病院の視察(ルートヴィッヒ視点)
ものすごくお久しぶりなルートヴィッヒ王子の話です。
彼も忙しい日々を過ごしているという話です。
馬車を降りると、目の前の白い建物の前に医療大臣や医療省の人間がずらりと並んでいた。
僕の名前はルートヴィッヒという。そして目の前の白い建物は、ヒンガリーラント国営の貧民救済病院だ。僕はヒンガリーラントの第二王子で、今日はこの病院に視察に来ている。
視察の目的は、まあ、はっきり言って国民への人気取りだ。ぶっちゃけ僕は国民の人気を必要としている。僕は、王妃の生んだ血統が正しく、大貴族達から支持されている異母兄と王位を争おうとしている。その為には、兄を支持していない層からの支持が必要なのだ。
そして、少しばかり努力をすればある程度の支持は獲得できるほど、兄には平民階級からの人気が無い。特に今、兄は夫のいる女優と不倫をしていて、人気脚本家の夫が周囲の同情を集めるような言動と挙動を繰り返しているので、もう墜ちようが無いほど兄の国民人気は失墜している。
だからといって、視察を適当に済ませるつもりはない。医療大臣であるシュテルンベルク伯爵は、数少ない王妃派ではない高位貴族だ。
僕の婚約者の従兄弟でもある。彼からの支持も僕には絶対に必要だ。
それに、ここに入院している人々は、僕が統治する事になる国の大事な国民だ。彼らを支えたいという気持ちだって一応本心だ。
「お待ちしておりました。ルートヴィッヒ殿下。フィリックス殿下。」
「忙しいなか同行してくれた事に感謝する。」
「もったいないお言葉でございます。」
と言った後、伯爵は自分の右に視線を移した。伯爵の右にいた、コンラート・フォン・シュテルンベルクが右手を胸に添え頭を下げた。
「本日の視察には、私の息子も同行させたいと思っております。お許し頂けると幸いです。」
もちろん。
既にこの場にまでやって来ているコンラートに
「聞いてない。帰れ。」
なんて言葉を言うほど空気が読めない僕ではない。
「もちろんだ。」
と、僕はコンラートに笑いかけた。
というか。僕が愛想笑いをしているのだから、おまえも愛想笑いくらいしろよ!
僕の横にいる、従兄弟のフィリックスに目をやると、フィリックスは苦笑いしている。僕達三人は、アカデミーで同学年なのだが僕もフィリックスもコンラートとはそれほど親しくしていない。理由はとにかく、コンラートの愛想の無さだ。コンラートは、とにかく『孤高』な人間だ。勉学、武術、趣味のチェスに至るまでアカデミーのトップを独走している人間なのだ。これで、性格も愛想も良く、社交界中の全女性の視線を独占していたりしたら、とても許せないが、愛想が悪いのも悪いでやはり腹が立つ。
しかも、一年前までは、誰に対しても愛想がなかったのに、今ではファールバッハ伯爵家のエリアスや、エーレンフロイト侯爵家のヨーゼフに目をかけていたりなんかして、幼い彼らからそれなりに慕われている。ヒルデブラント侯爵家のジークレヒトなどは
「僕はくだらない人間や愚かな人間は、視界の端にも入れたくない主義なんだ。正直、コンラート以外の人間に興味は無いね。」
と公言していた。至尊の地位を目指している僕としては非常に目障りな人間なのだ。
決して、将来義理の弟になる予定のヨーゼフが、明らかに僕より彼を慕っているからムカついているわけではない。
断じて、そのような理由ではない!
僕達は、病院長に案内されて病院の中に入った。
この病院を利用できるのは、平民階級だけだ。国が費用の半分以上を負担するので普通の病院よりずっと安く受診できる。月に三日ほど無料開放もされ、その日は無料で診察や治療を受けられる。薬も余程特別な物でない限り、無料でもらう事ができる。その代わり、ここには新薬の人体実験場という一面もあった。国立大学の医学部を卒業した生徒は、一年ここで働く事を義務付けられているが、それは要するに患者が新人医師の練習台にされているという事である。
それでも、病院内の雰囲気は明るかった。混雑を避ける為、無料開放日は避けて来たが、それでもかなりの数の患者がいた。
伝染性の病気を持っている人間がいたらいけないと、すぐ入院施設の方へと移動させられたが、入院している患者達の表情も明るかった。
もちろん、病院側は『良い所』しか見せようとしていないのだという事はわかっている。患者達は、礼儀正しくてお行儀の良い、王族の前に出ても大丈夫な、選ばれし患者達なのだろう。ただその『選ばれし患者』や『良い所』さえ、暗くて汚くて、不衛生で、しかも医療関係者は暴力的で、とかだったら病院として終わっている。
病院としての、最低ラインだけは守られているようだ。
だが、正直それ以上の事はわからない。
だから僕は、婚約者殿の事を尊敬する。
なぜ彼女は『問題のある孤児院』を一瞬で見抜いたのだろう?どうして、そこに隠されていた邪悪に気がつけたのだろうか?
