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EVIL TARGET~標的の宿命~  作者: 深井陽介
第一章 生者を弄する死者の罪
12/53

その12 転換

 <12>


「友永刑事……」

 その姿を見てわたしは思わず名前を呟く。友永刑事はつとめて事務的に告げた。

「通報を受けて、救急隊と交代後すぐにプールの中と周辺を捜索したけれど、銃弾らしきものはどこからも見つからなかった。能登田中学校の裏手にある、二階建ての使われていないビルに、ついさっきまで人がいた形跡があった。現状、そこから撃った可能性が高くて、位置的に考えて銃弾はプールに落ちたと考えられるんだけど……」

「プールの中なら、簡単に見つけられそうなのに?」

「夜中、街灯の光も届かないプールの中から、小さな銃弾一つを見つけて回収するのは至難の業だ。まるで消えたとしか思えん」木嶋が言う。「方法はともかく、これが連続銃撃事件の犯人の仕業である事は確定していいだろう。今日は星奴署管内で、他に似たような銃撃事件は報告されていないからな」

 すでにわたし達が事件の事を知っていると、木嶋は承知しているらしい。たぶん、友永刑事を問い詰めたな。

 わたしとキキが知るきっかけになった商店街の事件から二日、あさひが銃撃を受けたと聞いてまさかとは思ったが、やはり一連の事件の一部だったのか。本当にわたしの身近な人が巻き込まれる事態になるなんて……。

「なあ、何の話だ?」

 美衣がわたしに耳打ちしてきた。そういえば美衣は知らなかったな。

「実はね……」

 わたしは知っている範囲で事件の事を話した。警察がマスコミに伏せている事を打ち明けているからか、あからさまに木嶋が睨みつけているけれど、気にしなかった。

 木嶋は友永刑事が所属する係の係長だけど、キャリアとしてのプライドがやたら高いだけで、捜査官としての資質が著しく欠如している迷惑な人物だ。先々月の事件でも、見当違いの行動で星奴署の捜査を停滞させ、結果としてキキに全て先を越されていた。その姿を間近で見ていたため、わたしも部下の刑事たちも信頼をまるで寄せていない。誰もがキキの方に一目置いている状態だ。木嶋本人を除いて。

 そういう事があったので、わたしも木嶋の事を恐れるに足らぬ存在と思っているし、彼が何か口を開けば、キキや美衣が言葉の砲丸を打ち返すだろうから、気にするだけ無駄だと踏んでいる。要するに木嶋はなめられているのだ。

「ほう……それはそれは」

 十分に驚いて然るべき出来事にもかかわらず、美衣はつれない返事だ。

「まったく関心なさそうね……」

「キキが興味を引かなかったものだからな。わたしの場合、たとえ友人が巻き込まれても同じだと思うよ。キキが必要な事を全部代行してくれるから、あえてわたしが積極的に首を突っ込む理由もないし」

