私とレベッカ様と孤児院の慰問(1)(ユスティーナ視点)
『一週間経ちました』で初めて出てきて、名前だけは時々出ていた、ユスティーナ視点のお話になります。
父が家を出て行った日のことは、今でも昨日の事のように思い出します。
私の名前は、ユスティーナ・フォン・ツァーベルと申します。
ヒンガリーラントという国の子爵家の次女として生まれました。
お母様は、私が覚えていないくらい幼い時に亡くなりました。それ以来10歳年上のお兄様と、9歳年上のお姉様が私を守ってくれていました。何からかと言いますと、お父様からです。
私の記憶の中のお父様は、いつもお酒を飲んで暴れていました。
お父様は『ギャンブル』というものがお好きで、家にはほとんどおらず、いつもギャンブルをしに外へ出かけておられました。
私は『ギャンブル』というものがよくわからないのですが、御者のヤーコフによると、カードゲームやボードゲームをしたり、犬同士、鶏同士を戦わせたり、時に人間同士が殴り合いをするのを見る物だそうです。
お父様はギャンブルに『勝つ』と、美しい女の人がいるお店へ行ってしまいます。ギャンブルに『負ける』と、たくさんのお酒を飲んで家へ帰ってきます。そして使用人やお兄様やお姉様を殴るのです。私も殴られそうになりますが、いつもお姉様や乳母のギーゼラが助けてくれました。でも大好きなお姉様やギーゼラが殴られるのは、自分が殴られるより心が痛かったです。
だから、私はいつもお父様が帰ってくる馬車の音が聞こえると、胃がギュッとなって苦しくなりました。
お父様がギャンブルでお金をみんな使ってしまうので、我が家にはお金がありませんでした。なので、私はお姉様やギーゼラと一緒に毎日森に食べられる物をとりに行きました。お姉様はお庭で野菜も作っていました。お野菜が実ったり、お兄様が湖で魚を釣ってきてくれた時は食事が少し豪華になります。
でも、ある時にはお酒を飲んだお父様が
「貴族の娘が貧乏くさいマネをしやがって!」
と言って、お姉様が育てたトマトやズッキーニをみんな引き抜いて踏みつけてしまいました。
ギーゼラは
「お嬢様方が不憫でならない。」
と言って泣いていましたが、私は他の家、他のお父様という物を知らないので『不憫』という言葉の意味がよくわかりません。ただ、他の家の女の子は全然違う生活をしているのかな、とぼんやりと考えるだけです。
私の着ている服は全てお姉様が、自分やお母様の服を縫い直してくれた物です。お姉様は私に縫い物や刺繍の仕方を教えてくれました。
字の読み方や書き方、計算の仕方も教えてくれました。どうしてお姉様はそんなに物知りなの?と聞いたら、家庭教師に教わったのだと答えてくれました。お母様が生きていた頃は、この家にもたくさんの使用人がいて、家庭教師が通って来てくれていたそうです。今は、使用人は4人しかいません。その人達にお給金は払えていないそうです。でも、寝る場所さえあればそれでいいから、と言ってうちにいてくれるのだそうです。本当にありがたいわ。感謝をしましょうね。とお姉様はいつも言っていました。
普通、貴族の娘には幼い頃から婚約者がいるものだそうです。お兄様にもお姉様にも以前婚約者がいたそうです。でも、お父様がお金の事でいろいろとトラブルを起こして婚約を破棄されたそうです。婚約者のいない貴族の娘は年頃になれば、社交界に出て結婚相手を探します。でも、お姉様にも私にも『社交界』に着て行くドレスがありません。お姉様は、別に結婚なんかしなくてもいいの、と言っていました。
お兄様とお姉様と私、それに使用人達で寄り添って、お父様からの暴力に耐えて生きていく。ずっと、そんな毎日が続いていくのだと思っていました。
そんな日々が急に終わりました。
お父様の作った借金を、ヘリングさんという商人さんが肩代わりしてくれる事になったのです。
肩代わりをする為の条件は4つ。
ツァーベル家の領地に、紙の原料になる木を植え、製紙工房を作る事。
お姉様とヘリングさんの息子さんが結婚する事。
私達兄妹三人は、お父様と縁を切る事。
お父様は、アルコール中毒の人が入院する病院に入院する事。
です。
それができないなら、お父様の借金があまりにも大きな金額になったので、私とお姉様は娼館という所に、お父様とお兄様はカニ工船だかツナ工船だかという船に行かなければならないのだそうです。そこはどちらも『この世の地獄』みたいな所なのだそうです。
「ヘリングさんは私達の恩人なのよ。」
とお姉様は言われました。
そうして、小雪の降る寒い日、お父様は馬車に乗せられて病院へと連れて行かれました。
私は「ああ、もうこれで誰もお父様に殴られなくてすむんだ。」と思いました。
やっと、安心して眠る事ができる。
そう思いつつ、これから私やお姉様はどうなっていくのだろう、と不安にもなりました。
その10日後。お姉様は結婚しました。
お義兄様になったケヴィン様は年齢が37歳なのだと聞いてびっくりしました。お父様と2歳しか年が変わらないのに、お父様のようにお腹がたるんでもないし、前髪も薄くなっていません。お父様と違って、日に焼けた肌をしていていつも笑顔の方です。
