ジークルーネの帰宅
私がジークルーネに、愛の告白をしたという噂は、1秒でアカデミーを7回り半駆け巡った。
アカデミーの初等部に通っている弟からも
『何、やってるの?』
と手紙が来た。男でも弟からの手紙は、厳しい検閲を通り抜けられるのだ。
『コンラートも呆れていたよ。』
弟のヨーゼフと、ジークルーネの婚約者のコンラートは、寄宿舎で同室なのである。
ヨーゼフは初等部で、コンラートは高等部だが、寄宿舎の区画割は階級で決まっている。
二人が同室になれたと聞いた時、お母様はとても喜んでいたそうだ。
男子寄宿舎は、女子寄宿舎と比べ物にならないほど激しい、いじめや暴力沙汰が起こるらしい。
なので、コンラートがヨーゼフと同室になってくれてホッとしたという。まあ、私も良かったなと思う。
けれど、コンラートの機嫌を損ねたというのは恐怖だった。何せコンラートは、私を殺す殺人犯候補の一人なのだから。
私には、コンラートとジークルーネを争う気なんてさらさら無い。
正直、私の初恋の男の子が実は女の子だったのかもと知って感じるのは、途方もないガッカリ感である。
大きなホワイトチョコもらった、わーい。と思っていたら、せっけんだった、みたいな・・・。
まあ、しかし。何が真実かは私にはわからないのだ。
あの初恋の日の相手は、ジークルーネだったのかもしれないし、他の誰かだったのかもしれない。
いや、もしかしたら、やっぱりジークルーネは心中していて、何かをきっかけにしてジークレヒトの性格と歯並びが変わっていたのかもしれない。
所詮、他人の家の話だ。私には関係無い。
と思っていたけど、やっぱり関係ある!
ジークレヒトは、私を殺したかもしれない犯人候補の一人なのだ。
なら、私が18歳になった時の『ジークレヒト』が何者なのかは、ものすごく大切な事だ!
今まで、私はエリザベートとユリアの事を、殺人犯候補として警戒していた。絶対怒らせないよう、機嫌を損ねないよう注意を払っていた。
でも、ジークルーネの事は全然警戒していなかった。だから、けっこう素で接していたし、失礼な事も、もしかしたら言っていたかもしれない。
どうしよう。私、何か地雷踏んでないよね。
頭を抱えていた私にユリアが
「レベッカ様は、収穫祭の前後のお休みはどうされるのですか?ご自宅へ帰られるのですか?それとも領地へ帰られるのですか?」
と、質問してきた。
・・・本音を言うと、今は家に帰りたくない。
絶対、私とジークルーネの事は親の耳にも入っているだろう。
今、家に帰ったら、お母様にオールナイトで説教くらいそうな気がする。
でもまあ、救いなのは、ヒンガリーラントでは同性愛は犯罪ではないって事だな。
わりと近世まで、地球のヨーロッパでは、同性愛は犯罪だった。
文豪オスカー・ワイルドみたいな目に遭うのはごめんこうむりたい。
「考え中。休みの間に受けられる特別授業もあるんだよね。ユリアはどうするの?」
「私もまだ決めていません。あの、レベッカ様に合わせようかな・・って。でも、特別授業もあるにはありますけど、それはものすごく成績の悪い方が、休みの間に少しでも授業に追いつけるよう受けるもので、レベッカ様は対象外だと思いますよ。」
「マナーやピアノは苦手だもん。」
「レベッカ様は十分中庸です。下には下の方がたくさんいらっしゃいますから。」
「マナーやピアノでしたら、侯爵夫人に教われば良いのではありませんか?」
と、ユーディットに言われた。ユーディットは子供もいるし、家に帰りたいのかもしれない。
とゆーか、ユリア。別に合わせてくれなくてもいいんだが。
収穫祭、どうしようかなあ、と思いながら、その日の夜眠りについた。
夢を見ていた。
夢の中でお父様が泣いていた。
使用人の皆も、深い悲しみに沈んでいた。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。と。
言いたいのに言えなかった。
「お嬢様!」
と、すぐ近くで声がした。ユーディットの声だった。その側でユリアも心配そうに私の顔を覗き込んでいた。
「大丈夫ですか?とても、うなされておいででしたわ。」
「・・ゆ、め・・か。」