「ええ、言うと思ったよ、正直」

 あらゆる事物に関して、美衣が抱く興味は一過性だからな。この点、あさひと美衣は気が合うのかもしれない。あさひの方が自発的に関わりを持とうとしないだけで。

「最初に見つけたのは美衣ちゃんだそうだね」友永刑事が尋ねた。

「そうですが?」

「まず、どういう経緯で負傷しているあの子を見つけたのか、説明してくれないかな」

「ちっ、面倒だな」

 美衣は視線を逸らしてから小さくこぼした。二度手間が嫌いなのだ。

「お前なぁ……」案の定、木嶋は苛立った。「仮にも第一発見者なら警察の捜査に協力するくらいの事を……」

「では代わりにわたしが説明します。もう聞いたので」

 キキが手を挙げて言った。場の雰囲気を掻き乱すのはキキの得意技だ。調子を狂わされた木嶋は反論の言葉を失ったのか、口を開けたまま固まった。

「なるほど、彼女からメールを……」友永刑事は手帳にメモしながら言った。「本人が打ったメールに間違いはないのかな」

「どう?」キキは振り向いて美衣に訊いた。

「文章の癖から本人かどうか断定するのは乱暴だと思うけど……わたし個人の所感で言うなら、あさひが書いたものだとして特に違和感はなかった。これ以上は分からん」

 美衣は肩をすくめた。実に美衣らしい、慎重を期した返答だ。警察に十分な手掛かりを提供できたとはとても思えないけど。まあ、元から十分な手掛かりを持ってないし。

「じゃあ、能登田中学校に来た際に、誰か怪しい人物を見なかったかい」

「さあ……わたし以上に怪しい行動をしていた人はいなかったんじゃないですか」

「お前、まじめに答える気がないのか」立腹気味の木嶋。

「みかんの一件やさそりのお父さんの一件で、散々キキたちに先を越されて苦杯をなめたあなた達が相手だと、まじめに答える気も失せますよ、そりゃ」

「こいつ警察を小馬鹿にしやがって……」

 木嶋は握り締めた拳をわなわなと震わせていたが、美衣は意に介さなかった。反論の余地がない事をよく理解しているからだ。

「えっと……」友永刑事は困惑していた。「きみ自身は、特に怪しい人を見ていたわけじゃないんだね?」

「というか、プール周りの足跡を調べれば、他に誰がいたか分かるのでは?」

「それもそうだね」キキも美衣に賛同した。「昨日の夜はこの辺も雪が降ったらしいし、多少は地面がぬかるんでいるはずだよね。あーでも、プールに氷が張っていたくらいだし、もう固くなっていたかな」

「そうでもない。プールの氷はここ数日の寒波の影響だと思う。昨日までは晴れの日もあったから、直接温まりやすい地面の氷はほとんど融けるけど、水面に張った氷は簡単に融けない。実際、プール周りの地面はシャーベット状になっていたから、少なからず足跡は残ったはずだ」

「いや、それが……」

 友永刑事は答えにくそうに、頬をぽりぽりと掻きながら言った。

「数日前から水道設備の定期点検があって、業者が何度も行き来していたから、プールの周りには色んな足跡が混在しているんだ。それに、美衣ちゃんの通報を受けて駆けつけた救急隊の足跡もついているから……」

「靴底の形状は元より、大きさも判然としないという事ですか」と、わたし。

「まあ、そういうこと。本当に犯人が近くに来ていたかどうかも分からない。もし来ていたのなら、何らかの方法で銃弾を回収したという可能性が高まるけど……」

「でもそれ以上に、学校の裏手にあるビルから撃った可能性が高いんでしょう?」キキが言う。「撃った箇所もふくらはぎだけだし、もしプールに落ちてなかったら、あっちゃんはまだ十分に動けたでしょうし、犯人の姿を覚えられる恐れもあった。そんな状況で、わざわざプールに近づこうとするでしょうか」

「それはそうだけど……」

「フン、暗い上に遠かったから、急所を撃ったと思い込んだだけかもしれんだろ。この犯人は銃弾を消す事になぜか躍起になっているみたいだし、覚えられる危険が多少あっても回収する必要があると思った、そういう可能性だってある」

 相変わらず自分に都合のいい解釈ばかりする人だ。前回からまるで進歩していない。

「そうでしょうか……暗い上に標的が遠方にあるのなら、なおさら慎重に狙うはずです。その後に直接出向いて銃弾を回収するつもりなら、あっちゃんが気絶しているかどうかの見極めも、徹底してやるんじゃないですか?」

