052 『そんなものにならないで』
ディスターとの会話がないままソミアに戻ると、正門前で士官らしい男がこちらに駆け寄ってきた。
男の後ろには、十人ほどの武装した兵士の姿も見える。
親衛軍からの報復かと身構えるが、制服の白ベルトがないのでどうやら違うらしい。
「練士のエリザベート・ラモリス様と、そのレゾナのディスター殿ですな。シャレル閣下が司令部でお待ちです」
「それはまた……随分と手回しが良いことで」
「以前から親衛軍の行動には監視を付けてありましてな。先程、担当者から鳥による報告が入りました」
アーグラシアやヴァルクには、飼い慣らした【雷霆鵆】に手紙を運ばせる技術があるらしいので、鳥というのはそれのことだろう。
担当者とやらが砦の中に潜入していなくて良かった、と思いつつ訊いてみる。
「ノフスクの方は?」
「幹部数人が拘束され、兵達は全員が投降か逃亡。囚われていた求綻者とレゾナ七組が救出されたとのことです。レモーラ様は無傷ですが、シング殿が軽傷を負われたとか」
「そうか……」
シングの怪我は、きっとレモーラが無茶をしたせいだろう。
ともあれ、二人がほぼ無事だという報せに、やっとのことで一息つけた感じがした。
早足で進む士官の後について司令部へ赴き、昨日と同じ応接室へと向かう。
そこで顔を合わせたシャレルは、どことなく気まずそうな表情だった。
「コルブズとノフスクの件、既に聞いている。何というか……手数をかけたな」
「いえ、成り行きですから。しかし閣下は、こうなると予想していたのでは?」
「期待をしていなかった、と言えば嘘になる。ただ、砦ごと消滅させるのは想像の埒外だったが」
苦笑しつつ視線を送ってくるシャレルだが、ディスターは愛想笑いすら返さない。
個人的にも、謝罪をする筋合いではないと思うので、特にその態度を咎め立てはしない。
それよりも、こちらから積極的にシャレルを咎めたい気分だった。
「……シュナースと対立するよう、仕向けましたね?」
「君達の活躍を知っていたからな。協会の副総裁とコネがあったから、彼を経由して依頼が行くように仕組んだ。あれがミーデンを襲わせたのは予想外だったし、ここまでスムーズに事が運ぶとも思わなかったが」
訊いてみると、あっさりと肯定されてしまった。
拍子抜けしつつも、一応その真意を確認しておく。
「国内の権力闘争に抗訝協会を巻き込むとは、思い切った手段を選んだもので」
「親衛軍には王と大貴族からの支持があり、組織も既に侮れない規模に拡大している。そんな相手を正面から断罪しようとすれば、間違いなく泥沼の内戦が待っている」
それはそうなのだろうが、腑に落ちなさは残る。
そんな私の意を汲んだのか、ディスターが会話を引き取る。
「ですが、シュナース少将一人を抹殺しても、状況は変わらないのでは?」
「いや、それが相当に変わるのだ。アーグラシアの富の二割を握っているとも噂される侯爵家から、莫大な資金があれを経由して親衛軍に流れ込んでいたのでな」
ディスターからの問いに、シャレルは事もなげに答える。
なるほど、大して有能とも思えないシュナースが重用されていたのは、そんな理由もあってのことか。
「次は、ノフスクで捕らえた連中の証言で、親衛軍上層部の責任追及を?」
「貴族共は忍耐を知らん。こちらが動かずとも、焦ってすぐにボロを出すだろう」
シャレルの推測は、恐らくは的を射ているだろう。
しかし、暴発が起きれば親衛軍による市民の被害が多数に上るのは避けられない。
「親衛軍が粛清されれば、その過程で血を流した人々も……墓石の下でさぞや喜ぶでしょうな」
「まぁ、そう責めんでくれ。軍人の立場では、数千の被害で数十万を救えるとなれば、選択の余地はないのだ。可能ならば全てを救いたいが、そこまで自分を過大評価できぬ。あの小僧とその麾下の兵を消し飛ばした貴公なら、理解しているのだろう?」
「それは――」
――そうだ、本当は分かっている。
私も、殺戮が繰り返される原因を絶とうと、ディスターに殲滅を命じた。
いくら否定の言葉を重ねてみたところで、根本に横たわっている『多少の犠牲はやむを得ない』という損得勘定はどうにもならない。
それに、全てを救おうと奔走してみたところで、救いきれないものはある。
例えばシュナースやその部下達、親衛軍の掲げる理想の信奉者。
彼らを満足させるには、その狂った理念の犠牲となる人々が必要になるが、当然ながら犠牲を強いられる人々が救われるはずがない。
