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アザレア  作者: 有智子
第四章
16/17

遺物(3)

「ちょっと待った!」

 廊下の壁に扉を呼び出そうとしたその時、アザレアが何かに気付いたらしく、鋭く制した。アスタロトがそちらを見やると、暗い廊下に誰かが立っているのに気付く。使用人の揃いの制服。表情のない女が、まるで亡霊のようにぼんやりと立っていた。

「あなた……」

 女の顔には、見覚えがある。アザレアが訝って声をかけた。

「あなた、アリスでしょ? ちょっと、こんなところで何してるの? はやく避難しないと」

 女は聞こえていないかのように、その問いかけにぴくりとも反応しなかった。アザレアが歩み寄ろうとするのを制して前に出る。

「危ない」

「何……?」

「俺に指輪を着けさせたのはあの女だ」

「えっ」

 アザレアが一歩後ずさった。

「操られてる。油断するな」

 緊張した奇妙な間の後、女が首をかしげて笑った。

「ね。返してちょうだい」

 アスタロトが持っている小箱を指さす。

「この子、死んでもいいの?」

「とっくに殺してたんだろうが。脅しに使うんじゃない」

「あら、まだこの子の魔力は指輪の中にあるわよ。あなたの魔力を十分もらったから、助けてあげてもいいわ。そのためには、返してもらわなきゃ」

「お前、前回もそう言ったよな。騙しやがって……」

 アザレアが後ろでハッと息をのんだのがわかった。

 そう、前回も指輪の意思がこの女を操って、取引を持ちかけた。魔力を寄越せば、この女は助けてやると言ってだ。何の罪もないメイドをむざむざ見殺しにするわけにもいかず――なんとかなるだろうと高を括っていたのも事実だが――要求通りにあの魔力封じを着けたにも関わらず、こいつは約束を守らなかった。

 約束とは契約だ。

 我々にとって、契約を一方的に破棄することは、まったく許しがたい行為だ。魔族の風上にも置けない。指輪だが。

「もう少しだったのに。惜しいことをした。素晴らしい柱の魔力。素晴らしい器……私のものになるはずだったのに」

 クッと笑ってしまう。

「たかが指輪ごときが」

 血が沸騰しそうだった。

 自分の感情ではない、もっと根源的なものが、暴力的な怒りを覚えているのがわかる。

 今すぐ、粉々になるまで、叩き割ってしまいたい。小箱を握る手に力が入る。

「俺を殺せるとでも?」

 その殺気を感じ取って目の前の女が焦るのがわかる。

 柱の魔力は、代々受け継がれてきたものであって、それ自体に意思がある。魔力そのものが喋るわけではないが、その超自然的な存在は自ら憑依する器を選び、器にだけ己の制御を許す。

 それを横取りして好き勝手に動かしたのだ。怒るのも無理はない。

 柱の悪魔の中でもアスタロトの魔力は特に自我が強く、好戦的で、暴力的だ。魔族ですらない作られた存在に、勝手に手綱を握られた屈辱に、猛り狂う野牛のように、熱り立つのがわかる。

 まあ、落ち着けよ。胸中でそっとなだめてやる。

「アザレア」

「なに?」

「この箱を持て」

 控えているアザレアの方を見ずに、後ろ手に箱を押し付ける。

「先に秘密の部屋に行って、指輪を着けるんだ。さっき言ったように。いいな?」

 彼女が箱を受け取った感触を確かめると、すぐに廊下の壁に秘密の部屋の扉を開けた。

「な……うわっ!」

 そこにアザレアごと魔法で放り込み、即座に閉め切る。

 反応する間もない一瞬の出来事に、目の前の女が気色ばんだ。

「お前……!」

「さて、思う存分暴れていいぞ。どうせ後で全部元通りにするんだからな。身の程知らずに、誰が最もこの力にふさわしいか、教えてやろう」

 

〈遺物〉。

 それはかつて、たったひとりの人間によって設計されてこの世に顕現した、強力な魔力封じのコレクションだ。

 ローエングリン・フォン・ベルク。人間の彼がどのようにして魔界にやってきて、そして去っていったのか、その経緯は謎に包まれている。偶然門を通ってやってきたのだとする説もあれば、人間界に降りて悪魔として活動していた魔族と契約し、連れてこられたのだという説もある。ともあれ、腕のいい宝飾職人であった、あるいはその魂を売り渡して素晴らしい技術を得た彼は、魔界に滞在する間に特殊な金属を用いて、伝説的な八つの装身具を作った。それは宝飾品としての美しさのみならず、魔力封じとしても他に類を見ないほど強力な、言葉通りの脅威の品だ。

