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乙女ゲームの影薄妹系令嬢は何も知らずに幸せになる  作者: 高遠ゆめ
乙女ゲームの影薄妹系令嬢は何も知らずに幸せになる
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交流パーティの夜

 

「リディ、大丈夫か?」


 兄のアーサーが心配そうにわたしの顔を覗き込んだ。


「ええ……大丈夫よ、お兄さま」


 涙がこぼれ落ちそうになったのを瞬きで堪え、わたしは微笑んだ。


 今日は王立学院で開催される交流パーティの日だ。

 準成人となる十六歳以上の在校生と卒業生、その家族が参加できる。

 今年十六歳を迎えたわたしは、王立学院の生徒である二歳年上の兄の家族として、初めて参加することになった。

 建前は学生のための社交を学ぶパーティだけど、実際は卒業後の人脈を広めるために行われているらしい。


 交流パーティは学院長と代表生徒の挨拶、学院の生徒によるファーストダンス、そして交流を含めた参加者のダンス会へと続いて行った。


 本当はわたしも兄も、積極的に周りの人たちと交流を図らないといけないのだけど。


「あの、お兄さま。少し外の空気を吸ってきてもいいかしら? ここは人が多くて…」


 この場所から、すぐにでも離れたいという気持ちを兄は読み取ってくれたようで、わたしの手を引き、会場の隣にあるテラスへ連れ出してくれた。


 兄は噴水のそばにあるベンチにわたしを座らせると、「飲み物を貰ってくるから動くなよ」と念押しして会場に戻って行った。


 離れて行く兄の背中を見つめながら、わたしは冷たい秋の空気を吸い込む。そして、ほっと息を吐いた。

 噴水の穏やかな水の音に混じって、楽団が奏でるワルツが小さく聞こえてくる。


 夜に浮かぶ満月は、雲に半分隠れていた。

 空を見上げていると、またじわりと涙が滲んできて、慌てて下を向いた。


「来なかった方が、よかったかな……」


 思わず漏れた言葉が自分の耳に突き刺さる。


 一番側にいたのは、わたしだったのに。

 ずっと側にいたのに。

 それでも、彼があんなに誰かを愛おしそうに見ている顔を初めて見た。


 わたしの婚約者だった人。

 もう一緒にいられない大好きだった人。


「エドウィンさま……」


 ポタポタ、ポタポタ。

 枯れてしまいそうなぐらい泣いたはずなのに、それでも溢れ出てくる涙が、淡いピンク色のドレスに染みを作る。


 せっかく、綺麗にお化粧してもらったのに。

 泣いて、泣いて、泣いて。もう大丈夫だと思ったのに。

 彼のあんな顔を見るぐらいなら、


「……来なきゃよかった」


 小さく呟いた時、目の前に見覚えのないハンカチが差し出されているのに気づいた。


「ご令嬢。泣いているようだが、怪我でもしたのか?」


 兄とは違う声。恐る恐る声の方を見ると、そこには背が高い男の人が立っていた。

 月の光がその人の背中を照らしていて、顔がよく見えない。王立学院指定のドレスコードではないから、生徒の家族の誰かなのだろう。


「……怪我はしてないです。えっと」

「使うといい」


 その人は受け取れと言うように、白いハンカチを待つ手を少しわたしの方に押し出した。おずおずと手を伸ばして受け取ったハンカチは滑らかで、どこか優しい香りがした。


「あ、ありがとうございます……」

「どこかの令嬢に嫌味でも言われたか?」

「いえ……」


 わたしは俯く。唇からポロリと言葉が滑り落ちた。


「婚約していた人が、会場で他の人をエスコートしていたのを見てしまって……」

「婚約していた? 取りやめになったのか。何故? ……あ、いや」


 男の人は軽く首を振った。


「すまない。立ち入ったことを聞いてしまったな」

「……いいえ」


 わたしは柔らかなハンカチを膝の上で握りしめた。唇からぽつりぽつりと言葉が漏れていく。


「好きな方が……出来たと、言われました。相手の方に不誠実だから、婚約は白紙にしたいと」


 男性は少し黙った後、わたしに尋ねた。


「……もし良ければ隣に座っても良いだろうか」


 本当なら、知らない男性と二人きりになるのは良くないことで。特に婚約者がいる令嬢は絶対にしてはいけないことで。


 でも。

 もうわたしに、婚約者はいないんだわ。


 わたしが頷いたのを見て、男性はベンチの端に腰掛けた。わたしたちの間には、ひと一人分の空間がある。


「その婚約者のことを……あなたはとても好いていたのだな」


 気遣うように発せられた男性の声はとても優しくて、また涙がじわりと目尻に滲んだ。


「……十歳からの、婚約でした。結婚するのだと、これからもずっと一緒だと思っていました。だけど」


 あの人はわたしじゃない、別の人を選んだ。

 喉が締め付けられたように苦しくなって、込み上げてきた何かを息を大きく吸い込んで飲み込む。


「……辛いな」


 男性のその一言に、計り知れないほどの何かが込められていた気がして、わたしは男性の顔を見上げた。空に浮かぶ雲は月を完全に隠してしまっている。だから、少し離れた暗闇の先で、男性がどんな表情をしているのかはわからなかった。


「こんなことを言うのは、君に失礼かもしれないが……私も以前、似た理由で婚約者を失った」


 わたしは目を見開いた。


「あなたも……?」

「もう、何年も前のことだが」


 わたしから視線を逸らし、彼は両手を膝の上で組み合わせた。


「結婚の日取りを決めて、準備に取り掛かろうとした時だった。好きな相手ができたと言われた……その次の日、彼女は子爵家の三男と駆け落ちしていた」

「え……」


 わたしは思わず声を上げそうになり、両手で口を押さえた。あまりの衝撃にしばらく言葉が出ない。


「……なんてこと」


 日取りまで決まっていた婚約。大切にしていた人は、他の人の手を取って、いなくなってしまった……?


