010 斬奸
「終わった……のか?」
ミミズの体液の噴出が弱まり、その巨体も時々痙攣するだけになったところで、俺は誰にともなく疑問を投げる。
「ああ。これで終わり、だろう」
「しっかし、とんでもねぇバケモンだったな……何だったんだ、こいつぁ」
ライザは髪に跳ねたミミズの血を厭わしげに拭いながら、グラウは半身に返り血をたっぷり浴びているのを気にするでもなく、それぞれが返事を寄越した。
そんな二人の視線は俺ではなく、足元に転がした覆面の緑人に向けられている。
解毒には成功したようだが、まだ肺機能が回復していないらしく、身を捩りながら荒い呼吸を繰り返している。
「で、そいつは何なのだ、リム」
「いや、俺にもよく分からんのだが……戦場に潜んでいて、そこで妙な音を鳴らしてる奴がいたら、とりあえず仕留めるだろ? で、あんたにはちょっとばかり気の毒だが、多分こいつは緑人だ」
「……そうか」
俺はなるべく軽いニュアンスで言ったつもりだが、言われたグラウは砂利を噛み締めたような表情を浮かべている。
亜人が訝に関わっていたとなると、難民への風当たりは強くならざるを得ない。
暗い気配が場を支配する中、いつもと変わらぬ調子のライザが訊いてくる。
「妙な音、とはあの低音か」
「それ。俺の見てた感じだと、音とミミズの動きがリンクしてるように思えた。ちなみに、コイツが隠れてたのはそこの宿木が大集合してるとこな」
「ふむ……ん?」
俺が古木を指差すと、ライザが足早にその根元へと歩み寄って何かに手を伸ばす。
拾い上げられたのは、直径が七スンくらい(二十センチ)の黒鉄色をした球体から、一シャク(三十センチ)程度の細い紐状のものが数本生えている、何だかよく分からない物体だった。
ライザはそれを持って戻ってきて、さりげなく俺に手渡してくる。
パッと見の印象よりも重い――材質は硬いだが、手触りは金属ではなく生物の甲羅や鱗に似ている。
しかし間近で観察しても、これが何なのか俺にはサッパリだ。
「これが音の発生源、だったりするのか」
「そんな雰囲気はあるが、使い方が分からんな……まずは、こちらを片付けるとしよう」
言いながらライザは、少し呼吸が落ち着いてきた容疑者の覆面を一気に剥ぎ取る。
現れたのは、苦しげに顔を歪めて汗を浮かせた緑人で、当然ながら見覚えはなかった――が、グラウが小さく呻いて仰け反った。
「どうした? 知り合いか」
「ホルフェ……どうしてお前が……」
「その名は確か、難民達の指導者だったか」
ライザからの確認の問いに、グラウはショックからまるで立ち直れてない様子ではあったが、ゆっくりと頷き返す。
「さて、こちらは二人に任せる。私はディスターの方の様子を見てくる」
「あの強さだし、放って置いても大丈夫だと思うけど?」
「念のため、だ。ホルフェとやらの尋問を頼んだぞ」
そう言い残すと、ライザは俺の肩をポンと叩いて森の奥へと駆けて行った。
立ち去る直前、「グラウから目を離すな」と早口の小声で告げられた。
仲間であるホルフェを逃がそうとするとか、その辺りを想定しているのだろうか。
俺は黒鉄色の玉を適当な岩の上に置いてから、ホルフェの上半身を起こさせる。
「それで、ノーデンホッブ周辺で発生した一連の襲撃事件は、あんたとあんたが操ってたそのミミズの仕業、ってことでいいのか」
「うぅ……そう、だ」
「あっさりと認めるんだな。にしても、目的は何なんだ?」
こちらの質問に、ホルフェは何故か戸惑った様子を見せる。
理由としてまず思い付くのは、ガッツェーラ北部での独立闘争に絡んだ、亜人の武装集団による工作。
或いは別の意図を持った集団による、レウスティ連合王国への破壊活動。
何にせよ、それなりの組織がバックについているのは間違いないだろう。
しかし、気になってくるのは――
「どうしてだ、ホルフェ……どうして村を襲った」
「目を、覚まさせる必要が、あった」
「何をワケのわからんことを言ってる。目を覚ますのはお前だ!」
