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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

大国様シリーズ

大国様が本気で義父を攻略するようです・三

作者: 八島えく

このお話は、男性同士の恋愛表現を含んでおります。閲覧の際は、ご注意ください。

 忘れません。

 貴方が時間をかけて、心を込めて私に贈ってくれたものを。

 貴方は何も言いませんが、その贈り物にお返しを致しましょう。


 あぁ、貴方はどんなお顔をするでしょうか。


 楽しみです、お義父さん。




 ~大国様が本気で義父を攻略するようです・三~



 一か月というのは存外早く過ぎる。俺――スサノオは今そう感じている。

 もう三月だ。目を覚まして布団からでると、肌がしんみりした空気を感じ取って来る。


 布団を片して、顔を洗いに井戸へと外に出ると春の匂いがした。

 地面が少しだけ湿って、ぼんやりと重たい風が匂いを運んでくる。その重さは決して苦しいものじゃない。


 外は、ゆっくりと暖かさを取り戻していく。冬が終わる。もうすぐ、春が来る。そこまで来ている。


 顔を洗って眠気を覚ます。つつくような水の冷たさが、顔に心地よい。まだちょっと寒いけど。

 桶に残った水に、自分の顔が映る。まだぼーっとしている平和ボケした武神の顔だ。ずっと昔はピリピリしっぱなしだったけど、こんなに穏やかな表情にもなれるんだ、俺。


「おはようございます、お義父さん」


 背後から声がした。

 振り向くと、起きたばかりらしい義理の息子――大国主が立っていた。

 

 いつもきれいに編んである髪はゆるゆるだし、急いで着ましたといわんばかりの着物が肌蹴ている。

 普段の大国は、隙のない美しさを存分に醸し出しているような超絶美形だ。義父のひいきを抜きにしても、奴は相当美しい。誰に似たんだか。

 季節に合わせた着物を着こなし、髪もしっかり編んで、仕草ひとつとやわらかな微笑を浮かべれば、落ちない女はいない。大国はそういう神だ。

 そんな奴が、こんなふぬけ切っているのを目の当たりにするのは妙に見ものだ。誰にもヘタレた部分を見せないようにしている奴が、俺にはこんな無防備でいる。それが何だか嬉しかったりして。……とか思えてしまうが何かの錯覚だ。そうに違いない。


「おはよう、大国」

「はい、おはようございます」

 あくびを我慢もせず、大国はふわーっと口を開ける。そして俺に微笑みかけるのだ。女を落とす完璧な微笑でもって。


 俺は大国に井戸を譲り、その場をさっさと立ち去ろうとする。こいつの隣はどうも落ち着かないのだ。

 この落ち着かなさは、最近の悩み事だが誰にも相談できない。嫁や娘に云おうものなら「それは恋ですよ」と言われるだろうし、姉や兄に話そうもんなら「悩みの種を断ち切りましょう」と物騒なものをちらつかすだろう。姉も兄も俺に甘いと言うか……いや、アレは単に大国が嫌いなだけだな、うん。


「ところでお義父さん」

 水も滴るいい男とはよく言ったもんだ。前髪から滴がぽたぽたこぼれている。髪の毛が少し顔に張り付いていてみっともないったらありゃしねえのにそれでも絵になる。知ってる、こいつはそういう男だ。

「何だよ」

「今日一日、お暇ですか?」

 大国が首をかしげる。

「今日? 別に、今のとこ予定はないと思うけど」

「それはよかった。では、私の買い物に付き合っていただけませんか?」

「買い物? 荷物運びでもさせる気か」

「まさか。お義父さんにお渡ししたいものがありましてね」

「だったら俺は留守番してるよ。待っててやるから」

「いえ、お店はいかんせん遠くてですね。それを受け取って社に戻るのでは時間がかかってしまいます。それならお義父さんに御同行いただいて、商品を受け取ってその場でお渡しした方がよろしいかと。なに、荷物になるような大きなものではありませんので。いかがでしょうか」

 言いくるめられた気がするがあくまで気がするだけだ。錯覚だ。

 こいつの手の中に踊らされているような感覚は嫌いだ。奴だけ余裕で、自分だけからかわれているようで。

 

