012 誓言
今回から新章になります。
時間が飛んでいるので御注意を。
「来たか、リム・ローゼンストック」
「何の用ですか、ニコっち――うぁおおっ、危ねぇ!」
教官の執務室に呼び出された五秒後、俺は顔面を目掛けて金属製の文鎮をブン投げられていた。
多少は加減してくれたのか、キャッチには成功したが右手は豪快に痺れている。
ニコール・カイヤット教官は冗談が通じるタイプなのだが、ふざけた軽口を笑って流してくれるほどに寛容ではない。
そうと知りながら余計なことを言ってしまう理由は、自分でもよく分からない。
「担当教官を変なあだ名で呼ぶんじゃない。用件の心当たりなら当然あるだろう?」
「んー……先月末の野営訓練で、携行糧食の干し肉ではなく厚切りステーキ肉を持ち込んだ件、ですかね」
「それは初耳だから、日を改めて説教するとしてだ。もっと重要なことがあるんじゃないか?」
「はぁ……となると、三日前に街で女の子にしつこく絡んでた酔っ払いに、『いい年こいたオッサンがみっともないマネしてんじゃねぇ!』とガツンと思いながら、颯爽と立ち去った件ですか」
「何もせずに通り過ぎただけじゃないか。そろそろ真面目に答えろ」
カイヤット教官の灰色の右目に見据えられ、自然と背筋が伸びるのを感じる。
六シャク(百八十センチ)に近い長身と、凄味の有り余る隻眼の美貌には、五年以上の時間を共にしていても未だに慣れることができないでいる。
もう三十代も半ばになっているはずだが、十年前から年を取るのを忘れている感じだ。
ともあれ、これ以上ふざけると本気で怒られそうなので、まともに答えておく。
「訓練期間を終えて二年も経つのに、未だに共鳴を起こせていない件ですね」
「その通りだ」
俺が暮らしている場所は求綻者養成所――通称センター。
文字通り、求綻者の候補生を訓練し養成する、寄宿学校のような施設だ。
三年間の訓練を終えた候補生達は、程なくして正式に求綻者に任命され、世界を救うための探求の旅を開始する――はずなのだが。
求綻者と認められるには、レゾナと呼ばれる相棒を見つける必要がある。
その候補となる生物は主に、新生物と不明新生物と亜人の三種類。
世界が滅びかけた混乱の後で出現した、動物に似たもの達と人に似たもの達だ。
レゾナとなる対象に近付くと、自動的に共鳴と呼ばれる現象が起こり、互いを特別な存在だと理解する――のだそうだ。
説明は何度となく受けているのだが、まるでシックリこないので困る。
レゾナとなる種族は選べず、レゾナかどうかを判別する正確な方法は不明。
ただ、その相手が近くにいると勝手にそう認識される、というアバウトさだ。
なので共鳴を起こす方法は、街中や野外を無目的に歩き回るしかない。
それでも早ければ数日、遅くとも半年で共鳴は起こる――らしいのだが。
「でも教官、俺は別にレゾナ捜しをサボってるワケじゃ……」
「それは分かってる。だがな、さすがに二年というのは異常だ。なまじ、お前が能力的には優秀と言えるだけに、その異常さは余計に際立つ」
「えぇと、ありがとうございます?」
褒められても困るタイミングだったが、とりあえず礼っぽいものを述べておく。
そんな俺を見てカイヤット教官は小さく溜息を吐き、渋面を作りつつ言う。
「なので、だ。お前はしばらく旅に出なさい。レゾナを捜す旅に」
「旅……それはつまり、レゾナを見つけるまで帰って来るんじゃない、と?」
「いくら何でも、そこまで雑な扱いはせんよ。半年経っても無理だったなら、一旦帰ってきても構わん」
「半年とかめっちゃ長いですし、空振りして帰ってきたなら即また再出発させられる、って気配があるんですが?」
「随分と察しが良くなったな」
