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鬼の行く涯て 竜の往く果て  作者: 長篠金泥
第2章 (リム 鐘後217年5月)
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015 狩布

 左右に揺れる青い髪を眺めながら、ファズの数歩後ろを歩く。

 さっきは動転していて気付かなかったが、古びた黒い鞄にはナイフやら水筒やらが括り付けてあり、ファズが短くない旅を経てここにいることを窺わせた。

 ところで、今はどこに向かってるんだろうか。


『シカ』

「ん? シカってあの、オスとメスがいて――」

『それはもういい。仕留めたシカ、取りに行きたい』

「ああ、そういえば、そんなん言ってたっけ」

『こっち』


 杖で上方を指したファズは道を外れ、急勾配きゅうこうばいにも程がある斜面を何気ない足取りで登り始める。

 草木がまばらでロクな足場も見当たらない坂――というか崖。

 なのにファズは、平地を歩くのと大差ないスピードだ。

 高さは四ジョウ(十二メートル)くらいあるだろうか。


 正直に言えば迂回うかいしたいのだが、出会ったばかりのレゾナに情けない姿を見せるのもアレだ。

 重めの溜息を一つ吐いて覚悟を決め、俺もファズの後に続く。

 半分位まではどうにかスムーズに登れたが、途中で角度が急になって軽々と詰んだ。

 ある程度のピンチは想像していたが、この手足の置き場の少なさはキビシ――


「ぃぶはぁああっああ!」


 右足を乗せて体重を掛けていた石の埋まり方が浅かったらしく、右半身が石ごと下に滑った。

 頭が白くなり、体が軽くなり、景色が目まぐるしく変わる。

 こいつは良くて重傷コースかな、と諦めかけたタイミングで落下が止まった。

 見上げると、逆様になったファズが俺の左手首を掴んでいた。


 どうなっているのか、一瞬何もわからなくなって戸惑う。

 やがて、先を進んでいたファズが駆け下りてきて、杖を斜面に深々と突き立てると、それを両足の土踏まず辺りで挟んでブラ下がり、滑落しかけた自分の腕を掴んだのだ、という説明が頭の中に伝わってきた。

 器用だな、と思いつつ無理して笑顔を作ってみるが、返って来たのはシラケ顔だ。


『何をしている』

「いや、何してって、何でもないのだぜ? ちょっと、ホンのちょっとだけ足が滑っただけだばしょ?」


 本日二度目となる心臓の過活動で全身は汗だくだったが、俺は強がりを口にしてみた。

 少々噛んでいる気もするが、心意気だけは伝わったんじゃなかろうか。

 ファズは何気ない挙動で杖の上へと立つと、そこから俺の体を引き上げる。

 そして、杖に掴まっている俺に、かたわらに垂れ下がっているねじれた木の根を指差した。


『そこで待って』


 頷いた俺が木の根に跳び移ると、ファズはさっきと変わらぬペースで登って行く。

 違っているのは、杖を使って斜面に穴を空けたり窪みを作ったりと、手掛かり足掛かりを作る工程が加わっている点だ。


『これで、どう』

「おぉ、かなり助かる」


 ファズのサポートで、俺は上に行くほど絶壁に近くなる斜面を登り切った。

 身軽さには自信があるんで、クライミング自体はそんなに苦じゃない。

 登った先には、密度がやや低い森が広がっていた。


『こっちの、少し先』


 ファズは杖でもって森の奥を指し示す。

 人の手が入った気配は余りないが、獣道よりは道らしいものが下生えの中に見える。

 近隣住民の狩場だったりするのだろうか――などと考えながら、やや早足なファズの後ろを黙々と歩く。

 一本道を二十分近く進んだ辺りで、ファズが不意に立ち止まる。

 樹齢が数百年になるだろう大木が道をさえぎり、行き先が二手に分かれていた。


「どうした? どっちだか忘れたのか」

『いや、ない』

「ん? 道がないのか」

『違う。シカがない。なくなった』


 振り向いたファズの声が頭に響いた。

 声の調子は、さっきまでと特に変わってない。

 だが表情に出ている不機嫌っぷりは、反射的にこの場から全速力で逃げたくなる勢いで凶悪だ。


「狼か……でなきゃ【海松狗みるいぬ】の仕業じゃないか」


 この辺りの森に棲息していて、シカを持ち去りそうな生物はその二種。

 海松狗は、海草のような扁平へんぺいで長い毛に体中を覆われた、犬に似た雑食性の新生物レゾナだ。

 基本は大人しい生物だが、成獣の平均体長は七シャク弱(二メートル前後)になる。


『たぶん違う』

「じゃあ、さっき見た誑拐鵄さらいとびとか?」


 頭を振ったファズが杖で指し示した先には、太い枝から垂れ下がったロープが見えた。

 それは途中でちぎれていて――いや、切り口が鋭い。

 この状態なら、刃物を使ったと判断するのが自然だ。


「誰かが盗んだ、か……」

狩布かりぎれを巻いた獲物、奪われたのは初めて』

「かりぎれ?」

『持ち主がいる、と知らせる青い布』


 そういえば以前に、誰かから聞かされた覚えがある。

 死んでる獣を見つけても、それに青い布が巻かれてたら絶対に触れるな。

 それは鬼の食い物だ。

 近くに鬼人がいるぞ、すぐに逃げなきゃお前も喰われるぞ。


 ――と、そんな警告で終わる物語。

 子供向けの不出来な怪談だと思っていたが、どうやら現実に即した教訓話だったらしい。


「鬼人の獲物って印か。それを無視するとは、中々いい度胸だな」

『犯人を捜す。早く殺さないと』


 たかがシカ一匹でそこまでするか、との思いが反射的に浮かんだ直後、ファズの視線に射抜かれた。

 ただならぬ怒気をまとった声が、頭の中に叩き込まれる。


『獲物を奪うのは、食を奪うということ。食を奪うのは、命を奪うということ』

「命って……理屈はわからんでもないけど、やっぱり大袈裟なんじゃないか?」

『狩布を巻いた獲物を奪うのは、戦を仕掛けるのと同じ』


 知らずに持ち去ったのかも、と更にフォローを入れようするが、思い直して口をつぐむ。

 山の暮らしとは縁遠い俺でさえ、何となく知っている青い布のいわれだ。

 こんな山奥に出入りしている奴が、それを知らないハズがない。


『足跡は八から十、こっちから来て向こうに』


 かがんで道を調べていたファズが立ち上がり、右から左へ杖をゆらりと動かす。

 俺も確認してみるが、確かに複数の足跡がそういうルートで進んでいた。


「とりあえず、追ってみるか」


 俺が言い終わらない内に、ファズは左方向へと大股で足を踏み出した。

 途中に何度か分岐があったが、迷う様子も見せずにファズは急ぎ気味に進む。

 穏やかな春の日の午後、静かな森を美少女と二人で歩いている。

 状況だけを切り出せば心躍るモノがあるが、相手が鬼人なのでコメントに困る。

 しかも早足を通り越して、ジョギングみたいなペースで一時間近く移動していた。


 息切れが本格的になってきたんで、そろそろ苦情を入れようかと思っていると、不意にファズがピタッと停まった。

 俺の体力の減り具合がマズい、と察知してくれたのか。

 礼を言おうとするが、軽く杖を振って制される。

 それから、予想外の言葉が飛んできた。


『くさい』

「……えっ?」

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