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鬼の行く涯て 竜の往く果て  作者: 長篠金泥
第4章 (リム 鐘後217年6月)

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036 発紋

 それからの五日間は、教官に予告された通りの忙しさだった。

 こなすべき物事のメインは二つあり、一方の【叙任じょにんてん】は、共鳴を起こした候補生に正式な求綻者資格が授与される式典で、言ってみれば卒業と就職を同時に済ませるようなものだ。


「ここに、リム・ローゼンストックを習士しゅうしに任ずる。レゾナと共に求綻の旅に赴き、世の滅ぶ兆を探せ」

「謹んで拝命いたします」


 長年ずっと待ち続けていた瞬間だったが、意外にも感動は薄かった。

 式の決まり事は無駄に多いわ、所長の訓話は無意味に長いわで、そこに辿り着くまでに神経がかなり磨り減らされたのも、原因の一つかも知れない。

 だがそれ以上に、見送る側として何度も参加していたせいで、何一つとして新鮮さが感じられなかった、というのが最大の要因だろう。


 習士拝命が精神的に求綻者になった証だとすると、もう一方の【発紋はつもん】は求綻者としての身体的な証を得る為の儀式だ。

 養成所の地下の【鳴動室めいどうしつ】と呼ばれる部屋、そこでレゾナと丸一日を過ごす。

 話には聞いていたが、内容のわからない低音の詠歌えいかだか呪文だかが延々と流れて、部屋全体が微かに揺れ続けている鳴動室は、かなりワケの分からない場所だった。


 ファズも不愉快さをあらわにしていたが、体を内側からガサガサに荒れた手で撫で回されているような感覚があり、何とも言えない薄気味悪さに囚われる。

 寝てしまっても構わない、と言われたがこんな環境では無理があった。

 鬱陶しさ満点の一昼夜を過ごすと、求綻者とレゾナの体に紋章のようなアザが浮かぶ。

 この状態になると【発紋はつもん】に成功した、と判断される。


 このアザの正式名称は【求綻紋ぐたんもん】だが、一般的には徽章バッジと呼ばれ、悪意のある者からは首輪カラーと呼ばれる。

 これは求綻者の身分証明であると同時に、求綻者にしか使用できない装置を起動させる機能もある――らしい。

 詳しい説明がないのは、習士の身分ではそうしたものを使えないからだろう。


 求綻者は首の周辺に紋が浮き出ると決まっているようだが、レゾナには規則性はない。

 首の後ろに出た求綻紋を合わせ鏡で確認すると、四つの三角形が不規則に重なった図柄で、色は鮮やかな緑色だ。

 ファズの体のどこかにも同じアザが浮かんでいる――ハズだが、見せてくれと言ったら凄い目で睨まれてしまったので、未だに確認はしていない。


 叙任と発紋の二大典儀が終わっても、細かいイベントはまだまだあった。

 養成所の後輩や職員達が開いてくれた祝賀会の主役。

 この六年で知り合った街の人々に、求綻者になったことと旅に出ることを報告。

 抗訝協会の第三管区司令部に赴き、管区長のジェール侯爵に挨拶。

 その帰りには、菓子店の前で毎回のように足を停めるファズに散財させられながら、長旅に必要だと思われる道具類の購入。


 その他にも、様々な書類にサインをさせられたり、何の必要があるのか不明な特別講習を受けたりと、目が回るような忙しさで日々は過ぎていった。

 そして出立前日の夜に壮行会が開かれたのだが、イマイチ盛り上がりに欠けたまま半端な時間に終わってしまった。


 甘口ワインの大瓶を五本空にしたファズは、開始から一時間経った頃に『部屋に戻る』とだけ言い残し、数本のワインとオードブルの大皿を抱えて会場から消えている。

 来賓室に戻ると酒に付き合わされそうなので、ここ数年間使っていた狭い個室に戻り、これまでとこれからの自分について、ベッドに寝転がりながらボンヤリと考える。