「怖い夢を見ておられたのですか?」
「お母様が・・死んでしまったの。」
「まあ!それは怖かったですね。」
「・・自殺したの。私が・・悪い子だったから。」
「お嬢様、それは夢ですよ。侯爵夫人が自殺なんかされるわけありません。大丈夫。夢ですわ。」
「・・・。」
夢じゃない。これは、近い未来の本当の事だ。
お父様が泣いていたのも、心臓が引き裂かれたように悲しかったのも、全て現実の出来事だった。
「そんなにも、ヒルデブラント様との件を気に病んでおられたのですか。大丈夫です。まあ、侯爵夫人も・・何かは言われるかもしれませんが、それで亡くなったりなどされるわけがありませんよ。」
・・そうだ。ヒルデブラント家の事が胸の中に引っかかっているから、こんな夢を見たんだ。
もう、まもなく、たぶんジークレヒトは死んでしまう。
病気だったら仕方ないと思えるだろう。だけど、そうでなかったら。きっとジークルーネは苦しむはずだ。
あまり関係の良くない兄妹なのかもしれないが、それでもきっと苦しむはずだ。
私がずっと、苦しみ続けたように。あの人は、なんだかんだ言っても優しい人だから。
「ごめんね・・。真夜中に起こしちゃって。」
「そんな事気になさらないでください。」
なぜか、ユリアが涙ぐんでいる。うなされる私が怖かったのだろうか?
「安心してお眠りください。また、怖い夢を見たら起こして差し上げますから。」
と、ユーディットが言ってくれた。
「うん・・。」
と、私は頷いた。
ジークルーネ様と話してみよう。と思った。
でも。何と言って話をすれば良いのだろうか。
翌日。
睡眠不足気味の頭で、私はアカデミーの廊下を歩いていた。
結局、また私は悪夢を見た。
牛に轢かれて「怪我が治りますように。」と善光寺にお参りに行くという、意味不明な夢だった。
これぞ、正に『牛にひかれて善光寺参り』・・・。
「ジークルーネ様と話したい事があるのだけど、今、私とジークルーネ様が二人きりで話をしていたら、人にどうかと思われるので一緒に来てくれる?」
と、ユリアに頼んでみた。
「え、ええと、私なんかでよろしいんですか?」
「うん、お願い。」
私なんかも何も、死体でさえなきゃ誰だっていいのだが、ユリアを不快にさせる事を言うわけにはいかない。
今は午後の授業が終わった所だ。黙学室に入る前にジークルーネを捕まえたい。
ありがたい事に一人で歩いていたジークルーネを発見した。
周囲に今、人はいない。
「あの、ジークルーネ様!ちょっと、お話したい事があるのですけれど良いでしょうか?」
「おや、何だい?我が花嫁殿。」
と言って、ジークルーネがにぱっと笑う。
何だかなあ、と思うけど、気味悪がられたり怒られたりするよりかは、冗談にしてくれてまあ良かった。と思う事にしよう。
「ええと・・先日、ジークレヒト様にお会いしたのですけれど。」
「それ、もう聞いたよ。」
「そうなんですけど、その時、ちょっと気になった事があって。ジークレヒト様と、一緒にいた男の人の・・。」
私はしどろもどろになった。
だけど、どう筋道をたててみたって信憑性のある話にはならないだろう。
レベッカの人生が、2回目だという事は言えないのだから。
「えーと、なんか様子がおかしかったって言うか。」
「・・・。」
「うまく言えないんですけど。」
「・・・。」
「なんて言うか、『死の気配』みたいな物を感じたんです。実は、私、知ってる人で心中した・・人がいるのですけれど。」
そんな人は、レベッカの頃の知り合いにも、文子の頃の知り合いにもいない。
だけど、こう言って押し通す以外の方法を思いつかなかった。
「それに、似ているような、似ていないような、何というかこう、何かを諦めているような。」
そういう様子は、天然痘が大流行した後にたくさん見た。
ヨーゼフを失ったお母様や、お母様を失ったお父様の姿に。
「何ていえばいいのか、わからないのですけれど、ただ、そういう時は誰か寄り添って話を聞いてあげる人が必要だと思うんです。ただ、話を聞くだけでも・・。」
「つまり、貴女は、兄上がギルベルトと心中しそうだと言いたいのかな?」
この人、恐ろしく心中を察するのが早いなっ!
