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鬼の行く涯て 竜の往く果て  作者: 長篠金泥
第2章 (リム 鐘後217年5月)
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013 鬼人

 そうか――俺は今日、ここで死ぬのか。

 何にもなれないまま、何にもできないまま、何もないこんな場所で。

 絶望的な確信が、心の中をドス黒い後悔で満たしていく。

 気を抜くと呼吸の仕方も忘れてしまいそうな、極度の緊張が全身を支配していた。


「終わった……」


 半ば無意識に、諦念ていねんが言葉になってこぼれ出た。

 足元がフワフワしていて、少しでも気を緩めたら気絶しかねない感がある。


 レウスティ連合王国の首都リュタシア、その郊外にある求綻者養成所センターから徒歩で二日の距離。

 俺は求綻者になる、と堂々の宣言をして旅に出てから、まだ二日。

 地名すらよく知らない山中の岩場で、俺は絶体絶命の危機に陥っていた。

 狭い崖道で遭遇したのが新生物ヴィズなら、どうってことはなかった。


 腕力に自信はない俺だが、脚力と身軽さだったらちょっとしたものだ。

 どんな相手だろうと、空でも飛ばれない限りは逃げ切れるはずだ。

 たとえ出てきたのが不明新生物アンだったとしても、全力を尽くせば何とかなりそうな気がしなくもない。

 実際、前に遭遇した時にはどうにかなった。


 だが、これはダメだ。

 頭の奥の奥から、危険信号が繰り返し発せられている。

 目の前に今いるのは、あらゆる怪物のカテゴリーの埒外にある存在。

 竜は現実感がなさすぎて恐怖の対象にならなかったが、これは違う。

 自分が何と相対しているのか、再確認するように呟く。


「……鬼人きじん


 深い青色の髪と薄い琥珀色の瞳を持った少女に見える、人のようで人ではない生物。

 似た存在に亜人デミがいるが、【鬼人きじん】は文字通り「鬼のように強い」桁外れな戦闘能力と謎めいた生活様式によって、彼らと同列には置かれていない。

 伝説上の存在である鬼に擬せられた鬼人は、人間にとっての異界である山中に暮らし、他種族とは関わろうとはしない等、物語の中に登場する鬼のイメージに近い。


 だが、鬼人が鬼と呼ばれている最大の理由は別にある。

 それは、遭遇した人間を問答無用で殺して喰らう、ということだ。

 そこに考えが及ぶと、耳障りになりつつあった自分の鼓動音が、更にボリュームとテンポを上げる。


 動悸に釣られて乱れ放題の呼吸を何とか抑えながら、改めて道を塞いでいる鬼人を観察してみる。

 身長は俺よりも少し高い――五シャク三スン(百六十センチ)くらいだろうか。

 気候にそぐわない袖と裾の短い赤い服は、見慣れない模様で彩られている。

 全体的に珍しいデザインだが、違和感みたいなものはない。


 敢えて言うなら、体の線の出ないゆったりとした服なのに、胸の辺りだけやけにキツそうなのは気にならなくもない。

 黒い布の鞄をたすき掛けにしているのも、その豊かさを主張するのに一役買っている。

 背中まである柔らかそうな青い髪は、首の後ろで一まとめに括られていた。

 鋭い琥珀の眼は出会った瞬間から俺を見据え、一瞬たりとも視線を外そうとしない。


 表情は冷たく険しいが、雰囲気は若々しい――というより幼さが残っている。

 十五・六歳に見えるが、鬼人の生態を知らないので実年齢はわからない。

 わかるのは、彼女の目鼻立ちが極めて整っていることくらいだ。

 北方系と東方系の容姿における美点を、極めて高い水準で融合させたような雰囲気、というか。

 そんな美少女にまじまじと見つめられるのは悪い気のしないシチュエーションだが、相手が鬼人となると話は大幅に変わってくる。


 その上、少女の手には奇妙に捻れた形をした四シャク(百二十センチ)ほどの銀色の金属杖が握られ、それが赤黒い液体を滴らせているとなると、最早ルックスなど問題じゃない。

 内臓を針金で締め上げられるような感覚に囚われ、悪い気がどうこうなんて思惑は吹き飛び、吐き気ばかりが込み上げてくる。


 どうする?