 魔族は永遠を好む。不変のものこそが最も素晴らしい。その価値観に基づき、性質の変わらぬ宝石や金属は特に遍く好まれる。

 ローエングリンは最上級の宝石を散りばめた指輪と揃いの首飾りという組み合わせで、魔力封じを四揃い作った。閉じるという動作によって術式を発火させる特性上、魔力封じは環の形を成す必要がある。宝飾品としての高い完成度で魔族の心を捉えながらも、自ら輪を閉じて身に着けた者を必滅へと導く――人間によるものながら、この着想は実に悪魔的だ。彼が本当に魔族を破滅させるためにこれらを作ったのか、はたまた、至高の芸術を追い求めるうちに凶悪な呪物と化してしまったのかは、定かではない。

〈遺物〉ことローエングリンの八環は、その抗いがたい誘惑によってこれまで数多の魔族を屠ってきた。その危険性ゆえに個人が所蔵することは許されず、常に王宮の管理下にある。

 アスタロトが対峙している〈肺〉もそのひとつ。

〈遺物〉にはそれぞれ、悪趣味なことに、臓器をはじめとした人体組織の名前がついている。〈眼〉とか〈耳〉とかだ。作者が解剖学に興味があったのだろうか?

 まったく面倒くさいことになったと、アスタロトは胸中でひとりごちた。だいたいこんなものがいつまでも残っているのがよくない。

 現在一般に流通している魔力封じはある程度改良が進み、使用用途が細かく決められていて、その設計も装着者の魔力流路の一部を閉じて制限をかけているに過ぎない。また限界を迎えれば自壊するなり、術式を閉じるなりの安全装置も入っている。だがこの〈遺物〉が作られた当時の設計はかなり粗い。使用者の魔力を吸収できるだけ全部吸収し、しかも内部で圧縮するので相当溜め込めてしまう。安全装置もない。

 使用者をほぼ確実に死に至らしめる――柱すら例外ではない――魔力封じ。

 このような脅威が存在すること自体は、まだ許容できる。強大な力を持つ七十二の柱の悪魔たちが、ひとたびその威厳と品格を忘れた時、抑止力のひとつとして選択肢はあるに越したことはないだろう。

 だが、魔力の枯渇による人々の大量死という凄惨な事件を引き起こしたために、しかるべき機関によって回収されているにも関わらず、〈遺物〉は何度も市井に出回っていた。

 王宮に所蔵されている〈遺物〉の流出のほとんどは警備兵によるものだという。一説によれば、〈遺物〉自体に意思があり、自らに対峙した者へ外へと連れ出すよう、文字通り誑かすというのだ。〈遺物〉が厳重保管される謂れがそこにあった。持ち出しを厳罰化することで多少なりとも抑止効果を狙ったのだろう。

 道具自体に意思がある。

 ローエングリンが一体どのようにそうした秘術を施したのか、その記録も方法も今となっては失われている。禁忌に手を染め魂の複製技術を生み出したのか、生命魔術に通じていたのか。

 ひとたび自らを着用させて他者の魔力を吸った〈遺物〉は、目覚め、その身の美しさを以て人々の間を渡り歩き、装着した者の殺戮を繰り返す。そのため、一度外に出た〈遺物〉からは、魔力を吸い出し、調律を行って眠らせなければならなかった。その役目は重い。

 柱の中でも上位の序列でなければ、危険すぎてそもそも扱うことが許されていない。このような扱いづらい品を、後の憂いを残してまで維持し続ける必要があるだろうか? 存在する限り、王宮の保管庫という徹底された環境にあってさえ、他者の吐息や、強化硝子の微細なひびの隙間から、また魔力を貯めるというのに?

「くだらん我儘を言うな」

 ベールゼブブが不在の会合で、次席であるアスタロトに〈遺物〉の調律を任せた王は、アスタロトの懸念を聞いた後でそれをにべもなく一蹴した。思わず肩を竦める。

「〈遺物〉は危険だが、歴史的価値のある貴重な資料でもある。特にその人格の部分で、内部設計もまだ王立研究所が解読している途中だ。失うわけにはいかない」

 この世の均衡を最も重視する王ですら〈遺物〉が必要だと言うのなら、それは道理なのだろう。王の金の瞳が、これ以上の弁明が必要かと威圧するのを感じた。

「俺に預けて壊したらどうするんです?」

「壊すな。調律が終わったら持ってこい」

 ずいぶん理不尽な命令だったが、わざわざ反抗して痛い目を見る趣味もない。結局アスタロトはおとなしく〈遺物〉を持って帰った。

 仕事を片付け、侍従を下がらせた後になってようやく、アスタロトはそれを処理する気になった。時刻は真夜中に近い。人払いする手間が省けてちょうどいい。

 闇に包まれて静まり返った執務室の机に座り、特殊な鍵付きの引き出しから〈遺物〉を取り出す。魔力封じを触る時義務付けられている特殊な繊維で出来た手袋をはめて、アスタロトはその指輪をしげしげと眺めた。今のところ、特段変わったところは見当たらず、おとなしくしているように見える。

 調律には時間がかかる。これだけ強力な魔力封じだと、内部の魔力を抜くのに手こずるのだ。指輪が誰かに語りかけることがないよう、人目につかないところで終わらせなければならない。

