旅の途中(3)
7月4日。船はついに海へとたどり着いた。
この2日間、食事の為に下船する時以外はずっと船の中で過ごした。地球の豪華客船のように、船内でダンスパーティーとかがあるわけでもないし、船内にカジノやカラオケボックスなどがあるわけでもない。私はほとんどの時間を、部屋の中で本を読んで過ごした。
旅のお供に持って来た本の題名は『英雄の島』
この本には、本自体にドラマがある。
作者はマリオン・フォルクバルトという女性作家で『英雄の島』は彼女が初めて出版した本だった。
簡単にあらすじを言うと、ものすごく大きな湖の中に大きな島があって、そこは盗賊の本拠地となっている。その湖の側に強欲な貴族が住んでいて領民を苦しめていた。ヒロインはその貴族の主治医の娘で、貴族に虐げられながら育てられた貴族の甥とは仲の良い幼馴染だった。
ある日、盗賊が貴族の家を襲撃し、貴族の息子と間違えられて甥が誘拐される。盗賊は身代金を要求するが金に汚い貴族は身代金の支払いを拒んだ。ヒロインは、見捨てられた少年を救出する為、男装して湖の中の島に潜入するのだ。
日本の少女マンガだったら100万作くらい類似品がありそうな話だが、こちらの世界でこの展開は珍しい。こちらの世界の文学では攫われるのは常に女性で、それを救出しに行く勇敢な騎士は常に男なのだ。
誰が善人で誰が悪党なのかが、なかなかわからない話で、悪い奴かと思っていたらそうでもなかったり、親切な人かと思った人がとんだサイコパスだったりする。読了した後の結論としては、顔の悪い奴はほぼほぼ善人で、清潔感のある美形は主人公の幼馴染以外皆悪人だった。
ヒロインが、幼馴染を救出しようとする過程で、何人も色男が出てきて、幼馴染とくっつくのか、他の男とうまくいってしまうのか、最後までわからないのだが、結局色男共は皆腐れ野郎だったので、最後主人公と幼馴染がうまく行った時は心から祝福できた。
まあまあな長さの物語なので、出版社はこの作品を上下巻に分けて出版をした。
そして、まず上巻が20冊印刷されたらしいが、当初この本は1冊しか売れなかった。
しかも買ったのは、印刷した出版社の社員であるクラリッサである。クラリッサはこの本を、心から面白いと思ったらしいが、どれだけ営業をしても本は売れなかった。
作家が無名で、この本が第一作だった事。男装して暴れ回るような女の子がヒロインだった事。最後まで読むとそうでもない事がわかるのだが、盗賊が礼賛されていて貴族がディスられているような展開が途中まで続く事、ヒロインの医療知識がいろいろな人の助けになるのだが、ようするに医者が必要とされるようなグロシーンがやたら多い事。など、理由は様々だがとにかくこの本は売れなかった。
結果、当然ながら『下巻』が出版されることもなく、作家も筆を折って、他の仕事に就いていた。
この本をクラリッサは、ユスティーナ・フォン・ツァーベルの姉が主催している『本の貸し借りができるサロン』に寄贈した。
クラリッサが書いた、あらすじの書かれたPOPを見て、サロンの会員の一人がこの本を借りた。そして、とても面白かったと友人達に語った。そんなに面白いなら私も借りてみよう、と言って他の人達が次々に借りた。1ヶ月が経ち、サロンの掲示板に借りられた本のランキングが掲載された時、『英雄の島』がランキングの1位だった。
ランキングが1位になると、サロン中の人達がこの本に興味を持った。皆が本を借りたがったが本は一冊しかない。どうしても早く読みたいという人は、本を買う事にした。クラリッサが即売会を開くと18冊の本は瞬く間に完売した。
この情報は、ヒンガリーラントとヴァイスネーヴェルラント両国の新聞にのった。そうなると、サロンの会員ではない人達もこの本に興味を持った。出版社は慌てて重版を決定した。そして「続きを読みたい。」という声をうけ、下巻も発売された。
一つのサロンが大きな流行を作り出し、莫大な利益と社会的影響をもたらしたのである。
フォルクバルト氏は急に小金持ちになった。そして、専業の作家に転身した。
現在『英雄の島』の続編を鋭意執筆中だという。
何回読み返してみても、顔の良い男に正義の鉄槌がくだるシーンはスカッとする。
