004 泥濘
周辺の物々しい雰囲気からして、街の中に入るのには手間取りそうな予感がしたが、警備兵は意外にスンナリと通してくれた。
ライザの持つ求綻者の身分証も大きいのだろうが、出入りに際して警戒されているのはどうやら亜人だけのようだ。
俺達が簡単な問答だけで通された一方で、豚人や緑人は念入りな荷物検査と身体検査を受けている。
「随分と亜人に厳しくないか」
「隣国の騒乱が飛び火するのは、レウスティにしてみれば避けたい事態だからな。そもそも、難民の受け入れにもメリットはないのだ」
「それは……そうなんだろうけど」
「何事にも限界はあるし、善意や熱意ではどうにもならないこともある。同情するのはいいが、程々にしておかないと身を滅ぼしかねない」
ライザは冷徹に言い切った――つもりなのだろうが、その横顔には忸怩たる想いが濃厚に滲んでいて、まるで自身に言い聞かせているようだった。
俺も頭では理解しているつもりなのだが、心の奥深くにある部分が反発してくるのを抑えられない。
弱者が世の理不尽に翻弄されている状況を見ると、どうしてもかつての自分が重なって見えてしまう。
俺とライザは二人して険しい表情を浮かべつつ、雑然とした雰囲気の大通りを無言のまま足早に歩き、街の中心部に建つ領主の館を目指した。
この地方の領主であるノーデンホッブ伯とその家族は王都で生活していて、領地の運営はタヴェルニエという代官が一任されているらしい。
応接間へと通された俺とライザは、今回の検訝の依頼主でもあるタヴェルニエから、ここで起こっていることに関する詳しい説明を受けようとしたのだが。
「――と、いった問題が起きているのです」
「……なるほど」
無感動な声でライザが応じる。
タヴェルニエやその部下から語られた内容は、野生動物や新生物が攻撃的になっている現象についての説明が主で、これまでに得た情報や体験を超えるものがなかった。
難民対策に追われていて、訝のことまでフォローできていないのだろうか。
或いは、一帯の治安維持を担当しているであろう駐留軍や、さっき会った豚人のような自警団からの情報がキチンと上がってきていないのか。
ライザはしばらく黙考した後、小さな溜息を吐いてから言う。
「堤防で原因不明の決壊が起きたと聞いたが、それはどの辺りになる」
「壊れた堤防、ですか? この街から四リュウ(十六キロ)ほど西ですが」
「決壊による人的被害は?」
「人家の疎らな地域ですので、死者は出ませんでした。ただ、濁流でフィドラ草の群生地に甚大な被害が出ています」
フィドラ草というのは、強力な解熱剤の材料となる薬草だ。
人工的な栽培の方法が確立されていない植物で、レウスティではノーデンホッブ周辺だけで存在が確認されている。
堤防の決壊で薬草の群生地が壊滅し、薬草園にも地下水の噴出で甚大な被害。
その関連性に気付いたらしいライザは、タヴェルニエに質問を重ねる。
「薬草園でもトラブルがあったそうだな」
「ええ……先週のことですが、伯爵家が管理する薬草園の敷地内で、唐突に地下水が噴出する事故が発生しまして。損害金額も莫大になりますので、国庫からの援助をお願い致したく……」
「今の私は王女ではなく、求綻者としてここに来ている。残念ながら、国政に口を挟む立場にない」
柔らかい口調ではあるが、ライザはハッキリと拒絶の意を示した。
王族という身分は色々と便利そうだが、こういう気苦労もあるのか。
そんなことを思いながら、出された高そうな紅茶を飲んでいると、ライザがスッと立ち上がる。
「問題の薬草園を見に行く。そう遠くはないな?」
「はい。街道を西へ一リュウ半(六キロ)です」
「そうか。では行くぞ、リム」
無理を言って同行したコチラに拒否権はないので、休む間もなく俺達は水浸しになった薬草園の調査へと向かうことになった。
タヴェルニエが馬車を用意してくれたのが、唯一の救いだ。
街道の整備がイマイチなせいで、尻肉に結構なダメージを受けるハメにはなったが。
ライザはこんな状況に慣れているのか、特に文句も言わずに状況の分析をしている。
「新生物の凶暴化と、続けざまの薬草への被害……両者に関連性はあると思うか?」
「んー、二つが離れすぎててピンとこない。新生物が堤防を壊したり、薬草園を襲ったりしたんならわかるんだけど」
「そうだな。可能性はゼロじゃないにしても、そんなことをする理由がない」
「人の育ててる薬草をダメにしたがる習性がある新生物、なんてのもいないだろうし」
「確かに、聞いたことはないな。特定の植物を好んで食するというのはあるだろうが、今回は食害に遭ったのでもない」
納得できる推論も出ないまま、馬車は柵で囲われた薬草園の付近に到着した。
想像以上に広いようで、柵の外側からは内部の状況は窺えない。
周辺の警備をしている兵に声をかけ、責任者に話を通してから敷地内に足を踏み入れる。
擦れ違う職員や兵士には、労働によるものとは別種の疲労が見える気がした。
誰も彼も、ただウンザリしている――そんな雰囲気だ。
「これは……」
「酷いな……」
俺とライザは、水が噴出した地点から二チョウ(二百メートル)ほど離れた場所で、惨禍の痕跡と遭遇して絶句させられていた。
大量の水が出たようで、付近は擂鉢状の地盤沈下を起こし、泥が地下に向かって渦を巻いている。
泥の中には建物の残骸やヘシ折れた木々が埋もれていて、辺りには直射日光に灼かれたドブみたいな鼻につく臭気が結構な濃度で漂っている。
研究員の話だと、ここでは傷薬や毒消しといった基本的な薬品の材料となる草花を栽培する一方、咳止めや下痢止めのような治療薬の改良や流行り病の特効薬なども研究されていた、とのことだ。
地下水が噴出したのは、その研究施設のすぐ近くだったらしい。
一通りの説明を聞き終えたライザは、壊滅した園内の様子を目撃した直後よりも、更に曇った表情で何事かを考え込んでいる。
研究員が立ち去るタイミングを見失っているようだったので、俺からライザに話しかけて空気を変えてみた。
「想像以上の惨状だし、回復には年単位でかかるかな」
「む……それはさて措き、リム。広い敷地内にいくつも薬草畑があり、関係者用の宿舎があり、何にも使われてない空き地もある。なのに、研究施設の直近から大量の水が噴き出した……これは偶然か?」
俺は返事に詰まり、曖昧な表情で頭を振る適当なリアクションだけを返した。
その後、俺とライザはぬかるんだ地面に足を取られつつ、以前から勤務していた研究員や作業員、警備任務に当たっている兵士、それに瓦礫やゴミの撤去に雇われた亜人の労働者などから話を聞いて回った。
情報として確実だと思われるのは、事件は真夜中に発生して夜明け前には収まったというのと、現場に残された泥は最初はもっと臭いがキツかったということの二点。
他に複数の証言者から出てきた言葉としては、こんなものがあった。
『水の噴出する前に、地鳴りの音を聞いた』
『小さな地震が起きて、それで目が覚めた』
『その夜は、軽めの頭痛や吐き気が続いた』
何を意味するのかは分からないが、意味ありげな事象なのは間違いない。
薬草園を後にした俺とライザは、それなりの手応えを得てノーデンホッブに戻る馬車へと乗り込んだ。