047 給餌
夜中にソミアから外に出ようとすれば、門番や警備兵とのトラブルを覚悟しなければならない。
なので私とディスターは、窓のなくなった部屋へと戻って軽く一眠りしてから、朝の開門時間を待って北に向かうことにした。
コルブズまでは五リュウ(二十キロメートル)という話だから、昼前には着ける計算だ。
「シャレル中将に、昨夜の件を知らせなくて宜しいので?」
「必要ないだろう。多分、もう知っている」
軍の管理する施設で、親衛軍がああも好き勝手をしているのは、恐らくは周知の事実だ。
そしてシャレルならば、当然シュナースとその部下の企みにも気付いているはずだ。
なのに野放しにしている意図は、同僚を失脚させての排除が狙いなのか、或いは――
「親衛軍の中枢を崩すのが目的でしょうか」
「そのくらいは考えていてもおかしくなさそうだ、あの御仁なら」
こちらの思考を読んだディスターに返事をしておく。
既に道程の七割ほどを進んだと思われるが、街道を選んでいるのに擦れ違う人も馬車も殆どない。
度重なる襲撃事件の発生で、商人も旅人もこの道を使わなくなっているようだ。
レモーラ達が進んでいるはずの西への道は、ほぼ軍用らしいのでもっと寂れた雰囲気を醸していそうだ。
「そういえば、あの部屋にいた女達を放置してしまったな」
「彼女達は、親衛軍御用達の娼館から派遣されていたそうなので、心配ないでしょう」
「そうか……」
「姫様、あれを」
割り切れなさを感じつつディスターが指し示す方向を見ると、濛々(もうもう)と湧き上がる黒煙が空を汚していた。
街道から東寄りに外れる小道、そこををしばらく進んだ先にある、木々の疎らな林の向こうがその発生源か。
辻に立てられた看板には『ミーデン』という地名が記してある。
「……まさか」
また、謎の襲撃が発生しているのか。
謎とは言いながら、心証としては親衛軍が絡んでいる確信があるのだが。
無意識で鳴らした歯軋りに、自分の感情が沸騰しつつあるのを悟る。
不意に目の前が暗くなりかけるが、ディスターが煙の立っている方に向かって駆け出したので、気を取り直してその背中を追う。
悪路を駆け抜け、木々の間を突っ切る。
村の入口であろうアーチの前には、一頭の馬が繋がれている。
周辺に見えるのは、馬蹄と軍靴に踏み荒らされた畑。
その先には、燃え盛る数戸の陋屋と、焼け崩れた数戸の廃屋。
広場の井戸の周りには、手足を散らかされた何人分かわからない死体。
そして、そんな光景をつまらなそうに眺めている、獣を連れた男の姿だった。
五シャク八スン(一七四センチ)程度の背丈で、長めの赤毛。
旅人風の服装をしたその男はまだ若い雰囲気で、横にいるのは豚か猪――いや、それにしては体躯が大きいし、頭部には複数本の角が生えている。
あれは――【吶喊豬】だったか。
人には馴れぬ新生物を連れている武装した人物、つまり男は求綻者だ。
「ここで……何をしている」
怒鳴りそうになるのを抑えながら訊くと、既にこちらに気付いていたであろう男がゆっくりと振り返り、隣のレゾナもまた同じ動きを見せる。
男が手にしているのは特注のフレイルだろうか。
ポールの先から三本の鎖が下がり、それぞれの先には球体になり損ねたような歪な鉄塊が溶接されている。
その黒い金属には、粘度の高い赤色がまとわりついている。
吶喊豬の角と口周りも同じ色に染まり、長い牙はその出所に深々と食い込んでいた。
喰いちぎられ、半ば咀嚼された幼児の脚だ。
「き――貴様ぁ! 何をしているっ!」
自分が見ているもの、それが何なのかが知覚された瞬間、長剣を抜いていた。
