037 餞別
「どうした。何を騒いでいる」
「えっと、その……シショーが極めつけのアホなので」
「今更そこを指摘してもどうにもなるまい」
「それはそうなんですが」
何気にヒドい言われようだ。
反論の余地はあんなりないから黙っておくが。
「御苦労だったな、マリオン」
「あっ、はい」
まだ怒り足りなかったのか、マリオンは何か言いたげな空気を漂わせている。
だが、俺と教官をそれぞれ一瞥した後、軽く頭を振ってから自室の方へと小走りで消えて行った。
「何か……バタバタしててすみません」
「まぁ、構わん。入れ」
教官の私室に招かれるのも久しぶりだ。
簡素なベッドと本棚と物品棚、そして机と椅子。
相も変わらず、シンプルこの上ない殺風景な部屋だ。
ここで特に目立つのは、肘まで覆うタイプの籠手とジャマダハルを合体させたような、教官の左手でも扱える特注武器くらいだろうか。
「どうだ、そろそろ求綻者としての自覚でも芽生えてきたか」
「いやぁ、実感はないです。初検訝もまだですし」
「そうか。で、お前を呼んだ理由だが」
教官がコチラに向き直ったので、少し姿勢を正して言葉の続きを待つ。
「習士の旅立ちに際しては、担当教官から贈り物をする慣例があるのだ」
「はぁ……手編みのチェインメイルとかですか」
「そこまで難易度の高い品を求められても困る。だが、基本は武器や防具だな」
言いながら教官は机の引き出しを開け、小さな箱を取り出した。
「私からの贈り物は、これだ」
渡された箱は、ちょうど掌に乗る程度のサイズだ。
武器や防具という感じでもないし、装身具の類だろうか。
「……何なんです?」
「見ればわかる」
促されて青色の箱を開くと、中から金属製の小さな円筒の缶が出てきた。
ネジ式の蓋がついているようだが、そこを更に革紐でギチギチに縛ってある。
「見てもサッパリなのですが」
「ラベルを読め、ラベルを」
缶に貼り付けてあるそれを見ると、掠れた字で【究鏖殺】と書かれている。
その文字列を認識した瞬間、一気に血の気が引いた。
「まさか……冗談ですよね?」
「紛うことなく本物だ」
当然だろう、と言わんばかりな教官の返事に、意識が遠退きそうになる。
伝説に近い破壊の逸話を持つ猛毒――究鏖殺と書いて『みなごろし』。
大鐘声後の戦乱で消滅した七国の一つ、フォルーカ王国を滅ぼした原因。
歴史の授業でも習った【ポズァーネの鏖殺】と呼ばれる事件の主役だ。
百五十年ほど前、フォルーカ国内で有力将軍による反乱が勃発。
それに呼応したアーグラシア軍の電撃的な侵攻を受け、首都ポズァーネの防衛線は救援を待てずに突破された。
包囲された王城が陥落寸前の状況にある中、親衛軍司令官は王と城内に逃げ込んだ臣民を守るべく、偶然に開発され秘匿されていたこの猛毒物質を使った――らしい。
曖昧な話になってしまうのは、その場で何があったのかを証言できる人間が、誰一人として生き残らなかったからだ。
どういう形で使用されたのか分からないが、城内にいた者と城を囲んでいた軍勢、双方合わせて万を超える人々が、一人残らず死に絶えたとされている。
攻城の主力がフォルーカの反乱軍、後詰がアーグラシアの派遣軍という布陣だった為、被害の少なかったアーグラシア軍は空になった首都を制圧。
王族と高級指揮官の大多数を失った正規軍は半月と持たずに瓦解、フォルーカはアーグラシアに併合されて消滅した。
これが、世に知られるフォルーカ滅亡の顛末だ。
その契機となった物質は、それからも何件かの大量殺戮に使用され、究鏖殺という不吉な名を与えられる。
現在では少量が抗訝協会の管理下にあって、実物も製法も門外不出となっている――ハズだったのだが。
「どうして教官がこんなモノを?」
