花の宴(2)(ルートヴィッヒ視点)
叔父上が訪ねて来た時、僕はアカデミーの寄宿舎にいた。
込み合った話をここでするわけにはいかず、僕達は叔父上の館に場所を移した。当然フィリックスも一緒である。
「ルーイ。羊皮紙は本当にもう使ってしまったのか?」
「はい。」
本当の事なので、正直に言った。叔父上が「はあーっ・・。」と深いため息をつく。
「アンゲラの為だものな。気持ちはわかるが、おまえ・・・。」
「叔父上。無いものについて話をしていても時間の無駄です。ならば、発想を変えてみるべきではないでしょうか?」
「発想を変える?」
「はい。そもそも、外国産の羊皮紙を最上の物としてありがたがるなんて、情けない話ではありませんか。僕達はもっと自分の国の物に誇りを持つべきです。」
「だが、『森と湖の国』と呼ばれている我が国では、昔から牧畜はあまり盛んではなかった。牧場にするほどの広い土地がとれないし、畜産を行なわずとも森で狩猟肉が十分に獲れる。バターもチーズも、軍用馬も、羊毛も羊皮紙もそのほとんどを外国から輸入しているのだ。今更、国産の羊皮紙を揃えようにも数が揃わないぞ。」
「羊皮紙でなくてもいいではありませんか?」
叔父上もフィリックスも、僕の言いたい事に気がついたようだ。
「植物紙か!」
「はい。植物紙は長く東大陸からの輸入に頼っていましたが、15年に渡り東大陸を放浪したというヘリング商会の三男が、『三又の木』と共に、製紙技術を持ち帰りました。彼は、ツァーベル子爵家の娘と結婚し、ツァーベル子爵領は三又の木の植林と製紙業を立ち上げました。我が国で新しい産業が始まったのですから、王家は積極的にそれを支援すべきです。その植物紙は既に、ヴァイスネーヴェルラントにも輸入され、その紙でたくさんの本が印刷されています。ですから、カサンドラ陛下の機嫌を損ねるという事もないでしょう。」
「なるほど。質の劣る羊皮紙を使うくらいなら、いっそ全く違う紙をというわけか。」
「更に、良ければ叔父上に見てもらいたい物があります。」
そう言って僕は、折りたたまれ糊付けされた植物紙を叔父上の前に出した。
「『封筒』というのだそうです。」
「・・・。」
「アカデミーの女生徒達の間で大流行していて、今女子達は、手紙を送るのも招待状を出すのも、これを使っているそうです。この中に折りたたんだ紙を入れて使います。これはエリーゼにもらった物ですが、美しい形をしていると思いませんか?『黄金比』と言って、1対1.6だったかな?とにかく、人が1番見て美しいと感じる数字の比率で作られているそうです。」
「1対1.6180339887・・・。だな。」
「叔父上・・。」
「私の妻を誰だと思っている。国立大学数学科教授、イーリス・フォン・アーレントミュラーだぞ。」
「そうでしたね。」
フィリックスの母親イーリスは、平民出身だが、100年に1人の天才と言われた人だ。受験資格に年齢制限の無い国立大学に最年少記録の8歳で入学し、数学、幾何学、天文学、機械工学など全ての分野でトップをひた走った。12歳の時、その当時の数学界最大の難問と言われた問題を証明し、その知性は全世界に響き渡った。その後幾つも新しい数学の公式を世に生み出している。高邁な学術論文も数多く発表しているが、高邁過ぎて僕にはさっぱり理解できない。
そんな彼女に叔父上が恋をして求婚した時、平民の女性をと反対した人は誰もいなかったらしい。むしろ、外国人と結婚されて彼女の偉大な頭脳が国外に流出する方が大問題だったのだ。
「招待状の素材を変えるなら、いっそ形も変えてしまうのも良いと思われませんか?この封筒は、あまりにも人気なのでヘリング商会が『封筒製造工場』を作ったそうです。この封筒の発案者が『救貧院に身を寄せている、文字の読み書きや計算ができない、腕力も無い人を優先的に雇って欲しい。』と言ったそうで、そういう立場の人達が雇われているそうですよ。そういう人達が作った封筒を王室が使うというのは、美談になると思いませんか?」
「エリーゼでなくて、他の人間がこの封筒を作ったのか?いったい誰だ?」
「エーレンフロイト侯爵令嬢レベッカ姫です。」
「なるほど。」
と言って叔父上がニヤリと笑った。
「フィルの鼻っ柱を叩き折ってくれた子だな。おまえが、ずいぶんと詳しいわけだ。」
フィリックスが父親をジロリと睨んだ。
「招待状の件はそれでいこう。紙さえ手に入れば印刷所は押さえてある。毎年手書きだった物を印刷にすると文句は出るだろうが、これだけ何もかもが変わったら逆に気にならなくて良いかもしれない。あとは、肝心の『花』だな。温室を所有している貴族や富豪に依頼するとしても、ディッセンドルフ公爵やその寄子の貴族達は、絶対供出しないだろうからな。他に温室を持っていそうな貴族といえば、ヒルデブラントやシュテルンベルクなら・・。」
嫌な名前が2つも出てきた。ヒルデブラント家のジークレヒトとシュテルンベルク家のコンラートは、どちらもレベッカ姫の幼馴染で、彼女の事を『ベッキー』と呼んでいる。婚約者の僕がレベッカと呼んでいるのだから自重して欲しいものだ!
