レベッカの記憶 文子の記憶
この作品を読んでくださっている皆様。皆様は靴の中敷きの間に小石が入り込んだという経験があるでしょうか?
どんなに靴を逆さにして、上下に振っても石は出てこない。諦めて靴を履くけれど、どうしても足裏に違和感が残る。
別にそれがあるせいで痛いというほどではないのだけれど、気になって気になって仕方がない。気にしなければいいと思えば思うほど余計に気になる。でももう一回、靴を脱いで逆さに振ってみてもやっぱり石は出てこない。もう、足のツボを押しているのだと、考えようと思っても、痛気持ちいい足裏マッサージと違って、ただただ不快。
そんな経験をした事ってありますか?
今の、私は、ほぼほぼそんな心境です。
でも、別に今現在、私の靴の中に石が入っているわけじゃない。そもそも、今、私は靴を履いていない。現在の私は風呂上がりで、侍女のユーディットにタオルで髪を拭いてもらっている真っ最中。椅子に座っていて足は素足だ。
なら、どういう事なのかというと、思い出せそうで思い出せない記憶があるのだ。
私の名前はレベッカ・フォン・エーレンフロイト。地球とは違う世界にあるヒンガリーラントという国の侯爵家の令嬢だ。
年齢は一応13歳。だけど。中身年齢はもう少し歳をとっている。
中学2年生くらいの子供が、イキがって言っているわけではない。私はレベッカとしての人生を2回生きているのだ。
過去の『レベッカ』の人生は、かなり悲惨だった。
14歳の時、天然痘にかかって酷い後遺症に苦しんだのだ。仲の良かった弟は天然痘で死んでしまい、後を追うようにお母様も亡くなった。伝染病の大流行の後、経済が大混乱に陥り、裕福だった侯爵家は一気に没落、ビンボーになった。そして、18歳の時、婚約者だったルートヴィッヒ王子本人か、彼の友人か、愛人か、誰だかわからない相手に王宮内で殺害された。
その後、私は地球の日本の地方都市で『文子』という女の子になった。文子は生まれてすぐ親に捨てられて、児童養護施設で暮らしていた。親がいなくて寂しい思いをした反面、周囲の優しい大人やボランティアの人達に支えられ、手作り石鹸を作ったり、豆乳を作ったり、キャンプに連れて言ってもらって料理を作ったり、いろいろと得難い経験をさせてもらった。
日本は、国民全てが義務教育を受けられる国だった。なので文子も学校に通わせてもらえた。
学校では、読み書き、計算、外国語、水飴作り、多色刷り木版画作りなど様々な事を教えてもらった。ど田舎の青少年自然の家に行き、腐ったアーモンドミルクを飲まされ、友人達の中で私一人だけが腹を壊さなかったのも忘れ難い経験だ。
文子は貴族ではなく、平民オブ平民だったので高校生になってからは、アルバイトに勤しんだ。髪がクルンクルン縦ロールの上司の下で、熱帯魚ショップで働いていた。造花作りや封筒貼りの内職もした。本を作るのが趣味の親友と一緒に、薄い本をコミケで売る売り子もした。
その親友の家が農家だったので、春と夏の忙しい時期には農作業のアルバイトをさせてもらった。親友のおじいちゃんは猟友会の会員だったので、解体のお手伝いをするご褒美に珍しいジビエ肉をご馳走になったりもした。
そんな充実した田舎暮らしは、東京の大学へ行きたいと思ってしまったばっかりに終わりを告げた。東京へ向かうバスが事故に遭ったのだ。
ところが、それをキッカケに、再びレベッカの人生に戻ってしまった。
あれから一年半が経った。
私は、文子だった頃の記憶と知識を頼りに、ヒンガリーラントには無かった物をいろいろと生み出し、小金を稼いでいる。
今のレベッカとしての目標は、天然痘にかからないようにする事と死亡フラグを折る事だ。
その為に私は、3日後ブルーダーシュタットへ向かう。
ブルーダーシュタットは、今現在私が通っているアカデミーの寄宿舎の同室者であると同時に、将来私を殺す殺人犯候補の一人ユリアーナの生まれ故郷だ。ユリアの13歳の誕生日である7月7日、ユリアのお父さんが死んでしまう。その後ユリアは我が家で働き出し、私の侍女となった。私としては、友人であると同時に、殺人事件の容疑者でもあるユリアとは、ほどほどな距離感を保ちたい、と思っている。
それに、ユリアのお父さんが殺されるとわかっていて、見殺しにする事はできない。13歳の女の子といえば、父親が肩のゴミをとろうとして肩にちょっと触れただけでも、人間にご飯を奪われたクマくらいガーっ!と怒る子もいたりするが、ユリアはそんな子達とは違ってお父さんが大好きなのだ。お母さんがすでに亡くなっているユリアが、お父さんまで亡くしたらどんなに悲しむ事だろうか。
しかも、お父さんが何か悪い事をして、復讐で殺されたとかいうのならまだしも、お父さんを殺すのは凶悪、冷酷な海賊なのである。そう考えるとますます放っておけない。
で。今、私が何を思い出せずに悩んでいるのかというと、レベッカとしての記憶であり文子としての記憶である。
ユリアのお父さんは、どこかの資産家の家に商品を届けに行き、そこで海賊の襲撃に遭って殺された。
そして、文子だった頃、誰かの伝記を読んでいて「この人の名前、ユリアのお父さんと一緒に死んだお金持ちと同じ名前だ。」って思ったんだよ。それが誰だったか、思い出せん!