「ふふっ、相変わらずシンプル、な思考だ……」
俺の疑念を代弁するようなグラウの問いに、ホルフェは途切れ途切れに答えていく。
何かしらの計画を破綻させられた直後だろうに、その原因の一端を担ったグラウへの怒りや憎しみは不思議と感じられなかった。
「亜人……が亜人で、あるという理由で迫害、され……それを仕方、ないことと受け入れて、しまう……そんな世界、を壊さねばなら、ない」
「ならば何故、大勢の避難民を傷つけた! それに、王国の施設への破壊工作も、亜人の印象を悪化させるだけではないか。おれには、お前の考えていることがわからん。ちっともわからん!」
「いずれ、は……わかってもら……えるはずだった、のだが」
ホルフェは毒の後遺症で頻繁に咳き込みつつ、質問に一つ一つ返事していく。
やけに素直なその態度は、全てを諦めたのかまだ何かを企んでいるのか、どちらとも取れる曖昧さだ。
俺はライザから言われた通り、グラウがホルフェを逃がしたりしないか、目を離さずに警戒しておく。
「しかし、あんなミミズをどうやって飼い慣らした。そもそも、あれは何だぁ? 新生物か? それとも不明新生物かよ」
「どっち、でも――」
続くのは「ない」なのか「いい」なのか、判然としないままホルフェは激しく噎せる。
何となくグラウが手心を加えそうな雰囲気があったので、流れを変えるために尋問に口を挟んでみる。
「あれはお前が育てたのか。それとも、誰かに託されたのか」
「託され、た……のに、失ってしまっ、たな」
ホルフェは自嘲の笑みらしいものを浮かべ、遠い目で森の奥を見る。
ディスターが相手をしているもう一体も討たれる、と予感しているのだろうか。
「あの、何だ、黒い玉? あれで操ってたのか」
「正確、には少し、違うが……まぁそう、なるか」
「で、お前にミミズを託したのは誰――いや、どこだ?」
「それ、は……」
とりあえず、早めに核心部分を訊き出しておいた方がいい気がして、最重要だと思われる質問をぶつけてみる。
この辺は追々で攻めてくると油断していたのか、ホルフェが言葉に詰まる。
応答のないまま一分ほど過ぎたところで、グラウが大きく溜息を吐く。
「すまんがリム、こいつと少し二人で話をさせてくれんか」
「ん、それは……」
「心配するなぁ。逃がしたりはせんし、そう遠くに行くのでもない」
言いながらグラウはホルフェの襟首を掴んで引きずり、五ケン(十メートル)ほど離れた場所で相対する。
ツッコむ間もなくそんな行動に出られたのだが、不穏な気配もないしイザとなればナイフを投げて阻止できる、との判断も働いたのでそのまま見守ることにした。
二言三言、穏やかではないが感情的でもない様子で小声の対話が続く。
それから不意に、グラウの手が山刀の柄に伸びた。
「おぃ――」
制止の言葉を言いかけた瞬間、刃が閃いた。
グラウの山刀は、ホルフェを拘束していたロープ――ではなく、ホルフェの首を刎ね飛ばしていた。
「ななっ、ななな――」
「すまんなぁ」
混乱して身動きが取れない俺にそう言うと、グラウは巨体に似合わない素早さで黒い玉を置いた岩の前まで駆け、二度三度と斬撃を加えた。
衝撃から立ち直った俺は、何事が起きたのかを確認する。
ノーデンホッブ周辺で続発していた怪事件、その犯人と思しき人物が死亡。
犯人が新生物か不明新生物を操るのに使っていたとみられる、謎の物体は完全に損壊。
口封じに証拠隠滅――つまりは、このグラウも一味だったということか。
アッサリと騙されることになった屈辱と、ライザの助言を生かせなかった迂闊さに、全身の血が沸騰していくのを感じる。
相手を簡単には逃がさず、そして踏み込ませないだけの距離を空け、意趣返しも兼ねて激痛を与えるタイプの毒を使ったナイフを抜く。
しかしグラウは、友の血で染まった山刀を三ケン(六メートル)ほど後ろに放り投げると、こちらに泣き笑いのような表情を向けてきた。