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アザレア  作者: 有智子
第三章
12/13

秘密の部屋(3)

「人間が魔族になれるの?」

 驚いた。

 モーリスが、あれだけきっぱり人間と魔族は違うと断言していたのに、そんなことがあるのだろうか。

「普通はありえない。俺が特殊なだけだ」

「どうやって?」

「こんな話聞いたことないか? 貧乏だが心根は優しい男が、道端で物乞いしてた爺さんをたまたま助けたら、そいつが実は余命わずかの大金持ち。親類縁者は彼が死ぬのを今か今かと待っている金の亡者どもで、嫌気がさした爺さんは純粋な親切で手を差し伸べた男を莫大な遺産の相続人にするよう遺言状を書き換える。そして間もなく爺さんの寿命が尽き、そいつは一夜で大富豪」

 彼は肩を竦めてみせた。それが避けがたい運命だったとでも言うように。

「俺の場合はそんな感じだ。奇跡が起こってな」

「すごく運がよかったってこと? まるで夢みたいな話ね」

「そう。まあ、程度の差こそあれ、誰にでもそういう人生の岐路を選ぶ瞬間がある。違うか?」

 自分にもあるだろうか? アザレアはなんとなく半生を思い返してみる。と同時に、モーリスに騙されたとわかって、この世にうまい話なんてあるわけないと苦く後悔したことを思い出した。奇妙なものだ。一生に起こるいいことと悪いことの総量は結局同じだと、誰に聞いたんだったろう。

「あなたはあんまり……貧乏だが心根は優しい、って感じじゃないけど」

「そりゃ嫉妬か? こんなにいい男に」

 冗談混じりの軽妙な返しに、思わずアザレアは笑った。

「じゃあさぞ苦労したんでしょうね。人間から魔族になって」

「まあな」

「しかもあなた、魔法が使えるんでしょ? 魔法は勉強しないと使えないって聞いて。私なんて文字を覚えるのにも苦労してるのに、魔法の勉強までしたなんて偉いわ」

「いや、こっちの文字の方がよっぽどとっつきづらいと思うぞ。昔砂糖と塩の瓶を読み間違えてえらい目に遭った」

「わかるわかる。似てる」

「よかれと思って大量に砂糖をいれてやったコーヒーが、海水みたいに」

「それは事故でしょ」

 あは、と自然に声をあげて笑った後で、ハッとした。母が亡くなってから、こんな風に声を出して笑ったのは、はじめてじゃないだろうか。

 自分でも言葉にするのを避けていた、魔界に来てからのやるせなさや不条理への怒りを、彼に話したことで、ずいぶん心が軽くなっているのを感じた。事情を知らない人の方が愚痴が言いやすいとはいうが、不思議だ。こんな薄暗い部屋の中で、夜更けに、知らない男と話をして笑っている。

「ねえ、人間から魔族になった場合って、魔族の人はどう受け取るの? 昨日まで人間だったけど今日から魔族だから友達! みたいにさ、受け入れられるのかな?」

「どうだかな? 人間を理由に差別してくるような奴は、魔族になっても『元人間のくせに』って言うぞ」

 彼がかぶりを振る。その声音に、実体験なのだろうと思われた。

「ああ、そっか。結局気に食わないのね」

 結局、人間を認められない彼らに、認める気なんてないということだ。

 アザレアにはわかっていた気もした。今に始まったことじゃない。アザレアが片親だったことも、母が再婚すれば、連れ子のくせにと言われていたに違いない。

「強い奴が勝つ」

「え?」

 彼がにやりと笑って椅子の背に凭れかかった。

「所詮この世は弱肉強食。魔界はな、特にその傾向が顕著だ。お前が嫌がらせの犯人にビンタしてやったみたいに、一発殴ってわからせてやれ。上に立つんだ。人間だからって関係ないぞ」

 何の参考にもならなそうだが、極端な意見に呆れて笑ってしまう。

「何それ。こんな非力な女に言う?」

「時にはな」

 話が一段落したところで、時計がポーンと鳴る音がした。

 そういえば、真夜中だった。メイはいつも眠りが深くて、アザレアがベッドを抜け出したことには気付いていないと思うが、万が一起きていて心配をかけるといけない。戻らないと、と思ってから、アザレアは思い出した。