かつてコロナの森で聞かされた、バーブの血を吐くような告白が耳に蘇る。
「ともあれ、貴公らのお蔭で、助けられた命もある」
「監禁されていた求綻者、ですか……」
「そろそろ、絢爛姫が凱旋してくる頃合だ。大々的な祝宴とはいかんが、虜囚への謝罪も兼ねてそれなりの饗応を用意している。話の続きはその後にしよう」
朝食から何も口にしていないのを思い出し、私とディスターはその提案を受け入れた。
シャレルは仕事があるというので去り、応接室に二人で残される。
煮え切らなさと苦さばかりが残る幕切れに、どうしても愚痴っぽい気分になってしまう。
「事件の発端にも解決にも抗訝協会が絡んでくる……か」
「元からして不透明な組織ですが、最近は少々目に余ります。本格的に内情を調べさせますか、姫様」
「……どうしたものかな」
協会への不信は年々膨張を続けていて、既に私の中では取り返しのつかない深刻さになっている。
貴族や王族の意を酌んだとしか思えない胡散臭い訝、ランクアップの陰にあるとされる賄賂の横行説、ローランのような道を外れた求綻者を集めている地下組織の噂――どれも憶測や風説の域を出ないが、「そんな馬鹿な」の一言で流すことができない程度の信憑性はあった。
次の布石を決めあぐねていると、応接室のドアが無駄に勢い良く開く。
「待たせたかしら、エリザベート!」
「いや、待ってないけど……シングは?」
「ノフスク攻略における、わたくしの赫々(かっかく)たる武勲について報告する、とか言ってましたわ」
攻略という単語が出てきてしまう時点で、レモーラが必要以上に暴れたのは確実だ。
無駄に気を回したのか、ディスターは「外で警護する」と言い残して部屋を出ていった。
テーブルを挟んで対面に置かれた長椅子に腰掛けたレモーラは、戦塵と返り血で全身が薄汚れているのに、優雅さを感じさせる動作でもって紅茶を口にしていた。
色々と言いたいのだが上手く言語化できず、ただボンヤリとその姿を眺めていると、視線に気付いたらしいレモーラが首を傾げる。
「何ですの? わたくしのエレガントさに見蕩れてますの?」
「うっ、うるさい」
咄嗟に上手い返しができず、自分も茶を飲んで誤魔化す。
だが、誤魔化しきれなかったようで、レモーラがグイッと顔を近づけてきた。
「自分の選択を悔いている、って雰囲気ですわね」
「後悔はしてない。してない、が……色々と考えてしまうな、流石に」
コルブズで私とディスターが何をしたかを聞いたのか、レモーラは珍しく気遣わしげだ。
「失われた命の多さ故に、かしら?」
「そう、なるのかな。死んだ――いや、私が殺した兵士にも家族はいただろう。それに、そもそも私に竜の力を行使する権りにゃぷぉ――やめんか!」
両頬を急に掴まれ、まともに喋れなくなったので手を振り払う。
真面目な話の最中に何をふざけて――と睨み付けるが、レモーラも真顔だった。
数拍置いてから、少し表情を和らげたレモーラが口を開く。
「後悔も苦悩も、どちらもするのが当たり前ですのよ」
「それは、そうなんだろうが……自分の意志で誰かの命を奪い、そのことを後々になって思い悩むとか、余りに偽善がすぎる」
「確かに、そこで迷わずにいられるのが勇者や英雄と呼ばれる存在、かも知れませんわね」
「だったら、私は勇者にも英雄にもなれそうもないな」
「それでいいの。そんなものにならないで、エリザベート」
絢爛姫のものではない、出会った頃と同じ口調の優しいレモーラの言葉。
軽くはない驚きと共に身を乗り出すと、急にフワッと抱きかかえられた。
「ふぇっ――」
「散々に悩んで迷って、苦しみ抜いて決めた後にも本当に正しかったのか考えてしまう、そんな程度が丁度いいの」
「……それで間違ったら、余計に救われないな」
何だか照れ臭くなって憎まれ口を叩くと、もっと強く抱きしめられた。
そのまま三十秒ほど経過すると、ちょっと息苦しくなってきた。
それを伝えようとする寸前、レモーラが不意に手を離して物理的に突き放される。
椅子に尻餅をつくと同時に、耳慣れた笑い声が鼓膜を震わせた。
「明らかに間違っている時は……ディスターやわたくしが止めますわ。ですから貴女は、思うがままに間違ってもよろしくてよ」
「いや、よろしくない気がするけど」
レモーラは、いつもの調子に戻って無意味に偉そうに言い放つ。
対する私も、毎度のように苦笑を返した――つもりだったが、いつも通りに笑えているか覚束なかった。