一を聞いて百を理解したよ!
「いや、必ずしもそうではなくて!死ぬかもしれないけど、それを仕方ないと諦めているというか。いえ、そんなじっくり話し込んだわけじゃないんですけど、何となくそんな気がするような、気がしない事もないような。」
「正直言って。」
ジークルーネの顔から笑みが消えていた。
「私は何を言われても、どんな噂をたてられても別にかまわないのだけどね。兄上の事を不躾に語られるのは、かなり不快だね。」
やばい。
ジークルーネ、めちゃ怒ってる。
ジークルーネなら、こういう話をしても「もー、またまたあ。」とか言って冗談にしてしまうのでは、と思っていたけれど、これこそ地雷だったみたいだ。私は、それを力一杯踏み抜いてしまった。
「ご、ごめんなさい。あの・・・。」
「あら、三人ともどうしたの?」
このタイミングで、エリザベート様が現れた!
「ああ、エリーゼ姫。何でもありません。少し、昔話をしていたのです。レベッカ姫と。」
と言ってジークルーネは微笑んだ。けど、目が笑ってないっ!
「あら、そうだったの。でも、わたくしもジークとお話したい事があったのだけど。かまわないかしら?」
「もちろんです。レベッカ姫との話はもう終わりましたから。」
終わってませんよー、とか、ジークルーネ様を連れてかないでー、とか。
そんな言葉、チキンハートな私に言えるわけがない!
私は頭を下げて、じりじりと後退した。
やらかしてしまった・・。
ゴンぶとのフラグが天高く上がってしまった。その幻が見えた。
そういう何やかやがあって、私はすっかり頭を抱えていた。
馬鹿な事をした。余計な事をするんじゃなかった。
所詮、よその家の話だったんだ。首を突っ込んではいけなかったのだ。
今は、初恋の告白を失言してしまった時よりも、ジークルーネに合わす顔がない。
寄宿舎にもアカデミーにも居場所がないけど家にも帰れない。もう、どうしたらいいの?泣きたい。
そうやって落ち込んでいるから、そっとしておいてほしいのに、後ろでユリアがうるさい。
「レベッカ様すごいです。私、全然、何にも、ジークルーネ様のお兄様の様子がおかしいとか気がつきませんでした。『死の気配』がするとか、そんな事がお分かりになるなんて本当にすごいです。尊敬いたします!」
わからねえよ!全部ホラだよ!
と、叫べたらどんなにいいだろう。
「学校行きたくない。授業受けたくない。ジークルーネ様に会いたくない・・。」
「ジークルーネ様は、昨晩ご実家にお戻りになられましたよ。」
と、ユリアが言った。
「へっ?何で?」
「何でって・・それは、レベッカ様が、あのようにおっしゃったからではないでしょうか。ご兄妹ですもの。心配されるはずですわ。」
「ええーっ!」
何で、そんな事になってんの?
わけがわからない。どうして、あのトークでいきなり帰宅する事になるの?
そこに。
「た、大変ですわ!お嬢様。」
用事で、部屋の外へ行っていたユーディットが慌てた様子で部屋に駆け込んできた。
「ヒルデブラント家のジークルーネ様が、平民の男性と・・。」
心臓がドクン!っと肋骨の中で飛び跳ねた。
そんな。まさか。まさか!
「駆け落ちされたそうです!」
・・・えっ⁉︎