 俺は仮にもこいつの義父だ。義父らしく、威厳を持っていたい。

 こんな奴に心をいじくられるのは、変な感じだ。

 だから、せめて強気な態度で、「義父に手間かけさせるとはさすが面の皮が厚いな」と毒づくだけが精いっぱいだった。


「おや、ではお引き受けいただけないと?」

「そうは言ってない。お前の口車にわざと乗ってやるって言ってるんだ。付き合ってやる。退屈な買い物だったら即帰るからな」

「ふふ、ありがとうございます。お義父さんはやはりお優しいですね」

 大国は、やっぱり完璧な微笑と仕草で、俺にそう返した。


 

 一時間後、準備を終えて俺は鳥居の前で大国を待っていた。

 嫁のクシナダに、大国とでかけることを話すと「では、少しおしゃれしなければなりませんね!」と意気込まれた。

 服装にまるで無頓着な俺のために、嫁はあれやこれやと衣装箪笥から服を引っ張り出して、俺に合う組み合わせを考えてくれた。

 おかげでこんな俺でも、少しはましな格好になった……と姿見の前で思った。

 淡い色のワイシャツの上に何か濃い目のジャケットを羽織って、スニーカー履くだけでそれなりに見れる。さすが嫁。


 大国は何を着ても絵になる。「お待たせいたしました」と俺の前に現れたその男は、いつも通りの完璧な微笑を浮かべた。

 全体の色は黒を基調としていて、ゆるいシャツとカーディガン、藍色のジーンズとこげ茶のブーツという格好。

 いつも編んでいる淡い黒髪は、簡単に結んで肩に垂らしている。


 どうしてこう、こいつはいちいちかっこよくなるんだ。

「ずいぶん洒落たな」

「お義父さんとのお出かけですから。髪先から靴まで、すべて完璧でありたいのですよ」

「あっそ。……別にいいけど」

 俺はふいっとそっぽを向く。本当はそんなそっけない態度はとりたくなかった。似合う、とか、かっこいい、とかあいつを褒めたくないという俺の幼い嫉妬がそうさせた。すべては大国が悪い。


 そんな俺の気を知ってか知らずか、大国は余裕で笑っている。

「では、行きましょうか」

 さあ、と大国が手を差し伸べる。俺は、少しためらってから、その手を取った。

 こんなことで、どきどきしてしまうなんて。俺は本当にどうかしている。


 

 ことの発端は、数月前。

 大国と共に酒を飲み交わした翌日のこと。


 大国は、俺に向けてこう告げた。


「お義父さん、私と子作りしてください!!」


 ぶん殴りたい衝動を必死に抑えた当時の俺を褒めてやりたい。酔いが覚めてないのかと疑ったが、俺を真っ直ぐ見つめる大国の目は真剣そのものだった。だいたい彼奴は酒に強い。夜通し酒を飲んでも、けろっとしているような酒豪だ。酔った勢いでの妄言だとは思えない。


 その後、大国の気持ちが真剣だと理解したうえで、俺はその求愛を受け止めてやろうとしている。

 だが、このまま大国に流されるまま、揺らいで彼奴の思い通りになるのが嫌だから、俺は大国の度重なる求愛を拒み続けている。

 ――いつか、取り返しがつかないくらい大国に揺らいでしまう日が来るのを恐れながら。

 



 結局、一日付き合わされる羽目になった。


 というのも、大国が目的の店に電話を掛けたところ、取り寄せが予定の時間よりかなり遅れるという報せを受けたからだ。

「申し訳ありません、お義父さん。もう少しお時間をいただくことになってしまいました」

 大国はそう言って困ったように笑う。

「いいさ。どっかで暇でも潰せばいいんだ」

「ああ、お義父さんは慈悲深い。ありがとうございます」

「大げさな……」

「では、道すがら寄り道でもいたしましょう」

「仕方ないな」



 今の日本はいたって平和である。

 武神であるこの俺がこんな洒落た格好して道を歩いている暇があるのだから。昔は異形とか穢れとか、争いとか面倒ごととかで手いっぱいで、こうして街を歩くことだって稀だった。 

