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アザレア  作者: 有智子
第三章
11/14

秘密の部屋(2)

 その後、息が詰まるような一日を終えて、アザレアはよろよろと自室に辿りついた。

 人目を避けるように食堂を出た後は、すっかり怯えたメイが仕事の間中ぴったりと傍についていてくれたし、使用人棟で働いている人々の様子は昨日と変わらなかった。だが、食堂に入っていった時の、皆の突き刺さるような視線を思い出すと体が震えた。異端者を炙り出そうと、虎視眈々と機会を伺っている目。まさに針の筵だ。

 やはり昨日本館で、何かがあったのだ。

 アリスが、皆の前でアザレアを糾弾したのだろうか? それともあの虚ろな表情で、皆に人間は生贄なのだと、説いて回ったのだろうか?

 結局夕食もメイが取りに行ってくれた。メイが不在の間は絶対にそうしてくれと言うので、ドアの前に机や椅子などの家具を動かして、外から開けられないように壁を作った。移動させるのも骨が折れたが、使用人棟の部屋には鍵がついていないので仕方がない。


 メイの方が、アザレアよりよっぽど動揺していた。

「ねえ、ここまでしなくてもいいんじゃない? 動かすのも大変だし……」

「これが私の被害妄想なら、それはそれでいいのよ。でもね……変なの。なんか、ぞわぞわ、悪寒がするの。皆の悪意が本当に目に見えるみたいに」

 メイはアザレアの両肩を掴んで、いつになく真剣な表情で言った。

「朝の食堂も……今にも殴り掛かられるんじゃないかってくらい怖かったんだから。アザレア、お願いだから身の回りには気を付けて、ね、用心するに越したことないでしょ?」


 真っ青な顔のメイをなんとか落ち着かせて、ようやく眠りについた、そのはずだったのだが。

 真夜中に唐突に目が覚めた。まるで誰かに起こされたかのように。

 アザレアは混乱した。一瞬、寝過ごしたのかと思って焦る。昨日は立て続けに悪夢を見ていて眠りが浅かったので、反動で短い間に深く眠ったのかもしれない。あるいは、周囲の急な変化に対する緊張だろうか。


 サイドテーブルからこっそり引き寄せた時計を月明りで見ると、真夜中を二時間ほど過ぎていた。

 空気はしんと静まって、何の気配もない。


 こんなことは滅多にないのにと、二度寝するために寝返りを打ってもなかなか寝付けず、どうしたものかと逡巡するうち、喉が渇いているのに気付いた。仕方がない。

 厨房に水でも貰いに行こうと、起き上がった。家具を大股で避けながら部屋の扉の取っ手に手をかける。メイがひとりで出かけないよう警告していたことを思い出して一瞬手が止まったが、思い直した。

 真夜中も真夜中だ。こんな時間に誰かが自分を害するために待っているなんて、さすがにあるはずがない。

 メイが起きないうちに、そっと行って帰ってこようと決意して、蝋燭にマッチで火を灯した。燭台を持ち上げて廊下に出る。板張りの床に硬い靴底は案外大きな音がする。アザレアは足元に細心の注意を払いながらそろりそろりと移動して、階段から下へ降り始めた。


「ん……?」

 だが、すぐに違和感を覚えた。

 この階段、こんなに段数があっただろうか?

 いつも無意識に駆け下りているとはいえ、こんなに長かった覚えはない。もっとも、具体的な階段の段数を覚えているわけもなく、あくまでも感覚的なものに過ぎなかった。

 蝋燭を掲げてみても、見慣れた手すりに、見慣れた階段だ。

 もっと全体をよく見ようとして、そもそも、廊下が暗すぎるのに気付く。階段の突き当りに窓があったはずなのに、そのわずかな月明かりもない。暗い。闇に飲まれて、蝋燭だけがアザレアの周りを照らしていた。

 ちょっと水を飲みに行くだけのつもりが、アザレアはだんだん不安になってきた。今からでも部屋に戻ろうかという考えが一瞬よぎったが、一度覚えた喉の渇きを解消してから眠りにつきたかった。行くしかない。夜間着のポケットに入れた手鏡の感触を確かめながら、慎重に踊り場に降り、次の階段に向かってくるりと折り返そうとして気付く。

「えっ」

 壁だった。

 次の階へ降りる階段があるはずの目の前が、壁に変わっている。

 アザレアは思わずぶつかりそうになって慌てて後ずさった。燭台を掲げてよく見る。どう見ても壁だ。しかも使用人棟の廊下の無機質な白い壁じゃなくて、壁紙が貼ってある。

「え? なに? どういうこと?」

 壁に手を触れて、慌てて左右に燭台をかざした。アザレアの目の前が壁で、左に今降りてきた階段がある。今立っているのは狭い踊り場のはずだったが、どうやらアザレアの背後に広い空間があるようだ。おそるおそる振り返って燭台を高く掲げる。

 部屋?