 どうすればいい?


 いつもはサボり気味の俺の頭が、生き残りをかけて今年一番のフル稼働を開始した。

 崖から駆け下りてみる――角度的にも高度的にも飛び下り自殺にしかならない。

 何気ない風にすれ違う――杖が脳天を背後から殴り砕く、凄惨な絵面が浮かぶ。

 武器を手に戦いを挑む――うん、どう考えても絶対に無理だから落ち着け、俺。


 考えても考えても、生還につながる光明は見えてこない。

 額から伝った冷や汗が目の中に流れて、視界を滲ませた。

 いや、もしかすると自分は涙ぐんでいるのかも知れない。

 こうなったらもう、なるべく美味しく召し上がってもらうしかないか。

 そんな感じで開き直った瞬間、声が聞こえてきた。


『ヒトなんて食べない』

 

 若い女、の声だったと思う。

 鼓膜を経由せずに脳裡のうりに直接届けられたような、そんな不思議な感触を持った響きだ。

 周囲を見回すが、この場には俺と鬼人しかいない。


 ――もしかして、君なのか?

『そう』


 疑問を思い浮かべながら鬼人を見つめ返すと、返事が頭の中に返ってくる。

 鬼人とはコミュニケーションが不可能だったんじゃないのか。

 そもそも、この状況は話しているってことでいいのか。

 食べないけど殺す、とかそんなサプライズがあったりするんじゃないか。

 混濁する思考を整理しかねていると、青髪の鬼娘は銀色の杖を素早く振るった。

 風圧と共に、いくつかの水滴が俺の顔に向かって飛んでくる。


「ぷおっ――」


 珍妙な声を漏らし、その場にへたり込む。

 顔を手で覆う隙もない早業だった。

 濡れた頬に手をやると、微かに粘りのある生臭い赤色が指先を染めた。


『さっき仕留めたシカの血。ヒトじゃない』

「シカ……シカってあの、オスとメスがいて、四本足の……あのシカ?」

『殆どの動物は、オスとメスがいて四本足』


 思考だけではなく、言葉にも反応してくるみたいだ。

 コチラを見ている鬼人は相変わらず険しい表情だが、瞳の色に先程までとは別物のあやが混ざっているような気がしなくもない。

 これはもしや、俺の美少年ぶりが種族の壁を軽はずみに越えて――


『違う』

 惜しくも違うらしい。

『全然違う』

 念入りに否定された。


 それにしても、考えている内容が丸ごと伝わってしまうのは、便利なのか不便なのか。

 そんなことを考えつつ、鬼人への質問を重ねてみる。


「シカを仕留めたっていうけど、この辺りへは狩りをしに?」

『狩ったのはただの食糧確保。ここに来たのは別』


 別の目的とは? と、頭の中で訊ねてみたが返事はない。

 十秒ほどが間が空いた後で、質問を変えて今度は名前を訊いてみた。


『――――』

「ん? ふ……ふぇぁぐ?」

『違う、――――』

「ひゅわ……へぅぁぎゅ?」


 首が横に振られ、青い髪が軽く揺れる。

 どうにも上手く発音が出来ないな。


「は……はー、ふ、ふぁーず」

『近い』

「そっか。じゃあ……ファズ、って呼んでいいかな」


 数瞬の間があってから、鬼人の娘――ファズは小さく頷いた。


『そっちは』

「え、俺? 俺の名前はリム。リム・ローゼンストック」

『リム……いい名前』

「んっ、そうか?」

『短くていい』


 身も蓋もないファズの答えに、俺は微笑になり損なった曖昧な表情を返す。

 何はともあれ、人生最大のピンチはどうにか過ぎ去ってくれたようだ。

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