シュテルンベルク邸へ
さっそく、私は護衛騎士のアーベラと共に、コンラートの邸宅へと向かった。
私が乗ってきた馬車の御者には、シュテルンベルク家へ行くという事を私の家に伝言してもらいにいったので、私とアーベラはコンラートが乗ってきた馬車に一緒に乗せてもらった。
シュテルンベルク家の馬車も、スタイリッシュな高級車だが、やっぱりうちの馬車と同じくらいガタゴト揺れる。これは車輪の問題だけでなく、道路の問題でもあるのかもしれない。日本のアスファルトの道路がたまらなく恋しい。
コンラートとは数年ぶりの再会なのに、「お元気ですか?」の一言もお互いになかったなぁ、と今更ながら気になった。
今からでも、聞くべきかなと思ったが結局やめておいた。どこか悪かったとしても、ものすごく久しぶりに会った親しくもない人間に「実はこんな持病が」などというデリケートなカミングアウトはしないだろう。
ようするに聞くだけ無駄って事だ。
そもそも今日は、コンラートのお母様の命日だ。彼にとっては一年で一番暗い気持ちになる日であるかもしれない。
余計な事は言わんでおこう、と思ったので、馬車の中はしーんと無言だった。
ガタゴトガタゴトゴト・・・。
コンラートの家まで、10分ちょっとで着いたので何とか間がもった。
コンラートの家は、我が家の近所だ。隣の隣の隣の家である。
ただし、『日本の限界集落の近所の家』と同じくらい遠くの近所だ。なぜなら、貴族街にある貴族の家は一軒一軒敷地がだだっ広いからである。
実際、うちと一緒で門から館がものすごく遠い。そしてうちと違って、ものすごく庭園に手間と金をかけている。
この美しい庭を、地球ならオーストラリア大陸に生息しているエリマキトカゲが爆走していたんだよな。思わず捕まえるでしょ。子供なら。
「とっても綺麗な庭ね。白やピンクの百合が一面に咲いているし、池には睡蓮が咲いているし。」
「百合や蓮の根は食べられるからな。飢饉の時の救荒作物として、積極的に栽培しているんだ。」
結構、堅実な理由だった。
蓮根はおいしいもんね。と、思っていたら、百合畑の向こうに瀟洒な邸宅が見えてきて、馬車が止まると家の中から男性使用人達が数人出てきた。
馬車の側に、使用人の皆さんがピシッと整列する。
馬車のドアを開けて、コンラートが降りると
「お帰りなさいませ、坊っちゃま。」
と、白い口髭の初老の男性が言った。
「ああ、今帰った。オイゲン。」
と、コンラートは言った後
「客と一緒なんだ。お茶の用意をしてくれ。」
と言った。
「おお!坊っちゃま、お友達ですか⁉︎」
なぜか、とても嬉しそうなオイゲンさん。コンラートは無言で、馬車の中の私に手を差し出してくれた。どうやらエスコートしてくれるらしい。
溢れ出る好奇心で、全使用人の皆さんの目がキラキラしている。
慎み深い元日本人としては、こういう状況ってなんか恥ずかしいわー。私は日本人特有の曖昧な微笑みを浮かべつつ降車した。
「レベッカ・フォン・エーレンフロイトです。急にお訪ねしてご迷惑でなければ良いのですけれど。」
「これは、レベッカお嬢様!いえ、エーレンフロイト姫君。よくおいでくださいました。」
「ベッキー、執事のオイゲンだ。母が生きていた頃から、ずっとうちで勤めていてくれているから覚えているだろう。」
・・すみません。覚えていませんでした。
文子の人生が間に挟まっているから、エレオノーラ様が亡くなったのは私の中では20年以上前なんだよ。
それにしても、ここんちの執事さんは渋くてダンディーで、まさに執事を絵に描いて色を塗ったような人だ。
我が家の執事は、まだ20代だから、どーも貫禄とか威厳とかがかなり足りないのだよね。趣味が掃除だし。
「天気がいいので、お茶は外で飲もう。オイゲン。チェス盤を持って来てくれないか。」
「かしこまりました。エーレンフロイト様。お菓子は何をお持ちしましょうか?何でもおっしゃってください。」
・・・。
今、私の社交性と常識が極限まで試されている・・。
『何でも』と言われても、21世紀の日本程の菓子の種類は無いのだ。
侯爵家であるエーレンフロイト家でも出てくる甘味といえば、クッキーかパイくらい。チョコレートもアイスクリームも見た事ないし、スコーンやマフィンのようなベーキングパウダーを使った菓子や、ゼラチンを使ったゼリーやババロアのような菓子も見た事ない。
果物といえば、ブドウ、リンゴ、オレンジが三巨頭。この三種以外ではサクランボやアプリコット、ブルーベリーくらいしか食べた事ない。少なくとも、バナナやメロン、マンゴーやドリアンといった果物は見たことさえ無い。
今ここで、「チョコチップスコーンと、マンゴープリン」とか言ったら、お互いに恥をかく。
そもそも、この世界にある食材でも、ここんちの台所にあるかはわからないのだ。そして、台所に無いからといって、ちょっとスーパーやコンビニに買いに行くなんて真似もできない。あとそれと、作るのにものすごく時間のかかるお菓子はアウトだ。オーブンに入れて低温で1時間蒸した後、1ヶ月くらい熟成させる奴とか。
結果。
「カスタードプリンが食べたいです。」
卵と牛乳と砂糖があればできる菓子だ。たぶん、それくらいなら、この家にもあるだろう。
「承知致しました。お嬢様は、幼い頃からプリンがお好きでしたよね。」
・・たぶん、幼い頃から頑張って空気を読んでいたんです。
でも、まあプリンが好きなのも事実だけど。
私とコンラートとアーベラは、百合畑の側のガゼボへと移動した。執事がすぐに、紅茶とチェス盤を持ってきてくれる。
チェス盤は、地球の物とマス目の数も、駒の形も色も同じだ。考えてみたら不思議だよなぁ。大昔に、地球から来た人がいて、その人が広めたのだろうか?