 二千六百年以上経った今、異形が出没するのはたまにあるけど、昔に比べれば随分と穏やかな国になったと思う。

 技術の発達が進んでも、昔から存在する伝統が受け継がれて、古きも新しきも共存してる。そんなここが、俺は好きだ。


 外は穏やかに晴れている。歩いていると、春の空気が頬を撫でた。


 最初は、近くの服屋で暇をつぶした。

 そこの女の店員が、大国に微笑みかけられただけで落ちた。あいつにその気はないらしいがどこまでも罪作りな奴。


「お義父さん、こちらはいかがでしょう」

「あ?」

「お似合いかと思いまして」

 大国が一着の服を、俺の前で広げて見せた。

 浅緑に染まった、柔らかい生地の服だった。サイズは俺に合っている。どれどれ、と大国が俺にそれをくっつける。

「少し色が明るすぎやしないか?」

「もう春ですから、ちょうどいい色だと思いますよ。お義父さんはもう少し、派手な服を召されたくらいがぴったりです」

「……柔らかいな」

「試着されてみては?」

 その言葉に従って、試しに着て見た。肌触りがよくて、いい匂いがする。

「おや、なかなか」

「そうか?」

 試着室から出て、服をきちんとたたむ。

「コレ、買いましょうか」

「しかし高いな」

「かまいませんよ。私がお金を出しますから」

「いや、駄目だっつの! 着るのは俺なんだから、大国に出させるわけには……」

「私が貴方に贈りたいのですよ。私は出雲の社をいただいてからこの方、ずっと年金生活ですから心配ご無用です」

「でも」

「貰ってください、お義父さん」

 少し低いその声でお願いされたら、答えは「仕方ない」以外に存在しない。


 服屋の次くらいには、やたらとしゃれっ気のきいた食い物屋に行った。服屋でいろいろと服を見ていたら、昼になっていたのだ。

 大国には、数枚服を買ってもらった。しかもその荷物は大国が持っている。むかつくから、「俺のだから俺が持つ」と半ば無理やり俺が持ってやった。

 

 その食い物屋――喫茶店というらしいそこは、大国がたびたび訪れる店らしい。俺の予想通り女の店員はみんな大国に惚れている。何度も足を運ぶのはこういう可愛い女が働いてるからだろうな。そう思うと少しイライラする。これはカルシウム不足であって嫉妬ではない、と自分に言い聞かせながら。


「……大人気の様で」

「おや、やきもちですか、お義父さん」

 席に座ってメニューを眺めながら、大国がそう返してきた。小さなテーブルに向かい合って座っている。

「んなわけねえだろっ」となるべく優しい声で反論した。机叩いたり大声出したりして、周囲を怖がらせるのは避けたい。

「ふふ、ご心配なく。私はお義父さんだけです」

「はっ、そんな台詞、女という女全員に言ってんだろ。今更そんな言葉で揺らぐかよ」

「では、もう少し口説き文句を研究してきます。貴方が揺らぐように」

「せんでいい!」

 ぶつくさ言いながら、俺はメニュー表を睨んだ。以前にクシナダが食っていたオムライスを注文した。大国は日替わりメニューを頼んだ。


 卵がふわふわしてて、米もふっくらと美味かった。トマトと香辛料の味付けが良く、食ってて飽きない。一皿喰い終えると、満腹になった。食後に紅茶を飲んで、口をさっぱりさせる。

 向かいに座っている大国は、食い物を箸でつまんで口に運ぶという単純な動作さえ優雅にしてみせる。洗練されているというか、しつけの行き届いた感が否めない。

 食べ終えて、口元を紙ナプキンで拭く。

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさん」

「お味の程はいかがでしたか。お義父さんは、こういった場所には無縁なので、お口に合うか少々不安でしてね」

「そんなことない。美味かったよ。いい店教えてくれてありがとな」

「それは何より」

 小休止して、そろそろ店を出るかと席を立った。伝票をすっと大国に奪われ、俺は自分の飯代さえ大国に支払わせるという失敗に陥ってしまった。まるで俺が義理の息子いびってたかってるみてーじゃねえか、ごちそうさん!!