それが、思い出せたら
『7月7日に◯◯邸を海賊が襲撃します』
って、司法省に密告できるのに、どうしても、どおおしてもっ、思い出せない!
もう、思い出せないなら思い出そうと努力するのをやめよう。と、思っても、気になって気になって、意識の中から出ていかない。
誰かに聞いてもどうにもならないし、もう本当にどうすりゃいいの⁉︎
確かねぇ。偉人なんだか悪党なんだか微妙な感じの人じゃなくて、ガチもんの偉人だったような気がするんだよ。
言うなれば、ノーベル平和賞とか、とってそう系な人。
ここが日本だったら、『ノーベル平和賞受賞者・検索』で調べるのに。
第一回受賞はアンリ・デュナン。女性で有名なのはマザー・テレサ。日本人だったら佐藤栄作・・・。
どれも違うと思いながら、荷造りの真っ最中のユリアに視線を移した。今日は6月29。アカデミーが休校になるのは明後日からだが、ユリアは今日からブルーダーシュタットへと戻るのだ。私やエリーゼ様より一足先にブルーダーシュタットへ戻って、私達を迎える準備をするのである。
「ねえ、ユリア。本当にユリアの家に泊まっても迷惑じゃない?ジーク様に会いたいから、ブルーダーシュタットへは行くけど、もし迷惑だったらホテルに泊まるとかでいいのよ。」
ユリアも何度か我が家に泊まりに来ているが、ユリアがうちに泊まるのと、私とエリーゼ様がユリアの家に泊まるのは状況が違う。
平民のユリアがうちに泊まる時は一人で泊まる。しかし、貴族である私やエリーゼ様が移動する時はズラズラと、まるで国立医大を舞台にした某ドラマの教授の総回診のシーンのように侍女や護衛騎士を連れて行くのだ。それだけの人数の泊まり部屋や食事を用意するのはかなり大変だと思う。ネットをポチッとすればレンタルのお布団が配達されて来る世界じゃないのだから。
「迷惑だなんてとんでもないです!ユスティーナ様のお姉様のサロンに、カサンドラ王太后陛下が来られた時の事でわかるように、尊い身分の方に訪問して頂くことは、子孫に語り継げるくらい名誉な事なんです。エリーゼ様は、宰相閣下のご令嬢ですし、ベッキー様は孤児院の子供達を救出した英雄としてブルーダーシュタットでも有名な方です。そんなお二人に逗留して頂けるなんてこんな栄誉な事はありません!」
孤児院から売りに出され、劣悪な環境下で生き残った5人の子供を救出したのは、情報省と司法省の人達だ。その救出に関係した令嬢がいるとしたら、それは情報大臣の娘のアグネスだと思うんだけど。
「私もお父様も、お二人が来てくださるのを本当に嬉しく思っているんですよ。お父様も、以前から親しくお取り引きをさせて頂いているシュヴァイツァー様の所にだけは、直接顔を出しに行くけれど、それ以外の仕事は全てキャンセルしてお二人をもてなしたいと言っているんです。」
いやったああああぁー!
今、ポロッと靴の中の小石が転がり出てきたーっ!
そうだ!シュヴァイツァーだ。アルベルト・シュヴァイツァー。『密林の聖者』と呼ばれ、20世紀初頭『餡子食う・・』じゃなかった『暗黒大陸』と呼ばれていたアフリカ大陸に渡り、ランバレネで生涯を医療に捧げたお医者様。
そのシュヴァイツァーと同じ名字だと思ったんだよ!
私の頭の中では今、ベートーヴェン作曲の『歓喜の歌』がフルオーケストラで大合唱。『やったね!』という垂れ幕を持った天使が激しいリズムで踊りまくっている。
良かったー!なんか、もう海賊襲撃云々は別にして、コレ思い出せなかったら認知症にこのままなりそうな気分だったんだよー。ユリアのおかげでスッキリしたー!
私は感動のあまり、日本人最大の美徳である慎みを忘れ、ユリアにがばあっと抱きついてしまった。突然の事に、ユリアが
「ふ・・ふえぇ。」
と言ってパニックを起こす。
すまなかった。今、血圧とヴォルテージが発射されたロケットのように急上昇したのだ。
「あ・・ごめん、ごめん。いきなり悪かった。えっと、その・・。」
「いえ、いいんです!抱きしめる事は、赤ちゃんにだって必要なくらい大切な事ですもんね!」
孤児院をみんなで訪問する前に語った蘊蓄を、ユリアは覚えていてくれたらしい。良かった。何で抱きついたのか聞かれても答えようがないもんな。なんか、うやむやになって良かった。日本人でなくなって一年半。私の中の『日本人』が、ちょっとずつ薄くなってしまっている。
しかし、これでもう死亡フラグは折れたも同然。私がブルーダーシュタットに乗り込む必要もないくらいかもしれない。でも、行った事の無い街へ旅行に行くのは心が弾む。どんな珍しい風景、珍しい料理と出会える事だろう。
アカデミーのボイラーがボロかったおかげで急に発生した夏休み。
私の心は期待でパンパンに膨らんでいた。