・プロローグ
昭和20(1945)年。
この年になると第2次世界大戦は4月に独裁者アドルフ・ヒトラーが自殺しドイツが連合国側に降伏。日本も3月10日の東京大空襲をはじめとしてアメリカをはじめとした連合軍の本土への攻撃は日を増して強くなり、6月には沖縄で本土決戦となり、いよいよ日本の降伏も時間の問題かと思われていた。
しかし、国民はまだまだこの戦争がどういった状況なのか、本当のことは知らないままだった。
*
そんな昭和20年8月5日、東京のある家。
「…只今」
一人のリュックサックを背負った若者が家に戻ってきた。
「おかえり」
一人のモンペ姿の女性が若者を出迎えた。
「…それで、どうだった?」
「心配ないよ。ほら」
そう言うと若者はリュックサックの中身を空ける。
中から野菜や芋が出てきた。
「こんなにたくさんよく売ってくれたわね。…本当に義明って、交渉がうまいわね」
「まあね。これで1週間くらいは大丈夫だろ?」
そう、若者は食料の買い出しから帰ってきたところだった。
戦争が長引くにつれ、日本国内も食糧不足が続き、このころはこうして郊外や田舎の農家へと食料の買い出しに出かける人が多かった。
もちろん食糧不足なのはどこの家庭も同じでとてもじゃないが他人に食糧を売る、なんて農家は少なかったのだが、どういうわけだかその若者は交渉がうまく、こうして買い出しに出かけるといつも持ちきれないほどの食料を持って帰ってくるのだった。
若者――防人義明、19歳。
この年齢になると軍隊に召集されて戦地に行ってもおかしくないのであるが、今日まで召集がかかっていなかった。
このご時世故、義明も学校を出るとすぐに戦争の兵器を作るため、軍需工場で働き始めたのだが、その働きが特に良く、今ここで戦地に派遣されたりしたら大切な働き手を失ってしまう、ということだと彼自身は思っていたのだが、実は彼の祖父の防人忠孝や母親の智佐登を知っているという軍部の関係者が「将来」の日本にとってどうしても必要となる人物だから、ということで召集に反対しているということを智佐登は聞いていて、「余計なことを話すまい」とあえて彼の前では黙っていたのだった。
*
「…そういえばお父さんからさっき手紙が来てね」
「父さんから? なんて書いてあったの?」
「うん。最近はこっちのほうでもB29の機影を見ることが多くなってきている、って書いてあったわ」
「…そうか。田舎も決して安全だとは言えなくなってきているんだな」
義明の父親――智佐登の夫でもあるが――は義明が小さいころから学校で教師をしていた。そういうこともあってか、いま彼は学校の引率教師として児童を連れて田舎に疎開をしていたのだった。
「そう言えば父さんの学校の子供が疎開して、もうそろそろ1年たつんだな」
「そうね、戦争が始まってからもう3年半経つし…。始まったころはこんなに長くなるなんて思わなかったわ」
「…でも心配ないよ、母さん。戦争はもうすぐ終わる。そんな気がするんだ」
もちろんこのころの日本は所謂「大本営発表」があったこともあり彼らも、戦争が一体どういう状況になっているのかは知らなかったのだが、3月の東京大空襲をはじめとして必ずしも日本に有利な状況で進んでいる、というわけではないことは薄々と感じ取っていたかもしれない。
「…だといいけれど。じゃお母さんは、ご飯作ってるから」
「じゃあ、飯になったら呼んでよ」
自分の部屋に戻った義明は一振りの刀を取り出した。
そして鞘から刀を取り出してじっと見つめる。
この刀は9年前のある秋の日に母親の智佐登から譲り受けた刀だった。
80年前の曽祖父の代から受け継がれてきた刀だというのは刀の前の持ち主である母親から聞いていたし、そして自分がなぜこの刀を受け継いできたのか、ということも知っていた。
そして自分が戦うことになるかも知れない人物の存在も…
母親からこの刀を譲り受けたときに母親の智佐登や祖父の忠孝が話してくれたこと。
それはその人物が20数年前に関東を震災が襲った時や、40年前の日露戦争直後、あるいは幕末と日本が混乱しているときに出現していることや、義明が生まれる前に母親や祖父、あるいは曾祖父がその人物と戦ったこと、母親が戦った後に忽然と姿を消したが、それからしばらくしてヒトラーが独裁体制を築きつつあったドイツに似た人物が現れたということだった。そしてその人物は数年間ドイツでナチスの幹部に接触し、ドイツを混乱に陥れていた、という噂もあった。
しかし、数日前に祖父に会ったときに義明が直接聞いた話だったが、4月にヒトラーが自殺し、ドイツが連合国側に降伏して間もなくのころに、その人物が突然ドイツから姿を消した、という情報が入ってきたという。
そして外に出ると義明は素振りを始めた。
なぜかはわからないが、ここ数日、義明の心の中にある不安が沸き起こっていたのだ。
今の戦争とは全く違う形で、何か自分にとって新たな戦いが始まるのではないか、という不安だった。
もちろんそのために義明はこの刀を受け継いできたのだし、いつか自分が戦う日が来る、と思っていたのも事実だった。
(…もしかしてヤツが日本に向かっている、ということか?)
そしてその不安は的中し、この翌日から義明にとって「宿命」とでもいうべき戦いが始まるのである。
(前編に続く)
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