 


 そのあとは、雑貨屋に行ったり、俺が世話になっている武器屋へといろんなところを歩いた。武器屋の主人である妖怪の親父には、「あんたも少しは美男子になったじゃねーか」とからかわれた。無言で鉄拳をくれてやった。


 そうして時間をつぶしているうちに、なんとなく気付いたことがある。

 今回の外出で、俺は一度も金を使わせてもらってない。

 さっきの雑貨で買った写真立てにしろ、武器屋で買った砥石にしろ、どんな些細なものだって大国が金を出した。

 大国が使うんじゃないのに。服も道具も武具も、使うのは俺だ。


「おまえ、財布大丈夫か?」

「申しましたでしょう。年金生活だから心配ないと」

「大事に使えよそういうのは……。まるで俺がお前にたかってるみたいじゃねえか」

「いいんですよ。今日くらい、サービスさせてください」

「……ったく。じゃあ、来月のいつか、一日だけ予定をあけておけ。俺が一日引っ張り回してやる。ついでに全部俺のおごりでな」

「おや、光栄です。私の為に一日をくださるとは」

 やり返してやったつもりなのに、手ごたえが全然ない。俺ばかりがこいつに振り回されて、不公平だ。


 そろそろ行きましょうか、と大国が手を差し伸べて来る。俺は観念してその手を取った。腹いせに少し強く握ってやっても、大国は何も言わない。にこにこしてるだけだ。


 大国に呼ばれたり、こうして手をつながれたり、爪を立てるような俺の小さな抵抗に動じなかったり、そんな余裕の大国に、自分がこうもどきどきしてしまうなんて。

 簡単に揺らいでやるもんか。そう心に誓っていたつもりだったのに、俺の決意というのは意外にもろかった。がんばれよ、俺。


 その店というのは、町はずれにある、古びたものだった。

 さっきまで暖かかったはずなのに、ここに来た途端空気が冷たくなった。街中の暖気がうそのように消えてなくなっている。

 樹でできたその店は寂しげで、ちょっと怖かった。大国に「大丈夫です」と微笑まれると、その怖さも吹き飛んだ。


 中は薄暗い。今はまだ昼下がりだから、太陽は出ているはずだ。でもその太陽の光を覆い隠してしまっている。窓はあるけど、不思議とこの店は光を取り込んでいない。


「……ああ、来ましたかいね」


 しわがれた声が、店の奥から出てきた。一瞬どきっとして、とっさに大国の手をぎゅっと握る。……って、まるで俺が怖がりみたいじゃねーか!