さっそく、私とコンラートは勝負を始めた。最初からガンガンと巧みに攻撃すると、中身年齢が30代だとバレるかもしれない。
と思って、慎み深く駒を動かしていたら、開始5分程で私の駒の3分の1がコンラートに取られてしまった。
流石に手を抜きすぎた。チェスは将棋と違って、取った相手の駒を自分の物には出来ないので、駒が取られれば取られるほど不利になるのだ。
慌てて悪足掻きをしていると
「久しぶりだね、レベッカ。コンラートと勝負をしているの?」
と、声をかけられた。
誰?と、悩む必要はない。この家の中で、私はともかくコンラートの名前を呼び捨てにする人間は一人しかいない。コンラートの父親であるシュテルンベルク伯爵だ。
ここで再び発生する二人称問題!
この人に何と言って呼びかける⁉︎
伯爵は、まだ30代だ。だからたとえ親戚でも『おじさん』は絶対アカン。しかし『お兄様』呼びはさすがに白々しい。
ついでに言うとこの人は政治家で、医療大臣なのだ。日本でいうところの厚生労働大臣みたいなもの。そんな偉い方にタメ口は絶対アカン!
「ご無沙汰しております。伯爵閣下。」
たっぷり30秒くらい悩んでから、私はそう言った。私の心の葛藤がバレていたのだろうか。コンラートが
「おじさん、で構わないぞ。実際おじさんなんだから。」
と言った。やめて。30代を中年呼ばわりされたら、中身が30代の私は地味に傷つく・・・。
伯爵自身は息子の発言を歯牙にもかけず
「昔みたいに、名前で呼んでくれてかまわないんだよ。」
と言ってくれた。私は笑って誤魔化した。私がガチで11歳だったらそうしたかもしれないが、なまじ長生きしている分、理性が「やめとけ」
と書いた垂れ幕を持って脳内を爆走している。
それにしても、息子が友達(?)を連れてきたら、すぐ様子を見に来るって結構過保護なんですね。と、心の中で思う。
まあ、一人っ子で、奥さんを亡くしているなら、こういうものなのかな。
私なんて、一ヶ月近く両親から放置されているというのに。
と思っていたら、プリンがやってきた。
おお!と思わず声が出そうになる。
日本のおしゃれな喫茶店で出てくるプリンのようだ。ガラスのお皿に乗せられ、生クリームとオレンジやブルーベリーが飾られている。
それと一緒に出てきたのが、ドライフルーツがたっぷり入ったパンプティング。
すごくクオリティーの高い菓子が出てきた。
そして、チェスの勝負もついた。
もちろん私が負けた。前半、駒を取られまくってもう挽回がきかなかった。
「なかなか良い勝負だったのではないか。」
と伯爵様がお世辞を言ってくれた。息子同様、清潔感のあるイケメンだが、心も美しい方であるらしい。
「私にも、お茶を淹れてくれ。」と言って、いつの間にか椅子に座りこんでいる。
「チェスをするのが久しぶりだったのではないか。最初動きが緩慢だった。最初から、後半の勢いで動いていたら私が負けたかもしれない。」
コンラートに冷静に分析され、私はプリンを食べながら冷や汗をかいた。最初手を抜いたのがバレている・・・。
「・・・だったら、私はチェス大会で優勝できる?」
「十分可能だと思う。他の挑戦者の、得意な手を研究して対策すれば。」
「とりあえず、最大のライバルはコンラートお兄様ね。」
「私は、大会には出ない。」
「えっ、どうして?」
「優勝経験者は、出られないんだ。毎年違う人間に優勝できるチャンスを与える為、国王陛下がそう定められた。」
「じゃあ、王宮のお菓子を食べられるチャンスって一回きりなの⁉︎」
「大人になって、社交界にデビューして、王宮の舞踏会や園遊会に呼ばれるようになったらいくらでも食べられる。」
言われてみたらその通りだ。過去には、社交界デビューをしなかったので、その可能性を全く思いつかなかった。
「他の挑戦者って、どうしたらわかるの?」
「だいたいの予想はつく。王都で、チェスを嗜んでいて、それなりの実力がある子供というのは、その子供達を指導している指導者達の間で話題になる。もちろん、君のように突然出てくる子供もいるが、そういうケースは本当にレアだ。そしてチェスの愛好家というのは、小さなコミュニティーだから、お互いの攻撃のクセや実力はだいたいわかっている。」