「それから数ヶ月は地獄のようだった。食欲もなかったし、寝るたびに悪夢を見ていたような気がする。仕事だけは何とかしていたが、見かねた家族が破棄の手続きを代行してくれた」


 淡々と告げる声が、彼の悲しみの深さを物語っているようで。

 夜風がザワザワと木々を揺らす。


「私なりに、婚約者を大切にしていたつもりだったのだが…彼女には足りなかったらしい。最後に彼女に言われたのは『貴方に愛される未来が見えない』だった」

「……酷い」


 彼が感じたであろう心の痛みと、わたしの心の痛みが重なった気がして、止まっていた涙がまたポタリと落ちた。


「すまない。泣かせるつもりはなかったのだが」

「いえ……いいえ」


 慌てたような響きの男性の声に、小さく首を振った。

 知らない人だ。だけど、初めて会った令嬢にハンカチを差し出してくれるこの人は、本当に優しい人なのだと思う。


「……きっと、君の元婚約者は見る目がなかったんだろうな」

「え?」


 涙に濡れた顔をあげてわたしがその人を見た時、初めて月明かりが彼の顔を照らした。

 どこか憂いを帯びた綺麗な横顔と、月夜に煌く青色の瞳。


「……泣いてくれるほど大切に思われていたのに、そんな相手を自分から手放すなんて、本当に馬鹿な男だ」


 そう呟いたその人は、わたしを見てふっと微笑んだ。


「ありきたりな言葉しか言えないが……私の場合は時間が経つことで、ある程度心落ち着かせることができた。きっと、君は今日、元婚約者がこの会場にいるのがわかっていて、それでも来たのだろう?」


 わたしは俯く。


「……婚約を解消してから、二ヶ月経ちました。もう大丈夫だと思っていたのに、やっぱり姿を見ると辛くて……」

「そんなにすぐに、誰かへの気持ちを忘れることは出来ない。人はそんなに簡単ではない。私は自分の身に起きて、それを初めて実感した」


 その人は微笑んだまま、小さく息を吐いた。


「だから、君にも時間が必要なのだと思う。自分の心を落ち着かせる時間が」

「リディ! すまない、教授と話していて遅くなった」


 飲み物のグラスを両手に持った兄が早足で戻ってきた。しかし、見知らぬ男性とわたしがベンチに並んで座っているのを見て、目を丸くして立ち止まる。


「君は彼女のご家族かな?」


 その人は立ち上がると兄に尋ねた。


「はい、妹ですが……」

「そうか。ご令嬢が沈んだ様子だったので、気になって声をかけさせてもらった。決して不埒なことはしていない」


 その人がわたしに視線を向ける。


「だが、今日は早く帰ったほうが良いかもしれない。きっと、ダンスを踊るのは難しいだろうから」


 兄はわたしを見てハッとしたような顔をした。きっと、泣き腫らした顔をしているのだと思う。


「リディ……」

「私が馬車を呼んでこよう。君は妹君と一緒にいてあげてくれ。ご両親は、今も会場に?」

「……両親は本日、参加しておりません」

「そうか。では、学院長に私から伝えておこう。家名を教えてくれるか?」

「……フィールズ伯爵家です」


 兄が戻って来てくれたことで、緊張が緩んだのかもしれない。わたしが兄とその人のやり取りをぼんやりと見ていると、その人は視線をわたしに向けて、もう一度優しく微笑んだ。


「会えて良かった、ご令嬢。そのハンカチはそのまま君が使ってくれ。では」


 その挨拶に、無意識に握りしめていたハンカチを思い出す。けれど、あっという間にその人は去ってしまって、兄と二人、その場に残された。


「リディ、大丈夫か? さっきの方は……」

「知らない方よ。わたしがここで……泣いていたら、ハンカチを貸してくださったの」

「そうか……」


 兄は少しその人が消えた先を気にしていたが、すぐにわたしの顔を覗き込んだ。そしてグラスをベンチに置くと、そっとわたしの涙の後が残る頬を指先で撫でた。


「一人にしてごめんな。あの人が誰か知らないが、今日はもう帰ろう」

「でも、お兄さまは他の方への挨拶があるでしょう?」

「お前を一人で帰すことはできないよ。大丈夫、交流会の挨拶回りは来年しっかりやるさ」


 兄は笑うと、わたしをエスコートするために手を差し出した。


「先ほどの方が馬車を呼んでくれると言っていたし、リディ、一緒に帰ろう」


 兄の優しさに、わたしはまた涙が出そうになって、あの人から借りたハンカチを握りしめた。


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