日の下の悪
残酷描写があります
真珠宮妃の名前はミラルカという。彼女は旅芸人だった。
ミラルカは美しい歌声の持ち主で、ツィターの名手でもあった。彼女は国王の前で芸を披露し王様は彼女を気に入ってしまった。
その時ミラルカは20代の半ばで夫も子供もいた。少女好きの王様がそれでも気に入ったというのだから、本当の本当に彼女を気に入ったのだろう。
王様はミラルカを身請けすると旅芸人の座長に言い、座長は提示された額を見て喜んでミラルカを売った。
だが、それに反発したミラルカは夫と子供と共に逃亡した。だが、王様が追っ手を放ちミラルカ達はすぐに捕まった。ミラルカ達は王様の前に引きずり出され、ミラルカの目の前で夫は殺された。そして幼い娘も王様は殺そうとした。ミラルカは必死になって娘の命乞いをし、娘を助けてくれるならば何でも言う事を聞くと言った。そして彼女は側妃の一人となったのだ。
これは王様の残酷さを現すエピソードとして、庶民の間でも有名な話だった。
人々は美貌の歌姫に同情し、王様の事を恐れた。
この少女が、その時殺されかけたという娘なのか。と私は思った。自分の父親を殺し母親を奪った男の養女になるなんて、いったいどんな気持ちだったのだろう。
男爵が診察室のドアを開けた。中にあったベッドの上にジークルーネは珊瑚姫をおろした。ついて来ていた『自称姉』が珊瑚姫をかばうように彼女を抱きしめた。珊瑚姫は泣いていた。
「珊瑚姫様。わたくしはレーヴンバルト伯爵家の娘リオンティーネと申します。」
リオンティーネがベッドの横でひざまずいて名を名乗った。
「恐れながら、御母上のミラルカ様は国王陛下と行動を共にしておられるのではなかったのではないでしょうか?」
「王様は、母ちゃ・・母さんと、緑玉宮妃様とララ様を連れて逃げ出そうとしたんだ。でも、母さんはあたしを置いて逃げたりなんかできない!と言って王様と一緒に逃げなかったんだ。」
「そうでしたか。」
「あたしは王宮の離れにいて、母さんはあたしのところに駆けつけて来てくれた。王宮の中には抜け道がたくさんあって母さんは王様からそれを聞いていた。それを使ってあたし達は王宮の外に逃げたんだ。」
「お二人でですか?」
「タミラも一緒だよ。」
と言って珊瑚姫は側にいる女性の手を握った。
「タミラはあたし達が旅芸人の一座にいた頃からの母さんの親友だ。あたしと母さんが王宮に入れられた後もずっとあたしの側にいてくれたんだ。」
「ミラルカ様は、それでどちらに?」
リオンティーネがそう聞くと珊瑚姫はブワっと泣き出した。
「ハーゲンベック子爵って奴の所。ハーゲンベックは母さんを閉じ込めているんだ!」
珊瑚姫ことウルスラ嬢の説明は、ところどころ涙で中断したのでわかりにくかったが、ようするにこういう事だった。
ウルスラは母親と自分の世話係だったタミラと一緒に冬の王都を脱出した。その時侍従の一人が力を貸してくれたらしい。侍従はヒンガリーラントの貴族にミラルカの熱心な信奉者だった人がいると教えてくれた。その人を頼るように勧め、その人との連絡までとってくれた。それがハーゲンベック子爵家だった。
だが、ハーゲンベック領に着くと話がまるで違っていた。ハーゲンベック家の人達はミラルカに何の興味も無かったし、音楽にも興味が無かった。ハーゲンベック家の人達が興味があったのは、ミラルカが持ち出した僅かな宝石と、ミラルカのお腹の中にいる子供だけだった。
ミラルカ妃が妊娠していると聞いて私やリナさんは驚いたが、カトライン殿下やリオンティーネ令嬢は驚いていなかった。きっと知っていたのだろう。
ブラウンツヴァイクラントの三人の王子のうち、黄玉宮妃と紅玉宮妃が生んだ王子二人は既に反乱軍に殺されている。王太子も今現在行方不明なので、もしもミラルカが生む子供が男の子ならその子が王太子に、ゆくゆくは王様になるかもしれないのだ。
ハーゲンベックの人間達はウルスラ達を監禁した。文句を言い逆らったら鞭で殴られた。ウルスラは服の袖をまくって二の腕を見せてくれたが、むごたらしいみみず腫れの痕が何本も残っていた。
