風邪をひいた日(1)(リオンティーネ視点)
ブラウンツヴァイクラントから亡命して来た、伯爵令嬢リオンティーネ視点の話になります
喉に違和感を覚えたのは、この屋敷に来て二日目の事でした。
軽い痛みがあり、寒気もします。
ヒンガリーラントの王都はブラウンツヴァイクラントの王都よりも涼しく、正直朝晩はまだまだ冷え込みます。
風邪をひいたのかも、と不安を覚え今夜は暖かくして休もうと思いました。
今は絶対寝込んだりするわけにはいかないのですから。
という思いも虚しく、翌朝私は高熱を出してしまいました。喉もですが、身体中の関節に痛みが走ります。
こんな高熱を出すなんて大人になってからは初めてかもしれない。私はベッドに横になったまま、ぼーっとする頭でそう考えていました。
私の名前はリオンティーネ・フォン・レーヴンバルトと申します。ブラウンツヴァイクラントの伯爵家の三女になります。
母は王太子殿下の乳母でしたので、私は王太子殿下の乳姉妹になります。ですから年齢も殿下と同じ年です。20代の半ばだとだけ言っておきましょう。
私は成人するのと同時に、王太子宮で侍女として働くようになりました。出仕をする直前に私は同じ一族の男性と結婚しました。相手は祖父よりも年上の男性でした。
我が国の国王陛下は若い娘が大好きで、独身の若い侍女に片っ端からお手をつけられる性癖の方でした。なので陛下の目に留まる事がないよう、出仕前に急いで結婚をしたのです。
結婚と言っても、私はずっと王太子宮で暮らしていたので、夫と共に暮らした事はありません。そして夫は三年前に天寿を全うして亡くなりました。
乳兄弟である王太子殿下の政治的立場は微妙なものでした。
御母上は、大国ゴールドワルドラントの王女でしたが、既にお亡くなりになっています。国王陛下には何十人も側室がいて、その大半が強かで残酷な女達です。王太子殿下には腹違いの弟が二人いるのですが、逆に二人しかいないのは、王位を狙う弟王子達の母親とその一族が、男の赤ん坊が他の側室に産まれる度に、闇から闇へと葬っているからです。
王太子殿下は、そんな人間達から身を守る為『自分は同性愛者なので生涯結婚はしない』と公言し、自分が王位についたら弟のどちらかを王太子にすると宣言しておられます。
実を言うと、王太子は男色家ではありません。暗殺の危険から身を守り、それと同時に異母弟達に潰し合いをさせる為そう宣言しているだけなのです。
だけど女性が嫌いなのは本当です。国王の周囲に蠅のように群がる女達の醜悪さ、それを喜ぶ国王の人間性の浅薄さにほとほと嫌気がさしておられるのです。
父親のようにだけはなりたくない。という強い思いが王太子殿下の心の中でとても大きなものになっているのです。
高熱で朦朧とする頭で、王太子殿下はご無事かしら?と考えました。そして、王太子殿下に付き従っているはずの母や兄達も。
社交界での社交を嫌う王太子殿下は、絶対に参加しなくてはならない公式行事があるギリギリまで、冬の王都にはおいでになりません。だから、冬の王都が陥落した時まだ王都内にはいらっしゃいませんでした。王太子殿下は一流の武人です。護衛達も一流の騎士達です。皆が無事に逃げきっている事を祈らずにはいられません。
その日の朝。目が覚めると体のだるさと関節の痛み、そして喉の痛みで起き上がれませんでした。無理に起き上がると周囲の景色がぐにゃりと歪んで回転し、体がふらつきました。私はベッドの上に倒れ込んでしまいました。
メイドのオリエが部屋の中に入って来たのはそのタイミングでした。
「大変です、リオーネ様!フェルミナ殿下が風邪をひかれたみたいでものすごい高熱があるんです。・・・あれ?リオーネ様。リオーネ様!」
オリエはわたわたと慌てふためいた後、部屋を飛び出して行きました。正直、水を持って来て欲しかったのですけれど・・。
何とか体を起こそうとしましたが、縦回転のめまいが起こり、また倒れ込んでしまいました。ベッドの上でぜえぜえ言っているとリナ様と、それとジークルーネ・フォン・ヒルデブラント様が入って来られました。
「入るよ。おお、これは熱が高そうだ。」