「それだけ犯人が自信過剰で間が抜けているってことだろ」

「木嶋刑事みたいに?」

「何だと……?」

「はいはい」病室が修羅場に変わる前に、わたしはキキを遠ざけた。「質問が終わるまで大人しくしていましょうねぇ」

「もっちゃん、それ小さな子供の扱いだよぉ」

「似たようなもんでしょ。てかもっちゃんと呼ぶな」

 わたしがキキの背中を押して遠ざけたのを見て、やっと質問を再開できると思った友永刑事は咳払いをした。

「それじゃあ美衣ちゃん……他に何か気づいた事がないかな」

「最後に大雑把な質問が来ましたね」美衣は冷めた口調で言った。「そうですねぇ……ああ、これは救急隊の人も知っていると思いますけど、更衣室が暑くなっていましたね。その熱気が漏れていたせいか、入り口近くの地面は凍ってすらいませんでしたよ」

「え、あれって美衣ちゃんが暖めたんじゃないのかい? あさひちゃんが低体温症になっていたから、室内に入れて温めようとしたものだと、てっきり……」

「なに起きながら寝言いってるんですか。あさひがあんな事になっているなんて知らないのに、暖房器具なんか用意しているわけないでしょう。プールの更衣室に、元からあったわけでもないでしょうに」

「そ、そうだね……」

 友永刑事は文句の一つも返せなかった。

 美衣のこうした言動はこのように集約される。『立てば毒舌、座れば皮肉、歩く姿は雪女郎(ゆきじょろう)』……だから彼女と対等に付き合うのは非常に難しいのである。気を抜けば寸鉄で殺されてもおかしくない、美衣を相手にすれば自然とそんな立ち位置になるのだ。

「美衣、更衣室に暖房器具があったの?」キキが尋ねた。

「そうだけど」

「もしかしたら、犯人が長時間の待ち伏せのために用意したのかも」

「犯人は裏手のビルにいたんじゃないのかよ」

「いなかった可能性もゼロじゃないでしょ」

「仮にそうだとしても、暖房器具なんか持ち込んだらあさひに気づかれる恐れもあるし、色々証拠を残す事になるだろう。それに、たかが数十分の待ち伏せで暖をとるには、あまりに室温が高すぎに感じたわ。まあ、わたしが見た時点で暖房は切れていたけど」

「でも、持ち込んだのは犯人以外に考えられないよね?」

「それはわたしも同感だが、その目的が待ち伏せというのは無理があるだろう」

「えーと」友永刑事が困惑気味に口を挟んだ。「美衣ちゃん、それ以外に何か気づいたような事は……」

 すると、ずっと沈黙を続けていたみかんが口を開いた。

「あさひは……なんでわたしには何も言わなかったんだろう」

 全員の視線がみかんに向いた。みかんは、今にも泣き出しそうに表情を歪めて、それでもあさひから目を逸らさなかった。

「今日、慣れないわたしのために、駅からバスで一緒に帰ってくれて、使い方も丁寧に教えてくれた……あさひはわたしの事を、心から想ってくれているって、わたしはそう信じていたんだけど……」

「みかん……」

「こんな大変なことになると分かっていたのに、なんであさひは、わたしに一言も相談してくれなかったの。わたしは……あさひが困っているなら、何だってするつもりだったのに……」

 みかんは俯きながら言った。落涙している様子はない。だけど、必死に堪えようとしている事は、誰の目にも明らかだった。

「……あさひがわたしを選んだのは」美衣が一歩近づいた。「わたしなら何が起きても適切に対処できると考えたからだ。みかんがあの場にいても、できる事は何もなかった」

「だとしても……」みかんの声が大きくなる。「わたしはあさひの力になりたかった。事が起きてから知らされて、わたしは、本当にショックだったのに……」

 両膝の上の拳を強く握り締めるほど、感情が(たかぶ)っているみかんとは対照的に、美衣の方は冷静さを崩さなかった。もとい、冷静でいようとしているのだ。

「もしわたしではなく、みかんを選んでいたら……お前の精神的ショックは今の比じゃなかったと思う。水に浮かんでいるあさひを見つけたら、みかんは混乱を来たして冷静に対処できず、あさひの容態を悪化させていた。救急車を呼ぶことにも手間取って、たとえ病院の人が全力を尽くしても、今ほどいい状態にはならなかった。そうなればどうなったと思う? 間違いなくみかんは自分の力不足を責め、立ち直る事もできないくらい後悔の念に苛まれることになる。……高い確率で、そうなる」

