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鬼の行く涯て 竜の往く果て  作者: 長篠金泥
第6章 (リム 鐘後217年6月)

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055 悪名

 女は軽やかな歩調でもって、俺たちの一ケン半(三メートル)ほど先を進んでいる。

 相変わらず足音が全くしないのだが、どういう原理なのだろう。

 もしかして、ブーツの底に何かカラクリがあるのだろうか。

 そんなことを考えながら足元を眺め、それから足運びに秘密があるのかもと太腿ふとももを見詰め、何となくの流れで視線を上げて臀部でんぶを凝視していると、俺の尻に衝撃が走った。


「あだっ――」

『油断しすぎ』


 杖の石突を使った体罰と共に、ファズから再度の注意が飛んでくる。

 油断といえば、一分の隙もない女の身のこなしはどういうことなのか。

 無警戒に背を向けているとしか思えないのに、こちらの一挙手一投足を全て把握されているような、そんな圧迫感を静かに放ってくる。


 ファズやディスターは規格外として、ここまで桁違いの力量を俺に感じさせた人物は、カイヤット教官くらいしか記憶にない。

 自分が闘うならどうするかを色々と組み立ててはみたが、初撃をかわされるか防がれるかして反撃で戦闘不能になるパターンしか想定できない。

 何なんだこの女は――言い知れない不安に駆られつつ、質問を投げてみる。


「……名前、聞いてなかったよな」

「あたしかい? フラン、とでも呼んでおくれな」


 偽名っぽさを隠す気もなく、女はそんな返事をしてくる。

 フランは振り返りもせず、その目線は高い天井に向けられていた。

 それにしても、不自然なまでに広い空洞だ。


「秘密の研究所を作るのに、よくこんなあつらえ向きの場所があったな」

「研究所になる前から、人目を避けたい連中が使ってたのさ」

「へぇ……元は鉱山関連の施設だとばかり」

「最初はそうだったけど、その後でここら一帯を国から買い取った商人が、大々的に手を加えてショウカンを作ってねぇ」


 『商館』――という文字が浮かぶが、こんな辺鄙へんぴな場所に作る意味が分からない。

 ということは『娼館』の方になるのだろうが、しかし。


「どうしてまた、こんなとこに」 

「こんな、街から遠く離れて人目につかない地下でしかできない、ってことも色々とあるさね」


 振り向いてそう告げてくるフランは、妖しげに微笑んでいるが目が笑っていない。

 フランの言葉と態度から、その娼館でどういうことが行われていたのかの見当は付いた。

 養成所に入る前に街で浮浪児たちと暮らしていた幼い頃から、欲望の成れの果てを抱え込んだ頭のおかしい変態連中は見飽きている。

  

