・エピローグ
「朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み、非常の措置を以て時局を収拾せむと欲し、茲に忠良なる爾臣民に告ぐ。
朕は帝国政府をして米英支蘇四国に対し、其の共同宣言を受諾する旨、通告せしめたり。
抑々(そもそも)、帝国臣民の康寧を図り万邦共栄の楽を偕にするは、皇祖皇宗の遺範にして朕の拳々措かざる所、曩に米英二国に宣戦せる所以も、亦実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾するに出て他国の主権を排し、領土を侵すが如きは固より朕が志にあらず。然るに交戦已に四歳を閲し朕が陸海将兵の勇戦、朕が百僚有司の励精、朕が一億衆庶の奉公各々最善を尽くせるに拘らず、戦局必ずしも好転せず。世界の大勢、亦我に利あらず、加之敵は新に残虐なる爆弾を使用して頻りに無辜を殺傷し惨害の及ぶ所、真に測るべからざるに至る。而も尚、交戦を継続せむか、終に我が民族の滅亡を招 来するのみならず、延て人類の文明をも破却すべし。斯の如くむば、朕何を以てか億兆の赤子を保し皇祖皇宗の神霊に謝せむや。是れ、朕が帝国政府をして共同宣言に応せしむるに至れる所以なり…」
昭和20年8月15日、正午。
ラジオより流れる天皇の玉音放送を持って日本国民は戦争が終わったこと、そして日本の敗戦を知った。
その瞬間、どれだけの国民たちが虚脱感に襲われたであろう。
しばらくは奇妙な静けさがあたりを支配していた。
その玉音放送を義明は母親の智佐登とともに自宅のラジオで聞いていた。
放送が終わってもしばらく二人は何も言わなかった。
いや、正確には何を言っていいのかわからなかった、と言うほうが正しいかもしれない。
どのくらい時間が過ぎただろう。
「…終わったのね」
智佐登が呟くように言う。
「…終わったん…だな」
それに答えるように義明が言う。
とにかく戦争は終わったのだ。
*
昭和20年11月、終戦から3か月近くが過ぎた東京。
8月30日に来日したマッカーサー元帥が司令官となっているGHQの手によって日本の戦後処理はまだまだ続き、あちこちに戦争の爪痕は残っているが、それと同時に復興の作業も進んでいた。
そんな中、義明は上野の街を歩いていた。
「早いものだな。もうあれから3か月か…」
終戦後、軍需工場も閉鎖となり、伝手を頼って新しい職場に勤めるようになったとはいえ、まだまだ親子二人食うために必死の日々が続いていた。
上野の町もまだまだ復興が始まったばかりだが、8月の敗戦を知った時の虚脱感からようやく人々も立ち直り始めてきたようである。
「だんだんと東京も元に戻りつつあるんだな」
GHQの占領政策はまだ始まったばかりでいつまで続くのかまだわからないし、日本にとってもこれから苦しい日々が続くかもしれないが、しかし義明は別のことを考えていた。
「…でも、いつまでもくよくよしていたって始まらないんだ。もしかしたら、これは新しい日本の始まりかもしれないんだからな」
そんな中、上野駅の前を通りかかった時だった。
上野駅の駅舎からから大勢の子供たちが出てくるのを義明は見かけた。
「…ああ、疎開から帰ってきたのか」
戦争が終わって2週間後には国民学校と中等学校の授業が、9月半ばには大学と高専の講義が再開となり、先月から学童疎開の帰京が始まっていたこともあってか、少しずつではあるがあちらこちらで子供の声が聞こえてくるようになった。
「そういえば、父さんたちも来週帰ってくるって言ってたな」
そう、集団疎開の教師として、児童たちを連れて田舎に疎開していた義明の父親も来週には帰京する、という連絡があったのだった。
「…あの子供たちがこれからの日本を背負って立つことになるんだな。アイツが手を出せないような日本になってほしいが…」
そう、3か月前の終戦前日に義明があった男・阿那冥土はあの日を境にして噂すら聞かなくなったのである。いったいどこへ行ったのか、日本がこうなったことを知っているのか、それはわからない。
確かに戦争は終わった。しかし、義明にとっての「戦い」――すなわち阿那冥土との対決――は終わっていないような気がしたのだ。
あの男がいつまた現れるかはわからない。しかし、あの男が現れるような世の中にしてはいけないことだけは確かだろう。
「…確かに戦争は終わり、いろいろなものを失ってしまった。でも、絶対日本はこのままでは終わらない。これはまた新しい日本の始まりでもあるんだ。その新しい日本をあいつの手なんかに渡してたまるか」
義明は何か決意するかのようにつぶやいた。
*
その後、日本は奇跡ともいえる復興を遂げ、昭和30年代の高度経済成長を経て1964年の東京オリンピック、1970年の日本万国博といった世界的なイベントを成功させ、世界の大国への階段を上っていくこととなるのだが、それは同時に再び魔の手が日本に伸びることを意味していた。
そして昭和40年代も後半となり、高度経済成長が終わりを告げようとしていたとき、再び戦いが始まろうとしていた。
(「昭和編」に続く)
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