011 『求綻者の仕事はいつもこんなだ』
全ての事後処理を片付け、ノーデンホッブを発ったのは四日後のことだった。
ライザは、代官のタヴェルニエが用意した豪奢な馬車に乗って、街道を北上して悠然と首都リュタシアに戻るコースを選ばず、行きと同じく森を突っ切っての近道を進んで、途中の街で二頭立ての幌馬車を借りる方法を選んだ。
そして今、俺とライザはディスターが御者をする馬車に揺られている。
「何というか……何だったんだ」
「ん? あのミミズなら鬼城蚓だとディスターから聞いただろう」
鬼城蚓とは、古い文献に僅かな記述が残っているだけの不明新生物だ。
そこに書き記された姿形は、俺たちが戦った相手と同じ黒く巨大で長大なミミズ。
数十年に一度目覚めて、生物無生物を問わず手当たり次第の暴食を繰り広げた後、また唐突に地中に戻って眠りに就く天災にも似た存在――だ、そうだ。
「いや、それは分かってる。そうじゃなくて、今回の訝が何だったのか、って話」
「真相を知るものは死に、謎の解明につながる品は失われた。これ以上は手詰まりだ」
「うっ――いや、それについては本当に弁解のしようもないんだが」
顔を顰めながら言う俺に、ライザはヒラヒラと手を振るジェスチャーを見せる。
「いや、私としても斬り捨てるのは想定外だった。難民達に咎が及ばないよう、口裏を合わせる時間を作らせてやるつもりだったんだが……」
「それで、ホルフェの目的とかその背後にいた連中とか、ライザには見当がついてないのか」
「ないこともないが、全ては推論の域を出ないな。情報が乏しすぎて、可能性を絞り込めない、というのもある」
今回の件は、唐突に活動を開始した大小二匹の鬼城蚓が原因で、それを退治したことによって解訝は成った、ということになっている。
ホルフェについては、村の襲撃で行方不明になった扱いで片付けることで話がまとまった。
なので、グラウがその殺害によって罰せられることはない――当人は友を討った罪を抱え続けることになるだろうが。
ただ、ホルフェがこの件に関わっていた事実を抹消した結果、何者かの意図を汲んでの破壊工作だったというのも隠蔽することとなった。
どうにも煮え切らない幕引きだが、何もかもを詳らかにしてしまうと、グラウが守ろうとしたものを損なうことになる。
「大勢の同胞を犠牲にしてまで、ホルフェは何をやろうとしてたんだか」
「……犠牲にする、というのが目的だったのかもな」
「はぁ? ホルフェは難民達のリーダーだったんだろ」
「そうだ。彼は襲撃された村だけではなく、ガッツェーラから流れてきた亜人達の指導者、だな」
ライザの言葉の中の含意が飲み込めずに首を捻っていると、ディスターが背中を向けたままで話に加わってきた。
「難民であり、異邦人であり、亜人であるということは、差別の対象として三重苦を背負っています。そんな迫害や忌避の対象にしかならない存在から、同情や憐憫の対象たりえる犠牲者の立場へと移行しようと『悲劇』を創り上げた可能性、ですね」
「自作自演で……そこまでやるのか」
「一の犠牲で十、百の犠牲で千、万の犠牲で十万を救う、といった考え方は合理的で、別段珍しいものではありません」
「まぁ、自分が切り捨てられる側に入ってなければ、多少の犠牲も許容できるんだろうけどさ」
かつては孤児として路上での底辺生活を体験し、社会から見捨てられた側に身を置いていた俺としては、理解はできても肯定はできない思考法だ。
不快感に渋面を作っていると、ライザが少し疲れた様子を振り撒きつつ言う。
「話を聞く限りでは、ホルフェは単純な計算だけで非情な行動をとれる人物でもなさそうだ。となれば、ノーデンホッブ周辺の難民達の状況が相当に悪かったのだろうな」