ディスターも男と距離を詰めながら、戦闘態勢へと移行しつつある。
だが男は、緊張感もなく「フッ」と鼻で笑い、馬鹿にしたような目で私を見返す。
「そりゃまぁ、見ての通りだわな。エサの時間だよ、エサの」
「エサ……だと? 馬鹿な! 村人だろうが、それはっ!」
「人の死体は、放って置けば腐るばかりじゃないか。だったら、コイツに食われて血肉になった方が、いくらかは有益だろうよ。馬鹿呼ばわりされるのは心外だな」
事もなげに言い放つ男は、相変わらずの薄笑いを浮かべている。
レゾナの方は剣呑な雰囲気を察したのか、口中のものを吐き出して低く唸り始めた。
血と唾液に塗れて地面に転がされたそれに、視線は否応なく吸い付けられる。
「貴方が殺したのですか」
「んー、ああ、この集落を焼き払えって命令でな。で、火ぃつけたら家ん中に隠れてたガキが飛び出して来たんで、反射的に頭をこうガツンと。まぁ言ってみれば不幸な事故さ」
全く悪びれる様子もなく、男はしれっとディスターに答える。
つまり、こいつが手にした武器を濡らしているのは、子供の血と脳漿か。
何なのだこれは。
何を言っている。
何を考えている。
恐怖ではなく、憤怒でもなく、混乱によって柄を握った手の震えが止まらない。
こいつは一体何者だ――何故、こんなことをして平然としていられる。
「どうしてこんな真似を! 貴様……貴様は求綻者だろうがぁ! それがっ、狂った軍人の走狗となり、無辜の民を殺して村を焼くなど、どういう了見なのだっ!」
止め処なく声が大きくなるのを自覚しながら、細かく揺れる刃先を男に向ける。
だが相手は、癖の強い赤髪を掻き回しながら、面倒臭そうに苦笑混じりで応じてくる。
「あー、そこまでバレてんのね。あいつらの計画はめっちゃ粗いもんなぁ……自作自演で紛争の種を作って、その犯人役に金で転びそうな欲深い求綻者を誘き寄せる。そんで、協力を拒めば殺害か投獄って、もう頭悪すぎるでしょ。アンタもそう思わん?」
かなり粗雑な陰謀が展開されている、というのは予想していた。
しかし男がこの場で語ったのは、こちらの想像を大幅に下回って思慮の足りていない、馬鹿馬鹿しい思いつきの類だった。
きっと今の私は、開いた口が塞がらない呆れ顔をしているに違いない。
「そこまで、理解していて……どうして、どうしてこんな……」
「報酬が目的ですか? もしくは、軍での栄達でも約束されましたか?」
言葉に詰まった私に代わり、ディスターが質問をぶつけた。
訊かれた男は、左手をヒラヒラと揺らしながら応じる。
「どっちも提示されたけど、このローラン・ルジャンティ様は、どっちも興味ない。ま、金でも物でも女でも地位でも勲章でも、貰えるモンなら全部貰っとくがね」
ローランと名乗る求綻者は、ふざけた調子で答えを返してきた。
聞き覚えのない名だが、響きからしてレウスティの出身だろうか。
「我ら求綻者はっ、世界を救うのが使命ではないか! なのに――」
「おっと、あんたも求綻者か。でも、本気でそんな建て前を信じちゃいないだろ? 自分を騙しながら他人様を責めようってなぁ頂けないぜ。そもそも、親に捨てられて養成所に入れられた子供や、食い詰めて養成所に行くしかなかった貧乏人が、世界を救おうなんて崇高な使命感を持てるのかね?」
怒声を遮られた私は、薄笑いのまま氷刃に似た言葉を吐き出すローランを睨み返す。
個人的にも、抗訝協会の掲げる大義名分や、求綻者養成のシステムに対しての不信はある。
それは確かなのだが、そのことはこの目の前の光景に何の関係がある。
乱れかけた心を危ういところで鎮めた私は、改めてローランに切先を向けた。