「ねえ、そろそろ戻らないと。何か頼みたいことがあるって言ってなかった?」

「そうだ」

 彼は椅子に腰掛けなおして、左手をアザレアに向かって差し出した。

「この指輪を外してほしい」

 それは思いもよらない頼み事で、アザレアは一拍置いた後、ちょっと笑いだしそうになったのをぐっとこらえた。それは今までの話に比べたら、あまりにも些細な頼みのように思えたからだ。

 確かに彼の左手の中指に、指輪がはまっている。男性の大きな手につけていてもわかるほど、指輪自体がゴツゴツしていて大きい。中央に大きな宝石ひとつ、その周りにも、小粒の貴石が埋め込んである。指輪は薄暗いくらいのこの部屋の中でも燦然ときらめいていた。相当高価なもののようだ。

「指輪を外す、って……それ自分で外せないの? 鬱血したとか? 石鹸で泡立てるととれやすくなるっていうけど……」

「そうじゃないんだ。見てもらえばわかるが……お前、血とか平気な方か?」

「えっ」

 突然何を言い出すのかと思いぎくりとする。

「まあ、心構えができてれば、多少は……何? 血を見るの?」

「泡吹いて倒れられても困るからな。じゃあ、心構えしてくれ。いくぞ」

 彼が指輪に手をかけようとしたその瞬間。

 キン、と硬質な音がして、鮮血が飛び散った。

「いやっ」

 決定的な瞬間に思わずアザレアは目を背けてしまった。薄目で見遣ると、指輪から無数の棘が突き出て、左手ごと右手を串刺しに貫通していた。

「なっ……ちょっと……大怪我じゃないの!」

 彼は面白くなさそうに血まみれの右手を引き抜いた。アザレアが慌てて夜間着の裾で出血を抑えようとするのを、平然と制す。

「すまん。この程度の怪我は問題ない。すぐ治るからな」

「ど、どういうこと」

 彼が手のひらを見せる。うっと思いながらおそるおそる見るが、どこも怪我していなかった。貫通した穴のひとつもない。

「えっ」

「俺は魔力量が多いから体の治りも早いんだ。外傷は差し支えないが……今見ただろう? 俺が外そうとすると攻撃してくる。もちろん無視できなくはないが、これだけ穴を開けられると指が使い物にならない。一回、左の指ごと切り落とそうかと思ったんだが……」

「うわ、痛い痛い!」

 想像しただけで自分の手が痛むような話を平然としている。やっぱり普通じゃない。

「ああ。取れた部分をくっつけるならともかく、完全に再生させるとなるとさすがに時間がかかる。なるべく左手は損傷したくないんでな。その方向性はいったん諦めた」

「なんなのその、おっそろしい指輪は」

 アザレアは身震いした。彼の緑の瞳が指輪を眺める。

 その表情は、先ほどまでとは別人のように冷めていた。

「魔力封じの一種だ」

「魔力封じ?」

「一般的には主に魔獣の調教に使うんだが、身に着けたものの魔力をある程度封じる装身具だ」

「なんでわざわざ封じる必要が……?」

「魔獣の調教ではわかりやすく弱らせるためだが、魔族に使う場合、魔力は少なすぎても危ないが、多すぎてもそれはそれで命にかかわるんだ。そういう奴が使う」

 彼はため息をついて左手をひらひらと振ってみせた。

「実は今、これに魔力を吸われていて、力が出ない」

「そんなヒルみたいな」

「そのうえいわくつきと来てる。これは〈遺物〉と呼ばれるコレクションの一つでな。これだけ宝石がくっついてると、そのぶん効果も強力になるんだが、どうやらこの指輪自体に意思みたいなものが備わっている。自分に近づく生命体に魔力を感知したら攻撃するんだ。だから魔族には触れない」

 アザレアは八方塞がりの状況を聞くだけで呆れた。

「なんでそんなものはめちゃったのよ」

「ちょっとした事故だ。俺のせいじゃない」

 飄々としているが、そういわれるとたしかに心なしか顔色が悪いような気がしてきた。先ほど血を失ったせいもあるのかもしれない。

「で、さっきお前が『繭』に干渉せず通過したことでピンときた。お前ならこれを外せるんじゃないか?」

「え? あ、なるほど? 影響しないから……」

 アザレアはよく思いついたものだと感心した。

 そして、ふと思い当たった。

「確かにそうだけど。ちょっと待って。もしかして……」

 一本の線が、繋がる。もしかして。

 目の前の男が意味深な視線を投げかける。

「もしかして、鏡で見た、人間を連れてこいって話って……あなたを助けるためなんじゃない?」

 彼は片眉をあげて、両腕を組んだ。

「そうかもな」

「旦那様も今、魔界のどこかに、モーリスさんと入れ違いで人間を探しに行ってるんじゃないの? 人間ってほとんどいないんでしょう? 見つからなくて、なかなか帰ってこられないんじゃ?」

