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鬼の行く涯て 竜の往く果て  作者: 長篠金泥
第1章 (リムとライザ 鐘後216年7月)
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001 狂兆

 何かが風を切る音に続いて、頭上で鈍い破裂音が弾ける。

 頭に降ってきた木屑を払いながら顔を上げると、傍らの古木に五スン(十五センチ)ほどの石がめり込んでいるのが見えた。

 さっきまで自分の頭があった場所に対する致命的な攻撃に、一瞬にして血の気が引いて冷汗が滲む。


「リム、大丈夫か」

「う、ああ……助かったよ、ライザ」


 身を低くして小声で無事を確認してくる少女に、俺も小声でもって応じる。

 直前にライザから「避けろ」と警告されていなければ、咄嗟にしゃがむこともできずに今頃は血塗れで激しく痙攣けいれんしていたはずだ。

 木の陰に移動しつつ、石の飛んできた方に目を凝らすが、襲撃者の姿は見えない。

 ライザも素早く別の木の陰に身を入れ、同じ方向を探っている。


 敵がいるのは十ケン(二十メートル)くらい離れた場所にある草叢の中か、十五ケン(三十メートル)先の枝葉が茂った低木の陰か。

 次に打つべき手を考えていると、ライザの相棒であるディスターが、何気ない足取りで石が飛んできた方へと歩いて行くのが見えた。


「ちょっ――何してんだ!」

「御心配なく」


 思わず怒鳴った俺に平らな声で応じたディスターは、その言葉通りに自分に向かって結構な速度で飛来した二つの石を、手にしたハルバードの柄で悠々と叩き落とした。

 硬いものがぶつかり合う、耳障りな不協和音が響く――あの武器は何でできているのだろう。


 ディスターの規格外な力については噂に聞いていた。

 だが実際に目の当たりにするまでは、こんなにもデタラメだとは想像していなかった。

 俺の戸惑いなどお構いなしに、追加で飛んできた石をブーツの足裏で蹴り返したディスターは、こちらに背を向けたままで言う。


「相手はおそらく【飛礫蜥いんじとかげ】、数は二匹か三匹です。どうしますか」

「あれか……こんな場所に?」

「はい。話にあった動物の異常行動と関係あるのかも知れません」

「ふむ……」


 ディスターの推測を聞いたライザは、眉根を寄せて思案している。

 飛礫蜥いんじとかげは土色の鱗で全身を覆われた生物で、外見はトカゲに似ているのだが体長が五シャク(百五十センチ)前後と大型だ。

 先が三つ叉に別れた長い尻尾で石や朽木を掴み、それを投げ当てて鳥や小動物を仕留めて餌にする、高地の森林に棲息する肉食生物――だったはずだ。

 獲物を丸呑みする習性があるのでヒトを襲うことはまずない、と養成所の講義では習ったのだが。


「こんな平地の森で襲ってくる、ってのはやっぱり変なのか」

「ありえないことじゃない。しかし、聞いたことはないな」


 俺が訊くと、ライザは渋い表情のままで答えた。

 その様子に、緊張感がじわりと高まる。


 ありえない現象、不可解な出来事。

 あからさまな異常、不穏な怪異譚。

 あやかしの噂話、不気味な目撃談。


 ちまたのそういった物事の中に、【げん】と呼ばれるものがある。

 世界の破綻につながる可能性がある、と認識された特殊な事象。

 訝に関しての調査は【検訝けんげん】、それに従事する者は【求綻者ぐたんしゃ】と呼ばれる。

 ライザはその求綻者で、俺ことリム・ローゼンストックは求綻者見習い――みたいなものだ。


「ピベァアアアアアァアアッ!」


 思考を寸断するように、珍奇な悲鳴が鼓膜に刺さる。

 見れば、いつの間にか低木を踏み越えていたディスターが、その裏に潜んでいた飛礫蜥いんじとかげの背中をハルバードで突き、ダラリと力の抜けた体を高々と持ち上げていた。

 色素の薄い腹を刃先が裂き破り、体躯の痙攣に合わせて粘度の高い桃色の液体が傷口から噴き出す。

