消えゆく夏に
久しぶりの投稿作品が短篇。
長編は中々プロットがなぁ。
そもそも私のこと覚えてる人いるのか?
場所は甲子園球場。
九回裏を同点で迎えた。
まだ試合は終わらないと意気込んでグラブを手に取りマウンドへ。
スタンドから聞こえる応援も、応援歌も、すでに遠く聞こえる。
だが、まだ自分の夏は終わらせまいと、バッターボックスに立つバッターめがけて渾身の一投。
それは、自分の女房役の構えるキャッチャーミットの中へと収まるはずだった。
カキィン、と恐ろしい音が聞こえ、すぐに白球を追って後ろを返り見る。
ーーやめろ、まだ、まだ終わりたくない。
そんな願いもむなしく、白球は無情にもスタンドへ吸い込まれていった。
スタンドからは歓声が沸き起こる。
打ったバッターは腕を突き上げ走りだす。
ただ呆然とその姿を目で追う自分がいる。
けたたましく試合終了のサイレンが鳴り響き、それと共に自分の夏が終わったことを少しずつ理解し始める。
三年間思えばそれだけの期間をどれだけ野球に費やしたのだろうか。
勉学には励んだ。
だが、それだけ。
野球にはもっと熱意をもって向き合い、それだけ野球にその三年間を注ぎ込んだ。
その三年間の努力が終わりを告げる。
もう努力の必要はないと、暗にそう告げられているのを頭でわかっていながらも、心が拒絶する。
ツウッと自分の頬を何かが流れるのを感じた。
周りを見ればチームメイトも涙を流している。
そこからは決壊したようにとめどなく涙が溢れてきた。
悔しさが、後悔が心の奥底からこみ上げてきた。
自分の高校生活最後の夏がこのような形で、満足のいかない形で終わってしまったことがひどく辛かった。
それでも、何かを、自分がここに、高校球児としてここに自分が立ったという何かの形が欲しくて土を持ち帰ることにした。
涙を流しながらも土をかき集め袋の中へ入れる。
周りでもチームメイトが土を集めている。
少なくとも高校生のうちには踏みしめることのないこの土を大事に抱え、グラウンドを後にする。
帰りの新幹線の中、バスの中の雰囲気はさらにひどかった。
常に誰かのすすり泣く音が聞こえる。
それを嫌がり瞼を閉じ、夢の中へ逃げようとしても、まぶたの裏で、あの敗北の瞬間が流れる。
ああ、どうして自分はあのとき打たれてしまったのだろうかと、どうして自分はーー
後悔の念が絶えず頭の中に流れる。
それと同じく涙も止めどなく流れる。
でも、それでも隣に座る女子マネージャーには決して見せまいとひたすら窓の外を向いていた。
そんなことをしても自分が泣いていることなんてわかっているはずだ。
でも、それでも、女の子での前で涙を流さないよう強がった。
彼女はそんな僕のことを見ていられなかったのか、トントンと肩を叩いてきた。
「なに?」
と震える声で、窓の方を向いたまま返事をした。
ああ、かっこわるい。
「私、そっち向かないから、イヤホンしてるから」
そんな言葉が耳に入ってきた。
それに驚いて、女子マネの方を見ると、本当にこちらを見ることなく、目をつむりイヤホンを耳につけていた。
それからはただただ泣いた。
みっともなく声をあげて。
大粒の涙を流して。
それを皮切りにバスのなかでは次々に声を上げ涙を流すチームメイト達。
こうして僕の夏は終わりを告げた。
♢
暑さも少しずつ和らぎ始めてきた九月。
夏休みも終わり、授業を教室で受けていた。
部活も既に引退した僕、高橋辰巳は、ぼおっと窓の外を見ていた。
寒い。
それが僕の今の心境だった。
マウンドはもっと、甲子園球場はもっと暑かった。
照りつけるような日差しに、会場に集まる人々の熱気。
絶え間なく動かし続ける身体。
それら全てが合わさった中で野球をしていた僕にとってはクーラーの効いた教室なんて寒くてたまらない。
ぐるりと周りを見渡すと、僕の他にも腕を抱えて寒さに耐えようとしている人が数名。
みんな野球部である。
キャッチャーの米沢、セカンドの田川、ライトの菅野。
みんな甲子園を共に戦ったチームメイト。
ツンツンと、隣から肩をつつかれる。
それは甲子園からの帰り、女子マネにつつかれたときと同じような触れ方。
何かと隣を見てみると、案の定我らが野球部女子マネージャー、中川優だった。
そういえば席が隣だったなと今更ながら思う。
何?と視線を送るとスッとノートを差し出してきた。
トントンとノートの一部を指で叩く。
『甲子園の予選とかいろいろあって学校を公欠した分のノート』
今暇してたからやったら?とつまりは彼女はそう言っているのだ。
そういえば中間テストも迫ってきているので、ありがたく借りてノートを写す作業に移る。
幸いなことに僕の席は窓側の一番後ろ。
別のことをしていても教師に見つかることはない。
カリカリとペンを動かし、ペラペラとノートをめくる。
すると、中川のノートに一つの絵が描かれていた。
野球の絵。
マウンドに立つピッチャーが渾身の一投を投げる瞬間といったところだろうか。
……なんというか、上手い。
見ただけで何が起こっているかわかるし、ボールの握りまでしっかりと書かれている。
『かっこよかった』
なんのことだ?と中川の方を見やる。
「うまく書けてると思う。それ、高橋君」
え?僕?