「…………」

「あさひは、万が一の事があった時、一番みかんが傷つかずに済む方を選択したんだ。みかんの事を想っていなければ、そんな事はしないよ」

 美衣はゆらゆらとかぶりを振って言った。確かに、あさひなら先の事まで考えた上で、誰に対処を委ねるか決めたはずだ。それでみかんが腑に落ちるかは別問題だが……。

「あさひは……わたしの事を、信じてくれなかったの?」

「それは違うよ」キキが声高に言った。「信じている事と、頼りにしている事は、別物だよ。あっちゃんは確かに、みかんでは自分を助けられないって考えたかもしれない。だけど……今あっちゃんの一番近くにいるのは、みかんでしょ?」

 みかんは目を見開きながら、キキの方を向いた。

「みかんなら、何があっても自分のそばにいてくれる……あっちゃんなら、きっとそう信じたはず。自分が目を覚ますまで、ずっとここにいるって……だったら、みかんがそれに応えれば、絶対に大丈夫だよ」

 キキは真っすぐにみかんを見つめていた。これは気休めなんかじゃない。本気でそう思っていなければ、目を見て断言する事はできない。

 みかんもその事に気づいただろう。再びあさひへ視線を戻すと、まだ動かないあさひの右手を取って、静かに呟いた。

「あさひ……」

 それでもみかんは泣かなかった。まるで、あさひが目覚めるまで耐えているようだ。

 木嶋が息を漏らした。そろそろ自分たちの話に移りたいらしい。

「……話を戻すが、彼女が命を狙われる理由に、お前たちは心当たりがないのか」

「うーん、今のところは思いつかないです」キキが答えた。「そもそも、あっちゃんが誰かに狙われているという予感さえなかったです。怪しい人がいれば、もっちゃんが先に気配で気づいたはずですし」

「あんたは本当にわたしの事を何だと思っているのよ……否定はしないけど」

 野生動物並みの危機回避能力は備わっているつもりだ。自慢する気には到底なれない。

「しかし、いつも一緒にいるわけではないんだろう?」

「いえいえ、最近は能登田中で大きな行事がほとんど終わってしまって、生徒会の仕事が激減しているらしく、ほぼ毎日一緒に帰っています」

「主に、帰宅部のキキか幽霊部員のみかんが、生徒会の仕事で下校が遅れがちなあさひを迎えに行くというパターンが多いですね」

 みかんは一応家庭クラブの部員だけど、名前を置いているだけでほとんど活動に参加しないらしい。本物の家庭の方が優先順位高いのだろうとの事だが。

「生徒会か……」木嶋は顎を撫でながら呟いた。

「もしかしたら動機は、その辺りにあるのかもしれませんね。二人目の犠牲者も、彼女と同じ能登田中の生徒ですし、何か知っていたのかも」

「そっかあ」キキはわざとらしく声のボリュームを上げた。「二人目の被害者は能登田中学校の出身でしたか。貴重な情報をありがとうございます」

「あっ」

 自らの失言に気づいて、ポカンと口を開けて固まった友永刑事の後頭部を、「この馬鹿野郎が」と言いながら木嶋は叩いた。友永刑事の間抜けぶりは以前からの事として、キキもずいぶん意地の悪い性格である。

「言いふらすなよ、お前ら」木嶋は念を押した。

「さすがにその一線は越えませんよ。どういうわけか警察の皆さんは、この事件の概要さえ公表していないようですから。理由は知りませんけど」

「友永から聞いたなら知っているだろう。マスコミ対応の方向性は本庁の意向次第だ。所轄署はその意向に従っているだけに過ぎん」

 本庁と所轄の厳しい上下関係については、確かに友永刑事から聞いていた。巨大組織は上からの命令に疑問を抱かない事を暗黙の了解としているのだ。

「犯人があさひに個人的な恨みがあった可能性は否定できませんけど」美衣が言う。「それゆえの犯行というなら、銃撃はちょっと度が過ぎていませんか。もっと簡単に、確実にあさひを傷つける方法なんて、いくらでもあるはずです」