「確かに、村の様子からして生活水準は低そうだったけど」
「可視化されない部分――地元住民から問答無用で向けられる悪意や、就労を制限された上で搾取される環境もあったようだ。理不尽に虐げられているのに、その不満が解消されずに溜め込まれるばかりでは、遠からず爆発するしかない」
「なるほど」
そもそも、基本的な身体能力ならば亜人の方が人間より遥かに上だ。
学習環境の差はあっても知能的に劣っているわけではなく、人間が亜人に勝っているのは極論すれば個体数だけでしかない。
なのに踏み付けにされ続けていれば、トラブルが起きるのは避けられないだろう。
暗澹たる気分になりつつ、ついでとばかりに心中で燻り続けている不安についても口にしてみる。
「にしても、鬼城蚓なんてのを用意して、それを操る方法まで伝授できる連中が黒幕だろ……本当に放って置いて大丈夫か? 事件へのホルフェの関与が明らかになれば、難民への当たりがキツくなるのは間違いない。けど、その状況を避けるのと引き換えに見逃せるような、そんな生易しい相手なのか?」
かなりの直球で不安感を表明すると、ライザは養成所時代によく見た困惑顔を一瞬だけ浮かべ、それから何事もなかったように表情を引き締めて返してくる。
「疑惑を表沙汰にしても、証拠隠滅して逃げられるだけだ。むしろ、何も気付かなかったフリをして、密かに尻尾を掴むことを狙うべき……と、私は判断している」
「おっ――おお、そうか。そうかもな」
かつて何度となく目にしたライザの困惑顔は、俺がアホなことを言った時の基本リアクションだった、というのを思い出す。
思慮の足りなさを丸出しにしてしまったと知り、ちょっと頭に血が上る。
「個人的に調査は行うつもりだ。ある程度まで正体が判明したら、リムにも知らせよう」
「ん、ああ。頼む……ところでディスター、ミミズを操るのにホルフェが使ってたのは、やっぱりあの黒い玉だったのかな」
話題を変えようとディスターに話を振ってみると、いつものように平坦な調子の声が返ってくる。
「そのようです。かなり破壊されていたので詳しく解析できませんでしたが、何かしらの音を発して生物に影響を与える装置だったようです。それと、あれも新生物か不明新生物であった可能性が否めません」
「他の動物を操る、か……飛礫蜥や昏絶鱆がオカシくなってたのも、そいつが原因かな」
「そう考えるのが自然ではないかと」
実際問題、往路では繰り返し新生物や野生動物の襲撃を受けたが、復路では森を通っていても戦闘状態になることはなかった。
擦れ違ったり追い越したりする馬車や旅人を殆ど見かけないのは、ノーデンホッブ近辺での動物や新生物の異常行動が噂になっているからだろう。
解訝の情報が広まるまで、この辺りはしばらく景気の悪いことになりそうだ。
「怪現象は終わらせたけど、黒幕は正体不明で犯人は動機不明で目的は詳細不明とか、随分と消化不良だ」
「ふふっ、そもそも『世の滅ぶ兆たる綻び』などという、得体の知れないものを探すのが最終目標なのだぞ。求綻者の仕事はいつもこんなだ」
自嘲とも苦笑ともつかない声を漏らし、ライザがジッと見据えてくる。
その「それでも、お前は求綻者になるのか」と問うような視線を真っ直ぐに受け止め、俺は無言で頷いた。
「リム殿は、まず共鳴を起こしませんと」
「ぬふっ……」
最も大切なのだが、今はとりあえず触れないでもらいたかった点を指摘され、つい変な声が出てしまう――本当に、いつになれば俺は求綻者として旅立てるのだろうか。
深々と溜息を吐いてから、ディスターの隣に移動していたライザの背中を眺める。
いつになったら、俺は――臆することも戸惑うこともなく、彼女の隣にいられるようになるのだろうか。