20歳の頃から、世界のいろんな国を旅して回っていたのだそうで、そこで紙を作る方法を学んだのだそうです。
初めてお会いした時、プレゼントにとラッコという動物のぬいぐるみをいただきました。ラッコは海に住んでいるイタチの仲間で、ぷかぷかと海の上にとても上手に浮かんでいるのだそうです。眠る時も海の上にいるそうで、眠っている間に仲間とバラバラにならないよう、仲間とキュッと手をつないで寝るのだと教えてくれました。
「ユーシーちゃんが、今度からはこの子と手をつないで眠ってくれるかい?」
と言われたので、つなぐと約束しました。でも、どうして海の上では仲間とバラバラになっちゃうのでしょう?海ってどんなとこなんだろう?ってお義兄様の話はちょっと難しくてわかんない事が多かったです。
お姉様はそれから、王都で暮らす事になりました。
そして私は、アカデミーという所に行く事になりました。
「あなたにはいっぱい勉強をして、自分の力で自分の人生を切り拓いて欲しいの。」
とお姉様は言われました。
「アーレントミュラー公爵夫人という方は、女性なのに大学で教授をしておられるのだそうよ。あなたと1歳しか年が違わないエーレンフロイト侯爵令嬢は、建国祭のチェス大会で男の子達と競って優勝したのですって。女の子でも、たくさん勉強したらみんなから認められて尊敬されるようになるの。姉様は、もうあなたの側にずっとはいてあげれれないから、あなたに自分自身の力を身につけて欲しいの。」
私は、いっぱい勉強する。とお姉様に約束しました。
アカデミーに行く前の日。ケヴィンお義兄様のお父様の家に食事に招かれました。
ケヴィンお義兄様は、いつもニコニコとしておられるけれど、お義兄様のお兄様達やお姉様という人は冷たい目をした人達です。
特にお姉様のマヌエラさんや、マヌエラさんの娘で私より1つ年上のイルメラさんは意地悪です。
「私達のおかげでまともな生活ができるのだから、身の程をわきまえなさいよ。」
と初めて会った時言われました。
「どうして女の子をアカデミーなんかに通わせるの?どうせ、お嫁に行くだけなのだから勉強なんか必要ないでしょう。」
と、お食事の席でマヌエラさんに言われました。するとケヴィンお義兄様のお父様が
「アカデミーは人脈を作る所だ。ツァーベル家は知り合いが少ない家だから、たくさん知り合いを作る為に通わせるのだ。それが、ヘリング商会の利益にもなる。」
と言われました。
「高いお金を出して通わせるんだから、他の貴族に植物紙をたくさん買うようにって言うのよ。これ以上あなた達に無駄な投資なんかできないんですからね。」
と、マヌエラさんが言うと
「そうよ。ヤクタタズのムダメシグライは追い出しちゃうからね。」
とイルメラさんが言いました。
「そんな言い方ないだろう!ユーシーちゃんは、普通にお友達を作って、学校を楽しんだらいいのだからね。」
とケヴィンお義兄様は言ってくれました。
でも、もしも植物紙が売れなかったら、お姉様はマヌエラさん達にもっとひどい事を言われるんだろうな、と思いました。
お姉様は今までずっと私を守ってくれていたんです。だから、お姉様がいじめられないよう、私がお姉様の為に頑張らなくっちゃ、みんなに植物紙を買ってもらうんだ。と私は決意しました。
そうして私は、乳母のギーゼラと一緒にアカデミーへやって参りました。
たくさん知り合いを作って、植物紙を売り込もうと思って、招待されたお茶会には全部行きました。
でも、みんな植物紙に興味を持ってくれませんでした。
お手紙や招待状に使う羊皮紙は『どこ産』の『どの羊の皮』かで、はっきりとランクが決まっています。どの羊皮紙を相手に送るかで、自分が相手をどのように思っているかがわかるのです。そこに植物紙の入り込む余地はありません。
だったら、お勉強が好きでいっぱい授業中にメモをとる人に使ってもらおうと思いました。
それで、真剣に授業中にメモをとっている人は誰かしらと思って観察してみたところ、メモをいっぱいとっていたのは、エーレンフロイト様とレーリヒ様の二人でした。
なんとか、お二人とお友達になれないかしら。と思って、いつもお二人を見ていたのですが、お二人はいつも二人だけで一緒にいて話しかけるチャンスがありません。どうしたらいいかしら?と思っていたら、お二人と仲良くなれそうな機会がやって来ました。
エーレンフロイト様が孤児院の慰問をするのに、一緒にハンドベルを演奏する仲間を募られたのです。
正直、私は楽器の演奏が苦手です。楽器はとても高価なので、私には楽器に触れる機会が今まで全く無かったんです。
それに孤児院の慰問というのもした事がありません。孤児院の慰問とは、お金とか服とかを寄付しに行ってあげる事です。でも、うちはとっても貧しくて、何も寄付してあげられるものが無かったんです。
そんな私に、孤児院の慰問なんかできるのでしょうか?でも、頑張るしかありません!
