私の大切なお友達(1)(ユリアーナ視点)
ブルーダーシュタットに比べて冬の寒さが厳しい王都にも、春が来ました。
私にとっては、2度目の春となります。
私の名前はユリアーナ、レーリヒと申します。
海の側の街、ブルーダーシュタットで生まれ育ちましたが、去年王都の最高学府であるアカデミーに入る為、王都へやって参りました。
私の父が経営しているレーリヒ商会は、ブルーダーシュタットでは5本の指に入る大きさの商会です。もともとは、種苗を専門に扱っていましたが、今では幅広く東大陸や北大陸の様々な商品をやり取りしております。
ただ、異国との交易に力を入れるあまり、王都での商売に関しては他の商会に比べて出遅れておりました。王都に支店を出したのもわずか3年前です。その為、王都の貴族の方々とは全くと言っていいほどつながりがありませんでした。
お父様が私をアカデミーに入れたのは、最高の教育を受けさせたかったからというのもありますが、何よりも貴族の方々とのつながりが欲しかったからです。アカデミーは、今の国王陛下の代になるまでは、貴族の方しか入学する事ができませんでした。そして今でも、国中の貴族の方々が入学している大変に権威のある学園です。そこで、私に貴族の方と友人になり、うちの商会を利用して欲しいと考えていたのです。
お父様はそう露骨に言う事はありませんでしたが、ずっとお父様を支えてきた店員の皆には、私に期待しているとはっきり言われました。しかし、私の伯母様、お母様のお姉様には、貴族社会はそんな甘いところではないと言われました。貴族のご令嬢方が連れてくる侍女さえも、私より遥かに身分の高い方達ばかりなのです。その中で、同じ人間として見てもらえる可能性は無い。友達になるなど夢のまた夢だと言われました。
私は、不安な気持ちと期待する気持ちが半々で、故郷のブルーダーシュタットを後にしました。
そして、結果として伯母様の言う事が正しかったのです。
私は、学園の皆様から無視されました。
貴族の方々からは、いないものとして扱われ、数少ない平民の方からも、関わりたくないと邪険にされました。
最初の頃は、私が努力をすればきっと仲間として認めて頂けると思っていました。
返事を返してくれなくとも、笑顔で挨拶し、良い成績をとれるよう勉学に励みました。
それでも全く変わらない状況に、徐々に心が擦り切れていきました。
寂しくて悲しくてたまらず、友達同士で仲良くしている方達が羨ましくてたまりませんでした。なのに、その方達が声をあげて笑っていると、自分が笑われているのではと思って恐ろしくなりました。
辛くて苦しくて、私は毎晩泣いていました。ブルーダーシュタットに帰りたいと思いましたが、皆の期待にこたえられなかった私の居場所など無いと思いました。
自分は無力で無価値な人間で、きっと皆私に失望し、私などいない方がいいと思っているに違いない。真っ暗な穴に落ちてしまって、遥か上方に小さな出口が見えるけれど、誰も助けてくれず永遠にこの場所から出られない。そんな気持ちでした。
そんな中でも、寄宿舎の自分の部屋だけは安心できる場所でした。ここでも一人でしたが、ここには私を笑う人も嫌う人もいない。大好きな本の中の世界に逃げ込める。ささやかで小さな楽園でした。
ところが一年がたった頃、突然エリザベート様に声をかけられました。一人部屋だった部屋に同室者ができるとの事でした。
それも相手は大貴族のエーレンフロイト侯爵家の令嬢です。
真っ先に感じたのは恐怖でした。
そんな大貴族の令嬢と、うまくやっていけるわけがありません。同室者が平民の、しかも商人の娘と知ったらエーレンフロイト令嬢は激怒されるのではないでしょうか。
エーレンフロイト令嬢は、ヒンガリーラントの犯罪史で最も有名な女性殺人鬼の子孫です。一族の方々は、他家とほとんど交流を持つ事が無く、今でも尚、謎に包まれた一族とみなされています。
その、エーレンフロイト令嬢は昨年の建国祭の時に、王都でかなりの話題となりました。国王陛下の御前で行われる、14歳以下の子供達で行われるチェス大会で、女子初の優勝者になったのです。
偉業を讃える一方で、賢しらな口をきく生意気な少女、とも噂されました。
気性が激しい乱暴者で、怪我をさせられた使用人もいる。という噂もありました。
「ここは一階です。三階の部屋の方がよろしいのではありませんか?」
「三階にはツァーベル子爵家のユスティーナ様が入ります。明日にはこちらに来られるのでよろしく頼みますね。」
どうして?と思いました。子爵家のご令嬢と同室の方が良いはずではありませんか?高所が苦手とか、何か三階ではダメな理由があるのだとしても、一階には何部屋も空室があるのです。どうして、私と同室になるのでしょう?
この部屋はアカデミー内で、私が唯一気の休まる場所でした。それを失ってしまうだなんて!