 一歩踏み出して、足元が絨毯敷きになっているのに気付く。


()()()


 闇の中から突然、男の声がして、アザレアは飛び上がるほど驚いた。

「誰っ!」

 誰何と共に、手に持っていた燭台を声がした方に向ける。あかりが届かず、相手の姿は判別できない。声の主もまた驚いた気配だった。

「ああ、悪い。使用人か? 驚いた。部外者が入ってくるとは」

 蝋燭のあかりに向かって、誰かがゆっくりと歩み寄ってくる。アザレアは燭台を顔の高さに掲げた。

 正面の暗闇に人影が浮かび上がってくる。かなり長身だ。アザレアの掲げた高さでは、胸元くらいまでしか照らせない。白いシャツが見える。胸元で揺れている黒い影が、近づくにつれてゆるく巻いた髪の毛だと気付いた。

「貸してくれるか? 俺は見えてるが、お前が見えないみたいだから」

 そう言って手を伸ばす気配がした。燭台の重みが手から離れると同時に、あかりが相手の顔を照らしだした。

 相手は声の感じの通りの、若い男だった。強い光源を間近にして濃い影が落ちる精悍な顔立ちの、その瞳に目がいった。はめ込まれた宝石のような、緑色の瞳。

 ふと、子供の頃、玩具店の店頭で見かけた人形を思い出した。金髪に青い瞳の女の子は、つるりとした頬に愛らしい顔立ちで、時が止まったように微笑んでいた。ああいう感じの、作られた精巧な美しさを連想する。

 ぽかんとするアザレアを見下ろし、眉根を寄せて彼は言った。

「お前、新入りか? なぜここに?」

「なぜ、って……水を飲みに厨房に行こうとしてたら、いつのまにかここで。あなたこそ誰? ここ、女子棟でしょ? なんで男性がいるの?」

 相手の悪びれもしないぞんざいな口調に合わせて、ついアザレアもざっくばらんに喋ってしまう。使用人棟は男性と女性で棟が左右対称に分かれている。

 この棟に男性が迷い込むはずがない。誰かに会いに忍び込んできたのだろうか?

 アザレアはポケットに手を入れて、鏡の感触を確かめてぎゅっと握った。見覚えのない男。もっと警戒すべきなのに、そんなこと気にした様子もない彼ののんびりした雰囲気のせいで妙に気が抜けてしまう。

 ポケットの中の鏡は反応しない。危害を加えるつもりはないようだ。

「ああ、そうか。今は女子棟に繋がってるんだな。気付かなかった」

 彼はちょっと借りるぞと断って燭台を持ったまま歩いていき、離れたところにあるのだろういくつかの燭台に火を移した。こんなに暗いのに、よくつまずきもせずに歩けるものだ。部屋が薄明りの中に浮かび上がる。だんだん目が慣れてきて、ここが本館の客間に似ていることに気付いた。机に椅子、調度品の数々、床に散乱した紙。

 きょろきょろしているうちに燭台を返されて、アザレアはそれを受け取った。彼の容貌もそれでだいぶはっきりとしてきた。ツヤのある長い黒髪が背中まであり、馬の鬣のようだった。

「どういうこと?」

「ここは『秘密の部屋』で」

「秘密の部屋?」

「この空間は屋敷内を無作為に移動していてな。たまたま女子棟に繋がっている時にお前が入ってきたらしい」

「そんなものがあるの?」

「公爵の館なんだから、秘密の空間があってもおかしくないだろう? 実際入ってきたのはお前がはじめてだが……」

 まあ、辿りついたのも何かの縁だろう、と言って、彼は机の上の水差しから杯に水を注いでくれた。

「厨房に行くのを邪魔したみたいだからやる。飲んだら帰れよ」

「ありがとう」

 手渡された銀の杯は冷たかった。突然人と会った緊張で喉がからからに渇いていて、なみなみと入った水はそれだけで美味しそうだ。杯をあおり、喉を通るひんやりした冷たさに、だんだん気持ちが落ち着いてくる。

「ここで何してるの?」

「仕事だ」

 机の上にたくさん本が積まれているのを見て、アザレアはちょっと考えて言った。

「もしかして、あなたもモーリスさんみたいな、旦那様の部下の方? 旦那様に許された人しか、ここで魔法は使えないって聞いたけど」

 彼は眉をちょっとつりあげた。そんなこと、一介の使用人がよく知ってるなと言いたげに。

「まあ、そんなところだな。今は人目につくわけにいかないんだ」

「あなた、旦那様がいつ帰ってくるか知らない? 今屋敷は大変なの。旦那様の魔法が効かなくなってるのが、なぜか私のせいになってるし。人間だからって……」

「人間?」

 その言葉に反応されて、びくっとする。そうだった。態度がぞんざいなので忘れていたが、今は皆が、アザレアに敵意を抱いているのだ。目の前の青年も例外ではないかもしれない。

