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多色刷り版画と絵本

どうして臨時収入があったのか?説明するには、まず私に一通の手紙が届いた事から話さなくてはならない。


手紙の差出人は、イザーク・バウアー氏。42話の『レーリヒ商会』から46話の『コーヒーとほうじ茶』の間の出てきた、隣国ヴァイスネーヴェルラントにある出版社の社員のお兄さんだ。クラリッサという名前の姪がいる。


男性からの手紙だったので、手紙は教師達の前で開封&朗読をさせられた。ただ、シュトラウス先生が彼の事を覚えていたので、あまり冷たい目では見られずにすんだ。

『エーレンフロイト様に喜んで頂けるような本がございます。ぜひ、紹介をさせて頂けたらと思ってお手紙差し上げました。』


以前会った時、コーヒーやら豆乳やらを作るのに夢中になって、本を2冊しか買わず申し訳ないと思っていた。

それに、私が喜ぶ本といえばきっと、『森の王国』の著者、ディートリッヒ・ユング氏の新作だろう。それはぜひとも読んでみたい。

ただし、女子寄宿舎は父親以外の男性は立ち入り禁止だ。なので、クラリッサ嬢だけなら、明日応接室に来てもらうのでも構わないが、私が実家に帰った時となると、いつ会えるかわからないと手紙の返事を書いてユーディットに届けてもらった。そしたら、クラリッサを明日向かわせます。と、返事が来た。


翌日、クラリッサは大きなカバンを持って寄宿舎に現れた。私はユリアとユーディットと一緒に応接室で、彼女を迎えた。シュトラウス先生と、なぜか副校長まで面談には立ち会った。そのせいか、クラリッサはものすごく緊張しているようだった。


「見て頂きたいのは、こちらです。」

そう言って見せてくれたのは、本ではなく10枚ほどの紙の束だった。折れたり傷がつかないよう、2枚の木の板に挟まれ、布で包まれていた。


それは、美しい絵だった。柔和な表情の美しい女性が、異国情緒溢れる服を着て、愛らしく首を傾けている。さらりと流れる髪は青みを帯びた銀髪で、瞳は晴れた空のように青く、星のように輝いていた。背景は和服の柄によくある流水紋のようになっていて、そこに赤と白の睡蓮が描かれている。青、赤、白とハッキリした色が多い割に全体の印象は淡く、アルフォンス、ミュシャに代表されるような、地球のアール・ヌーヴォー的な雰囲気があった。


「すごい・・・。」

私の声は感動で震えていた。

その美しい絵は、全く同じ物が複数枚あったのだ。つまり、これはあの時私が語った

「多色刷り版画。」

「はい。エーレンフロイト様に教えて頂いた木版画です。何度も何度も試作を重ね、ようやくエーレンフロイト様にご紹介できるほどの物が出来上がりました。」

「すごいです!これ、いったい何色あるの?」

「12色です。」

それは、本当にすごい!


あの時私は、版画について口頭で説明しただけだ。実物が目の前にあったわけでもない。それなのに、あの拙い説明だけで、彼女達は多色刷り版画を完成させてしまった。おそらくある程度、木彫についての知識と技術はあったのだろう。それと印刷という技術を掛け合わせたとはいえ、恐らく数え切れないほどの試行と失敗を繰り返したはずだ。


「この絵の元となる絵を描いたのは、ディートリッヒ・ユング氏です。ここに描かれているのは、彼女の作品『森の王国』の主人公の一人、水の精霊のウォールです。」

「イメージ、ピッタリです。ユング氏は小説だけでなく、絵の才能もある人なんですね。」

日本に生まれていたら、漫画家かアニメ監督になれただろう。

ウォールは、人間くさい精霊なのだが、それでもやはり精霊だ。この絵の女性の美しさは神秘的であり、崇高でさえあった。


インクとペンで描かれ、絵の具が塗られていたとしても、この絵には芸術としての価値があるだろう。それに加えてこの絵は高度な技術の結晶でもある。私は、ドキドキしながら質問した。

「おいくらですか?」


クラリッサは、緊張した面持ちで言った。

「・・・ヒンガリーラント金貨1枚です。」

「えー!嘘でしょう⁉︎」


ちなみに。年に金貨10枚稼げる人は『中流』階級になる。


「この絵なら、最低でも、金貨3枚の価値がありますって!」


この1枚を作り出すのに『絵師』と『彫師』と『刷師』がいる。

その人達が、何度も何度も試行錯誤を繰り返したはずだ。失敗すればするだけ、木の板と紙とインクが必要になる。そして、紙とインクは決して安くない。

研究に没頭する間他の仕事はほとんどできない。研究にかかった日数が増えれば増えるほど費用はかさむ。そうやって、完成した絵をクラリッサは、はるばるヴァイスネーヴェルラントから運んで来た。片道4日はかかるはずだ。その間の食費と宿泊費と運送費がかかる。国境を越えるには入国税がかかる。そして、私が代金として金貨を払ったら、金貨を外国に持ち出すのにも税金がかかる。経費だけで、大変な額が必要なのだ。


この絵は芸術品としても美しい。原作のファンか否かに関係なく欲しがる人はいるはずだ。

そして、何より記念すべき多色刷り版画第一号としての、骨董的価値がある!100年後にはこの絵は、博物館に飾られるはずだ。

それが、金貨1枚!日本円にして30万円から40万円。無い、無い、無い!