だけど、エリザベート様の決定に文句を言う事はできません。
その日の夜、私は王都に来て一番たくさん泣きました。
そして、次の日から私の生活は一変しました。
エーレンフロイト令嬢レベッカ様は、穏やかで温和なとても優しい方でした。
乱暴な態度など一切無く、言葉を荒げられる事さえありません。
私にもとても気さくに話しかけてくださいますし、好奇心が旺盛で色々な事を質問してこられます。
故郷のブルーダーシュタットの事や、私の好きな食べ物など、私の拙い話でもいつも真剣に聞いてくださるのです。
そんな、優しいレベッカ様とは、皆話をしたいみたいで、たくさんの方が近寄って来られます。そんな方々に、レベッカ様はいつも同じ質問をされました。
「あなたの故郷では、鶏卵一つがどれくらいの値段ですか?」
私にも聞かれました。
ブルーダーシュタットにいた頃、料理長とお菓子作りをしていた時、台所に食材の配達をしに来た方と会った事があったので知っていました。
「銅貨4枚です。」
「そう。高いわね。」
びっくりしました。だって、銅貨4枚ですよ。侯爵家の令嬢がそんな事を言われるなんて!
でも、確かに高かったんです。
他の方々はこう答えました。
「銅貨2枚ですわ。」
「私の領地は湖がたくさんあって、ニワトリよりアヒルをたくさん育てているんです。なのでニワトリの卵は銅貨3枚ほどですけど、アヒルの卵なら銅貨1枚で買えますわ。」
「私の領地は、牧畜が盛んで、誰もがニワトリを買っています。だから売り買いはしません。値段をつけるとしたら、卵5個で銅貨1枚というところでしょうか。」
「命が入っている卵は銅貨4枚、入っていない卵なら銅貨2枚くらいですわ。」
命が入っている卵と入っていない卵を、どうやって見分けるのかレベッカ様は質問されました。
「雄鶏と雌鶏を一緒の鶏小屋で育てている場合は、命のある卵。雌鶏だけで育てていたら命のない卵というふうになります。」
この答えにはレベッカ様もとても感心しておられました。
ですが、誰もが卵の値段を知っているわけではありません。わからない、と答えられた人もたくさんいました。
こう答えた方達もいました。
「私の領地では、民の為に食べ物を安く売るようお父様が命令を出して差し上げているのですよ。卵は、銅貨10枚です。」
・・・安くありませんよ。
「まあ!卵は貴族の食べ物であって、平民が食べるような物ではありませんわ。売り買いなんて、そんな。」
あなたの領地の平民達に同情します。
「いやだ、レベッカ様ったら。物の値段を気にするなんて、そんなさもしい真似貴族がする事ではありませんわ。」
この人にはもう二度とレベッカ様は話しかけられませんでした。
鶏卵の値段を一通り聞いたレベッカ様は次に
「あなたの故郷では、市民権はいくらで買えますか?」
と聞かれました。
私は、この質問に答えられませんでした。ただ
「ブルーダーシュタットは王室直轄地なので、王都と同じ値段です。」
としか言えませんでした。
実は私は、市民権の値段が街によって違うという事を知りませんでした。
私は、ブルーダーシュタットの市民権を持っているお父様の娘としてブルーダーシュタットで生まれました。だから、生まれながらブルーダーシュタットの市民権を持っています。
ですが、去年王都に来た時に、市民権を持っていない事で不都合な事があってはならないと、お父様が王都の市民権を買ってくださいました。ですけど、それがどれほどの値段だったのかは知りませんでした。
そして当然ながら、市民権という物も他の商品と同じです。人気のある街の市民権は高く、人気のない街の市民権は安いのです。
あとそれと、領主が領民を増やしたいと思っている領地は安く、これ以上領民を増やしたくないと思っていたら市民権は高くなります。
私は領主様は皆、領民を増やしたいと思っているものだと思っていました。領民が増えれば税収が上がるからです。
でも、そうでない場合もあるようです。領民が一気に増えて、それに住宅事情やインフラ整備が追いつかないと、路上生活者が増えてしまいます。そうなると犯罪が増えたり疫病が流行ったりします。物価も上がります。なので、市民権の値段を高くし、人口を抑制するのです。
「エーレンフロイト領は30年程前に人口が激減したの。なので、移住者を呼び込む為に市民権の額を銅貨1枚にしたのだそうよ。今はいくらか増えたから、金貨2枚なのだけど。それでも周辺の土地に比べたら随分と安いわ。」
とレベッカ様は言われました。レベッカ様の話では、市民権は無料にしてはならないと法律で決まっているのだそうです。
レベッカ様の調査の結果、市民権代最高値は、ヒルデブラント領でした。金貨150枚で、これは普通の労働者の年収約15年分だそうです。
王都も、近年人口の急な増加が問題になっているそうですが、他の王室直轄地と値段を揃えないとならないので、ヒルデブラント領よりは安いのだそうです。
「高い街には住めないけれど、安すぎる街も治安がなあ。適度に安くて人の流入が多い街の方が、身を隠すには・・・。」
レベッカ様は、街の安全や住みやすさについてとてもよく考えておられるようです。将来王室に入られる方は、こんなにも民の事を気遣っておられるのだと感動致しました。
それと同時に、商人の娘であるというのに、自分はこんなにもお金について無知だったのだと、考えさせられました。
2話連続投稿します。
次の話もよろしくお願いします。




