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鬼の行く涯て 竜の往く果て  作者: 長篠金泥
第3章 (ライザ 鐘後215年11月)

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027 畜舎

 数時間後、私とディスターは静かに小屋を後にすると、そのまま村から抜け出した。

 すっかり夜も更け、緩やかな風に木の葉がなびく音と遠くからの鳥の声が、単調に続く足音にアクセントを加えている。


 仮眠をとったものの、何だか寝る前より疲れている気がしなくもない。

 一応は屋根の下で寝ていたのだから、これは緊張のせいだろう。

 鈍い痛みを訴えてくる首筋を軽く叩きながら歩いていると、前を行くディスターが不意に立ち止まった。


「……どうした」

「道が二手に分かれています」


 ディスターがランプを掲げると、左右に延びる道が浮かんだ。

 両方とも似たり寄ったりの荒れ方で、光量が乏しくて先は見えない。


「どちらが正解だと思う?」

「詳細は分かりかねますが、左手の奥から何らかの気配が伝わってきます」

「気配、か……」


 そちらを注視しても、灯明とうみょうが届かぬ先には重たい闇が満ちているだけだった。

 ここは、竜の感覚に頼ろうか――そう思ったと同時に、ディスターは左へと足を向ける。

 しかし、意志の疎通がスムーズなのはいいが、ここまで素っ気ないのもどうなのだ。

 前から気になっていた疑問を思い浮かべるが、ディスターからは何も返ってこない。

 そのまま無言で歩を進めると、甲高い鳴き声が微かに耳に届いた。


「当たりを引いたようだ」

「しかし、正体が知れないままなので、警戒をおこたりませんよう」


 罠や奇襲に注意を払いつつ、音のした方へと近付いていく。

 すると徐々にではあるが、獣の臭気が鼻につくようになる。


「ん……畜舎の臭いだな、これは」

「はい。雑多な種類を飼っている様子ですが、さっきの声は恐らくシカでしょう」


 騒音や臭いを避けるため、畜舎を居住区から離して作るのは珍しくない。

 しかし、三十分以上も歩かねばならない場所に作るのは不自然だろう。

 それに夕方に話を聞いた時は「シカもイノシシもおらん」との証言もあった。


「わざわざ森の奥に牧場を作る、その意味は何だと思う」

「存在を隠したいのではないでしょうか」


 誰から、というのを考えてみると、第一候補としてあの村の住人が思い浮かぶ。

 何故に隠さねばならないのか、そこを推理してみると別の疑惑へと繋がった。


「……件の怪物、あれのエサか!」

「その可能性は少なくないでしょう」


 つい大きめの声を出してしまったが、ディスターはそれを冷静に肯定する。

 仮定が正しいとすれば、この近くにいるはずだ。

 近隣で『コロナの怪物』と呼ばれて恐れられている、大型の生物が。

 戦闘を前にしての高揚と、未知の敵を迎える動揺とが心の中で溶け合って、程好い興奮状態へと私を導いてゆく。


 近くで見る畜舎は明らかに安普請やすぶしんだったが、それでも村の小屋よりは手間がかけられている様子だ。

 背後からランプで照らして貰いつつ、換気用にしつらえてある窓から中を覗く。

 ディスターの言った通り、様々な動物の姿が確認できた。

 ウサギ、シカ、イノシシ、タヌキ――それと、子馬くらいの大きさの毛むくじゃらな生き物もいるのだが、あれは何だろう。


「草食性と雑食性の動物だけのようです。奥にいるのは【九鼎羚たからじか】と呼ばれる新生物ヴィズで、最近では野生種は殆ど見かけません」

「たからじか? 聞き覚えがないな」

「毛は織物に、肉は食用に、骨は装飾品の素材になる、という理由で乱獲されたのです。繁殖力も弱く、現在では金持ちが道楽で育てている程度です」


 もしかすると、食材としては対面していたかも知れないな。

 らちもないことを思いながら、窓から少し離れる。


「と、なると……殺された伯爵の所で飼われていたのか、あれは」

「断定は出来ませんが、襲撃を受けた中で九鼎羚たからじかがいた確率が最も高いのは、ナイフェン伯の屋敷だと思われます」


 やはり、私達は『コロナの怪物』へと迫りつつあるようだ。

 まずは畜舎内に入り、もっとよく確認するべきだろうか。


「よし、では――」

『静かに』


 ディスターからの思念が届き、慌てて口をつぐむ。

 ランプの火を消したディスターは、手近な薮に身を潜める。

 私もそれに合わせ、畜舎の外壁に積まれた藁束の陰で姿勢を低くした。

 動悸も呼吸も落ち着いているが、気持ちははやっているので数をカウントして落ち着かせる。

 耳を澄まして異変を察知しようと試みたが、壁の裏側にいる何かの呼吸音が邪魔をしてくる。

 

『来ます』


 カウントが八十を超えた辺りで、その警告が脳裡に小さく響いた。

 適当なメロディの口笛と、あまり体重を感じさせない足音。

 ほろ酔い加減で歩く小柄な老人、というイメージが浮かぶ。


『問題ないようです。出ましょう』


 危険は少ないと判断したのか、ディスターは老人の前に歩み出す。

 私も体中にまとわりつく藁屑を払いながら、その隣へと早足で移動した。


「なっ、何だおめぇら……んぁ、村の連中が言ってた求綻者か」

「そうだ。ちなみに、そちらがここで何をしているかも、これまで何をしてきたかも大体の所は把握している。無意味な嘘や無駄な抵抗は、なるべく遠慮してもらいたい」

「へっ、随分とまぁ仰々しい姉ちゃんだな」


 七十を幾つか出た年齢と見える痩せぎすの男は、唸るように言ってこちらを睨む。

 おんぼろのランプに照らされた相貌そうぼうは、凶悪と呼ぶべき禍々しさをたたえている。


「黙って『コロナの怪物』の居場所を教えれば、貴方やこの村の人々が襲撃に関与していた事実は、報告から省いておくぞ」

「お優しいこって……ありがたくって涙が出るねぇ」

「色々と言いたい事はあるだろうがな、人死にが出ている以上は無視も出来ない」

「散々ワシらの存在を無視してきて、伯爵様が死んだら犬っころが即参上かいな。イヤんなっちまうな……まぁ、世の中そんなんだって、分かっちゃあいるけどよ」


 ここで痰を切り、改めてこちらに向き直った老人は、何故か表情が和らげていた。

 言いたい事を言って少し気が晴れたのか――いや、どことなく不吉な予感が。


『確かに、この態度は不審です』


 ディスターからも、余裕のあり過ぎる相手への警戒感が表明される。

 身柄を拘束すべきか、と動きかけたタイミングで、節をつけた口笛が長く鋭く鳴った。


「ゴァアアアアアアアアッ」


 その音が途切れると、体の芯まで震わせてくるような雄叫びが響く。

 老人は畜舎の中へと駆け込み、ディスターがそれを追う。

 私は怪物との対面に備え、長剣を鞘から抜き放った。

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