金貨3枚だと、日本円にして100万前後になる。絵ならともかく、版画に100万?って思う人もいるだろう。

でも、私は文子だった頃、お宝を鑑定するテレビ番組が好きだったから知っている。

葛飾北斎とか、棟方志功とかの作品だったら版画でも100万以上する!


「本当に、金貨3枚の価値があると思ってくださいますか⁉︎」

クラリッサは、泣きそうな表情で言った。

「あるわ。」

そう言って、私は少し考えた。

「・・もし、この版画がこの10枚だけで、第二版、第三版を刷らないのなら、金貨5枚払います。その代わりこの絵がこの世に10枚しかないという証明証を出して欲しいわ。だけど、重版するのなら、そうね、1枚につき金貨2枚と銀貨50枚出します。」

ちょっと値切ってみた。だって、印刷物は2枚以上持っていないどうすごいのかわかってもらえないからさ。

複数枚買うとなると、さすがにあんまり値段が高いと・・・。


「この版画は、既に30枚刷られていて、1枚目はヴァイスネーヴェルラントの王太后陛下に献上され、2枚目は当社の書庫に、3枚目は作者のユング氏が持っておられます。重版も既に決定しているのです。」

クラリッサは申し訳なさそうに言ったが、私は内心ちょっと、ほっとしていた。さすがに金貨5枚は厳しかった。


「そうですか。あ、ほんとだ。よく見たら裏に30分の・・って書いてある。なら。」

私は指を2本立てた。

「2枚買います。観賞用と保存用に。」

「ありがとうございます。」

「私も買います。」

と、ユリアが言った。

「観賞用と保存用と、あとお父様と伯母様へのプレゼントに合計4枚。」

「ありがとうございます!」

クラリッサが頭を下げた。


「わたくしも買いますわ。」

と、突然副校長が言った。

「とても美しい絵ですもの。1枚ほど。」

「私も1枚買います。」

と、シュトラウス先生も言った。


「ありがとうございますぅ。」

クラリッサは涙ぐんでいた。思わず私は聞いてしまった。

「で?本当は、出版社の『上の人』はいくらで売れって言ってたんですか?」

「え・・ええと、それは、どんなに安くしても金貨1枚と・・。」

・・じゃあ、最初から金貨1枚って言ったら駄目じゃないの。高めの値段を言って、値切ってくるから仕方なく下げました・・って事にしとかないと。


もしかして、商売が下手なのかな?と、思ったが、考えてみたら彼女はまだ10代なのだ。もしかしたら、一人で値段交渉をするの初めてだったのかもしれない。

「そういえば、手紙には本もあるってあったけど。」

「はい。これです。」

と言って、カバンの中からクラリッサは本を取り出した。

植物紙の表紙には、『ドングリを探しに』と題が書いてあった。作者の名前はユング氏ではなかった。

私は中をめくってみた。

それは、可愛らしい絵本だった。リスとモモンガと木とドングリの絵が、茶色、焦茶色、黒の三色で描いてあった。

内容はたいしたものではない。リスとモモンガが、森の奥にドングリを探しに行きました。いっぱい見つけました。という内容が4枚の絵と文で書いてある。写実的なリスとモモンガがモフモフしていてたいそう可愛らしい。

これは多色刷り版画で作られた、第一号の絵本なのだろう。


「可愛い。これはいくらかしら。」

「銀貨30枚です。」

絵が4枚あっても、色が三色なので値段が抑えられているのだろう。小さな本だし、表紙に金箔や宝石が飾られているわけでもない。

それにページ数を考えると、まあ別に安くはない。

なので、この本は言い値で買う事にした。2冊ほど。

「私も買います!」

と、ユリアが言った。


すごいなあ。と、私は感動していた。

水飴作りに失敗した後も、私は封筒とか、造花とか、地球にあった物を少しづつ作っているのだけど、世界のどこかでもいろんな人がいろんな新しい物を作っていて、世界は少しづつ進歩している。今日より明日。今よりも1年後。世界はもっと素晴らしいものになっていくんだと思えた。


「ねえ、リサさん。私、あなたにお願いしたい事があるのだけど。」

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