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鬼の行く涯て 竜の往く果て  作者: 長篠金泥
第4章 (リム 鐘後217年6月)

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034 甘露

今回から新章になります。

また時間が飛んでいるので御注意下さい。

 あれから三日、俺とファズはようやくリュタシア郊外にある養成所まで戻ってきた。

 広大な敷地の中に石造りの堅牢けんろうな建物群があり、それを高く厚い壁が取り囲んでいる威容は、訓練施設というよりも城砦じょうさいのイメージに近い。


 実際、リュタシアが攻撃された場合には防衛拠点の一つとなる、との話も聞いたことがある。

 そんなことを考えつつ、退屈そうに正門脇の壁にもたれている、門番のジャンに向かって軽く手を振った。


「おお、戻ったか、リム。お疲れさん」


 そう言いながらジャンの視線は俺を通り過ぎて、フード付きポンチョを羽織ったファズへと注がれる。


「おい、その娘は何だ? レゾナ探しを放ったらかしてお持ち帰りナンパとか、フザケてんなよ?」

「お前がフザケんなよ、ジャン! こっちはどんだけ――ああ、いや、それはさて措き、とにかく教官を呼んでくれ」


 いつもならば、この気の置けない三十男を相手にしばらく無駄話を繰り広げるのだが、今はそんな場合じゃない。


「カイヤット主任教官か?」

「ああ。リムが共鳴を成功させたけど、レゾナになったのは鬼人だと伝えてくれ」

「ハッハッ、やっぱりフザケてんじゃ――」


 ファズがフードを外して引き詰めた青髪を解くと、半笑いの軽口が途切れた。

 氷塊を飲み込んだような表情でしばらく固まった後、一つ大きく息を吐いてからきびすを返したジャンは、勢い良く扉を開けて建物内へと駆けてゆく。


『なるほど、リムの言ってた通りだ』


 ココに来るまでに、予めファズに鬼人が人間にどう思われているかを説明し、青い髪がもたらすインパクトについても話しておいた。

 もう一つピンと来てない様子だったが、ジャンの激越な反応を見てそれなりに理解してくれたらしい。


「人目のある場所では、やっぱり髪を隠しておいた方が良さそうだな」


 俺の言葉にファズが小さく頷き、人騒がせな毛先が揺れる。

 日の光を浴びた青色は宝石に似た輝きを見せているが、どんなに美しくとも鬼人の証は恐怖の対象となる。

 俺とファズの知名度が上がれば、また話は変わってくるのかも知れないが。


 前例のない事態だろうし、何だかんだで長いこと待たされるかと思ったが、五分としない内に再び勢い良く扉が開かれた。

 現れた二つの人影の片方はジャンで、コチラに近付いてくるもう一人は、俺の担当教官でこの養成所に所属する教官の長でもある、ニコール・カイヤット女史だ。


「むぅ……」


 低く唸りながら、教官はファズを眺めた。

 灰色の右目から伸びる視線が、ファズの青い髪と金属杖を交互に移動する。


「確かに、鬼人のようだ……名前はあるのか?」

「ファズ、だそうです」

「ふむ……詳しい話は後にして、まずは少し休んでおけ。来賓室らいひんしつを使っていいぞ」

「はい」

「何はともあれ、共鳴成功おめでとう、と言っておく」

「あ、ありがとうございます、教官」


 言いたいことは色々とあるが、あり過ぎて言い倦ねている様子の教官は、素気ない祝福だけを残すと、足早に立ち去った。

 その背中を見送った俺は、ファズを連れて来賓室へと向かう。

 養成所で六年過ごしているが、この部屋に掃除以外で入るのは今回が初めてだ。


 抗訝協会の幹部や、王族貴族に向けて用意されているだけあり、調度は無闇に豪華で何だか落ち着かない。

 広いリビングの他に寝室も複数用意され、専用の浴室とトイレまである。

 そこに一時間近く放置されていると、食堂のオバちゃんから差し入れがあった。

 ファズは金銀のちりばめられた小物や、細工の見事な家具はスルーしていたが、テーブルに置かれたバスケットとガラスのポットには興味津々だ。


『これは』

「あー、クッキーと煮出した紅茶かな。食い物と飲み物だ」


 ポットの脇で伏せられている陶器のカップを二つ取り、冷めた茶を注ぐ。

 一つをファズの前に置き、もう一つを手に柔らか過ぎるソファに腰掛けた。

 口に含んでみると、紅茶は仄かに甘い。

 これならば、慣れないファズが吹き出す危険もないだろう。


『門前で会った女は、リムの母親か』

「ぅべふぉっ!」


 こちらの危機管理能力を楽勝で突破してくる、予想外の質問にお茶を吹いた。

 気管に入った液体にむせていると、ファズが不思議そうな顔で畳み掛けてくる。


『違うのか』

「違うも何も……えほっ、どんな思考経路でその結論に辿り着いた」


 そう問い返したものの、ファズの興味は既にクッキーへと戻っていた。

 赤いジャムを使った一枚を手に取り、めつすがめつしている。


『いいニオイだ』

「甘くて美味い――と思うぞ」


 好みが不明なので断言は避けたが、甘い菓子を嫌う女の子は見たことない。

 ファズは小さく頷くと、まさに恐る恐るといった感じでクッキーを口にした。


「んん? んんんんんっ!」


 直後、高いトーンの唸り声が――あれ?


『おいリム、何だこれは』


 気のせいだったのか、ファズの声はいつも通り直接に頭の中へと響く。

 クッキーを飲み込んだファズは、小刻みに震えながら同じのをもう一枚摘む。


『甘くて少し酸っぱくて、歯応えはあるのに口の中でとける。この赤いのは木苺を使ったんだろうが、こんなに甘いのは知らない。何なんだこれは』

「だから、クッキーという食い物だ。肉やパンと違って、小腹が空いた時に摘むような、そんな。赤いのは材料は木苺だが、砂糖と一緒に煮てジャムにしてある」


 初めて食う菓子の味に衝撃を受けているのか、ファズは今までにない言葉数の多さと早口で、困惑のせいか動揺のせいか、いつもの硬質な表情にもヒビが入っているようだ。


『くっきー……ヒトは皆、こんなものを毎日食うのか』

「毎日は食う奴はそういないが、まぁ時々は」

『甘い果実を更に甘くする。その発想はなかった』

「何はともあれ、気に入ってくれたみたいで良かった」


 二枚目を食べ終えたファズは、マーマレードを使った三枚目を手にして眺めている。

 その視線は、まるで精巧な芸術品を見るかのようだ。


『これもくっきー、なのか』

「そう。それは甘橙を使っている」


 オレンジ色を口にしたファズの表情が、さっきと似たような感じに震えて歪む。

 それを見ている内に、これは喜びを表に出すのをこらえているのだな、と気付いた。


『あの、山や森には甘い物が、その、少なくてな』

「なるほど……それはそうと、美味いモンを食った時は、もっと嬉しそうにしてもイイと思うんだが」

『食事中と睡眠時に油断するのは命取りだ』

「まぁ、それはそうなのかも知れんが……」


 多少油断があったとしても、どんな奴が鬼人に勝てるというのか。

 そう思わなくもなかったが、長年の習慣を急に変えるのも難しいのだろう。

 その後、ファズに紅茶がどういうモノなのかを説明していると、ドアがノックされて返事を待たずに開けられた。

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