「持ち出しの認可は得ている」
「けど、究鏖殺ってのは……」
手の中にある小さな缶が、やけに重たく感じられる。
忌まわしい来歴が、そのまま質量として加わったかのようだ。
「心配はいらない。協会の研究機関が長年に渡る改良を加えて、安定した毒物になっている」
「いや、安定って言われても」
「使い勝手が良くなった、という話だ。威力は少々減じたが、揮発性を抑えて液体にしてあるから、使用者の安全性は大幅に高まっている」
「それよりも、何で俺なんかに」
「毒は普段から使い慣れているだろう」
「でも、アレはその……」
麻痺毒や催眠毒は、なるべく相手を殺さずに戦闘不能にする目的で使っている。
教官もそれは分かっているだろうに、何故――そんな風に考えを巡らせていたら、不意にロクでもない可能性へと辿り着いてしまった。
「もしかして、会議室で言ってた……ファズを警戒しろ、っていうアレですか」
「関係ない、とは言えんな」
教官の表情に翳が差すが、俺の表情は多分もっと分厚く曇っているだろう。
鈍色の缶をそのまま突き返そうとするが、かつて毎日のように目にしていた、ダメな教え子を生温かく眺めている時と似た教官の様子に、思わず動きが止まる。
「最後まで話を聞け、馬鹿者。持ち出し認可を得るには、確かにお前のレゾナ――ファズの不確定要素を理由にした。だがな、お前に究鏖殺を託したい真意は別にある」
「真意、ですか」
「どんな時でも誰を敵にしていても、命を奪わずに済ませようとするお前の行動は、共感はしないが理解はできる。だがな、そういう甘さが命取りになる場合も多々ある」
「それは――」
反論しようとするが、教官の右目の一睨みでそれは封じられる。
今まで何度か対人戦闘を経験してきたが、自分の手で命を奪ったことはない。
「前にも言ったがな、担当教官としての贔屓目を抜きにしても、お前の戦闘技能は中々のものだ。体格と筋力の不利を精度と練度と速度で補っている。それでもだ、リム……お前の戦法は危うい。相手が圧倒的に強い場合は勿論、実力が拮抗している場合も、殺意の有無は重大な意味を持つ」
相応しい言葉を綴れず、俺は否定でも肯定でもない頷きだけを返す。
「己の認識がどうであれ、戦場での手加減とは即ち『驕り』なのだ」
驕りと侮りは間隙を作り、焦りと怒りは失策を招く――教官から繰り返し聞かされた教訓だ。
「別にだな、常に交戦相手の息の根を止めろ、というのではない。ただ、いざという時に自らの手を汚す覚悟も持っておけ」
「……優秀な求綻者には、そういう心構えが必要ってことですか?」
「少し違うな。殺しを忌避しておきながら、自分の命への執着は余り感じられない、お前の心底が気になるのだ」
教官からの指摘に、ハッとして息を呑む。
望んで傷つこうとしたり、進んで命を捨てたりするつもりはない。
だが、絶体絶命の危機に陥った時には簡単に諦めてしまいそうな、そんな自覚と予感は以前からあった。
無意識の中に、『どうせ拾った命だから』的な気分が混ざっていたのか。
「今はまだ、深く考えなくてもいい。とりあえず生き延びろ。理由が必要だったら、そうだな……私がリムに死んで欲しくないから、でもいい。勝手に死んだら殺す」
「いやあの、ワケがわかりません」
教官は半笑いで言うが、そこに本気の心配が混ざっているのは、いくら勘の鈍い俺にも理解できた。
「究鏖殺の扱いに関しては、渡した箱にメモが入ってるからそれを読んでおけ。使わないに越した事はないが、使わないと死ぬ時には躊躇するなよ」
話が終わった後、一礼して教官の部屋を辞する。
重荷を背負わされた感は残っているが、それ以上に大切なモノを渡された感覚が、手の中にある缶をさっきよりも軽く思わせていた。




