ハーゲンベック領へ(4)
領主の館の門では五人の兵士が門番を務めていた。
私達は対応をジークルーネに丸投げした。ジークルーネが前に進み出る。
ジークルーネはいったい何と言うだろう。さすがに、ここでは駆け落ちした若君を探している。というホラは通じないはずだ。
「ヒルデブラント家の者だ。当主に話があって来た。中へ入れてもらおう。」
そのまんまだった。
話すと同時に、ヒルデブラント家の家紋入りのメダルを掲げている。兵士達に動揺が走っていた。
「すぐに取り次ぐので、しばしお待ち頂きたい。」
「緊急の用の為取り次ぎは不要だ。門を開けろ。」
「そのようなわけには!」
「ハーゲンベック家とヒルデブラント家の関係がどのようなものか知らないわけではないだろう。開けろと、ヒルデブラントの者が言っているのだ。直ちに開けろ。そうでなければ処罰の対象となるのは其方らだ。私には、ヒルデブラントとハーゲンベックの関係を断ち切るか否かを決定する権限がある。」
兵士達は真っ青になった。
よっぽどこの二家門には、はっきりとした上下関係があるらしい。ジーク様がガツン!と言えばあっさり問題は解決するかも。
とこの時私は一瞬甘い夢を見た。
兵士達は門を開けてくれた。私達は馬に乗ったまま中に入った。ジークルーネは地面をじっと見ていた。
「珊瑚姫は、家畜小屋の側の小屋に閉じ込められていたと言っていたよね。馬車の車輪と馬の蹄の跡がこっちの方向に伸びている。という事は馬小屋がこちらにあるという事だ。行ってみよう。」
「ご当主に会わないんですか?」
「会ったら殺されるよ。」
リンゴはバラ科だよ。と言うのと同じくらい淡々とした声でジークルーネは言った。
ジークルーネは敷地内を進んで行った。私達も後ろをついて行く。やがて馬のいななきが聞こえて来た。馬小屋が見えて来た。
進んで行く途中で、庭師やらメイドやらとすれ違ったが私達が堂々と進んでいるからだろう。誰からも誰何されなかった。
馬小屋の裏手に小さな小屋があった。日本の田舎の小学校の物置くらいの小さな小屋だ。まさか、監禁されているのはここじゃないよね。ここでありませんように。と願わずにはいられないコンパクトさだった。
「窓の鉄格子が壊れている。」
と言ってジークルーネが小さな小窓を指差した。大きな木の、葉がわさわさと繁った枝が邪魔して見づらかったが確かに窓があり鉄格子が壊れている。
「まさか、ここに閉じ込めているの⁉︎」
「珊瑚姫とタミラさんとやらが逃げた事に気がついているなら、地下牢とかに真珠宮妃様を移動させているかもだけど、門番があっさり私らを通した事からしてまだ気がついていないのではないかな。となると、まだここにいる可能性が大だ。」
怒りで頭の奥の方が熱くなった。
革命の手を逃れて頼って来た相手に、何故こんなひどい事ができるのだろう。人間の所業と思えなかった。
ライルさんやエイダンさんの目にも怒りの炎が燃えていた。
「あの窓の小ささでは私らではとても通れないな。」
とジークルーネがつぶやいた。確かに小学生でも通るのに難儀しそうな小さな窓だった。ウルスラ嬢とタミラさんはよくくぐれたものだ。
人が通れるとも思えない小ささなので、壊れていても誰も気に留めなかったのだろう。
小屋の側には薪割り場があった。大きな丸太や積み上げられた薪、それに斧やナタが置いてある。馬から降りたジークルーネが斧を手に取った。小屋のドアは木製でとてもチープな見た目だ。ドアを叩き壊すつもりなのかもしれなかった。
「おまえ、何者だ⁉︎」
ついにそのツッコミが住人の中から聞こえて来た。私は振り返った。そして二度見してしまった。
男性と女性が立っていた。女性はうちのお母様くらいの年に、男性は私より少し年上に見える。
顔がそっくりなので親子か姉弟だろう。
二人は百人一首の札から抜け出て来たような顔をしていた。ある意味懐かしさを感じる顔と言えるかもしれない。見ようによっては貴族的で優美であるとも言える顔だ。
だけど、フリルがたっぷりとついた派手な服に、宝石がギラギラと輝く大きなブローチをつけているのを見て私はイラッとした。塀一つ向こうにいる平民の皆さんはあんなに苦しそうな生活をしているのに、贅沢してる場合かよ!と思う。いったい、どういう神経をしているのだろうか⁉︎
「ジークルーネ。おまえ、ジークルーネね!」
女性の方が耳障りなキイキイ声で叫んだ。