インチキ臭い教官の笑顔を前に、絶望的な気分しか湧いてこない。
厄介者扱いされているのは薄々感じていたが、まさか強制的に追い出されるハメになるとは。
軽めの絶望に天井を仰いでいたが、教官の咳払いで現実に引き戻される。
「勘違いしているようだが、厄介払いや懲罰とは違うぞ。お前を期待しているからこそ、速やかにレゾナを見つけて共鳴を起こし、求綻者となって貰いたいのだ」
「はぁ……そうですか……」
真意はどうであれ、身一つで追い出されるのは決定事項らしい。
当然ながら、テンションなど上がりようもない。
自然と表情が曇りまくる俺に、重量感のある小さな革袋が放り投げられる。
キャッチして中を見てみると、十数枚の銀貨が入っていた。
「こいつは?」
「養成所からの資金だ。それで旅の支度を整えるがいい」
「えっ、いいんですか? こんなに」
銀貨が五枚もあれば街で一月は暮らせるので、少なくはない金額だ。
しかし、不意にイヤな予感も脳裏を過ぎったので、一応確認しておく。
「……もしかしてコレ、半年分の生活費も含まれてます?」
「当然だ。何のためにサバイバル訓練を受けさせたと思っている」
「とりあえず、貧乏暮らしをどうにかするのが目的じゃなかった気がしますけど」
野営の方法や狩りや釣りの基礎、野外で自生する食用植物の知識などを学んだのは、求綻者の主な任務である怪事件や怪現象、訝の調査――即ち検訝で人里離れた場所を探索する際に役立てるため、だ。
数ヶ月間ぶっ続けで調査を行うこともあるらしいので、野外生活をマスターしておかないと求綻者としての活動に支障がありまくる。
「不足しそうなら、抗訝協会の連絡所で仕事を探せ。候補生が請けられるものも、少しはあるだろう」
「でしょうけど、ねぇ……」
抗訝協会は全国の求綻者を統べる組織で、養成所の運営も協会の管轄の内にある。
連絡所というのは、協会が各地に開設している求綻者の旅をサポートする施設だ。
その仕事の一つに、求綻者の調査対象である訝に関する情報収集がある。
そうして集められた情報の中には、人を襲いかねない新生物の営巣や有毒植物の繁殖といった、訝とは認定できないが明らかに世間にとって有害、というものがある。
それらを解決しても求綻者としての功績にはならないが、それなりの報奨金は用意されているので、金に困った求綻者や候補生が仕事を請け負うことがある。
それなりの金が出る理由として、それなり以上に危険度が高い、という問題があるので滅多に手を出さないのだが。
「大丈夫だ。リムならできる……に違いない」
「そこは断言して欲しいんですが」
「冗談はさて措きだ。世の中が加速度的にキナ臭くなってるのでな。取り返しがつかない状況になる前に、なるべく多くの可能性を残しておきたい」
「……何にせよ、俺に選択の余地はないんですよね」
「お前が求綻者となり、その使命を全うしようとするのであれば、な」
求綻者は、肉体的にも精神的にも過酷な生活を余儀なくされる。
養成所での訓練で得た身体能力とレゾナの助力があれば、そう簡単に命の危険に陥ることはないだろう。
しかし、何事にもイレギュラーは付いて回る。
現役時代、世界トップクラスの実力を有する求綻者だったカイヤット教官も、検訝中に瀕死の重傷を負って左目と左腕――それにレゾナを失っている。
具体的に何を指すのか分からない、『世の滅ぶ兆たる綻び』を探す旅という曖昧な目標も、求綻者の心を荒ませる。
常人から外れた能力を持っているだけに、人の道から外れても活躍が約束されているようで、検訝の日々に倦んだ求綻者が犯罪に走った、という話も枚挙に暇がない。
それでも、俺は――
「俺は、求綻者になりますよ」