もう一度ノートに目を落とす。
ああ、そう言われてみれば僕かもしれない。
帽子のツバまで細かく書かれているので、絵の中の僕の顔をはっきりと描けなかったらしく、顔で誰かを判断するのは難しいが、言われてみればわからなくもない。
よく見ればボールの握りなども僕の得意としていた変化球の、握り。
投球フォームも僕のものだ。
もう一度中川の方を見る。
なぜこんなものを書いたのかとそういう意味を込めた視線を中川に送る。
「………最近、ボール握ってないでしょ?」
「そりゃ、夏が終わればもう受験勉強しなきゃいけないだろ」
甲子園で三回戦までエースとして戦ったとはいえ、ドラフト会議などで自分の名前が上がるなどと考えるほど自惚れてなどいない。
大学受験に向けて勉強しなければ、野球に打ち込んでいた分の遅れは取り戻せない。
「寒いでしょ」
「あそこが暑すぎたんだよ」
「私も寒い。高橋くんほどじゃないけど。次のページも見てみて」
言われるがままにページをめくると、前のページとは違い、ボールをリリースした後の僕の姿。
なんとも丁寧に細かく書いているのか、と感心してしまう。
「私はそれに熱中してるから、高橋くんほど寒くないんだと思う」
何の話だと口にしそうになったがすぐに意図を察した僕。
だが、なぜ僕にその話をするのかは分からなかった。
「熱くなってない高橋くんは輝いてないから」
「僕が輝けるのは野球だけだから仕方がない」
他に僕が輝けるものなんていくら探しても見つからないだろう。
……それはそれでなんか嫌な気分だけど、僕は野球一筋だから!
「……私、野球してる高橋くんが好きだよ」
「お、おお、おぅ。あ、あああ、ありがとな」
ものすごい動揺してしまった。
いや、僕は悪くない。
野球一筋で頑張ってきたから女の子への免疫などみじんも持ち合わせてなどいない。
そんな完全童貞に意味深な言葉などいうものではない。
そんなことを言われようものなら一週間は気になって眠れない。
その犯人たる中川は声を殺してくすくすと笑っている。
……コイツ、からかいやがったな。
「わらうなよ」
「ぷっ、〜〜っ!……コホン。ごめんごめん。マウンド上の高橋くんとは似ても似つかない反応だったからつい」
それはよく言われる。
普段はこんなに情けない感じなのに一度マウンドに上がれば雰囲気がガラリと変わる。
僕としてはそんなつもりはないのだが、客観的に見てそうなら、変わっているのだろう。
「全く、唐突にあんなこと言われたらこうなっちゃうよ」
「……ちなみに、本心だからね?」
「ーーーっ!!!だからぁ!」
つい声を大きくしてしまった。
周りの視線を集め、教師も何事かと板書をしていた手を止めこちらを見てくる。
中川は完全にこちらから目線をそらし他人のフリを決め込んでいる。
「どうした?高橋」
「……なんでもないっす」
「全く、部活を引退したなら、勉学に集中しろよ」
「はーい」
担任からありがたーいお言葉を頂いたが、適当に返事をしておく。
周りの視線が僕から黒板に戻ると、中川は再び僕に話しかけてくる。
「やっぱり、面白いね」
「うるさい」
「そんなところも好きだよ」
「もう引っかからん」
いかに僕が童貞といえど何度も同じ策に引っかかるほどバカではない。
「からかってるんじゃないよ?」
「嘘つけ」
「ごめん、半分からかってた。でも、もう半分は本心だよ?」
中川は一体なにがしたいというのだろうか。
そんな意味深なことばかり言って僕を惑わせたいのか、本気で言っているのか。
どちらにしても僕が困惑することには違いないのだが、はっきりしてもらわねば勉強に身などはいるわけがない。
「じゃあダメじゃん」
「半分本気って言ったよ?」
「半分冗談なんだろ?」