「お前、人間なのか?」

「そ……うだけど……でも、私は何もしてなくて、本当に……」

「それでだ」

 なんと言われるのかと身構えて、自然と返答が尻すぼみになる。が、彼の声音は意外にも、明るかった。何か腑に落ちたらしい。

「魔力がないから『繭』が反応しない。なるほど。魔族以外がこの部屋を見つける可能性を考慮してないんだな。前提の要件が未熟だったか。構築式の抜け穴だ」

「繭?」

「この部屋にかけてある目くらましだ。魔法がかかっているから本来は誰にも認識できない。……ということは、モーリスがこの屋敷に連れてきた?」

「え? ええ」

「ちょっと頼みたいことがあるんだが、今いいか?」

 急な展開に困惑しているうちに、彼がそのへんにあった椅子を二脚持ってきた。座れということらしい。アザレアは話が長くなりそうだと感じて、遠慮なく腰掛けた。

「いいけど……ねえ、代わりにしばらくここにいてもいい?」

「ここに? なぜ」

「皆の様子が変なの。なんか、殺気立ってるというか。使用人棟の部屋は鍵がかからなくて、ルームメイトが怯えてるのよ。ここは……さっきの話の通りなら、魔族の皆には見えないんでしょ?」

「構わんが……さっきも言った通り、この部屋は無作為に移動している。次に出る時どこに繋がるかがわからん。出口がわかってるうちに出る方が賢明だと思うが」

 なるほど。そうだった。メイを連れてここで眠れればと思ったのだが。

「どうしても鍵付きの個室がいいなら、マチルダに言えばいいんじゃないか? 本館の方の使用人部屋にはそういうのがあったと思うが……」

「でも、まだ何も起こってないのに、私だけ特別扱いされたら、それこそ暴動でしょ。人間贔屓って」

「確かにそうか。大事にしたくないと」

 アザレアは今までのことをかいつまんで彼に話した。妙に泰然自若としていて、話を聞いても平然として顔色ひとつ変えないのが、初対面なのに、どこか頼もしく思えたからだ。この人はモーリスと同類の、魔法が使える魔族だという確信を強める。彼は一連の話を深刻にとらえるどころか、アザレアが嫌がらせの主犯をビンタしたくだりで軽く笑いまでした。何も面白くないが?

「それで、その子が言ってたの。旦那様は今、生贄を探しに出かけてて、捧げものの人間の心臓が必要だって。ぶつぶつ言って目がすわってんのよ」

「なんだそれ。物騒すぎないか?」

「私もありえないと思うけど、でもなんか、それで一気にそういう雰囲気になっちゃったのよ。ここに十年つとめてるそのルームメイトも人間なんか私以外見たことないって言ってたし、マチルダさんもそんなことないって言ってたけど」

「生贄ねえ……」

 彼が頬杖をついて面白くなさそうに言った。

「魔法が使える奴なら誰でもわかるが、そんなもん、貰っても困るぞ? 死体だろ? 使い道とかいっこも無いからな。豚の心臓じゃあるまいし」

「いや、だから、私もありえないと思ってるんだってば。でも実際に旦那様の魔法がちゃんと機能しなくなってるわけでしょ。で、それがいつのまにか私のせいになってるの。しかも、私だけ変な鏡は見るし。だいたいあの鏡、何なのよ。おかしいでしょ」

 話の流れで、豚の心臓なら使い道があるんだ……とアザレアは思ったが、黙っておいた。

「確かに。鏡か。……いや、わざと見せてるのかもな。俺が思うにその会話は実際にあったんじゃないか?」

「なんでわざわざ見せるのよ。怖いじゃないの」

「怖がらせるのが目的なんじゃないのか? ……そうか。お前が屋敷から出ていってほしいんだ。人間だから」

「何それ?」

「屋敷内に人間がいると、都合が悪い奴がいるんだろう」

 はあ、とアザレアは長いため息をついた。結局、手の込んだ嫌がらせの延長なのだろうか?

「なんで、人間ってだけで、こんな目に遭わなきゃいけないの? これも全部モーリスさんのせいよ。騙されて連れてこられて、私が馬鹿だった。こんなとこまで来て。何が魔族よ」

「まあそう言うな」

「ふん。あなたにわかるわけ?」

「わからんでもない。俺も人間だったからな」

「えっ」

 アザレアは伏せていた顔をあげて、彼をまじまじと見つめた。

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