幕間
「駄目ですね。何の手がかりもない。進展ありません」
モーリスが肩を竦ませながら両手をあげて降参のポーズを取ったのを見て、マチルダはため息をついた。
「こちらも日に日に状況が悪化しています。口止めしても無駄のようです」
今回の会合は、本館の半地下にあるマチルダの執務室で行われていた。お互いバタバタしていて、会う時間と場所を打ち合わせる暇が無かったともいう。
ふたりして、何か気の利いたことを言おうと思うものの、それも出てこないほど事態が悪化していた。空気の重さに、自然と沈黙する。
モーリスはいまだにアスタロトの痕跡を追えていなかった。アスタロトとの主従誓約によって主の生死くらいは感知できるが、誓約がもたらすものは「主が死ねばそれとわかる」程度の実感であり、即ち契約が解除されたかどうかということだけで、連絡を取るとか安否を確認するとかいったことはそもそも不可能である。
屋敷中をくまなく探し、秘密の通路や隠し部屋の探索を続けていたが、あらかじめ知っている以上のものは何も出てこなかったし、アスタロトの魔力反応も見つからない。また、屋敷中に張り巡らされたように配置された使用人たちの目を避けながら調査するのも一苦労だった。調査区域に応じて人員の配置を変えるような余計な指示を出せば、使用人たちに屋敷の不均衡を悟られかねないため、なるべく平常通りにしてもらうよう頼んだのはモーリス本人だったが、思った以上に難易度が高い。
「三階の痕跡もほとんど残っていない。現場だけ見れば、我が君は寝室から出てもいないはずだ。部屋に隠し通路のようなものもなかったし。消失したとしか思えないな」
とはいえ、ここはアスタロトの魔力が最も浸透している場のため、アスタロト自身が入念に痕跡を消したのなら当然完璧に消えているに違いなかった。屋敷全体は彼の箱庭のようなものであり、なんであれ検知できない存在はないはずだ。
「やはり、中央に連絡を」
マチルダが深刻な声音でそう言った。中央区。魔王陛下のおわす宮殿とそのお膝元である。すべて柱の悪魔は魔界の均衡を保つために存在しており、その秤を担うのが魔王であるならば、その一柱、しかも三大公のひとりが消えてしまったと告げれば、中央は当然動くだろう。
ただし、どのような手段でもって均衡を維持するのかは理解の範疇を超えていた。魔王陛下はひどく残酷だと聞く。大軍を差し向けたうえで屋敷を焼き払って、瓦礫からアスタロトの肉体を探すということもありえる。
「できれば最終手段としたいところですが……」
モーリスは最悪の事態を想像してゾッとする。陛下の力をもってすれば館の復旧は容易だが、この屋敷にいるものはひとり残らず命を落とすことになるだろう。
「ルキフェル様やベールゼブブ様はどうでしょう? 中央に知らせるより建設的かもしれません」
「そうですね、たしかに」
七十二の柱の中でも上位三人を、まとめて三大公と呼ぶ。序列一位のルキフェル、二位のベールゼブブはアスタロトとの親交も篤い。世界の均衡のためにも、むざむざ同僚を見捨てるような真似はしないだろう。
「期限を決めましょう。あと三日のうちに我が君が戻ってこなければ、ルキフェル様、ベールゼブブ様へ連絡を送りましょう。それくらいなら持ちこたえられるでしょうか?」
「ええ。大丈夫だと思います」
マチルダがこめかみを抑えた。
「彼女が心配ですね」
「彼女?」
「アザレアです。人間だからと、諍いに巻き込まれたようで」
「なんてことだ」
モーリスは慌てた。まさか使用人の間でそんなことになっているとは。
「明日にでも、何か護身用の魔道具を持たせておきます」
「お願いします。どうも不穏なのです。やはり旦那様の魔力の影響でしょう。皆、殺気立っています。彼女もよくやってくれていますが、今の状況は精神的にも負担が大きいはず。なるべく他の使用人とは顔を合わせないようにしてもらっていますが」
「困りましたね」
モーリスは天を仰いだ。
日に日に均衡を失っていくように見える屋敷の中で、それを止める術も持たず、アスタロトに何が起こっているのかも、知ることすらできないのがもどかしい。自分はこんなに無力な存在だっただろうか?
「我が君。どうか、ご無事でいてください」
自然と漏れた言葉に、マチルダも同意するように頷いた。




