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鬼の行く涯て 竜の往く果て  作者: 長篠金泥
第4章 (リム 鐘後217年6月)

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035 戒飭

 顔を出したのは教官の一人で、各種格闘術を専門にしているクローデルだった。


「……リム」


 教官の声の調子には『一緒に来い』というメッセージが込められていた。

 なので、ちょっと待っていてくれ、とファズに無言で伝えてから部屋を出る。

 クローデル教官は基本こんな感じの寡黙かもくさだが、講義中は途端に饒舌じょうぜつになる掴み所のない人物だ。


 妻子もいるそうだが、プライベートではどちらのキャラなのだろうか。

 そんなことを考えながら、筋肉で盛り上がった厚みのある背中を眺めつつ後をついて行くと、クローデルはある部屋の前で立ち止まった。

 ココは確か――会議室だったか。


 クローデルに続いて会議室に入ると、多数の視線が俺に向かって殺到してきた。

 養成所長のシャティヨン男爵、カイヤットと他の教官たち、その他に養成所の幹部職員と思しき面々――こちらは普段関わりのない面々なんで、誰が誰だかよくわからない。

 こうして呼ばれたのにファズが関係しているのは想像がついたが、戸惑いを主成分にしている所長らの様子からは、本当の理由を推測するのは困難だった。


「えぇと、リム……リム・ローゼンストック」

「はい」


 普段は耳にしないフルネームを滅多に会話しない所長に呼ばれ、やや緊張を感じながら返事をする。

 所長の面積の広い額には、うっすらと汗が浮いていた。


「リュタシアにこの養成所が開設されて以来、最大のお――特殊事例だった君が、無事に共鳴を起こしたのをまずは祝福しよう」

「長い間、心配をお掛けしました」


 ちょっと待て、今『最大の落ちこぼれ』って言おうとしなかったか。

 そうツッコみたくなるのを我慢して、無難な返事をしておく。


「しかし、どうしてよりにもよって鬼人と?」

「狙ったんじゃないんですけど、流れでそうなってしまいまして……」


 我が事ながらどう説明していいのか、あやふやな語り口になってしまう。

 そんな俺を見据えながら、腕組みをした所長は深々と溜息を吐く。


「世界には数多くの養成所があるのに、何故この地で……そして私の任期中にばかり、前例の無い事態が起こるのだろうな……」


 どんよりとした声音で語られる所長の愚痴に、ライザが竜であるディスターをレゾナとして連れ帰った時に巻き起こった、二年前の大騒動が脳裏を過ぎる。


「奇跡的な出来事が続くのは、所長の人徳というヤツではないでしょうか」

「人徳、かね」


 厄介事を奇跡と言い張って所長を持ち上げてみると、その口元が満更でもない感じに緩む。

 だが、協会内で出世して名誉称号や勲章を得ることにしか興味がない、実務能力皆無な俗物老貴族に人徳などあるはずもない。

 現に、訓練生から所長に付けられている密かなアダ名は『紙魚爺しみじじい』だ。

 教練にも座学にも顔を出さず、養成所の運営も教官達に丸投げして、毎日所長室で古臭い書物を読み耽っているばかり、というのがその由来だ。


「で、俺が呼ばれた理由は何ですか。今までにココで見てきた、レゾナを連れ帰ってから習士しゅうしを拝命するまでの流れとは、だいぶ違ってる気がしますけど」

「お前を求綻者に任ずる前に、一つ念を押しておきたくてな」


 訊いてみると、所長に代わってカイヤット教官が口を開いた。

 何を言われるのか想像がつかなかったので、黙って続きを待つ。


「鬼人がどんな存在かは知っているな」

「そりゃもう――」


 山道での突然の遭遇から、森の中で盗賊団を壊滅させるまでの、ファズと出会った日の出来事を掻い摘んで語る。

 カイヤット教官だけは興味深げに聞いているが、他の面々は皆が多かれ少なかれ渋さや苦さを噛み締めている。

