ブルーダーシュタットの朝市(1)
7月5日。本日も快晴。
レーリヒ家は朝食も豪華だった。パンにチーズ、ハムにカリカリベーコンに腸詰だ。
さすが海の側の街だなあ、と思ったのは魚肉の腸詰があったところだ。中身は脂ののった白身魚でとってもおいしい。ただ食べていると、竹輪や蒲鉾が食べたくなった。
朝ごはんを食べたら、ティアナ、イェルク、ヨアヒムとはお別れだ。場合によっては永遠にお別れという可能性もある。彼ら三人には、ぜひとも極秘任務を無事全うしてほしい。
朝食後ティアナ達をお見送りしたらジークに
「朝市に行かない?」
と誘われた。
「網の上で焼かれた海鮮がその場で食べられる店があるよ。と言ったら、護衛騎士達が嫌な顔をするのではと思ったから、数が減るのを待っていた。」
グッジョブだぜい、ジーク様!
さすが幼なじみ。いろいろ私を理解してくれている。この人が王都では側にいてくれないのがほんと残念だよ。
ていうか、ジーク様は地球に召喚されても絶対普通に生きていけると思う。適応能力、鬼高だから。
意外だったのは、エリーゼ様も一緒に行くと言った事だ。
「市井の人々の暮らしをこの目で直に見て、話を聞く為に来ているのです。なので、当然私も行きます。」
なるほど。こういう言い方をすれば、アーベラに嫌な顔をされずに済んだのだ。何事も言い方が重要だな。
というわけで、私とジーク、ユリア、エリーゼにエリーゼの侍女が一人、そしてアーベラとで朝市に出発した。
ある意味朝市の光景というものは今も昔も、日本もヒンガリーラントも似たようなものだと思う。串に刺さった魚や切り身が炭火で焼かれていたり、網の上で食材が焼かれていたりして、そこかしこから良い匂いが漂ってくる。ついさっき、朝ごはんをお腹いっぱい食べたというのに、私の胃袋は新たな食材を受け入れる為、きゅきゅっと空間を用意し始めた。思わず、走り出しそうになった私の肩を、アーベラがぐいっとつかんだ。
「走らないでください。食べ物は逃げません。」
「他の人に買われたら逃げるから!」
私は網で貝を焼いているおじさんの側へと寄って行った。ムール貝やホタテ貝の他に、アワビやサザエにそっくりの貝も焼いていた。
「お嬢様、夏の貝は危険です。貝はやめておきましょう。」
とアーベラが言う。
そういえば昨日の夕食に貝料理はなかった。だからこそ食べたい。すっごいいい匂いなんだもの!
「おじさん、この巻貝焼けてる?」
ほんとは、アワビが食べたかったけど、小市民だった文子の精神が「おまえにはまだ早い!」とささやいてくる。
「ああ、食べ頃さ。」
「じゃあ、一個ちょうだい。あ、でも、うまく中身とれるかな?途中でちぎれたらすごいショックだよね。」
「はは、そうだな。おっちゃんが中身出してやるよ。」
やったね。店主がとってくれるなら、途中でブチっといっても、違う貝と交換してくれるだろう。
ワクワクとおじさんの手元を見ていたら
「お嬢様、貝は内臓が最も危険なんです!先端は食べないでください。」
と、アーベラにまた文句を言われた。
アーベラは、身が途中でブチっといく事を願っていたかもしれないが、さすがおじさんはプロだった。ものすごく上手にサザエの身を金串でとってくれた。私はアーベラをチラッと見た。きっとまた「毒味します!」と言ってくる事だろう。
そう言われる前に
「ほい。」
と私は、金串に刺さったサザエの身をアーベラに差し出した。アーベラは「はー。」とため息をついた後、バクっと内臓部分を全部食べてしまった。
「あー!ひどい。苦くておいしいとこ‼︎鬼だ、アーベラは鬼だっ。」
「危険な部位を食べてあげたんです!」
「いいもん、だったらアワビいっちゃうもん。おじさん。肝付きのアワビちょうだい。」
「お願いですから、ホタテの貝柱程度にしてくださいよ!」
「仲良いねー、二人は。」
けらけらと笑いながらジークが言った。
「おじさん。ムール貝くれるかい。レモン果汁かけてね。」
慣れた口調でジークが注文した。なんと!言えばレモン汁がつくのか。早く教えて欲しかった。
「お嬢ちゃん可愛いから、ムール貝サービスしてあげよう。」
と言っておじさんはレモンをキュッと絞ったムール貝を私ではなくアーベラに渡した。
「ほい、毒味してあげな。」
アーベラがムール貝の内蔵側を食べようとしたのと同時に、おじさんは私にアワビをくれた。
