孤児院改革(1)
春である。
寄宿舎の庭では、チューリップの花が満開だ。
私がアカデミーに通うようになって、1年と4ヶ月が過ぎた。私は12歳になった。そして、後1ヶ月ほどで13歳になる。
この1年。私はある事に励んでいた。孤児院改革である。
と言うと、うわー、異世界モノのバリバリテンプレー!と思われるかもしれない。
だけど、児童養護施設育ちの文子さんとしては、孤児院訪問は決して欠かすわけにはいかないイベントだったのだ。
まあ「孤児院、行って来まーす。」と言えば、寄宿舎の外に出られるというのも大きかったけど。
王都には孤児院が19件あった。里子を20人以上引き取って申請すると国から補助金が出るらしいので、子供の数が19人以下なので申請していない、という人もいるかもしれない。残念ながら、そういう人達のことは調べようがない。とりあえず私は、国に申請しているその19件を、実際に訪問して調査してみた。
だけど、訪問してみても一度では実情はわからない。誰だって、表面を取り繕い良い所しか見せないからだ。
逆に、一度行って「ここはやばい。」と思った所は、間違いなくやばい。二度目の訪問で、勘違いだった、なんて事になる事は100%無い。
私は、全ての施設を二度以上訪問した。
そして思った事は、文豪トルストイの代表作の冒頭の言葉と全く同じである。
『幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである』
私が孤児院を訪問したのは、援助の手が必要な孤児院を援助する為である。
しかし、私が口を挟む必要の無い、立派な施設もたくさんあった。それらは、既に裕福で立派な貴族や富豪が潤沢に援助し、愛情深い大人達が子供の面倒をきちんと見、世話されている子供達は健康で清潔で、年上の子供達が年下の子供達を可愛がり、年下の子供達は年上の子供達を尊敬し、いじめも虐待も無く、近所との関係も良く、大きくなった子供達は、周囲の援助できちんとした就職をし、自立して幸福に生きている。そういう孤児院もちゃんとあった。
私が『この孤児院はマトモか?』という、一つの指標にしているのは、大人になった子供達が、頻繁に院に顔を出しているかだ。
子供は誰だって自分が育った場所が懐かしいものだ。
だが、孤児院での生活が辛く、当時の事を思い出すのも嫌。という子供は、絶対に再び孤児院には足を踏み入れない。違う理由で訪ねてこない場合、事態はもっと深刻である。どちらにしても、孤児院の実状は、実際に暮らしている子供達よりも、院を出て行った子供達の方がよく喋る。私は大人になった孤児達にも何人か直接会って話を聞いた。
その結果思ったのが、トルストイの名言だ。
幸福な孤児院は皆よく似ていた。しかし、問題のある孤児院は千差万別だった。
ある孤児院は、地球の19世紀のヨーロッパの通俗小説に出てくる孤児院そのものな孤児院だった。
院長が肥え太り、上等な仕立ての服を着ている一方で、子供達は皆痩せ細り、肌にも表情にも艶が無く、大人の大声に対して怯えている。
私室を見せてもらったら、清潔なベッドと布団を見せられたが、子供が30人いるのに部屋の中にシングルベッドが2つで、部屋数が窓の数からして8室しかないとか、明らかにおかしい。どんなおもちゃで遊んでいるのか聞いたら、おもちゃは無く、台所と食糧庫を見せてくれと言っても絶対に見せてくれない。補助金や寄付金を大人が使い込んでいるのは間違いがなかった。
別の孤児院は、とんでもなく男尊女卑な孤児院だった。若いのに厚化粧の女性院長は、はっきりと
「私は女の子は卑怯だから嫌いです。」
と公言していた。男の子達は、良い服を着て金持ちの子弟のように優雅な暮らしをしていたが、女の子達は、粗末な服を着て下働きの使用人のように男の子達と孤児院長に奉仕していた。それを院長がおかしいと全く思っていない為、子供達もその事実をおかしいと思う事なく受け入れていた。
院長いわく
「女は働き者でないと生きている価値が無いですからね。ですから、私は幼い時からきちんと躾けてあげているのです。」
との事。そういう院長自身は、女の子に命令を下すだけで全然働いていなかった。男の子達による暴言と暴力も日常的で、男の子達が、近所の女性と問題を起こしたり、お腹を空かせた女の子が近所の家に食べ物を盗みに入ったり、ご近所トラブルも多かった。