このままでは殺される。と思ったミラルカは、逃亡計画を練った。監禁されていた場所は窓に鉄格子の入った小屋で、ミラルカは塩味のスープを鉄格子に注ぎ、一ヶ月かけて鉄格子を壊したのだ。だが小さな窓をくぐれたのは子供のウルスラと痩せ細ったタミラだけで、お腹の大きなミラルカはくぐれなかった。
ミラルカは二人だけで逃げるようにと言った。ウルスラは最初泣いて嫌がったが、タミラに王都に行って助けを求めよう、と説得され小屋を逃げ出した。ずっと監禁されていたウルスラ達の顔をハーゲンベックの領都の領民達は知らない。なので小屋さえ抜けてしまえば、後は楽に逃走できた。ウルスラとタミラは徒歩でひたすら王都を目指した。そして、たどり着いた王都で顔見知りのカトラインを見つけたのだ。
「母さんを・・母さんを助けて。お願い!」
ウルスラは泣きながら言った。
「すぐ、司法省に!」
と私はアーベラ達を振り返って言った。だがウルスラは
「役人が当てになるもんか!」
と叫んだ。
「ハーゲンベックはヒンガリーラントの爵位持ちの貴族だ。大貴族ともいっぱい繋がっているんだって言ってた。そんな奴らと元旅芸人のあたし達がもめて、役人があたし達を助けてくれるわけがない。役人なんてみんなろくでなしだ!」
それは偏見だ。と思う。しかし、そんな偏見が形作られるほどこの子は辛い人生を歩いて来たのだ。
ブラウンツヴァイクラントでも人身売買は違法なはずだが、この子の母親は旅芸人の座長に売られた。何も悪い事をしていない父親は無惨に殺された。この子自身も殺されかけた。なのに、誰一人罰を受けなかったのだ。罪の無い者達が苦しみ悪人が堂々とのさばっている。それなのにどうして、法や役人が信じられるだろう。
そのうえ、ジークルーネがこう言った。
「司法省は王室直轄地を監視する組織だ。爵位を持つ貴族の領地は各々の領主が司法権を持っていて、司法省は手を出せない。出せるのは王命が下った時だけだ。」
そうなのっっ⁉︎
じゃあ、王様に言わなきゃダメって事⁉︎
だけど王様は会いたいと言ってすぐ会える相手じゃない。面会を請願して「では、一週間後」とか言われても待っていられない!
どうしたらいいのだろう?
私は亡きシュテルンベルク伯爵夫人エレオノーラ様の事を思い出していた。彼女は妊娠していた。その彼女をアントニアという女が邪魔だという理由だけで情け容赦なく殺した。そういう悪魔のような人間がこの世にはいるのだ。そして、ハゲなんとかという貴族は明らかに人非人だった。
「瑠璃姫様。お願い。母さんを助けて。助けてくれたら、あたし何でもするから。母さんまで死んでしまったら、あたし・・・。」
「助けてあげたいわ。でも、私にできる事なんて・・・。」
カトラインが悲しそうな目をして私とジークルーネを振り返った。
ジークルーネが微笑んだ。
「泣かなくていい。」
ジークルーネが優しい声で言った。
「君のお母さんは私が迎えに行こう。君はここで治療を受けていなさい。」
「あんた・・いや、あなた誰?」
「私はジークルーネ・フォン・ヒルデブラント。父はヒンガリーラントの侯爵だ。そして、ハーゲンベック子爵家は我がヒルデブラント家の寄子だ。だから、私が殴り込みに行って君のお母さんを連れ帰って来よう。」
「本当に⁉︎本当に母さんを助けてくれるのか?」
「ああ、私の命に変えても連れ帰ろう。」
一年前なら「きゃー、ジーク様カッコいい!頑張ってね」って言ったかもしれないけれど。
『ジークレヒト事件』を経験した後で、とてもそんな呑気な事を言う事はできない。
この人が『命に変えても』『殴り込みに行く』と言ったら、それはその通りの意味なのだ。
それはそうだ。明らかにハゲの一族は人道に背く行為をしている。それが糾弾されるとなったら、ジークレヒト事件の犯人どもくらい抵抗するだろう。救出は命懸けになるはずだ。ハゲはヒデブ一族の寄子らしいが、父親である侯爵の寄子ではなく継母一派の寄子だったらガチで死ぬまでの殴り合いになりかねない。
それがわかっていて、一人で行かせるわけにはいかない!
私は手のひらをぎゅっと握りしめた。
「私も行くわ!」
と私は言った。