「久しぶりですね。ハーゲンベック子爵夫人。それに小子爵。」
「何をしに来たんだ、貴様!」
と小子爵とやらが叫んだ。いくら不法侵入しているとはいえ、侯爵令嬢に対する態度と思えなかった。
「こちらの館内に、ブラウンツヴァイクラントの真珠宮妃ミラルカ様が監禁されているという訴えがなされてね。確認に来たんですよ。」
反応は劇的だった。小子爵の方は一瞬で真っ青になり、子爵夫人は真っ赤になった。二人並んでいると信号のようだ。
「だ・・だだ、誰がしょんな事を・・?」
小子爵が激しく噛みながら言った。
「『誰が』というのは問題ではない。『監禁が真実か』どうかが問題なんです。」
「真実なわ、わけないだろうがぁ!どこのどいつがそんな嘘を⁉︎」
「では、この小屋の中を見せてもらえるかな?」
「断る!どうして、そんな事をしないとならないんだ!」
ジークルーネが斧を手に持ったまま一歩前に出た。
「ひいい!」
と叫んで小子爵が後ずさり尻餅をつく。
小物感が半端ない。レベッカの体に回帰して6年。あらゆる敵とバトって来たが、これほど情け無い敵に会うのは初めてだった。こいつに比べたらまだ、別邸の畑を縦断したイノシシの方が闘魂に溢れていた。
その時だった。子爵夫人が叫んだ。
「やめて!リュストクスの事も殺す気なの⁉︎ユーフェミオの事を殺したように!」
しーん。
となった。
どういう意味?意味がわからない。
とりあえず。この尻餅をついている男はリュストクスという名前なのだと思われる。
そして、ユーフェミオという人間がいる。その人は殺されたらしい。誰かに。もしかしたらジークルーネに。
ジークルーネは何も言わずにいる。いつもの毒舌が全く出てこない。
そんなジークルーネを見て、子爵夫人はにやっと笑った。爬虫類を思わせる笑い方だった。
その顔を見た時ものすごく気分が悪くなった。私は
「小屋、開けさせてもらうから。」
と言って小屋のドアの前に立った。
「お待ち、小娘!おまえ達、あの小娘を取り押さえるのよ!」
子爵夫人が叫び、夫人の後ろにいた男達が迫って来る。
「その女性はレベッカ姫だ。レベッカ姫は、司法大臣エーレンフロイト侯爵の娘だ。もし傷一筋でもつけたら司法省と王室が黙っていないぞ。」
ジークルーネの言葉に迫って来ていた男達が怯んだ。
私を守るようにアーベラとヨアヒムそれにライルさんが私を囲んでいる。私はドアのノブを回した。木製の、風雨でだいぶ朽ちているドアだが金属製のドアノブがついている。そしてドアには鍵がかかっていた。鍵はヒンガリーラントでは珍しいサムターン錠だ。
「鍵がいりますね。」
とライルが言った。
「いらない。ドアを蹴り破る。」
「無理ですよ。このドアは外開きです。破る事は不可能です。」
私はライルさんの言葉を無視して深呼吸した。そして
「はあっ!」
と叫んでドアを蹴り付けた。ばきいっ!という大きな音を立ててドアは『くの字』に折れ曲がった。
普通にドアをノックしていても
「ドアが壊れる!」
と叱られる私だ。本気を出せばこんなボロドア、どうという事はない。ないけど、拍手をするな!アーベラ、ヨアヒム。
目玉がこぼれ落ちそうなほど驚いているライルさんとエイダンさんを無視し、私はドアの上部に手をかけた。壊れたドアとドア枠の間には50センチくらいの隙間ができている。これだけ隙間があったら中に入れそうだ。
「お嬢様、待って!まず私が入ります。」
と叫ぶアーベラを無視して私は小屋の中に入った。小さなな窓しかない小屋の中は昼間だというのに薄暗い。
床は板張りだったが古くてボロかった。その小屋の中にものすごく簡素なベッドが3つあり、一番手前のベッドに女性が横になっていた。
突然現れた私に女性は当然びっくりしたようだ。
辛そうに、緩慢な動きで身を起こした。眠そうな目をした美人だが、普段からそうなのか、体調が悪いからそうなのかはよくわからない。
だけど、わかる事もある。この人は間違いなく『ウルスラ姫の母ちゃん』だ。顔がそっくりなのだ。強いウェーブがかかった金色の髪も、光が当たると銀色に見える灰色の瞳も。
私は何と言って自己紹介しようか悩んだ。私だったら、予告も無くドアを破る人間の事は、どんな自己紹介の仕方をされても信用しない。
頭に血が上っていたとはいえ、失敗してしまった。
と思っていたら。
「レベッカ姫?」
鈴を転がすような美しい声で女性がそう言った。