ヒルデブラント家
「駆け落ちーっ!」
絶叫してしまった。
「えっ?心中じゃなくて駆け落ち?誰が言ったの?信頼できる人なの⁉︎」
「新聞にそう記事がのったそうです。」
・・何だ。新聞か。
正直、この世界の新聞は21世紀の地球のネット情報くらい当てにならない。
2話でも紹介した通り、『宇宙人発見』という記事を堂々とのせるくらいだ。真実よりも、面白さの追求に特化しているのである。
「そんなの嘘に決まっているよ。つい、昨日まで普通にここに住んでいたんだよ。ジークルーネ様は賢い方なんだから、駆け落ちするには準備が必要ってわかっているよ。」
「駆け落ちするのに必要なのは、愛と、周囲の無理解と、その場の勢いではありませんの?」
「何言ってるの、ユリア。作者の頭が煮えてるロマンス小説じゃないんだから。そんなモンを胸に抱いて駆け落ちなんかしたら3日で野垂れ死ぬよ。駆け落ちに必要なのは、周到な計画と、金と、底無しの体力だよ。」
「駆け落ち論を語っている場合ではありません、お嬢様。これは、大変な事態ですよ。」
「いや、だから、駆け落ちなんかしているわけがないって。」
「こういう記事が出たという事が、貴族家にとって重大な事態なのです!」
まあ、確かにその通りだ。大スキャンダルだもんね。
なら、どうしてそんな『事態』になってしまったのだろう。
新聞社はどうしてそんな、侯爵家を敵にまわすようなフェイクニュースをのせたのだろうか?
「その新聞見たいな。ユーディット、買ってきてくれない。」
「わかりました。」
ユーディットが出て行ってすぐ。
コンコンとドアをノックする音がした。
それと同時にドアが開く。
「うおっ!」
と思わず叫びそうになり、慌てて言葉を飲み込んだ。
ドアを開けたのは、エリザベートだった。
「っつくしい朝で・・。」
「挨拶はけっこう。」
エリザベートがぴしゃっと言った。
「ジークの件は聞きましたか?」
「・・・。」
「聞きましたよね。さっき、貴女の『駆け落ちー』という叫びが響き渡っていましたから。」
わかっているなら聞かないでほしい。
「貴女達二人は昨日、ジークと何か話をしていましたね。あれほど、ジークが怒っているのを見たのは初めてです。いったい、何を話していたのですか?」
そう言いつつ発せられるエリザベートの『圧』がすごい。
私は後ずさりしそうになった。
「ジークルーネ様のお兄様に偶然会ったという話です。」
「他には?」
「いえ・・会ったという話だけで。あまり、元気そうに見えなかったとは、言いましたけど。」
「本当です。でも、ジークルーネ様は、お兄様の事を話題にされるのはお嫌そうでした。」
と、ユリアが言った。
エリザベートは、納得できないような表情で
「そうですか。」
と言った。
「新聞に、駆け落ちしたってのったって、本当なんですか?」
と、私は逆に質問してみた。
「3社の新聞にのりました。」
「昨日の今日で、早すぎじゃありませんか?」
「誰かが、情報を投書したのでしょう。」
「いったい、誰がそんな事を⁉︎」
「わたくしは、ジークルーネ本人ではないかと思っています。」
「えっ?何で、そんなウソを。とゆーか、ウソですよね。」
「ええ、駆け落ちしたというのはウソです。」
エリザベートは断定した。
「ヒルデブラント家は問題が多い家です。ですから、わたくしは、ヒルデブラント家の内情を調査する為、信頼できる者を邸内に送り込んでいました。その者によると、ジークルーネはまだ、ヒルデブラント邸内にいます。西の離れに閉じ込められているようです。」
「ええーっ!」
というか、怖い話を聞いた。この人、よその家にスパイを送りこんでいるの!