「それで、その娼館はどうなった」

「存在が噂になりかけたところで、経営に関わってた連中が全員行方不明」


 何者かの意思によって消された、ということか。

 国が対処したなら表沙汰になるだろうから、利害の対立した犯罪組織の仕業とかその辺り、なのだろう。


「人目を避けてたのに、それでもバレるもんなのか」

「そもそも客としてやってくるのが、自制心の期待できないクズばかり。誰かが自慢がてらに秘密の一端を漏らせば、噂なんざ際限なく広がるさ……さて、着いた」


 石畳の先にあったのは、岩壁にしつらえられた両開きの扉だった。

 金属製の格子扉で、縦横が共に五ジョウ(十五メートル)はありそうだ。

 こんな巨大サイズの扉など、作るのも一苦労だろう。

 なのに、何故こんなものが必要になるというのか。


「これは……」

「答えはこの先だよ。入口のかんぬきは外してある……けど、あんたらなら掛かったままでも平気か。あっちの鍵も、相当に頑丈だったんだけどねぇ」


 呆れ半分でフランが言っているのは、ファズが壊した二つの扉のことだろう。

 ファズが扉の片側を押すと、軽く軋んだだけで思ったより軽い動きで開いていった。

 中はそれなりに広いようだが、照明がないので様子はわからない。

 持ち出した光るガラス球を使うか、それとも使い慣れたランプにするか。

 軽く迷いつつ、気になっていたことをフランに訊いてみる。


「そういや、あの天井から下がってるのは何だ?」

「あれは【月光璃げっこうり】、研究の副産物さね」

「随分と便利そうだけど、商売にする気はないのか」

「大量生産に向いてなくてねぇ。そうなると、世に出してもどうせ王侯貴族にしか手に入らないさ。ランプに使う燃料の値段も、その燃料が何でできてるのかも気にしたことのない連中にしか、ね」


 んだ気配が滲んでいる物言いの中に、僅かにフランの素顔が覗いた気がした。

 が、それもすぐに二重三重の仮面で覆われる。

 そして、闇の奥でうごめく何かの気配が伝わって来た。


『扉を叩く合図が聞こえたら、一旦逃げて』


 厭な予感がふくらむのと同時に、緊張の気配が混ざった念が届いた。

 闇に潜むものが何なのか、ファズには判別できているのか。


「一つ、教えとこうか。ここで研究されてたのは『アート』さ」

「アート……エル語で芸術、だったか?」

「ふふっ、芸術ときたかい。芸術、確かにそう呼べないこともないかねぇ」


 フランは楽しげに、そして思わせぶりに笑う。

 明らかに危険な香りがするが、ともすればそんな危険に身をゆだねてもいいんじゃないか、と思わせるほどにあでやかだ。


「それで、フラン……あんたは一体、何者なんだ?」

「あたしは求綻者さ。但し『元』が付くけどね」


 と、いうことは現役を退いているのだろうか。

 外見的には、引退しなければならない理由はなさそうだが。

 軽く悩む俺に微笑を向けたまま、フランは懐から丸っこい何かを取り出した。


「折角こんなとこで会った後輩だし、ついでに教えとこうかね……あたしは【悪名あくみょう】持ちなんだよ」


 何気ない調子で放たれた一言に、全身の肌がくまなく粟立あわだった。

 悪名――それは、求綻者の栄誉である異名いみょうの対極にある、忌むべき称号。

 

 協会の叛逆者。

 社会の破壊者。

 世界の敵対者。


 協会を追放処分となった求綻者に冠せられる最大級の不名誉、それが悪名だ。

 世間に広く知られた悪名持ちは、二人いる。


 一人は、人としての限界を超越した力を得ようと狂奔きょうほんした末に禁忌に触れ、かつてレウスティ西方に存在したエルディオン王国を所在地の列島ごと一夜にして消滅させた【全沈淪アナイアレイター】ハンス。

 エルディオンの国土と国民をまとめて海に沈めた暴挙は、出身国のアーグラシアではごく一般的な名前だったハンスに、特別な意味を持たせることとなった。


 もう一人は、征服戦争を起こそうと企んだ【僭君子タイラント】ネクザリカ。

 東方辺境、旧セリューカ帝国領に自らの大勢力を築き、軍勢を率いて西へと進軍を開始した直後、不慮の死を迎えてその野望は頓挫とんざしたと伝えられている。

 そんな生きる災厄と同レベルの元求綻者が、俺の目の前に。


「じゃあ、あたしこと【愚者火フェイクメンター】フランから、ちょっとした余興の贈り物といこうじゃないか」


 そう言いながらフランが手にした丸いものを振ると、そこから耳慣れない奇怪な旋律が流れ出た。

 丸い何かと、奇妙な音――記憶のどこかに引っかかるものがある。

 それを手繰たぐってみようとしたが、ガンッ、とファズが扉を殴りつける音で中断された。

 続いて、暗闇の奥から湧き上がった耳をろうする咆哮が、地下の湿った空気を震わせる。

 俺はその振動を背中で感じながら、ファズに言われていた通り一目散に逃げ出した。

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