 声の主は、俺どころか大国よりも小さかった。というか、俺の膝くらいしかない。ちっさいおっさんだ。

 白い髭がぼうぼうに伸びてて、鼻が少し高い。くぼんだ目は鋭いが、そこにはらむ雰囲気はどこか優しい。


「こんにちは、ご主人」

「ごきげんよう、大国主殿。こんなさみしい店をご指名してくださって、恐悦至極に存じますよ」

「月読殿からあなたの店について聞きましてね。ぜひともここをと思ったのですよ」

「いやはや、貴方様からそう言っていただけると、この爺、生きているすばらしさを思い知ります」

 そのちっさい爺は咳き込んでるように聞こえたが、実は笑っているだけだった。ひやひやさせんな。


 ぼろい着物にぼろい前掛けと、頭には埃で汚れた手ぬぐいが巻かれている。こんなかっこうですいませんな、と爺は苦笑した。


「それで、頼んでおいたものは」

「ええ、ええ。それはもう。魂込めて創りました。久しぶりに大きな注文でしたから、はりきりました」

「それはそれは。……お義父さん、すみませんが、外で待っていていただけますか」

「あん? いいけど……なんで」

「驚かせたいからです」


 俺は仕方なく、店の前で待っていた。ほどなくして、大国がにこやかな表情で店から出てきた。

「ではお義父さん、行きましょう」

「ここで渡してくれるんじゃないのか」

「もう少し、寂しくない場所でお渡しします。あと少しの辛抱です」


 ため息ひとつつくだけで、大国のわがままに付き合ってやった、と得意げに思ってしまう俺は幼稚なのだろう。

 店から少し離れるだけで、街の暖気が戻ってきた。少しだけほっとする。あの寂しくて静かで涼しい店は、落ち着くけど長居できるようなところじゃない。


 夕暮れ時の公園で、大国は改めて俺に、小さなハコを差し出した。

 公園にはもう俺と大国しかいない。子供たちが遊んでいたんだろうけど、もう家に帰ったんだろう。

 俺はその箱を受け取る。これが、あの爺に頼んでいたものだったのだろうか。

 そっと開けてみた。ぱかっ、と開いたその先には、


 指輪が、あった。



「……これ」

「左手の薬指につけるものです」

 そういうことだった。

「なあ、これ」

「あの店の主人に無理を言って作ってもらったのですよ。あの主人は、不思議なチカラを宿す装飾品や武器を作る天才でして」


 指でつまんで、周囲を橙色に染める太陽に翳してみる。

 埋め込まれた宝石が、光を吸い込んできらきら光ってる。少し眩しいけど、どこか神秘的で、ずっと眺めていたいとさえ思ってしまった。

 あの爺は本当にすごい職人だ。宝石とか装飾品とか、そういう光りものにまるで疎い俺が、ここまで心奪われるのだから。

「でも」

 そうこぼしてしまった。こんな綺麗な指輪は、受け取ってはいけない。

 だって、それを受け取ったら、大国の求愛を受け入れることになってしまうのだから。

 

 幼稚な意地っ張りで、ずっとずっと大国の真剣な思いを突っぱねて来た俺には、こんな綺麗で心惹かれるものを受け取る資格がない。

 

 泣きそうな顔をしていたんだろうか。大国が、やんわりと、俺の頬に触れて来た。

「受け取ってください」

「こんな、だめだ」

「無理に指にはめる必要はありません。引き出しの奥にしまっておくだけでも結構です。……いつか頂いたバレンタインのお返しですから」

 泣き虫をあやすように、大国は優しく告げる。指につける必要がないと知ると、俺はほっとしたようながっかりしたような、よくわからない気持ちになる。


 彼奴の好意を受け入れたいんだろうか。それとも拒否できたことに安心したのだろうか。悲しそうに笑う大国を見つめて、胸がちくちく痛みだす。


 そういえば、俺は――大国から貰ったバレンタインのお返しをしていない。


「今日一日、ご足労かけました。タクシーを呼びますので、しばしお待ちを」

 そういうと大国はおもむろに携帯電話を取り出す。どうしよう、俺は何も用意していない。


 大国が、携帯のボタンを器用に押していく。

 

 何も考えていなかった。ただ、今日一日、大国がしてくれたのと先月の贈り物のお礼、それに見合うお返しにしてはあまりに小さすぎてささやかすぎるものを、思いついてしまった。


「大国!」


 ふと、大国の手が止まる。

「はい、どうしました、おとう、」


 大国の頬を両手でひっつかんだ。完璧な微笑が固まる。その固まった顔は、見ていて愉快だ。



 そのまま引き寄せて、

 唇――に見せ掛けて、

 額に、口づけしてやった。


 大国が、ばさっ、と荷物を落とした。


 ぽかんとした大国の顔を見るのは、とてもすっきりする。いけすかない義理の息子を出し抜いてやった気分。


 と同時に、恥ずかしさがぐんっと込み上げて来た。

 顔が熱い。心臓がどきどきする。


「お、とうさん?」

「ぁ、えと……」

 どうしよう。大国とこれ以上一緒にいると確実に心臓が爆発する。


 地面に落とした荷物をひっつかんで、贈り物の指輪はハコに大事にしまって、服の胸ポケットにしっかり閉まって。


「今日と先月の例だ、ばーか!!」


 俺は大国をその場に置き去りにして、自分の荷物だけ奪い取って、ずかずかと、公園をあとにした。


 公園というのがどうも社からずいぶん離れていたらしく、途中で迷子になって兄貴に情けなく助けを呼んだのは一生の恥である。


 こんな恥かいたのも、心臓がどきどきしてるのも、指輪くらいでへらへら笑っちまうのも、あれもこれも全部、全部、ぜええんぶ大国のせいだ!!

 置き去りにしてやったよざまあみろ。

 こんな恥ずかしいような嬉しいような気持ちにさせやがって。帰ったらマッサージさせるからな。徹底的に、残り少ない今日はこき使ってやる。


 社に戻ったら、覚悟しておけ馬鹿息子!!

3月のイベントといえばやはりホワイトデーですねー。ホワイトデーにあやかっての求愛を書いてみたりしました。でも相変わらずスサノオは必死に耐えます。もう揺らいじゃってもいいんでない。

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