024 探索
「お疲れのようですね」
私の心中は把握できているはずなのに、ディスターは気遣わしげな言葉をわざわざ口にする。
その態度が作り物ではない、というのもやはり私にはわかってしまう。
なので、苛立ちを表に出すのも筋違いに思えて、浮かんだ感情は行き場を見失った。
そんな感情を溜息に乗せて吐き出し、わざとらしく眉根を寄せて応じる。
「曖昧な情報を元に森から森へと彷徨い歩いて、それで目標を発見すれば怪物との戦闘が待っている……気が滅入るのも無理はないだろう?」
わざとディスターの意図から微妙に外れた答えを返すと、そこで会話は途切れた。
低めの山を覆い尽くした常緑樹の森に踏み入って、もう結構な時間が経過している。
それ以前に、今回の訝の探索を開始してから、既に一週間が経っていた。
レウスティと北で国境を接するアーグラシア王国、その第二の都市コロナ近辺で頻発している、巨大生物による襲撃事件。
半年ほど前から、牧場や農村での家畜の被害は確認されていたらしい。
やがて農民にも死傷者が出始めたのだが、アーグラシア政府のとった対応は軍による小規模の巡察を月に三回から五回に増やしたのみ。
それが今日の面倒な事態にまで発展したのは、コロナ東南に位置するナイフェンの在地領主の館が襲われ、当主のナイフェン伯オットーとその家族が殺戮されたのが原因だ。
生き延びた召使いの「見た事もない巨大な怪物が襲ってきた」との証言で、訝の可能性があるとの判断が下されたのだが――
「実際には、自身の安全と自領の警護に使う予算を惜しんでいる、アーグラシア貴族への奉仕活動でしかありません」
「まぁ……そうかもな」
私の思考を読み取って、ディスターは辛辣な言を吐いた。
殊更に毒舌を気取っている様子も、専制国家や貴族に含む所がある様子もない。
ただ、世界の全てに等しく容赦のない苛烈さで対峙しているだけ――なのだろう。
真意を確かめた事はないが、私はそう理解しようと決めている。
「理想や信念にも経年劣化があるのでしょうか」
「抗訝協会の決定を疑っても仕方ない。私がレウスティの王族として運営に関わっているのなら、また話は変わってくるが」
そうではなく一介の求綻者だからな、との言葉は省略しておく。
鐘楼の二度目の起動――再鐘声から百年以上の長きに渡って、協会は求綻者の育成と補佐を行ってきた。
しかしディスターが指摘する通り、近年は検訝内容の不可解さや、資産運用の不透明さが目立ってきている。
「何にせよ、任務は請けたのだ。放り出す訳にも行くまい」
「御意にございます」
一片たりとも気持ちの入っていない返事を聞き流し、私は少しだけ歩調を速める。
体を動かすのを優先しておかないと、余計な事ばかり考えてしまいそうだから。
「……山火事の跡、か?」
「いえ、これは焼畑でしょう。既に放棄された様子ですが」
森の奥へと進んで行くと、不自然に開けた空間が広がっていた。
言われてみれば焼け跡と周囲の森の境界は明確で、人の手が加わっているのは間違いなさそうだ。
そして、こんな場所に畑があるというのは普通ではない。
「徴税逃れの隠し畑かな」
「それにしては規模が半端です」
「となると、逃げた農民達が食料確保に作ったものか」
「そんなところでしょう。雑草の繁殖具合からして、最近まで使われていたと思われます。そう遠くない場所に、逃散農民の隠れ里があるのでは」
ディスターに頷き返しながら、アーグラシアではここ数年の凶作が原因で、税を納められない農民の逃亡が多発している現状を思い出す。
さっきの螺旋鴉も、ここと似たような小規模の焼畑に反応したのかも知れない。
「森に隠れ住んでいる連中か……怪物の目撃情報も聞けるかもな」
「ええ」
ぞんざいに答えながら、ディスターは唐突に目の前を薙ぐ。
ハルバードに斬り払われた藪の陰にあったのは、古びたトラバサミ。
そこには茶褐色の野ウサギがかかっていた。
弱っているが、まだ息はある――昨日今日に設置された罠だ。
「これは……」
「やはり、近くに定住者がいるようです」
「対人のトラップにも気を付けるべきか?」
「その心配は必要ないでしょう」
発動の前に潰しますから――というのを音声化せず、ディスターは私の先を行く。
一本道が続くので、迷う心配はなさそうだ。
だが足元は獣道と大差ない荒れ具合で、木々の梢が作り出す影もかなり濃い。
不意に、遠くから得体の知れない吼え声が響いた。
「海松狗です。遭遇する距離ではありません」
「う、ああ――そうだな」
反射的に長剣の柄に手をかけた私は、顔が熱くなるのを感じる。
音程のふらついた吼え声は、確かに海松狗のものだった。
緊張感が、耳慣れた音も別物に仕立てているのだろうか。
「しかし、これだけ深い森なのに、動物も新生物も殆ど見かけないのは何故だ?」
「冷害も二年続いていますから」
照れ隠しがてらに質問してみると、簡潔な答えが戻ってくる。
なるほど、作物が駄目なら動物を食料にするしかない。
アーグラシアでは肉食は好まれなかったはずだが、もう好き嫌いを云々できる段階ではないのだろう。
いざとなれば、あの薄気味悪い海松狗も食用になるのか――などと想像していると、前を行くディスターの足が止まる。
「どうしたのだ?」
「あれを」
ディスターが指し示す先に、簡素な木製の柵が見えた。
とりあえず、最初の手掛かりには辿り着けたようだ。