 話が一段落した所で、教官が右眼だけで真っ直ぐに見つめながら告げてくる。


「そんな怪物をぎょせるのか、リム?」

「それは……」


 どうなんだろうか。

 とりあえず、現状で意志の疎通に不自由はない。

 だが、普通の求綻者とレゾナのように、コチラが命令を下す形で関係を築くのは難しい気がするし、それで上手く行く予感も全くしない。

答えに窮していると、教官は軽く咳払いをして続ける。


「脅すつもりはないのだが、鬼人というのは余りにも正体不明だ。歴史の授業で『モズレアの乱』については教えたな?」

「えぇっと、五十年だか六十年だか前に、大陸南方で発生した亜人デミの大規模反乱……でしたっけ」

「やや頼りないが、及第点にしておこう。それで、反乱の指導者であるモズレアだがな、あれは実は人間で、本名はトーフィン・モズレアという。そして彼は――」

「カイヤット君、それ以上は」


 所長が止めに入ったが、カイヤット教官は無視して話を続けた。


「――求綻者だ。全ての公式記録から抹消されているが、な。レゾナであった犬人コボルトの女性と共に亜人デミの軍勢を率い、四年の長きに渡る戦乱を巻き起こした」

「……まさか」

「私に嘘をつく理由があるか? そもそも、抗訝協会の幹部には周知の事実だ……ふむ、どうして今こんな話をするのか分からない、とでも言いたげな顔だな」

「はぁ、まぁ」


 考えが表情に出ていたのか、教官に図星を突かれて曖昧な返事を呟く。


「ただの亜人デミであっても、暴走に求綻者を巻き込んで大規模な破壊を招いたのだ。もし、この反乱に鬼人達が関わっていたならば、事態は更に深刻になった可能性が高い」

「でも、ファズなら――」


 そんなことにはならない、と言い返しかけて軽く詰まる。

 自分はそう即答できる位に、ファズを理解しているのか。

 現段階で分かっているのは、彼女が常識外れの戦闘能力の持ち主で、甘い物が好きだという程度でしかない。


「繰り返しになるが、別に脅すつもりはないのだ。ただ、鬼人や竜といった存在はな、外見こそ人間に似ていても、その本質は訝や自然災害に近い。それを理解しておけ」

「そう……ですか」


 教官の言わんとすることは何となくわかるのだが、上手く頭に入ってこない。

 ディスターを連れ帰った後、ライザもこんな話をされたんだろうか。


「鬼人の力は、お前の求綻の旅を大いに助けるだろうし、戦場で命を預ける相手としては最高に近い。頼っていい。信じてもいい。だが、疑いも捨てるな」

「さりげなく、難易度の高い指示って気がするんですが……」


 何せ、コチラの思考は基本的にファズに筒抜けなのだ。


「……では、疑惑は心の奥深くにでも沈めておけ」

「そういうフワッとしたのじゃなく、もうちょいマシな助言ないですかね」


 冗談めかしつつ本気の苦情を告げると、不意に教官の表情が険しくなった。

 重要な話に入りそうな雰囲気を察知し、俺は軽く背筋を伸ばして座り直す。


「旅を続けている内に、鬼人の存在がレゾナではなく、別の何者かに思えてきたならば、その時は速やかに抗訝協会へと報告しろ」

「それは……報告すると、どうなるんです?」

「精査の上、適切に処理を行う」


 少なからぬ曖昧さが混入しているのは気になるが、教官――というか抗訝協会がファズを危険視している、という気配だけは強烈に届いてくる。

 処理、という単語に滲む不穏な気配も含めて。

 四の五の言わせぬ圧力に無駄な抵抗はせず、了解の意を頷いて伝えた。


「とりあえず、話は以上だ。この先は雑多な手続きが沢山あるだろうが、それも何日かで終わる。今日はもう来賓室に戻って休め。食事は部屋まで運ばせよう」

「分かりました……では、失礼します」


 腰を上げ、深く頭を下げてから会議室を出る。

 心中に渦巻く複雑極まりない想いを特大の溜息に代え、俺はその場から立ち去った。

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