私を一目見てジークルーネ様はそう言われました。
「常備薬はいろいろ持ってはいるけれど、医者に診てもらった方がいいんじゃないの。その場合の選択肢は二つ。病院へ行くか往診を頼むか?どうする?」
「お・・往診をお願いします。」
熱を出しているのが私一人なら常備薬をもらって様子を見ますが、フェルミナ様も熱を出しておられるというのなら選択は往診一択です。
「シュテルンベルク家にもエーレンフロイト家にも専属の主治医はいるよ。どっちを呼ぶ?ちなみにエーレンフロイト家なら男と女の主治医が一人ずついる。シュテルンベルク家の方はたぶん男だけだね。」
「できましたら・・エーレンフロイト家で。」
「だって。」
「すぐに呼びに行って来ます!」
そう言ってリナ様が身をひるがえされました。リナ様の後ろにカトライン様がいらっしゃって、危うくぶつかりかけました。
「カトライン様・・。うつったらいけませんので・・部屋にお越しになってはなりません。」
私は息も絶え絶えになりながらそう言いました。
「でも・・リオーネ。」
「オリエ・・。カトライン様を・・・連れて行って。」
「はい!さ、カトライン様。あちらに参りましょう。」
オリエがカトライン様を連れ出して行きます。ジークルーネ様は私の様子を見て言われました。
「飲み水と洗面器と毛布とどれがいる?」
「ぜ・・全部ください。」
あと、フェルミナ様の情報をお願いしておきました。
二ヶ月前まで私にとって、カトライン様は別に何とも思わない、どうでも良い王女でした。
だからこそ、王太子殿下は私をカトライン様のシャペロンに選ばれたのだと思います。
王太子付きの侍女の中には、王太子殿下の妹君達を敵視し嫌悪している者達もいます。私はそうではなかったので、私をシャペロンに選ばれたのです。
カトライン様にお会いして思ったのは、何だかぼーっとした姫君だなあ。という事でした。自分は王女なのだと威高だけに高慢に振る舞う事もなく、母親が平民である事で卑屈に振る舞われる事もありません。話しかければ返事をされますが、自分から何か希望を言われる事はありません。ダンスのステップは完璧ですし物覚えも良いので頭は決して悪くないのでしょうが、まるで覇気というものがないのです。
国王陛下の周囲にいる、図々しくて自己主張の激しい女達とは遺伝子の塩基配列レベルで別物という感じです。
「カトラインは容姿も美しいし、素直な娘だ。面倒な貴族も背後にいない。囲い込んでおけば将来利用価値があるかもしれない。しっかり手懐けておいてくれ。」
と王太子殿下に言われたのです。
何とかその任務を果たさなくてはなりません。
ただ、私にとってカトライン様はそれだけの相手でした。
忠誠を誓う王太子殿下が命令されたからそれに従っている。それだけの関係だったのです。
水を飲み、毛布にくるまり、洗面器を抱えて吐き気に耐えていると、お医者様が到着しました。
お医者様は私より少し若い女の子でした。まずフェルミナ様を見ていただき、それから私の診察をして頂きました。
「上気道炎ですね。」
というのが診察結果でした。
「聴診器で聞いてみた感じ、まだ肺炎までは行っていません。うがい薬でうがいをして、食べれるものを食べてよく寝てください。熱が下がるまで仕事は禁止です。とにかくベッドに横になって安静になさっていてください。」
「どれくらいで・・治りますか?」
「それは何とも。まあ、寒気がしているうちはまだまだですね。汗をかける段階になれば回復して来ます。いいですか。絶対安静ですよ。肺炎に移行したら命に関わりますからね。」
「リオーネ。死んじゃ嫌。」
ドアのすぐ側にいるカトライン様がめそめそと泣かれます。
「部屋の中に入る時は、口を布で覆ってください。部屋を出たら必ず、うがいと手洗いをされてくださいね。」
とお医者様がぴしゃっと言われます。オリエがこくこくとうなずいていました。
人形のように感情を出されない方だったのに、カトライン様は変わられたな、と思います。そしてそんなカトライン様の事を可愛いな、必ずお守りしていかなくてはと思います。この二ヶ月の間に私達の間には強い絆が生まれたのです。