神様はお怒り
気ままにいきます。
何故厄介事は向こうからやってくるのか。
自分が望む望まないに関わらず、必ず平穏なんてものを許さずにねじ込んでくる。まさしく厄介だ。
そんな堂々巡りする思考の中で、彼は数十分前のことを思い浮かべる。
○
その日は珍しく何もない日で、酒場でヤシの果実酒をあおり、飲み仲間から世間話を聞いて笑っていた。南の聖国にリヴァイアサンが出たとか町に侵入したクギウチラッコがまた民家をリフォームしたとかそんな話だった気がする。
飲み終われば仕事場の二階にある自室へと戻り、ベランダで生暖かい風を感じながら眠りにつこうとした。その時だった。
轟音と共に遠くで炎の柱が空へと伸びていった。
もう月は高くまで登り、フェルトリィの町は皆が寝静まる時間となっていたはずだが今しがたの轟音と炎の柱で外に出て様子を見る人がちらほらと見える。
野次馬の人々にとっては轟音のわりにはあまりに遠くに見える炎の柱はどこか幻想的であったため、息をのんで見つめるだけの者がほとんどであった。
しかし、ベランダで座り込んでいた1人は例外であった。
「ああ、くそ。嘘だろ、関わるなよ、絶対関わってくんなよ」
ぶつぶつとこれから起こることに絶望する男が1人。
茶色い髪の中肉中背、ゆったりとしたくすんだ色のコートを羽織り、一目見たとしても大して印象に残らないような青年。ラインスはそのベランダでうなだれていた
ラインス自身、この状況に笑えてさえきていた。100人のうち99人が関係ないようなことでも必ず関係のある1人に入ってしまう。そんな自分の不運は昔から変わらないが故に、分かってしまう。
こういう時に必ずやってくるのだ。厄介ごとを押し付けたり運んだりしてくる不運という悪魔が。
ふわっと自分の部屋から風がベランダへと流れた。
普通に考えても、ドアを閉めたままの部屋から風が起きるのはありえない。つまり、この世ならざる力である魔法の余波。
予想通りの悪魔が来たのだろう。
「ラインス君準備良い?良いよね、良いに決まってるよね。じゃあ私の代わりにあそこ見てきてね!」
「拒否権ねえのかよ!!ふざけんな自分で行けよサクヤ!!」
サクヤと呼ばれたラインスとは正反対の、一目見ただけで誰もがその姿を忘れることはないほどの金色の短めの髪揺らした美女。
そんな美女が目の前で話しかけてくれたな幸運だと思うのが普通のはずだが、ラインスにとっては不運が人の形をしているだけだ。
ドアを無視して部屋の中に転移してきたやつを歓迎する気はなく、厄介ごと以外何物でもない。
「良いか?今度ばかりはもう行かねえぞ?前はよくも世界樹の森に転移させやがってあのマンドラゴラの変異種どものせいで何回死にかけたと思ってんだ?」
「あ、そんなところにまで行ってたんだ!前のは転移に揺らぎを与えてみて、適当に飛ばしただけだよ?そんなことよりさっさと送るからばっぱと終わらせて帰ってきてね!」
「待て、行くなんて一言も言ってねえ!?」
「はいはーい、いってらっしゃい!」
サクヤの蒼い目から光が漏れ出す。空気中の魔素を取り込んでいる証であり、魔法の予兆。そしてこれから起こることに頭を悩ます間もなく、ラインスの視界は暗転した。
○
そこまでの自分を振り返り、ラインスはため息をこぼす。
机上の空論止まりのいっそおとぎ話とでも言うべき転移魔法。使用しようものなら確実に歴史書にも書かれ、記念碑まで建てられるであろう世界に干渉する大魔法。
そんなものをポンポン使うサクヤにも今さら驚かない。ただ1つだけ思うことはもっと考えて使ってくれということだけだった。
「あいつは1回痛い目見せたほうが良いな...俺の平穏のために」
暗転し終わったラインスの視界に映っているのは森だ。
ただただ木や草が辺りを囲い、足の踏み場もへったくれもない場所。自分の好物であるヤシでも自生しているのなら面白みもあったのだが、こんなところに生えているわけもないので意識を前へと向ける。
