろうと、長年キキに振り回されてきたわたしは、きっと紀伊刑事と同じく動じる事はないのだろう。たとい鬼が出ようと、(じゃ)が出ようと。

 わたしの場合、鬼とか蛇よりも、キキの言動の方が肝を冷やしてしまうのだ。

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