第24話 往時迦微物語②
それから十数分ほど歩いただろうか。
雨というのはまだ降っておらず、けれど空はどんどん薄暗くなっている。
このままではいつかこの曇り空も決壊してしまいそうだ。
両手で持つと両腕が疲れるので、片方で持って疲れたらもう片方に移す。
あの後からは会話と呼べるものはなく、彼もマラも自分も終始無言だった。
そうしているとふと気になったことがある。彼の名前だ。
同じクラスメイトであり、今こうして無理矢理手伝いをさせられているが彼の名前は何なのだろう。
もう少しクラスメイトの名前を覚えておくべきだったなと思う。
ここまで来て直接聞くのは憚れる。いや、自分が嫌なのかもしれない。
だって格好悪いじゃないか。名前の知らない人の下僕になるなんて。
「ついたぞ」
その声に考え事で沈んでいた頭を上げると、目の前には自分の背丈の2倍はあるであろう門が僕たちを見下ろしていた。
大きさは、普通の一軒家が二つ分ぐらいだろうか。
「え、ここで本当にあってるんですか」
「間違いねえよ。ここが俺のセンセイの家だ」
「センセイ?誰ですそれ」
「この絵の具を買ってこいって言った人だよ」
そう言って門を開けて中に入ると、軒下には何匹か猫がくつろいでいる。
自分たちで毛づくろいをしている猫を見ているとインターホンが押されてピンポーンという音が鳴り響いた。
...今更ではあるがこの荷物、マラに運ばせればもっと楽ができたのではないだろうか。ただ、はたから見れば荷物が勝手に宙に浮くという現象が起こるが。
「はーい」
中から穏やかな声が聞こえてきて、その足跡はどんどん玄関へと近づいくる。
そうして、ガチャという音を立てながら玄関が開いた。
「あ、見晴くん。と、君は?」
エプロンを着てメガネを掛けた人が名前を聞いてくる。
これが彼、見晴さんが言っていたセンセイなんだろうか。
「僕は紙雅です」
「なるほど、紙雅くんというんだね。僕は隼汰」
穏やかな表情で玄関の扉を大きく開ける。
「重かったでしょ。中に入ってゆっくりしていきなよ」
そう言われて見晴さんは靴を脱いで遠慮なくズカズカと中に入っていく。
その後姿を見ながら僕は隼汰さんに気づかれないようマラへと視線を送った。
マラが頷いて自分も中へと入る。
「飲み物でも飲む?」
「いらないです。あんまり喉乾いてないので」
「なら見晴くんにオレンジジュースを持っていくって伝えておいてくれるかい」
「わかりました。ところで、彼はどこに?」
「多分いつもの場所じゃないかな。って言っても伝わらないよね。このまま進んで右に曲がれば大きな部屋があると思うから、たぶんそこかな」
「わかりました」
なにかされないかと警戒をしつつ見晴さんの元へと向かう。
廊下には多様な絵が飾ってあり、水墨画や油絵、クレヨン絵なども飾ってある。
出来栄えは素人目から見てもすごいという言葉が出るほどで、なにかの大会に出せば賞でも取れるんじゃないだりうか。
マラは絵を見て首を傾げたり近づいたり遠のいたりして鑑賞している。
自分の体を上下逆さにしながらプカプカと後ろをついてきた。
「この家、何か不思議な感じがする」
「不思議ってなんです。もしかして妖怪でもいるんですか」
「知らん。知ったところで私には関係ないし、この家のものがどうなっても私に否はないからな」
「それって何かあった時に自分が責められるのが嫌だからですよね」
「そうだ。よく理解してるじゃないか人は身勝手だということを」
「この世に生きている限り人は、というか生物は身勝手ですからね」
「確かにそうかもしれないな」
鼻で笑いながら見晴さんの下へと行くと、だだっ広い部屋の中央に彼はいた。
同じく中央に置かれたキャンパスの方を向いて佇んでいる。
「何をしているんですか?」
少し離れた入口から声をかけると、振り返ることなく返事が帰ってきた。
「絵を見てる」
遠目から見てキャンバスには白と青しか塗られていない。
これのどこに見入るような要素があるのだろうか。
「そんな事ははたから見てもわかります」
「ならなんだってんだよ」
「理由です。その絵に見入る理由」
「理由だぁ?絵を、自分の好きなことに対して理由が必要か」
「知りませんよ。ただ何故こんなにも人を引きつけるのには何かしら理由があるのかなと」
途中からマラの言葉を代弁をしながら見晴さんに近づいていく。
遠目からではよく見えなかった絵が近づくとより鮮明に見えてくる。
通常より少し大きいキャンバスにベースとして塗られてある黒に似た青、細く太く入ってある白、滑らかな曲線で描かれた輪郭がある。
「クジラ...か?」
「...多分そうですね」
キャンバスにいたのはクジラに似たなにかだった。所々に眼球がつけられていて体に模様が描かれてある。
正直、これをクジラと呼んでいいのかと聞かれると言い淀むしかない。
だからマラもこうして聞いてきたのだろう。
「題名、モンストル」
キャンパスの隣に置いてある白い額縁、その白い額縁に黒字でモンストルと書かれている。
流れるように書かれていて、達筆であるのかただ下手なだけなのかは素人目にはよくわからない。
そうして今の言葉を誰が発したのか、呟いたのか、はたまた怒鳴ったのかはわからなかった。