「何か、質問はございませんか、殿下?」
と、病院長に聞かれた。
「入院患者達は、皆似たような服を着ているが、珍しい服だな。あの衿の形は東大陸風ではないのか?」
「おお、その事をお伝えするのを忘れておりました。」
と病院長は言った。
「あの入院着は、エーレンフロイト令嬢レベッカ様から寄贈された物なのです。」
「そうなのか?」
エーレンフロイト令嬢レベッカは、僕の婚約者の名前だ。だったら、言い忘れるんじゃねえ!
「あの服は、東方の国で『甚平』と呼ばれている服です。それぞれ斜めになっている、右前身頃と左前身頃とを重ね合わせ、横にある紐を結ぶので、どのような体型の人間にも合わせる事ができます。レベッカ様が200着寄付をしてくださり、入院している患者に無償で貸し出しているのです。ほとんどの入院患者は着替えなど持って来ませんし、それこそ血まみれで倒れていたのを運び込まれたような患者は、汚染された服の代わりに着せる物が今まではありませんでした。それでやむなく上半身裸で、という患者も多く、風紀上もよろしくなかったのですが、それに心を痛められたレベッカ様がお揃いの入院着を寄付してくださったのです。紐をほどくと前が開くので、診察するのに便利ですし、着脱も容易な素晴らしい服なのです。」
おい、待て。ようするにこういう事か⁉︎
レベッカ姫が、ここに慰問に来た時、上半身裸の入院患者がそこら辺にゴロゴロしていたのか?
純真で高貴な姫君に汚ねえモノを見せてるんじゃねえ!
人の婚約者に何を見せているんだ!と一瞬脳が煮えそうになった。
深呼吸して心を落ち着けている僕の横で、フィリックスが嫌味っぽい声を出す。
「レベッカ嬢が寄付をしたと言っても、彼女が自分で200着も服を縫ったわけではないだろう。そんな、珍しい異国風の服どこで手に入れたのかな?」
「有志に寄付を募って布を買い、孤児院の子供達に縫ってもらったそうです。子供達には、仕立て代を払うつもりだったそうですが、子供達が『いつも誰かに何かをしてもらうばかりではなく、自分達も人の為に何かをしてあげたい』と言ったとかで、結局無償で縫ってもらったそうです。まあ、非常にシンプルなデザインの服ですから。」
「そうだったのか。知らなかった。素晴らしいな、レベッカも。孤児院の子供達も。」
嬉しそうにシュテルンベルク伯爵が言う。
「ほんと上手い具合に子供達を使っているんだな。知ってたか、コンラートは?」
とフィリックスが言った。まあ、どうせ知らなかっただろう。というニュアンスだったが。
「はい。」
とコンラートは言った。
「寄付を頼まれましたので。」
「えっ!」
「えっ⁉︎」
僕とシュテルンベルク伯爵の声が重なった。コンラートが一瞬怯んだような顔をして父親に
「たいした額ではありません。反物二つ分くらいです。」
と言った。
「いや。そうか。うん、とても良い事じゃないか。これからもどんどんとしたらいい。そうか。うん、うん。良い事をしたな。」
伯爵はやけに嬉しそうだ。
息子が善行を施した事ではなく、一緒に善行を施すような仲間がいた、という事に驚いたのだろう。
僕だって驚いたわ!
「レ・・レベッカ姫に頼まれたのか⁉︎」
「いえ、ヨーゼフです。」
ならば良い。いや、あんまり良くないけれど。
僕の手紙には返事一つよこさないし、それはまあ、様々な奉仕活動で忙しいからなんだろう。と、わかっているけれど、でも僕の知らないところでコンラートと協力して何かをやっている、とかものすごくムカつく!
だから、つい口調がトゲトゲしくなった。
「僕にも相談してくれれば良かったのに。レベッカ姫の発案なら、僕だって喜んで協力したよ。」
それに対してコンラートは無表情で言った。
「王族には王族の、貴族には貴族の分というものがございます。殿下は、その分の中で、殿下だけが為せる事を為されたらよろしいのではないかと思います。」
・・・・。
それって、ようするに。おまえと自分では所属するカテゴリーが違うから越境して来んなって事か⁉︎
そして、レベッカ姫は自分の側だって言いたいのかっ!
こいつはただ単に愛想が無いだけで、別に僕に反感を持っているわけではない、と思っていた。しかし、それは勘違いだったようだ。
こいつは、はっきりと僕に反感を持っている。レベッカ姫の存在が原因なのかも知れないし、そうでないのかもしれないが、そうだったとしても知った事ではない。兄上にしろコンラートにしろ、僕の行手を阻むなら蹴散らすのみだ。
つい10分前迄は、シュテルンベルク家の人間とは、仲良くやっていかねば、と思っていたがその考えは消し飛んだ。
心の中は今嫉妬で、どろんどろんである。
僕とコンラートの間に不穏な空気が流れ出したのがわかったからだろう。シュテルンベルク伯爵と病院長がワタワタし始めた。
フィリックスはそんな僕らを面白そうに見ている。
ピリピリした空気の中で、その日の視察は過ぎていった。
2話連続投稿します。
次は孤児院へ視察に行きます。