絶対、この作者顔が良いだけの浅薄な男が嫌いなんだろうな。『英雄』とは、どんな人の事を指すのかについて、とても考えさせられる本だった。
「お嬢様、後1時間ほどでブルーダーシュタットの港に着くそうです。支度をなさってください。」
と、アーベラに言われた。
「支度って何を?」
「そうですね。まず最初に、王都の貴族に対して変な誤解や偏見が生じないよう、しっかりと厳重に猫を被ってください。」
「・・・。」
今更取り繕ったって、ユリアには実像がバレているでしょう。と思う。
実際、ここに来る直前にもいろいろとやらかしているのだ。
「ねえ、アーベラ。貴族が好きそうな高級魚って、どんな魚だと思う?」
「そもそも魚は、肉に比べてB級な食べ物ですよ。」
「そこをあえて。」
「そうですねえ。スズキとか舌平目なんかじゃないですか。」
「・・ふうん。」
旧日本人の感覚でいうと、どっちもそんなに高い魚じゃないんだけどなあ。
ここに来る直前、ユリアに聞かれたのだ。
「ベッキー様が一番お好きな魚は何ですか?」
私は正直に答えてしまった。
「アジ。」
「ええっ!」
ユリアが驚きの声をあげた。
「アジ・・ですか?侯爵家の方でもアジって食べられるんですね・・。」
しまった!あまりにも大衆魚すぎたか。大衆魚だからこそ、文子だった頃しょっちゅう食べていたのだが。
これはまずい。私の中に侯爵令嬢ではない庶民の人格が混ざっている事がバレてしまう。私は急いで、高級そうな魚を考えた。高級な魚といえば、やっぱアレか。
「それとマグロ。」
「えええええっ!マグロですか⁉︎」
私は、はっ!とした。そういえば冷蔵技術の無い江戸時代。傷みやすいマグロは安物扱いされていたと、何かの本で読んだ事がある気がする。こっちの世界でも、量がとれて傷みやすいマグロは雑魚扱いなのかもしれない。
しまった!どういう魚が高級かは時代や地域によって全く変わるのだ。
21世紀の日本でも、こんな小話を聞いた事がある。
日本海の側で生まれ育った女性がいた。その女性は、瀬戸内海の側で育った男性と結婚した。結婚して初めての正月、妻は夫の実家へ帰った。夫の両親は、冬が旬の高級魚『メバル』を煮つけにして食卓に出した。それを見て妻は言った。
「私、こんな真っ黒い魚初めて見ました。」
姑は言った。
「あら、でも日本海にはノドグロという魚がいるって聞いたわよ。」
「お義母さん。ノドグロが黒いのはノドだけです。」
隣同士の県であってもこのくらい、日本海と瀬戸内海、それぞれの海の近くに住む者の知識と常識は違うのだ。
だったら、地球とヒンガリーラントのお魚は、もっと常識が違って当然ではないか。
私の頭の中では、ウナギとかハモとかフグとかイセエビとか、そういう日本のスーパーでお値段の高かったお魚達が竜宮城の如く舞い踊っていた。だけど、なんか怖くてそれを口にできなかった。
「そうですか、わかりました。アジにマグロですね。ちなみに、どんなお料理にして食べておられたんですか?ベッキー様のお好みの料理が知りたいんです。」
「いや、私は出された料理に文句なんかつけたりしないよ。それこそ、軍事の名門家に生まれた者としての義務として、戦争が起これば衛生兵として従軍する覚悟があるし、そんな状況でどんな食べ物が出てこようとも何だって食べる覚悟はある。」
ウソである。
私は戦争は絶対反対派だ。戦争になんか行くつもりなんてひとかけらも無い。
これ以上魚の話がしたくないから、言ってみただけである。
「さすがですわ、ベッキー様。その尊いお心ざし、私いつまでも忘れません!」
適当なタイミングで忘れて欲しいと思った。
「どうして急に高級魚は何かなんて聞かれたんですか?」
とアーベラに聞かれた。
「ユリアが、どんな魚が私の口に合うのか気にしてたからさ。」
「ネズミを塩だけでいけるお嬢様の口に合わない物を探す方が大変な気がしますけど。」
「私にだって、食べられない魚はある。」
たぶんだけど、シュールストレミングとかは無理だと思う。見たことも嗅いだ事も一度も無いけれど。
「人喰いザメですか?」
とアーベラに聞かれた。確かに、それも厳しいな。
船の側にカモメかウミネコかわからないけれど、たくさんの鳥達が飛んでいるのが見えた。ブルーダーシュタットの街が近づいて来ていた。