「そうだよね……連続的な犯行だとしたら、狙われるだけの理由があるだろうけど、それ以上に、銃撃にこだわる理由が何かあるんじゃないかな」

 二人とも真剣に考えているが、どう転んでも、中学生が本気で相手にできる範疇を超えている。冷静に見たらかなりおかしな光景だよ、これ。

「木嶋さん」友永刑事が言う。「前の三件にしても今回にしても、相当に銃撃に慣れた人間の犯行だと思われます。もし、プロのスナイパーが誰かから依頼を受けて、銃撃を日取り通りに実行していたとしたら、テロの前兆という可能性も捨てきれません」

「うむ……本当にこれがテロリストの仕業なら、公安も絡んでいそうだな。公安は本庁に最も影響力を持つ部署だ、情報統制なんて指先ひとつで可能だろう。表立って本件の捜査に口出ししないという事は、ひょっとしたら犯人の目星がついているのか……?」

「いずれにしても、公安が目をつけているとすれば、襲撃の依頼はネットを介して行われたと見るべきですね。ネット通信の監視は、彼らの専売特許ですから」

「そうなると、こちらとしては厄介だな……奴らが捜査情報をこちらに譲渡するなど、万に一つもありえないからな」

 彼らはいったい何の話をしているのでしょうか……。野生のウサギ並みの聴力を持っている(らしい)わたしは、刑事二人の会話が全部聞こえているけれど、その意味するところまでは理解できない。

「それじゃあ、僕たちは署に戻るよ」友永刑事がわたし達に言った。「また他に思いついた事があったら、いつでも連絡してね」

「言っておくが、我々への連絡を優先しろよ」

 二人はそのように言い残して病室を出た。さっきの謎めいた会話の内容説明は、一切してくれないみたいだ。まあ、警察の守秘義務は承知しているつもりだけどね。

「結局あの人たち……」美衣が口を開いた。「まともに手掛かりを得られないばかりか、中学生の口車に乗せられて捜査情報をぽろぽろと漏らしただけで終わったな」

「それを本人たちに指摘しないんだから、美衣も意地が悪いね」

「なぜお前に言われなければならん」

 わたしも美衣に同感です。意地の悪さはキキの方が何段も上だ。

「で、どうする?」美衣はキキをじっと見つめた。「この件を調べるか?」

「当然だよ」

 その虹彩の色を見て、わたしはキキの強い意思を感じ取った。警察をも上回る驚異的な推理と閃きを駆使し、あらゆる謎に挑む覚悟を持った……スイッチが入ったのだ。

「今までは、わたしに直接関係のない人ばかりが狙われたから、他人事で済ませられた。でも……」キキは腕に力をこめ、拳を握りしめる。「あっちゃんが命を狙われたなら話は違ってくる。犯人はあっちゃんだけじゃなく、みかんの心まで傷つけた。こんなこと、絶対に許されない……」

 キキは奥歯を噛みしめながら、キッと顔を上げた。

「必ず、わたしがこの手で、犯人の尻尾を掴んでやる……!」

 …………。わたしは何も言えなかった。言えるはずもなかった。

 怒りの感情ばかりではない。そんなものはごく一部だ。キキが友達の事を第一に考えるのは、一種の信念といってもいい。友達のために、いかなる危険も重圧も顧みず、ただ自分の信じた事を貫き通す……それがキキという少女だ。