「我が君には苦労をかけてなあ……」

「なんてこと」

 アザレアは興奮していた。心臓がどくどくと脈打つのが聞こえるようだった。

 そうじゃないなら、説明がつかないんじゃないだろうか? 人間を探す理由。

 魔族に触れない指輪を、唯一外せるもの。

「じゃあ、じゃああなたがはやいとこ元気にならないと、旦那様も戻ってこないし、この屋敷も変なままだし、私も迫害されっぱなしってこと?」

「風が吹けば桶屋がナントカみたいな話だが」

「やるわ。貸して」

 アザレアは椅子をぐっと近づける。

「いいのか?」

「当たり前じゃない。というか、困ってる人を見捨てられないでしょ」

 彼は肩を竦めたが、その表情は先ほどよりやわらかくなっているように思えた。

 やっと理解できた。

 やっぱり、生贄なんかじゃなかったのだ。すさまじい安堵感がどっと押し寄せてくる。きっと、自分は、目の前の男を助けるために呼ばれてきたのだ。アザレアはそう考えると、いまやなんでもできるような気がした。

 彼が小さなティーテーブルを部屋のどこかから運んできて、ふたりの間に置き、テーブルの上に左手を乗せた。アザレアはその横に燭台を置く。

「まずは本当に触れるかどうか試してみてくれ。大丈夫だと思うが、さっきみたいに反応しそうならまずい。ある程度距離をとって試してほしい」

 アザレアはポケットの中の鏡のことを思い出す。

「モーリスさんが、護身用の魔道具をくれたんだけど、これなら反応して守ってくれるかな?」

 ポケットから鏡を取り出して彼に見せる。しばらく目を凝らしていたが、彼は頷いた。

「ああ、大丈夫だろう。じゃあ頼む」

 アザレアは机の向かいに椅子を移動させて座ると、おそるおそる彼の左手の指輪に手を伸ばす。人差し指の先でちょんと表面をつついた。

 何も起こらない。

 ふたりして安堵のため息を吐いた。

「第一段階は突破だ」

「ええ。次よね。じゃあ、行きましょうか」

 彼の左手を自分の左手で持ち上げ、右手で指輪に触れる。本当に何も反応しなかった。

 先ほど見せた指輪の鋭い反応のことを考えると身震いした。やはり、魔力というのは感じられなくても、存在しているのだ。

 指輪をしっかりつまんで、そのまま軽く引っ張ろうとしたが、何か引っかかりがあるのかうまく進まない。

「……? 何かしら、なんか引っかかってる。関節かな? 鬱血してるんじゃ――」

 言いかけたとたん、アザレアは自分の右の指先が濡れているのに気付いた。蝋燭のあかりでそれが赤いことがわかる。

「え?」

 血だった。

「うわっ……」

 実際に指先につたわる生ぬるい感触にぞっとする。

 さっきと違って指輪はおとなしくしているはずなのに、どこから怪我したのだろう。

「ちょっと待って、なんで? どこから……」

「内側だな」

 彼が淡々と言ったが、意味がわからなかった。アザレアはよく見えるように、光源の傍に彼の手を持ってきてよくよく見分した。

「何これ」

 指輪の内側から鋭利な棘が出て、彼の指に、まるで杭を打つように刺さっていた。自分の怪我ではない。彼の血だった。

 まるで生き物だ。本当にヒルのように、彼の体に吸い付いているのだった。先ほどアザレアが引っ張ったせいで彼の指が裂けていた。考えるだけで自分の手も痛い。

「ちょっと、大丈夫? ごめんなさい! 痛かったでしょ。言ってよ!」

「指輪を外す方が大事だからな。それに痛みは遮断できる。見た目ほど痛くないぞ」

 彼が平然として言うので呆れてしまった。

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