森の奥が明るい。
おそらくこの先がサクヤが見てこいと言っていた場所なのだろう。面倒なことにその性格とは裏腹に、転移の精度は完璧なのだ。若干現場から離して転移させたということは、そこに直接送るのは危険だと判断したのだろう。本当にどこまで分かってるのか相変わらずよく分からないやつである。
ならばと、ラインスは自分のコートに仕込んである道具を確認する。日々サクヤがいつ来るのかわからないため、常に万全にはしているが念には念を入れる。
確認し終えると真っ直ぐ明るい方へと向かう。
ここで戻ることもできるが、それをすると後が面倒臭い。この世でサクヤ以上の厄介ごとをラインスは知らないのだ。
そして、開けた場所へと出た。
100はくだらないであろう人数が地に伏し、赤い炎が転がっている者全員から出ていた。おかしいのは衣服が燃えておらず身体に火傷の後も見られないことだ。
そこいらに倒れているのはおそらくどこぞの傭兵だろうか、装備に見覚えもなく、紋章も彫られていないため判別できない。
そして開けた場所の真ん中付近には宝飾品を身体の各所に取り付けた軽装の者たちがまた倒れている。
誰も彼もが呼吸をする動作をすることもなく、ただ動かず炎だけが出ている。まるでその身体の中にあるものを燃料にしているように。
得体の知れない炎。そこから助けてやりたいとは思うが、その前に自分の心配だ。
ラインスは自分の身体から噴き出ている嫌な汗を拭い、その原因を見つめる。
赤い炎の先、ぽっかりと空いた円形の空間に何かを守るように抱え込んだ塊が中心にいた。
一見黒い岩のような外見をしており、表面を赤黒い線が薄く脈打っている。到底生き物とは思えない姿だが、生命活動はしているようだった。
そして、気づいた。
「ああもうほんと、厄介だよな...お前も俺も」
ラインスはその塊へ踏み出していく。この塊が何なのかは確信は持てないが、この炎は他者の介入を拒もうとする意思を感じていた。
逃げるなら自分は追われないだろう。
しかし、その選択肢はラインスにはない。
『チガヅクナァ...』
炎の塊がラインスに警告する。これ以上近づくなら排除すると。
「えー、それは困るぞ。俺の家その先だからさー。さっさと帰らないとサクヤのバカにまた面倒くさいこと押し付けられるに決まってるし、いややっぱ早く帰っても押し付けられるか...ほんと厄介だなあいつ」
『ア''アア!!』
飄々と近づくラインスに炎の塊は立ち上がる。威圧感だけなら自分の何十倍も大きな巨人を前にしているようだが、実際には小柄な少年ほどの大きさだ。
その両手にはそれよりも小さな子どもが抱きかかえられ、炎の塊から大きな波が押し寄せる。
気のせいかもしれない。だが、気づいてしまった。逃げることもできたのに、放っておくことができない。
「だから、厄介ごとは早く終わらせるに限るんだよ」
ラインスは大きな炎の波に向かってそう呟いた。
○
昨晩の幻想的な炎の柱の話題も冷めやらぬ中、フェルトリィの町は大地の神から与えられる恵みへの感謝を行う祈りの月へと移っていた。
この月において人々は日が昇ると同時にどんな形であれ、祈りを捧げる。しかし、その中でも例外はいる。
「あったまいってえよー、サクヤてめえ今回に関しては損しかしてないぞ、俺が」
自室のソファーに寝そべりながら、ラインスはサクヤへと文句を吐く。当のサクヤはそんなことは気にも留めない様子で部屋を物色しているが、やがて興味の対象が移り変わったのかラインスに向き直る。
「ラインス君、損のない人生なんてある訳がないんだから文句ばっかり言ってたら幸せが逃げると思うの」
「おい、真面目な顔して俺の幸せを逃してる張本人が何言ってんだ魔導バカ」
「ひどいなー、ラインス君が私が完成させた転移魔法を見たいって言うから使ってるのにー」
「誰も週一で命の危険しかないところに送れとは言ってないからな?もっとピクニックにでも行けるようなとこにしないかね」