「ほーれ、毒味役に食われる前に食っちゃいな。」
「ありがとう、おじさん。いえ、お兄さん!」
「あー、ダメです!お嬢様‼︎」
アーベラが慌てて言う。
「アワビの内臓を食べると猫の耳が落ちる、という言い伝えがあってですね!」
「それ、春のアワビでしょ。今は夏。」
「えっ?なんで耳が落ちるんですか?」
とユリアが聞いた。
私もあまり詳しい事は知らないが、春頃にアワビの内臓を食べると光過敏症かなんかになる事があって、肌がかゆくなるらしい。猫の耳が落ちちゃうほど猫が耳をかゆがるという意味かなんかだったはずだ。
しかしうちのペットでもない猫の話は今はいい。
せっかくなので私はおじさんに聞いてみた。
「この街でさあ、私くらいの女の子が仕事探すとしたらどんな仕事があるのかな?」
「お嬢ちゃん『お嬢様』じゃないのかい?こっちの姉さんが、そう呼んでるじゃないか。」
「人生は何が起こるのかわからないからさ。」
「そうかい。まあ若い子の事はよくわかんねえけれど、服屋のモデルとか人気あるらしいぞお。」
「服屋のモデル?」
「新しい服着て道を歩いたり、劇場とかにパーッと行ったりして服を宣伝する仕事だよ。綺麗な服着てりゃいい仕事だから、なりたいって娘っ子は多いみたいだぞ。」
「それって美人じゃなきゃなれないんじゃないの。」
「ガハハ、まあ、そうだろうなぁ。まあ、ほとんどの娘っ子達は瓶詰め工場とか、織物工場とかで働いてるんじゃないのか。読み書きや計算ができたり、外国語がわかったら、商会で事務とかできるんだろうけどなあ。」
「私、読み書きできるよ。外国語も少しならわかるし。」
「じゃあ、商会で働いたらいい。」
「どこの商会がオススメ?どこがお給料いっぱいくれそう?」
「今、飛ぶ鳥落とす勢いなのはアーレンス商会かな。後は、ヘルムス商会、ケーラー商会、レーリヒ商会も儲かってるって話だな。でもヘルムス商会は、お嬢ちゃんみたいな若い子には難しいかもなあ。跡取りの嫁が、すげえやきもち焼きだそうだ。」
「ブルーダーシュタットは王室直轄地だから、子供の基本教育は無償でしょう。読み書きくらいなら、ほとんどの子ができるのではないの?」
とエリーゼがおじさんに質問した。
「読み書きができる子は働いたりしませんよ。少し花嫁修行して、嫁に行っちまいます。働いている女の子ってのは、大概周囲の貧しい農家から出稼ぎに来ている娘達です。」
おじさん。なぜかエリーゼ様には敬語だ。本物の『お嬢様オーラ』を嗅ぎ分けたのだろうか。
「そういった弱い立場の人を搾取する悪い人もいたりするのでしょうね。」
「ははは、そういう事もあるかもしれませんね。わっしにはよくわかりやせんが。」
アワビを完食した私は、ムール貝の半身をアーベラから受け取った。
その後おじさんとお別れし、次の屋台へ向かう。
「貴女は情報を聞き出すのが上手いわね。私はまだまだだわ。」
とエリーゼに言われた。
「それは商品を買って食べたからですよ。」
と私。
「でも、なんで仕事の話なんか聞いたの?まさか、本気で職を探しているわけではないのだろう?」
とジークに聞かれた。
「新しい本を作ろうと思っててね。その取材。」
と、私は答えた。
「どんな本?」
「図鑑よ。その名も『お仕事図鑑』。」
「お仕事図鑑?」
「いろいろな職業をのせて、その職業に就く為にはどんな勉強をして、どんな資格や経験が必要かをまとめた図鑑よ。まあ、実際の情報収集はクラリッサ・バウアーにお願いしてるのだけど、彼女に丸投げするわけにはいかないからね。実際、服屋のモデルなんて職業、想像もできなかったよ。聞いてみるもんだね。」
「その図鑑は個人で楽しむのかい?それとも販売するの?」
「孤児院にプレゼントするの。『仕事』ってだいたい、親の職業を継ぐか、親の知人に紹介してもらうかが普通でしょう。だから、親がいない子供達は、親のいる子に比べて不利なんだよね。善意で支援してくれる実業家もいるけれど、結局は、人が嫌がるような仕事をする事になったり、それすらもできずにズブズブと悪の道に進んで行ったり。そんな事が少しでも減るよう、せめて情報を手にさせてあげたいんだ。実際、勉強が得意な子供に『将来、何になりたい?』って聞いたら、みんな口をそろえて『医者か教師』って言うんだよ。子供達は、頭の良い人がなれる職業を、その2つしか知らないんだよ。」
というのは建前である。
ほんとの理由は2つある。