 そもそも、自分で選んだ道ではなかった。

 それでもここまで来てしまったし、行けるところまで行ってみるのもいい。

 世界を丸ごとは救えなくても、解訝かいげんで救える人々はいるはずだ。

 決意と呼ぶには緩い感情に身を委ねていると、ドアが慌しく連打された。

 このノックの仕方は、多分あいつだろう。

 ドアを開けてみると、予想通りの人物と目が合った。


「ん、こっちにいたか」


 背が低めの俺より、更に五スン(十五センチ)ほど低い場所から声が発せられる。

 艶のある長い赤毛の下にある容貌は、パーツの造形に高い将来性を感じさせる。

 だが、現状では単に目付きの悪い小娘でしかない。

 童顔という点では俺も大概だが、こいつの場合は単なる子供だ。


「どうしたマリオン。今夜もまたオネショの隠蔽いんぺい工作か?」

「またって何だ! 一回もやらかした覚えはない!」

「知ってる。それで、何の用だ? また添い寝の依頼か?」

「だぁから、またって――チッ」


 この辺りで煙に巻かれつつあると気付いたらしく、赤毛の少女は大音量の舌打ちを鳴らしてからコチラを睨み付ける。


「カイヤット教官が呼んでる。着替えなくていいから、サッサと来やがれってさ」

「あのなぁマリオン。前から言ってるが、もう少し口の利き方をだな」

「相手によって言葉遣いを選んでる。余計なお世話だ」

「くっ……全く、最後の最後まで生意気なチビっ子だ」

「うっさい! 大体、今の養成所でシショーより背が低い訓練生はボクだけだぞ」


 三年前の入所直後から態度の悪かったマリオンだが、投擲とうてき武器の使い方を教えるようになった去年からは、俺を呼び捨てにせず『師匠』と呼ぶように変化した。

 問題は、師匠の発音に微妙な不純物が混ざっているのと、呼び方の他は何一つ扱いが変わっていない点なのだが。

 歩き出したマリオンに続いて、薄暗い廊下を進む。


「教官は自分の部屋に?」

「そう」


 素っ気なく答えるマリオン・ソラスは、現在この養成所にいる訓練生の中で、最も期待されている存在だ。

 見た目は十歳くらい、実年齢でも十二歳の少女でしかないのだが、教官達が言うには途轍もない才能の持ち主で、『不世出の天才』らしい。


 しかし、年齢相応な体格の貧弱さもあって、戦闘能力は低いと評さざるを得ない。

 投げナイフやスリングショットの使い方を教えたのも、それをカバーするのが目的だ。

 知能が優秀なのは間違いないものの、特定分野で発明や発見をしたワケではない。

 万巻の書を読破して古今の学問知識に通じているとか、そういうのでもない。


 では天才たる所以は何かといえば、検訝に関する能力が桁外れなのだそうだ。

 マリオンが何をしたか、具体的な内容は機密扱いになので聞いていない。

 しかし、長年放置されていた多数の訝が、マリオンによって解決に向かった、という話は教官から聞かされている。


「俺の次は、お前の番だろうな」

「……かもね」


 マリオンの訓練期間は来月には終了し、続いてレゾナ探しが始まる。

 同期生は他に四人いるが、恐らくはマリオンが最初に共鳴を起こすだろう。


「まぁ、何て言うか……頑張れよ」

「最大限に頑張ってるボクにそれを言う?」


 もっともな反論が飛んできて、軽く言葉に詰まる。


「いや、身長とか色々、な」

「どこ見て言ってんだコラァ!」

「のぁっ」


 結構な勢いですねを蹴られ、視線がマリオンの平坦な胸部から天井に強制移動させられる。


「ってえなオイ! いつもの流れなのにどうした?」

「こんな時にもいつも通りだからだよ!」

「何だそりゃあ!」

「うるさい!」

「やかましい!」


 二種類の怒声が同時に鼓膜を叩く。

 マリオンの背後でドアが開いて、カイヤット教官がコチラを睨んでいた。

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