「刺激のない人生なんてつまらないものだよー、ラインス君」
全く悪びれずに柔らかな髪を弄りながらサクヤは言う。そんな姿を見たラインスはいろんな意味で頭が痛くなった気がする。
毎週死線を彷徨う大冒険なんて嫌すぎる。一年近く毎週繰り返しているのだが、そろそろ週のノルマのような感覚になっている自分が悲しくなっていた。
ただこの会話ももう何回したのかも分からず、その度に平行線のままなので一先ずは諦める。
それよりも、だ。
「とりあえず転移の行き先のことは今度で良い。その代わり答えろ。こいつらはなんだ?」
ラインスの雰囲気は今までの気だるさそうなままだが、その目は鋭く光っていた。その変化を感じ取ったサクヤもその目を見据える。
ラインスの自室のベッドには、灰のような色をした髪を持つ少年と少年とは異なる黒髪の幼い少女が眠っていた。
傍目から見れば子どもが眠っているだけの穏やかな朝の風景なのだが、この2人がただの子どもではないことは、ラインス自身が身をもって知っている。
だからこそ、問わなくてはならない。
そんなラインスに対し、サクヤは困ったような表情を浮かべた。
「うーん、やっぱり気になる?」
「そりゃな、今回に関してはおかしいことだらけだ。一つ取り上げるなら、今朝のメモリアルボードの更新後にもなんも載ってねえ。おかしいだろ?あれだけ大勢の人間が気がついたことに編集権を持つやつが書かないわけがねえ」
ラインスはメモリアルボードと呼ばれる本の形をしたものの表紙をコンコンと叩く。
情報というものは鮮度がある。それを見極め、売りに出すべき職業の人間が鮮度の高い情報を出さない理由がない。
所属不明の集団、紋章のない鎧、身につけていた宝飾品、燃え上がっていても燃やさない炎、そして2人の子ども。
偶然に偶然が重なったという言い訳はさすがに苦しいだろう。
「ここからは話を逸らすのも濁すのも無しだ。もう一回聞くぞ。こいつらはなんだ?」
「そう、それは残念。でも、答えならもうラインス君も分かってるはずなんだけどなー」
そう答えるサクヤは少し、哀しそうだった。
サクヤから出る言葉はいつものような摑みどころのないものでなく、ただの事実。分からないでも知らないでもなく、ラインスはもう知っていると答えている。
ラインス自身、予想していたものを確かめるために質問を投げかけていたため、当たりと言われたことでそれは確信に変わる。
最低最悪な予想だが。
「...あー、はいはい。胸くそ悪い話だこと。王国最高の魔導士様は面倒くさいことをすーぐ俺に押し付けやがって。たまには働けよ」
「魔導士も全能じゃないって分かってるでしょー?適材適所だよ、厄介ごと担当のラインス君にプレゼント」
「そんな担当になった覚えはねえし、お前が勝手に押し付けてきてるだけだからな?そんなもんプレゼントとは言わねえからよくおぼえとけ」
ラインスはソファーから立ち上がり、2人の眠るベッドへ近づいていく。そんなラインスにサクヤは薄く微笑みかける。
「でも、受け取ってくれるんだね」
「返品できるのか?」
「無理、だけどアフターサービスは付くから安心して良いよー」
「そりゃ頼もしい。じゃあ、そういうことだ」
2人の前に立ち止まったラインス。
サクヤに厄介ごとを押し付けられ飛ばされを繰り返したこの1年で、自分は随分と面倒くさいことに慣れた。なら、きっとこれから起こることはその面倒くさいことの集大成なのだろう。
腹をくくろう。
今から言うことはただの独り言。誰よりも面倒くさいことに見舞われる男が贈る、来訪者への祝福だ。
単純に優しい言葉をかけるのも味気ない。伝えるならそう、こんな言い方が良いだろう。
「ようこそ神様の残りカスのお二人さん、面倒くさくて最高に厄介なこの世界を楽しんでくれよ」
果たして彼らが救世主になるのか、邪神になるのか。首を突っ込んでみるのも悪くない。