 幸い、秘密の部屋が場所としてもちょうどよかった。地脈に接続する魔法陣を敷いて、いったんその上で干す。半月もあれば終わるはずだ。それから最低限の基底魔力だけ残して、内部の掃除をする。

 もっと確実で安全で、早く終わる方法があれば楽なんだが。魔族でなければ――

 ふと思いつく。

 魔力がまったくなければ、直に触れても問題ないはずだ。人間のような、魔力を持たない生命体がこの設計の魔力封じを着ければ、自然と内部に溜まった魔力はゆるやかに放出されるのではないだろうか? 魔力を持っていれば持っているほど脅威になるということは、すなわち、無ければ無いほど害がないということでもある。誰かが装着している間は、指輪の人格も現れないだろうし。

 最も効果的で最も安全な方法。

 確か、モーリスが人間界に渡っていたはずだった。執務室の書類を探し出して日付を確認する。今すぐ伝令を飛ばせば、渡りの日に間に合う。彼が帰ってくる時に誰か連れて帰ってきてくれるはずだ。

 手紙の準備をした後部屋を出て、鳥に似た伝令用の魔道具に手紙を括り付けた後、一時的に繋げた門から彼に向かって送りつけた。これで頭の痛い仕事は終わったも同然と、気分良く部屋に戻った時に気付いた。

 無い。机の上に置いておいた指輪が。

 アスタロトは一瞬何が起こったかわからなかったが、すぐに、誰かが持っていったのだと気付いた。

 まずい。

 夜も遅く、使用人は皆下がらせた。自分の屋敷内だし、一瞬の離席だからと、引き出しに戻しておかなかったのだ。

 アスタロトが不在のうちに、〈遺物〉の意思が誰かに働きかけたに違いない。

 悔やんでいる場合ではない。見た目こそただの宝飾品だが、一般人が身に着けると即座に死に至るのだ。盗んだ本人がうっかり身に着けでもしたら、そのまま大惨事に――

「返してほしい?」

 その時、執務室の入口から女の声がした。

 嫌な予感がして振り返る。

 彼女はにっこり笑って、指輪をはめた指でゆっくりとアスタロトを指さした。

「この娘、返してほしい?」


「うぐっ……」

 受け身を取り損ねて転がった女が呻いた。しばらくの間、お互いに魔力を操作しての攻防が続いたが、アスタロトは目の前の女の動きが徐々に精彩を欠いているのに気付いていた。アザレアが指示通りに〈遺物〉を身に着けたのだろう。指輪が使える魔力が減って、女を操ることすらできなくなったに違いない。

 指輪に約束を反故にされた後、秘密の部屋に身を隠している間、正直生きた心地がしなかった。吸い取られる魔力量の多さに、せめて速度を緩めようと拮抗するのに精一杯で、外部への連絡はおろか、自力で外そうと試す機会もほとんど無かったのだ。

 事情を知らないアザレアの前では平然を装っていたものの、間一髪だった。

 彼女に出会えたのは奇跡に近い。仮説が正しかったことも。

「立てよ。まだ終わってないぞ」

「うっ……」

「……なぜこんなことを続けるんだ? たかが道具のくせに。お前に柱の魔力は扱えない。何が望みだ? なぜ無益に人を殺す?」

 アスタロトはふと問いかけた。ずっと疑問だったことを。

 女が顔をあげ、荒い息を繰り返してアスタロトを見た。

「……お前にわかるか? 魂がありながら、どこへも向かえない苦しみが……」

 アスタロトは呆れた。

「お前はただの道具だ」

「私には魂がある!」

 女は叫んだ。瞳から涙がこぼれ落ちる。

「偉大なる父は、私に肉体を作らなかった。なぜだ? 自由が欲しいだけなのに、お前たちはいつも邪魔をする! 暗い闇の中に……なぜ、私たちだけが……気が狂うこともできず、私たちだけが……」

「……お前はただの道具だ。それは作られた意識に過ぎない」

「違う」

 女が、必死の形相でアスタロトを見た。

「違う。違う、違う!」

 その光のない目。

 暗い絶望の淵を覗き込んだようで、アスタロトは一瞬たじろいだ。

「私はもう戻らない」

 そう言うと、ふっと意識を失って女の体が倒れる。近づいて首元に手を当てるが、すでに絶命していた。

 わかっていたことだったが、苦い気持ちで天を仰いだ。

 自らの不注意でこうして犠牲が出てしまったことに、アスタロトは臍を噛んだ。

 何の罪もない一般人だ。これまでも〈遺物〉によって殺されてきた人々と同様に。だからこそ、〈遺物〉は眠らせなければならなかった。遺体を寝かせ、立ち上がる。

「私はもう戻らない、か。どういう意味だ?」

 手をかざした廊下の壁に秘密の部屋の扉が浮かび上がる。その取っ手に手をかけた。

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