とある孤児院は、とても優しい性格のお爺さんが孤児院長だった。しかし、そのお爺さんは、物が捨てられない系の人だった。
その為孤児院はゴミ屋敷と化していた。何でもかんでも、もったいない、まだ使える、と言って絶対捨てないし、ボランティアで子供達の面倒を見てくれている人が勝手に物を捨てようとすると、人が変わったように激怒するのだ。
食べ物も、どんなに古くなっても、腐ってカビが生えても、もったいない、寄付をしてくれた方に申し訳ないと思わないのか、と言って絶対捨てずに子供達に食べさせる。小麦粉に虫が湧き、タマネギが腐ってとんでもない臭いを発していても、しっかり火を通せば大丈夫とかたく信じていらっしゃるのだ。当然子供達は何回もお腹を壊し、近所に住んでいる医師が
「腐った物を食べさせないでください。」
と言うのだが
「食べ物は問題ない。きちんと火を通しているのだから。」
と全く聞く耳を持たない。厄介な事に、このじーさんは、まあまあな名門の貴族の一員だった。なので、平民のご近所さん達は強く言えなかったのである。
はっきり言って。『侯爵令嬢』としての権力を、今使わなくていつ使う、って感じだ。
私は強権を発動し、その孤児院のゴミを全部捨ててやった。その為、悪臭と大量の虫に苦しめられていた、ご近所の方々にものすごく感謝された
子供達も皆、まともな孤児院へ連れて行った。このお爺さん院長は、人間としては誠実な人だったのだろう。しかし、幼い子供達の世話をする資格は無い人だった。
私が支援すると決めた孤児院は2つだった。
1つは、ユーバシャール氏という初老の男性が孤児院長を務める孤児院で40人弱の子供達が暮らしていた。
ユーバシャール氏は、若い頃大きな商会を経営する商人だった。だが、お金儲けに必死になるあまり、家にほとんど帰らなくなり病気の妻の死に目に会えなかった。それが原因で父親を嫌うようになった一人娘は、良く無い人間と付き合うようになり、17歳で急性アルコール中毒で死亡した。ユーバシャール氏は、自らの生き方を悔い、商会を人に売って、贖罪の為孤児院を開設した。
かつて、ユーバシャール氏が家族と暮らしていたという家は、広かったが老朽化が進み、修繕がかなり必要な状況だった。それに、子供達の教育に大変熱心で、希望する子は貯金をとり崩してでも大学へ行かせてやっていたが、その貯金も既に尽きようとしていた。
もう一件は、ヘルダーリン夫人という中年の女性が孤児院長を務める孤児院だ。ヘルダーリン夫人の夫は産科医で、孤児院は病院の横にあった。その立地の為、その孤児院は圧倒的に乳幼児が多かった。
文子同様、母親が赤ん坊を置いてとんずらしたり、ここならきっと良い世話が受けられると思って、赤ん坊をドアの前に捨てて行ったりする親がいるのである。他の孤児院に引き取りをお願いしてみても、母乳が必要な赤ん坊はどこの孤児院も受け入れてくれない。結果、ボランティアで母乳を提供してくれる女性に頼りながら、少ない大人達でたくさんの乳幼児を見ていた。
視察して一番に思ったのは、子供の数に対して大人の手が足りないという事だった。結果、まだまだ、自分達が大人の愛情や関心を必要とする6歳前後の子供達が赤ん坊の世話を手伝っているのだ。なまじ、夫が医者なのでお金に困っていないだろうと思われているらしく、寄付がほとんど無く子供達を世話する人を雇う余裕が無い。ヘルダーリン夫人は、朗らかで慈愛に満ちた女性だったが、明らかに疲れ果てていた。
大学へ進学するのも、人を雇うのも継続的な援助が必要である。思いついた時にだけ、ポンと大金を渡すのでは、将来の見通しがたたない。私は、継続的な援助を約束する代わりに、劣悪な孤児院の子供達をその2件の孤児院に引き取ってもらった。
ぷくぷくと太っていた院長は、「子供達をさらわれた。」と、至る所で言って回ったらしいし、化粧の厚い院長は、下働きをしていた女の子達を連れて行かれて、ユーバシャール氏の孤児院に怒鳴り込みに来たらしい。
そこまでされたら、もう騎士隊案件である。街の治安維持に当たっている騎士に対応してもらい、女性院長にはお引き取り願った。
お爺さん院長は、お爺さんの親戚にうちのお父様が睨みをきかせてくれたので、もう孤児院経営はやめてくれと親戚が言ってお爺さんを領地に引き取ったそうだ。お爺さんの暮らす領地の、ポツンと一軒家は、その後やっぱりゴミ屋敷になっていると風の噂で聞いた。
騎士隊がどうの、というレベルではないくらい酷い孤児院もあった。