「今年の、優勝最有力と噂されているのは、アーレントミュラー公子だね。去年、コンラートと決勝で戦ったんだ。」
と伯爵様が言った。
内心で、たらりと汗をかく。
アーレントミュラー公の息子というと、フィリックス・フォン・アーレントミュラーの事だろう。
彼は第二王子の友人で、私が殺された時王城内にいた第二王子の四人の友人の一人だ。
「・・アーレントミュラー公子ってコンラートお兄様のお友達だよね。」
「別に親しくはない。」
「やめなさい、コンラート。不敬に当たる。国王陛下の甥なんだぞ。」
アーレントミュラー公爵は国王陛下の弟になる。だから、フィリックスと第二王子とは従兄弟同士なのだ。
「レベッカは、建国祭のチェス大会に出場するのかい?」
と伯爵が聞いてきた。私の代わりにコンラートが答えてくれる。
「そうです。父上。ですから、レベッカの優勝に賭けたら大儲けできますよ。もちろんもう少し実戦を重ねる必要はあるでしょうが。」
「実戦とか研究とか言われても、私、先生がいないし・・・。」
「チェス大会は建国祭の三日めに開催されるから、まだ十日ある。その間に私が教えられる事は教えよう。」
「でも、コンラートお兄様は学校に行ってるんでしょう?」
「アカデミーは、建国祭の前後は休みになるんだ。私は補講の予定も無いし、もう休みに入っている。」
「それは良い。人に教える事は自分自身の勉強にもなるからね。」
と伯爵様も大乗り気だ。
ならば、ここは甘えようかなという気になった。
チェス大会に参加するからには優勝したいのだ。
それにこうやってコンラートと親しくなる事は、コンラートに殺されるかもしれない将来の死亡フラグを折る事になるかもしれない。
今日は私がコンラートの家に来たが、次からはコンラートがうちに来てくれる事になった。
時間等、いろいろと約束をする。
コンラートがうちに来ると、私がチェス大会に出るつもりでいる事が親にバレるが、コンラートは一応親戚だ。両親もコンラートを追い払ったりはしないだろう。
昼食も食べて帰るよう誘われたので、ありがたく食べて帰る事にした。家に帰っても、どうせ一人で食べるのだ。文子だった頃はいつも、施設の皆と大人数でワイワイ言いながら食べていたので、一人の食卓はとても寂しい。伯爵も両親が留守をしている私に気を遣ってくれているのだろう。その好意が嬉しかった。
家に帰って、部屋でゴロゴロしていたら、日の暮れる少し前玄関前がザワザワしだした。
窓から覗くと、玄関前に大きな馬車が停まっていた。
お父様やお母様が戻って来たんだ!私は玄関へと走り出した。
玄関を入ってすぐのホールで、我が家の使用人さん達がズラリと並んで、お父様達を待っていた。
やがて玄関ドアが開き、私の記憶にある姿より少し若いお父様が入って来た。そして、お母様と弟のヨーゼフも!
私の目から涙がこぼれ落ちた。
また会えたんだ。会いたくて、会いたくてたまらなかった家族に!
ボロボロボロボロと、涙が後から後から溢れてくる。
そんな私に驚いた顔をして、お父様が駆け寄って来てくれた。
「ただいま、レベッカ。寂しい思いをさせてしまったね。」
「・・いいんです。別に・・いいの。また会えたから。」
そう言っている間も涙は後から後から溢れてくる。
「お姉様、泣かないで。」
と、3歳年下の弟のヨーゼフが言ってくれた。
「もう、そんなに泣かないでちょうだい。お土産は買って来たから。お姉さんでしょ。」
と、母が呆れたような声で言った。
その全てが嬉しかった。今度こそは、みんなと一緒にいつまでも幸せに生きていくんだ。その為だったらなんだってする。
心からそう思った。
良かったね。レベッカ!
と思ってくださった方は、ブクマや☆☆☆☆☆をぽちぽち押して、レベッカと作者を応援して頂けたら嬉しいです(^∇^)
次話はコンラート視点の話になります。