ハーゲンベック領へ(3)
大陸公路を進んで行くと途中で二本の道に分かれていた。広い道と狭い道だ。狭い道の方に看板があって
『ハーゲンベック領』
という言葉と矢印が書いてある。迷わずに済むから親切である。
しかし細い道になった途端、道が悪くなった。そもそも石畳ではなく土の道だ。踏み固められた場所以外は雑草が生い茂っている。道の両脇の雑草は人の腰くらいの高さまであった。
「何、これ⁉︎」
急に道がぬかるんでドロドロになっていたのだ。この数日雨は降っていない。地下に水道管でもあって壊れて水が浸み出しているのだろうか?という感じだ。だけどこんな整備の行き届いていない隘路に水道が通っているはずがない。
「田舎でよくある、周辺住民の小金稼ぎだよ。馬車の車輪がわざとぬかるみにはまるよう道を荒らしておいて、馬車が立ち往生したら抜け出すのを助けてお金を請求するんだ。」
とジークルーネが教えてくれた。
いろんな商売があるものだ。よくよく耳を澄ましていると、周辺の茂みから人の気配がする。馬車が通りかかって立ち往生するのを待っているのだろう。馬車で来なくて良かった。と思った。
馬は繊細で綺麗好きな生き物だ。跳ね上がった泥が顔にかかったりすると、走るのを拒否したりする。私達は速度を落としぬかるみを迂回して道を進んだ。
そして悪路を進む事数十分。私達はハーゲンベック領の領都に到着した。
「身分証は見せないで。ブラウンツヴァイクラント人だとバレたら領都の中に絶対入れないから。」
とジークルーネがライルとエイダンに言った。
「でも、身分証を見せないと領都の中には入れないんじゃないの?」
と私は聞いた。
「何とかして入り込む。」
ジークルーネはそう言って門番に近づいて行った。
「とある貴族の家門の者だ。平民と駆け落ちした当家の跡取りがこちらに向かったと聞いて探している。中へ入れて頂きたい。」
「身分証を見せろ。」
「それはできない。身元を明かしてはならないと御当主の命令だ。」
おお!上手な言い訳だ。これなら、確かに身分証を見せずに済むかもしれない。
しかし。
「こちらに探し人は来ていない。この数日、門を通った者は皆男だからな。」
と言われてしまった。作戦失敗だ。
だがジークルーネは堂々と言い放った。
「駆け落ち相手が女だと誰が言った?」
・・・・。
門番達が、すごく考え込んでいる。この数日通った人達の顔を一人一人思い出しているのだろう。
門番は二人いる。ジークルーネはその二人の鼻先に、金貨2枚を突きつけた。
「通してくれ。」
「・・・しかし。」
ジークルーネは金貨を更に2枚増やした。
ごくり。と門番達の喉が鳴った。門番達は金貨を受け取り、素早くポケットに仕舞って
「通れ。」
と言った。
私達六人は門をくぐった。
「なるほど。ああ言えば通れるのか。」
と思わずつぶやいたら。
「エーレンフロイトの領都には入れませんからね!」
とヨアヒムに言われた。
門の中に入るとそこは、ちょっとした広場になっていた。
そして私達は20人くらいの人達に取り囲まれた。
「アクセサリー1つ、銅貨2枚だよ!」
「ハンカチ2枚で銅貨5枚だ。」
「こっちはハンカチ3枚で銅貨5枚だよ!買って、買って!」
アクセサリーは、そこら辺に落ちている石を紐で繋いだ物だし、ハンカチはただのボロ布だ。こんな物を売りつけるなんてはっきり言って詐欺だと思う。
だけど、何かを売りつけようという人はまだマシだ。半分以上の人が
「お金ちょうだい!」
「どうかお恵みを!」
「子供が病気なんだ!」
「お金ちょうだいってば!」
と言って詰め寄って来るのだ。正直、全方向に人がいるので全く馬が進まない。こんな体験は、レベッカ、文子の全人生を通して初めてだ。
ジークルーネはこの人達に絶対に乱暴な事をするな、と言ったが、でも力づくで振り払わなければ前へ進む事ができない。私のズボンの裾やら髪の毛やらを引っ張る人が出始め、アーベラとヨアヒムが殺気を放ち始めた。どうすればいいんだ⁉︎と思っていたら、ジークルーネが節分で豆を撒くように勢いよく、銅貨と銀貨を広場の端の方に投げた。
詰め寄って来ていた人々が一斉にお金の方に走り出した。
「行くぞ!」
とジークルーネが叫んだ。私達は全速力で馬を走らせた。
ジークルーネが警告してくれていた通りになったな。と思った。
正直、まだ胸がばくばく言っている。ジークルーネがいてくれなければどうにもならなかった事だろう。
と思っていたら。
道の真ん中にうつ伏せに倒れている人がいた!
ジークルーネに言われていなかったら、絶対「事故⁉︎」とか「お腹空いているの⁉︎」と思って、馬を降りて駆け寄っただろう。
だけど私は心を鬼にしてその場を通り過ぎた。今はとにかく真珠宮妃様の所に駆けつけねばならないのだ。
それでも気になって、私は通り過ぎた後後ろを振り返った。倒れていた人は立ち上がって道の端の方に歩いていた。
当たり屋が突進して来たら、嫌だし怖いな。と思っていたけれど当たり屋は現れなかった。ただ私達の方を見つめている人は多かった。とにかく何もしないでただ座っていたり寝っ転がったりしている男の人達がいっぱいいるのだ。中には明らかに酒に酔っ払っている人もいる。もしかしたら『ヤク』と読む方の薬を服用している人もいるのかもしれない。その人達の目には一様に光が無かった。
「ベッキー。」
ジークルーネが私の横に近づいて来て言った。
「これも、私達の国の現実だよ。そう遠くない未来に王族の一員となる君はしっかりと見ておくべきだ。」
「・・・そうだね。」
としか私は答えられなかった。本当にルートヴィッヒ王子と結婚するかどうかはわからない。と言える雰囲気ではなかった。
道はボコボコで走りにくいけれど、真っ直ぐに伸びている。その道の先に高い建物が見えた。高いと言っても三階建くらいだが、他に高い建物が全く無いのだ。その建物が領主の館なのだとすぐにわかった。
そして私達は領主の館の門にたどり着いた。