「うーん、正確にはツーアウトかな?」
「なに言ってんだよ」
唐突に野球用語を出されても、今のこの状況と何の関係が?となるだけである。
「あとアウト一つで好きになっちゃうってこと」
「今は好きじゃないんだろう?」
「じゃあツーアウトツーストライク」
「結局スリーアウトじゃないじゃん」
無理に野球用語を使っているが、そんなこと言われても僕的にはそんなに心に響くことはない。
確かに中川は可愛いし、男子にもそこそこ人気のある女の子。
だが、だからと言って僕が中川の事を好きだなんてことはない。
僕は周りに流されない男なのだ。
中川は、とても気が利いて、甲子園予選前にスタメン、ベンチメンバー全員分のお守りを作ってくれるくらい女子力が高くて、運動神経も良くて、スタイルも顔も抜群で、頭もいいけど、僕は好きではない。
……いや、ちょっとは好きかも。
だが、恋愛感情ではない!
「あと一つ、ストライクの取り方教えてあげようか?」
「……いい」
迷った、なんてことはない。
うん、部活を引退して彼女が欲しくなったから、なんてことも絶対ない。
うん、絶対。
「今日、放課後。グラブを持って校庭に来て。テスト期間中だから他の部活はやってないし」
リンチか?罰ゲームか?
不穏な空気しかしない。
そんなこんなで、僕は悶々としたまま、今日の授業を受けた。
♢
放課後の校庭。
夏が終わりに向かいつつあるだけあってすでに陽は傾き始め、気温もそこまで高くないだろう。
なんだかんだで、僕は校庭に来てしまった。
全く、中川のせいで、僕は今日の授業に全く身が入らなかったと内心言い訳をしながら中川の姿がある、ホームベースの置いてある場所へ。
見た感じ、ベースとマウンドはしっかり作ってある。
おそらく前もって、中川が後輩の野球部を駆り出して作らせたのだろう。
後輩達に申し訳なさを感じつつ、僕は中川の元へ。
「おっそーい!」
「教師に進路の話とかで捕まったんだよ」
ドラフトは望み薄と感じて、先日相談していたのが、仇になった。
「まあ、いいや。ほら、高橋くん、グラブをつけてマウンドに立って!」
「は?」
「バッターは四番、中川ね」
「いやだからーー」
「つべこべ言わずに早く!」
「わかったよ」
有無を言わさぬような剣幕で僕はマウンドへと追いやられる。
「本気で投げてね!」
「いや、流石にそれは」
「いいから投げる!」
またもや強引に言いくるめられてしまう。
僕は負けたとはいえ、一応甲子園出場校のエース。
三年間一緒に野球部に所属して、少し運動神経がいいくらいの女子に打たれるわけがない。
中川に打たれるわけがないと、右打席に立つ中川に向けて、手を抜いてアウトロー少し甘めに外に逃げる高速スライダーを投じる。
キィン。
「へ?」
キャッチャーがいたならば、ミットに収まる音がするだろうと思っていたが、予想に反して快音が響く。
急いでボールを目で追うと三塁線ギリギリにボールは落ち転がる。
フェア。
あの辺りはツーベースは硬いだろう。
呆然としながら僕はバッターボックスに立つ中川に目を向ける。
「こらー!本気で投げろー!」
バットの先端を僕に向け、怒りの声を挙げる中川。
……いや、正直舐めてました。
「特別にもう一打席やったげる」
「ちょっと、肩作らせてくんない?」
「しょうがないなぁ」
中川はそばに置いてあったグラブを手につけ、ボールを投げる。
そのボールは女子が投げたとは思えないほどの勢いでバン!と僕のグラブへ収まる。
コントロールも球威もなかなか。
本当に舐めてましたすいません。
十数球、ボールを投げ合ったところで、僕が声をかけ、中川にもう一度打席に立ってもらう。
今度は僕は手を抜かない。
相手は強豪校の四番バッターだと思って本気で投げる。