僕も何度も手紙で『貴女の事をベッキーと呼ばせて欲しい。』と頼んでいるが返信が来ない。
「叔父上。生花にそこまでこだわる必要はないのではないでしょうか?」
「どういう意味だ?」
「ユーバシャール孤児院では、子ども達が非常にクオリティーの高い造花をフェルトで作っています。その造花を飾ったらどうでしょう?フェルトのおもな輸入先は、ブラウンツヴァイクラントと、ヴァイスネーヴェルラントです。カサンドラ陛下に敬意を表し、ヴァイスネーヴェルラント産のフェルトで作った造花を揃えたという事にするのです。生花に比べて貧相だと文句を言う人間もいるでしょうが、製作したのが孤児院の子供達と聞けば、あまり激しい非難はできないでしょう。」
「なるほど。だけどあと1ヶ月しかないのに、数が揃うか?」
「実は、アンゲラのお披露目で造花を飾りたいと思って、先月フェルトを大量に孤児院に送って製作を依頼していたのです。春に生花を大量に飾ると蜂が寄って来るかもしれませんから。一度人をやって、進行状況を確認させましたが、既にかなりの数が製作されていました。それをまあ、融通してもかまいませんよ。その代わりアンゲラのお披露目の時に、いろいろと協力してくださいね。」
「もちろんだ。」
と叔父上は言った。
「ここまで相談にのってもらったんだ。他にも協力してもらおうか。他に何に気をつけるべきだとおまえは思う。」
「それはもう、一番警戒するべきなのは、ディッセンドルフ公爵サイドの妨害でしょう。兄上が放り出した事を他の人間が成功させたら、兄上の面目は丸潰れですからね。誰がやっても失敗したという事にしたいはずです。そうですね、僕が彼らなら、ボイラーをどうにかして会場の暖房を使えないようにするとか、会場のカーペットを何かで汚染するとか、蜜蝋で作ったキャンドルを隠してくっさい獣脂のキャンドルとすり替えるとかですかね。」
「なるほど、なかなか腹黒いな、おまえ。まあ、それは信頼できる人間に警備をさせれば防げるだろう。万が一の時の為に、暖炉にくべる大量の薪と、替えのカーペットと、蜜蝋のキャンドルは用意しておくか。」
「あと、最も警戒すべきは料理です。王宮の総料理長は、ディッセンドルフ公爵家の寄子の子爵家の出身ですから。食材の保管の仕方が悪くて、全て傷んだとか、料理に失敗して全部焦げたとか、なりふり構わない嫌がらせをしてくるかもしれません。まあ、むしろしてくれたら、料理人をゴッソリ入れ替える良いチャンスですけどね。晩餐会ほどの量の料理は必要ないですから、アーレントミュラー家で軽食や菓子を用意しておくとか、王都の一流レストランからケータリングするとか、何か保険をかけておいた方が良いと思います。」
「確かにな。だが、軽食はともかく、菓子は王宮ほどの量の砂糖や蜂蜜、バターを用意できないぞ。」
「最近、貴族家の、というかエーレンフロイト家とエーレンフロイト家と親しくしている家門の間で『寒天』という菓子が流行っているそうです。果汁や牛乳、コーヒーやワインといった液体をプリンのように固めた菓子で、見た目の美しさが大変な評判になっているそうです。
液体と寒天があれば作れる菓子なので、バターや小麦が必要ありません。これを中心に品揃えしたらどうでしょう。女性は、見た目の美しさにもこだわりますから。『寒天』は、レーリヒ商会という商会が取り扱っているそうです。それと、砂糖ですが。正直、王宮の菓子は甘過ぎです。あんな、国中のアリが一年遊んで暮らせそうなほどの量の砂糖を使う必要がありますか?もっと、砂糖の量を減らして、真においしいと思える菓子を出せば良いと思います。それに文句を言う貴族がいるとしたら、決して若くはないカサンドラ陛下の血糖値と歯を守る為だと言ってやれば良いんです。まあ、これらの心配も、総料理長がきちんと仕事をしてくれればする必要はありませんから。」
「そうだな。では私はこれからすぐヘリング商会へ行って、良質の植物紙と封筒が用意できるか確認しよう。フィル。おまえは、レーリヒ商会へ行って寒天が手に入るか確認しろ。それと同時に寒天で作れる菓子のレシピも手に入れてくれ。他にも異国の菓子の材料やレシピが手に入るかも確認するんだ。ルーイ。おまえは孤児院へ行って、造花がどれくらい手に入れられるか確認してくれ。」
「はい。」
成功の見通しが立ってきたからだろう。叔父上の顔色は、ずいぶんと良くなっていた。
まあ、これからどう状況が変わるかわからないが。王妃派の連中は、あらゆる方法で妨害をしてくるはずだ。
だが、それをかいくぐって『花の宴』を成功させれば、父上からの評価がグッと上がる。ヒルデブラント家をはじめとする日和見の貴族達も僕の側に取り込む事ができる。
僕が権力を望むのは、母上や妹、そして婚約者のレベッカ姫を守る力が欲しいからだ。彼女達を守る為ならば、僕は何だってする。彼女達を決して失いたくないからだ。
その為にも今はまず、孤児院へ行くとするか。
そう思って僕はソファーから立ち上がった。
次話は、ちょっと意外なキャラの視点になります。
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