 その惨状が、さっき想像した重傷を負った自分の姿と重なり、何とも言えない不快感が腹の底から湧き上がる。


「リムはそこを動かないで」

「えっ――」


 答える間もなく、ライザが木陰から駆け出した。

 数瞬後、ライザの腹を狙う軌道で石が飛んで来たようだが、彼女は体を捻って軽々とそれをかわすと、背中の長剣を抜いて速度を落とさずに草叢へと走る。

 養成所時代から並外れた運動神経だったが、求綻者となって実戦を重ねたことで更に磨きがかかっているようだ。

 俺にも石の動きぐらいは見えるが、視認すると同時に避けられる自信はあまりない。


「ハッ!」

「ペャッ――」


 ライザの気合の声に、短く汚い悲鳴が続く。

 そして、砂の詰まった袋を蹴るような音と共に、目を見開いたトカゲの頭が草の中から転がり出た。

 何もすることがないというか、何もできない内に全てが片付いてしまった。


 求綻者とは、平たく言えば世界を救うために冒険をしている存在。

 だから、トカゲごときに苦戦するようでは話にならないのだが、同時期に養成所に入って同じ訓練を受けながら、未だに旅立ててもいない自分とは随分差がついたものだ。

 そんなねたみともひがみともつかない感情が混ざり、刃を濡らす桃色の血を振り払うライザに向ける視線が、ちょっとばかりよどんだものになってしまうのを止められない。


「終わったな……ん、どうしたリム」

「いや、別に」

「姿を隠して遠距離攻撃をしてくる相手です。リム殿が無理をする必要はありません」

「うっ、まぁ、そうなんだけど」


 フォローなのか事実の指摘なのか、よく分からないディスターの言葉に曖昧に応じる。

 こちらの微妙な心情を察している様子なのは、彼が特殊極まりない存在だから、なのだろうか。

 求綻者には【レゾナ】というパートナーが存在し、それは人に似て人でない【亜人デミ】、動物に似て動物でない【新生物ヴィズ】、新生物ヴィズの中でも正体不明度の高い【不明新生物アン】から選ばれる。


 選ばれる基準は不明だが、レゾナとなるべき相手と出会った瞬間には、必ず【共鳴きょうめい】という現象が起こるらしい。

 どう説明されても俺にはピンと来ないのだが、経験者であるライザが言うには「その時が来れば絶対にわかる」し「一緒にいなければいけないと思う」のだそうだ。


 で、ライザのレゾナであるディスターなのだが、亜人デミでも新生物ヴィズでも不明新生物アンでもない。

 詳しくは知らないのだが、彼は伝説上の生物――【りゅう】であるらしい。

 見た目は体格のいい黒髪の優男、という感じで普通の人間にしか見えないのに。


「そいつ、他の個体と何か違った所は?」

「いえ、外見にも内臓にも脳にも、これといった異常はないようです」


 ライザに問われたディスターは、刃の長いナイフを医者並みの手際の良さで操り、自分が仕留めたトカゲを腑分けしていた。

 ライザが何も言わなくてもディスターがその意を汲んで動いているような場面がちょいちょいあるが、これが求綻者とレゾナの間で可能になるという、音声を使わない意思疎通――念話と呼ばれるチカラなのだろう。


 飛礫蜥いんじとかげのような新生物ヴィズの解体は、養成所でも繰り返しやらされるので、見物しても実行しても嫌悪感などは生じない。

 しかしトカゲに異常がないとなると、何故にコチラを襲ってきたのかがわからない。

 やはり今回ライザが請けた検訝の内容である、“動物の異常行動に関する調査”というのと絡んでいる気配は濃厚だ。


「どうする。ライザが倒した方も調べるか?」

「いや、それよりも情報収集を優先したい。そろそろ街が――」


 ライザが言いかけたところで、妙な物体が視界に紛れ込んだのに気付く。

 同じく気付いたライザは地面を蹴って飛び退いた。

 二シャク(六十センチ)くらいの、これは――何だ?

 判別するより先に体が動き、俺はベルトに下げたナイフを二本まとめて投げていた。

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