どうして校庭に呼び出されたかなんて既に頭にない。
ただ目の前の打者を討ちとることだけを考える。
初球、インハイにストレート。
約140㎞の直球が胸元に放り込まれる。
打者をのけぞらせるつもりで投げた直球はベース上を通過すると思われた。
ギィン………ガシャン。
腕をたたみ、コンパクトなスイングで中川は僕のストレートをバットに当てた。
しかし、ボールは後ろに飛び金網に当たり、ファール。
本当に化け物かよこの女。
二球目。
アウトコース、ストライクゾーンからボール一つ分外れたところにスローカーブ。
ククッ、と曲がったボールにピクリと反応する中川だが、手を出すことはなく見逃す。
「ボール、よね?」
「ああ、異論なし」
振らせるつもりで投げたのに、しっかり見やがった。
選球眼もかなりの物。
さっき手なんか抜いた自分が恥ずかしい。
三球目。
アウトローギリギリに高速スライダー。
僕の高速スライダーは極めて打者に近いところで変化し、その変化量もかなりの物。
先ほどの手抜きボールとはわけが違う。
キィン。
が、やはり中川はバットに当てる。
三塁線切れてファール。
「僕のウイニングショットを一発目からバットに当てるって、どんなけだよ」
「ふふん、伊達に三年間高橋くんを見続けてきてないよ」
ったく、こんなところでそんなこと言いやがって。
だが、絶対に手なんか抜かない。
カウント、ワンボールツーストライク。
四球目。
インロー膝元。内に切れ込むシュート。
手を出しかけた中川だがバットを止める。
少しコースを外れてボール。
本当、四番張れるよこの女。
「全く、女子とこんな楽しい野球ができるとは思わなかったよ」
「ほらほら、あとストライク一つだよ?」
「わかってるよ」
コレで、終わらせる。
五球目。
インハイに高速スライダー。
ボールは中川に向かい真っ直ぐ進む。
中川は腕をたたみ、スイングを始める。
ギュイッ。
打者手前で急激に変化したボールはバットから逃げるように外へ。
ブン。
ホームランでも狙っていたのかと思うほどの音を立てたバットが空を切った。
「うし!」
不覚にもガッツポーズをしてしまった。
パチパチパチと、バッターボックスから拍手を送りながらこちらに歩いてくる。
「スリーアウトだよ。高橋くん」
「?一打席なんだからまだアウト一つだろ?………あ」
「意味分かった?」
という事は、先ほどのストライクあと一つという言葉もそういう意味だったのか。
そんなことを考えていると、中川は真剣な顔つきになり、一度深呼吸すると、口を開く。
「中川優は高橋辰已を愛しています。世界中の誰よりも」
聞いたことのある、超名言を悪びれずに中川は言い放つ。
「私、引退試合の時の高橋くんが、カッコいい顔してなかったの、見てた」
甲子園から帰った後の、後輩とやった試合のことだろう。
確かに僕は、心の底から楽しんで投球できていなかった。
それは、甲子園で最後の僕の投球がトラウマのようになっていたから。
でも、先ほどの投球は、少し時間をおいたからか、そんなことも無く、相手が相手だっただけに、全力で投げることができた。
「でも、さっきのはすごくカッコよかった。それで、ドストライクだったよ高橋くん」
「……ありがとな」
「で、私と付き合ってくれるの?」
感傷に浸っていたというのに、中川は雰囲気ぶち壊しな感じで僕に問いかけてくる。
「……はぁ、たった一打席で、スリーアウトだよこの野郎」
その一言で、中川の顔は輝いた。
「でも、負けたのは悔しいから、もう一打席!」
「はいはい。彼女様の命令には従いますよーっと」
終わりゆく夏。
でも、そんな消えゆく夏でも、熱くなれる。
いつしか僕の感じていた寒さは、完全に消え去っていた。