一緒に慰問活動をしたい、という女の子達はとてもたくさんいました。頑張らなきゃ、ちゃんとやらなきゃ。って思いました。そうでないと、エーレンフロイト様に「あなたなんかいらない。」って思われてしまいます。そしたら、私も、お姉様まで、ヘリング家の人達に「いらない。」って思われてしまいます。
絶対、頑張らなきゃ!と私は手をぎゅっと握りしめました。
一緒に慰問をしたい。と思っている人達みんなで、まずお茶会をしお話をしました。
ティーカップを手にしたエーレンフロイト様が、皆の顔を見てにっこりと微笑まれました。
「皆さん。私の呼びかけにこんなにたくさん応じてくださって、どうもありがとう。この中には今までにも何度も慰問活動をしてきたという人もいるでしょうし、今回が初めてという方もいるでしょう。それでも一応、最初に皆さんに、孤児院を訪問するという事について心構えをして欲しいと思っていますので、聞いてください。」
そう言って、エーレンフロイト様は全員の顔を一人一人見つめられました。
「まず、ある国で本当にあったある実話について話をさせてください。『ある国のある乳児院に10数人の赤ちゃんがいました。その赤ちゃん達は1人1人、一列に並んだベッドに寝かされていました。お医者さんも看護婦さんも、全ての赤ちゃんを公平に世話しました。ところが、1番右端のベッドに寝かされた赤ちゃんだけが、他の子供よりも発育が良く、健康で、よく笑う赤ちゃんだったそうです。お医者さんは不思議に思いました。どうして、この子1人だけ健康で、他の子よりも成長が早いのだろうと。もしも理由があるのなら、自分のいない夜の間に何か理由があるのでは?と思ったお医者さんは、その日の夜、部屋の様子をこっそり隠れて見張っていました。すると深夜、掃除婦がやって来て、赤ちゃん達がいる部屋の掃除を始めました。そして掃除が終わると、その掃除婦は、1番右のベッドにいた赤ちゃんを抱き上げ、あやし、笑いかけたのです。しばらくそうして抱っこして、掃除婦は帰って行きました。』というお話です。」
話し終わったエーレンフロイト様は皆の顔を見回しました。
「人間には、たとえ幼い赤ちゃんであっても、目を見つめられる事、微笑みかけてもらう事、何より抱きしめられるなどのスキンシップをとってもらう事が必要なのだという事です。栄養豊かな食事、清潔な服、暖かいベッドがあっても、人はそれだけでは生きられないのです。私達は幸運にも、親がいて家族がいて、その家族に抱きしめてもらう事ができます。だけど、孤児院の子供達には親がいません。家族がいません。抱きしめてくれる大人がいないんです。だから、子供達は孤児院を訪問してくれる人がいると、その人は優しい人なのだと信じて抱きついてきます。我先にと触り、抱きしめてもらおうとするのです。しかし、幼い子供達の全てが清潔で小綺麗とは限りません。手が泥だらけの子もいます。鼻水を袖で拭いたばかりの子もいます。片手にカエルやダンゴムシを握りしめ、もう一方の手で抱きついてくる子もいます。
目の病気で目が目ヤニだらけの子だっています。頭にシラミがわいている子だっているかもしれません。そんな子供達に触れられるのは無理。側に近づかれるだけで悲鳴をあげてしまう。そう思う人もいるでしょう。そんな方達に私は、こう勧めます。」
エーレンフロイト様は微笑んで、そして力強く言われました。
「来るな。帰れ!」
レベッカの、ユスティーナに対する思い込みと、ユスティーナの現実はかなり違うというお話です。
レベッカの周囲にいる女の子達にも、それぞれいろいろな人生があります。
少しずつ紹介できたら、と思いますので、読んでいただけたら本当に幸いです。
ブックマーク、評価もよろしくお願いします。