「え・・問題が多いってどういう?」
「貴女は、現在の当主がなぜ侯爵位についたのか、知っていますか?」
現在の侯爵、というのはジークルーネの父親の事である。
私はほとんど会った事が無いし、ジークルーネの口から父親の話が出た事は一度も無い。
「全然知らないです。」
「ヒルデブラント家の前当主には、娘が三人いただけで息子がいませんでした。」
そう言って、エリザベートはヒルデブラント家の事情を私とユリアに話し始めた。
彼女の話を要約すると、こういう事になる。
ヒルデブラント家の前当主には息子がいなかった。本当は一人いたらしいが事故で若死にしたらしい。娘は三人いたが、娘は爵位と領地を継ぐ事ができないので、爵位と領地は、ゆくゆくは一族の男性の誰かの物になる。侯爵の長女ゲオルギーネと、次女のルドルフィーネは、それぞれ分家の男性と結婚し、その二人のうちのどちらかが跡を継ぐ事になるだろうと思われていた。ところが、侯爵は後継者を指名しないうちに急死してしまった。名門侯爵家は、2つに割れ、このままでは継承する財産を巡って内部闘争を起こすだろうと思われた。それを防ぐ為、王室が介入した。
王室が次期侯爵として指名したのは、二人のうちのどちらでもなく、前侯爵の甥クリストハルトだった。
国王が、彼を指名した理由は主に3つある。
一つ目は、クリストハルトが前侯爵の、最近親男性親族であった事。
二つ目に、ゲオルギーネにもルドルフィーネにもまだ息子がいなかったが、クリストハルトにはジークレヒトという息子がいた事。
そして、最後。クリストハルトの妻が国王の従姉妹だった事。
である。
内紛は避けられた。しかし、前侯爵の娘達は激昂した。
自分の物になると思っていた物を、従兄弟に横取りされてしまったからだ。
王室の威信をかさにきて、と姉妹達は思ったが、実のところクリストハルトは権力欲とはまるで無縁の、物静かな人だった。
妻のジークリンデも、王の従姉妹とはいえ母親は平民の側室であったし、王子だった父親は無類の女ず・・じゃなくて子供好きで、異母兄弟が30人以上いたのである。
二人とも、社交界とは距離を置いて、穏やかにのんびりと暮らしていたのに、急に莫大な遺産と責任を押し付けられて、むしろ迷惑だったのだ。
そのようなわけで、今も尚、ヒルデブラント家は前侯爵の娘達の権力が絶大で、現侯爵とその子供達の立場が弱い。
ジークリンデ夫人が事故で亡くなると、ゲオルギーネとルドルフィーネは末の妹のヴィルへルミネを無理矢理侯爵の後妻にした。
それ以来、ますますジークレヒトとジークルーネの立場は弱くなった。
ヒンガリーラントでは、長子が家を継ぐわけではなく、当主が選んだ子供を後継者にする事ができる。後妻のヴィルヘルミネが男子を産めば、その子が次期後継者になるのは間違いがなかった。
「だから、いつ暗殺とか起こってもおかしくない家なの。」
「親戚同士で大変ですね。」
「親戚のいないエーレンフロイト家には、無縁の悩みね。」
「ジークルーネ様のお母様は事故で亡くなったと言われましたけど・・事故なんですよね。本当に。」
「そうだとは思うけれど。」
ある日、ヒルデブラント領に帰省していた侯爵夫人とジークルーネの二人は、領地から馬車で1時間ほどかかる貴族の家に招待されて遊びに行った。その帰り道、雨が降り出し、大きな石が崖から落ちて来て馬車が壊れたのだ。御者は馬に乗って助けを呼びに行った。それでも往復するのに1時間以上かかった。季節は春の終わりとはいえ、陽が落ちれば気温はグッと下がる。しかも馬車の天井が壊れていたせいで、雨が降り込んでいた。
騎士達が救出した時には、侯爵夫人は自分が着ていた服をグルグルとジークルーネに巻きつけ、下着同然の姿で凍死していたそうだ。
うっ!と私は声を詰まらせた。携帯電話や公衆電話の無い世界では起こり得る事故と言えるだろう。
21世紀の日本だって、電波の届かない田舎道で車が壊れたら似たような状況になるはずだ。
幼かったジークルーネの寒さや不安、少しづつ母親の身体が冷たくなっていく恐怖を想像すると、身震いが止まらなかった。
そんな体験をしていたのだったら、少しくらい性格がねじれ曲がっていたとしても仕方がないよね。
私がレベッカに戻るのが、もっともっと前だったなら助けてあげられたかもしれないのに。ルートヴィッヒ王子のお母さんの時みたいに。
「わたくしは、今からヒルデブラント邸へ行ってまいります。」
とエリザベートは言った。
「そうですか。」
「貴女達もついて来なさい。」
「ん、えっ?」
私は間のぬけた声を出してしまった。
「いや、でも・・・。」
「行くのは嫌だと言うのなら、知っている情報を全て話しなさい。まだ、話していない事があるでしょう。」
と言われても、レベッカの人生が2度目だから未来の事がわかる、とか言えないし!
それに。
「嫌じゃないです。ジークルーネ様の事、心配ですもの。本音を言うと駆けつけたいです。でも、無理ですよ。親か親の代理人が来てくれないと、敷地の外には出られないのですから。」
「孤児院や救貧院、貧民救済病院の慰問に行くと言えば出られます。一旦、そこへ寄って寄付金を渡してからヒルデブラント家へ行けば良いのです。」
「えっ、そんな裏技が!知らなかった。だったら行きます!」
「私も行きます。」
とユリアも言った。
急に、私達二人がいなくなったら、新聞を買いに行っているユーディットがびっくりするだろう。
私は、書き置きを残してから、エリザベートの後について行った。