ただ絵を見て脳裏に浮かんだと言えば一番しっくり来るかもしれない。
気づけばぶらぶらただ意味もなく宙に置きっぱなしにしていた手が結ばれた紐のように握られていた。
「お、その絵に興味があるのかい」
後ろから家主、隼汰さんの声が壁や床が反射をして響く。
何かからの執着から解放をされるかように後ろを向くと、透明なコップにオレンジジュースを入れて、トレーを持っていた。
「この絵は何を題材に描いたんです?」
「題材?それなら僕自身かな」
「もしかして隼汰さんって、自分が他とは違うと思ってる変な人だったりしますか」
「そう言われると返す言葉がないね」
「いやいや、センセイは変人なんかじゃねーよ」
「なら見晴さんにとってこの人は何なんですか」
「言ってるだろ、センセイだよ。人生の中での」
「またまた見晴くん。大げさな、僕はそんな大層な人間ではないよ」
隼汰さんは照れてか空いている片手で頭をポリポリとかく。
ただそんな普通の人のような行動はとるものの、あまり本心からの動きではなさそうだなと不躾にも思った。
マラは何か気になるのか隼汰さんを注視した後周りをキョロキョロと見回す。
「なぁ、なんだか湿っぽくないか?」
マラに言われて意識をすると少し蒸し暑い。
きっと空のダムが決壊したのだろう。そうは思うものの、屋根に、地面にぶつかる音は聞こえない。
この部屋自体が少し湿度が高いのだろうか。
そんなはずはない。先程、隼汰さんが来て絵の説明をするまではそんな事はなかったはずだ。
「何か原因があると?」
「そんなところだ」
小声で聞こえないように会話をする。
今見たら急にブツブツと喋りだす面白い人間が見れるだろう。
「そう言えば、あの大量の絵の具は何に使う予定なんですか?」
「持ってきてくれたあれかい。あれはこの作品に使う予定なんだ」
「え、でもすでに完成をされているように見えますけど」
「いずれはこの部屋全体を染めて、それで完成かな」
「え、この部屋全体って...それであんなに必要に」
「うん、そしてこれで僕もそろそろ筆をおこうと思うんだ」
「お疲れ様です」
そう言えたのは自分が隼汰さんの作品を、隼汰さんをさほど知らないからだろう。
薄っぺらい言葉は今の薄っぺらな関係に丁度いい。
だけど、どうやら納得できない人も中にはいるようだ。
声には出さず、唇の端を噛み締めて必死にでかかる言葉を重殺している。
自分も含めて彼も子供だ。少しぐらいは感情的になってもいいだろうに。
肩をトンと叩かれてマラがハンドサインで部屋から出ろと言われる。
確かに自分という不純物があるから彼は子供になれなかったのかもしれない。
いつもガキ大将と呼ばれている彼だからこそクラスメイトには弱みを見せることのないように。
何も言わずに出口に向かって歩き出すと、誰も何も言わない。
ただカツカツと足音が部屋に響き渡りながらこの部屋からその足音が消えた。
「で、面倒ですね」
「そうだな。私はああいうのは苦手だな。やるなら目につかないとこでやってほしいものだ」
「それ本当にそう思います。なんで今ここにいるんでしたっけ」
「それは私が興味が湧いてお前をここにつれてきたからな」
「マラのせいじゃないですか」
小言を言いながら玄関へと戻ろうとすると、廊下の中央にクジラがいた。
「わお」
「え」
あまりにも唐突で予想外だったので二人して固まってしまう。
大海原を駆け巡るクジラのように家の中をのびのびと泳ぐクジラが、否、クジラではない。
彼の絵に書かれてあったクジラに似た何か、モンストルが泳いでいた。
体表には複数の目がついていて、その瞳全てから涙を流している。
「もしかしてマラが言っていた不思議な感じの正体ですか?」
「そうだろうな。まさか一人の念でここまでなるとは」
「隼汰さんですか。ちなみに、分類的には何になるんですか?」
「なんとも言えん。生霊とも言えれば、妖怪とも言える。とてもあやふやな存在だな。ある意味怪物、モンストルという表現が正しいか...」
「そうなんですね」
「それより、私以外の迦微や妖怪は初めてなのに驚かないのか?」
「いや、普通に驚きましたけど、マラが存在している時点で現実を超自然が侵しているので驚きは半減してます」
「なるほど、つまりは私のおかげか」
「今の状況になったのもマラのせいですけどね」
最高級の笑顔で嫌味を言うと、気にとめないのかただモンストルの後を追い始める。
自分は手を出さないと言っていたのに実際にはこれだ。
あの神社にいた頃からちっとも変わっていないじゃないか。あれほど家で人のために暮らすのはやめにすると宣言しておきながら。
マラの後を追いかけて、モンストルに近くなるほど体はペタペタとして周囲はジメジメとしてくる。
逃げている。というつもりはないかもしれないが存在するだけで地味に嫌なことをしてくれる。
これでは部屋干しも出来なければ、寝るときも蒸し暑いだろう。
そうして、追いかけて追いかけて、ついには窓から靴も履かずに飛び降りて外へと出ると、クジラ、モンストルが涙を流すのを止めてこちらに向き直った。
遅くなってしまいすいません。
身内の急用で投稿できませんでした。
来週はいつも通りに上がると思います。