 だから、断じて豹変したわけではない。そのまま何も変わっていない。純粋すぎるくらい友達思いな性格が、純粋さに裏打ちされた観察眼と結びついた、それだけのこと。

 美衣はふっと微笑んで言った。

「キキが本気になれば、何も心配はいらないな。これからどうするつもりだ?」

「そうだなあ……今日はもう遅いし、明日からさっそく情報収集かな」

「常道だね。まあ、絡め手を突くのは後からでも十分だし。学校が終わったらすぐに調査を始めるのか」

「何を言ってるの? 朝になったらもう始めるよ。時間も惜しいし」

「は?」美衣の表情が固まった。「学校は?」

「もちろんサボるよ」

 何を当たり前のことのように抜かしているのだ、こいつは。

「キキよ……以前から天然だとは知っていたが、ここまで非常識な奴だったとは」

「大丈夫だよ、美衣。仮病使えばそう簡単にバレやしないって」

「そんな問題とちゃうわい!」思わず関西弁で突っ込んだ。

「あ、ちなみにもっちゃんにもサボってもらうから」

 キキはわたしの肩にポンと手を載せた。病室だけど、ここは大声で言わせて。

「挙句にわたしまで巻き込むんかい! 心中(しんじゅう)のお供なんて御免じゃ!」

「もみじ、ツッコミの精度が上がっているのは喜ばしいが、ここはキキに付き合った方が得策だと思うぞ」

 おいおい、美衣まで何を言う。あとツッコミの精度が上がっても喜ばしくないぞ。

「不満は分かるが、考えてもみろ。キキが本気になったら、言ったような事は必ずやらかすぞ。暴れ馬と化したキキの手綱(たずな)を引けるのは、ここではお前しかいない」

「わたしってもはや馬レベル……?」

 嘆かわしそうに自分を指差すキキに、美衣は表情を変えずに告げた。

「馬は知能の高い動物だから、そう馬鹿にできたものでもないわよ」

「そうなんだ。馬って頭いいんだね」

 キキは目を輝かせているが、わたしは知っている。馬の知能の高さは、あくまで家畜の中での話だ。よかったね、天然は単純で。

 いや、それはともかくとして、わたしはやっぱりキキに付き合うべきなのか。ため息の一つもつきたくなる。

「はあ……分かったよ。付き合ってやる」

「ホント? やった、もっちゃんなら言ってくれると思ってたよぉ」

「いちいち抱きつくな。あともっちゃんと呼ぶな」

 日常的にスキンシップを受けて少し慣れたせいか、強制的に引き離せなくなっている。これはたぶん悪い兆候なのだろうなぁ。

「んじゃ、キキともみじはそれでいいとして……みかんは?」

 美衣に尋ねられ、みかんは振り向いた。

「参加したいのはやまやまだけど、あさひが目を覚ますまで待っていたいから……」

「待っているって、家の方は大丈夫なのか?」

「妹たちが寝入ったあと、須藤さんがブランケットとかを持って来る手筈だよ。妹たちも事情は知っているし、わたしの意思を尊重したいって言ってたから」

「まったく、あんたの家族は揃いも揃って……」

 美衣は呆れたように顔を手で覆ったが、内心では羨んでいそうだ。

「わたし達は、明日に備えてちゃんと寝ておかないと」と、キキ。「美衣は?」

「家政婦の人が来たら帰るよ。悪いがわたしはそこまで付き合いきれない」

「う、うん……何となく分かってた」

 対等な付き合いは難しいけれど、美衣は結構分かりやすい性格である。

 キキは先に病室を出た。わたしもキキに続いて廊下に出ようとしたが、ふと気になる事があって美衣に訊いた。

「ねえ……さっきから、なんか違和感があるような気がするけど」

「違和感?」

「よく分からないけど、何かが足りないような……まあ、気のせいかもしれないけど」

「いや」美衣は弱々しく微笑む。「たぶん、気のせいじゃない」

 苦笑いしか返せない自分が、どこか情けない。

 キキみたいに勘が鋭いわけじゃないが、わたしは嫌な勘ばかりが当たる。この違和感が氷山の一角に過ぎないと、そう思えてしまう事が少しだけつらかった。

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