迫る嵐(1)
麗らかなる春の午前中。
私はサーシャさんやミリヤムと一緒に厨房でお菓子を作っていた。
今日の午後ついにお母様のお姉様であるノエライティーナ伯母様と、娘であるエマ様とリナ様が王都へ来るのだ。
お母様にとってもシュテルンベルク伯爵にとっても、実に四半世紀ぶりに会う相手である。お母様はともかく伯爵は社交性のカタマリみたいな人なので、あまり心配する必要はないのかもだけど、それでも再会した時会話が盛り上がる一助にでもなればと思って私も菓子を作っている。厨房全体がとても良い匂いだ。
ミリヤムが作っているカメパンが可愛いのは言うまでもないし、サーシャさんの作っているお菓子も見た目が素晴らしい。フルーツのタルトは色鮮やかだし、クマのぬいぐるみ型のクッキーはラズベリーで色をつけたクッキーで作ったリボンを首に飾っている。SNSにあげたら、さぞや『いいね』がつくだろう、という品ばかりだ。
それに比べると、私の作っているヨーカンは白さこそ美しいが、いまいちバエない。
ただ、製造過程はサーシャさんもミリヤムもガン見だった。こちらの世界では豆はスープに入れる物で、菓子に使う事はないのだそうだ。寒天も初めて見たらしい。発想の斬新さをやたらめったら褒められた。
だからといって、バエのレベルが上がるわけではない。悩んでいる私にサーシャさんからラズベリーやブルーベリーの果汁を寒天で固め、ハート型や星型にくり抜いて飾ったらどうかと提案があった。グッジョブだ、サーシャさん。さすがプロの意見は参考になる。
私が鼻歌を歌いながら寒天液を作っていると、ミレイが手紙を持って来た。
不吉な予感を感じながら封筒を開けると案の定だった。
エリザベート様がうちを訪問したいと言うのだ。それも、今日!
「何で今日なのーっ!三日前には連絡入れてよねーーー!」
「お菓子の甘い香りがブランケンシュタイン家まで漂ったのではありませんか?」
とアーベラが言う。そんなバカな。同じ王城特区内に屋敷があるとはいえ、うちからブランケンシュタイン家まで1キロ以上距離があるのだ。
本音を言えば断りたい。ノエライティーナ伯母様に会うのをとても楽しみにしていたし、それをキャンセルしてまでエリーゼ様は会いたい相手ではない。
最近あまり話題にしていなかったが、私は一年後に殺人事件の被害者になる身なのだ。
そしてエリーゼは、殺人犯候補の一人なのである。だから積極的に交流を持ちたくないのだ。
「こちらの屋敷にエリーゼ様が来られるのですか?」
ともう一人の犯人候補のユリアが聞いてくる。
「うんにゃ。第二地区の別邸で会いたいって。」
「ああ、なるほど。」
と言ったのはユリア同様犯人候補のコルネだ。そして今、第二地区の別邸にはやはり私を殺す犯人候補の一人ジークルーネがいるのである。
彼女はヴァイスネーヴェルラントに住む叔母さんの所へ最近まで行っていたのだが、昨日ヒンガリーラントに戻って来て今現在我が家の別邸に居候している。エリーゼはおそらくその情報を察知して、ジークルーネに会って話が聞きたいと思っているのだ。だが、我が家の別邸を私がいないのに訪ねるのはおかしな話である。だから私に立ち会え、と言いたいのだろう。
そしてエリーゼの指示には逆らえない。
私はミリヤム達に
「お菓子余分に作ってくれる?」
と心で泣きながら頼んだのだった。
でもって午後。
私はエリーゼとジークと別邸で会っていた。
ユリア、コルネ、リーシア、ミレイが一緒である。ミレイはヴァイスネーヴェルラントに行ったヘレンの近況がジークから聞けて嬉しそうだった。
「お菓子のレベルが更に上がったみたいね。」
私が持参したお菓子をつまみながら、しみじみとエリーゼが言った。
「今ちょうど、母がブラウンツヴァイクラントから戻って来た伯母様達と会ってましてね。それで朝からいっぱいお菓子を用意していたんですよ。」
と私は言ってやった。
「知ってるわ。だから、貴女に会いに来たのよ。」
とエリーゼがお茶を飲みながら言う。なんと!偶然ではなくわざと被せて来たのか。
「私のお母様の妹も最近ヒンガリーラントに戻って来たの。」
とエリーゼが急に言い出した。
「ブラウンツヴァイクラントにも公爵夫人の妹さんがいたんですか?」
私は頭の中で王室の家系図を思い浮かべた。国王陛下の同母妹であり先王の長女でもあるブランケンシュタイン公爵夫人には三人の異母妹がいたはずだ。
「アズールブラウラントからよ。」
とエリーゼが答えた。
クラウディア殿下の事か。と私は思った。
クラウディア殿下は先王の次女に当たる方だ。彼女はアズールブラウラントの王様の弟と結婚していた。ところがその夫は天然痘に感染してしまった。命は助かったのだが、夫は自慢の容色を失ってしまった。夫は何とか容姿を元に戻そうと、あらゆる怪しげな薬を試してみた。具体的に何を試したのかは不明だが、結果としてその怪しげな薬の副作用で命を落としてしまったそうである。天然痘が原因の関連死と言えるだろう。
未亡人となってしまったクラウディア殿下は、故郷のヒンガリーラントに戻って来たのである。
だけど、それがいったい私とどう関係があるというのか⁉︎
楽しみにしていた親族とのお茶会をキャンセルさせられた意味がわからない。
「お母様とクラウディア叔母様は犬猿の仲だったの。」
どっちが猿ですか?と聞くのは不敬罪になるだろう。
「そして今でも、お母様の事を叔母様は敵視しているわ。」
ブランケンシュタイン公爵夫人は気位が高く、人の輪の中心に立つのがお好きな方だ。
そしてクラウディア殿下も噂で聞く限り、同じような性格の人のようである。
アズールブラウラントに嫁いだクラウディア殿下は、夫の兄弟の妻達相手にマウントを取りいびり抜いた。その最大の標的になったのは王妃様だ。王妃様は、小国ヴァイスネーヴェルラントの王女様で、クラウディア殿下は自分の出身国の方が大きい事をかさにきて、王妃様と王妃様が産んだブリュンヒルデ王女を虐めまくったらしい。ところが天然痘でクラウディア殿下の夫を含む王位継承者がバタバタと死んでしまい、ブリュンヒルデ王女が王太女になった。
カーストは逆転し、クラウディア殿下はアズールブラウラントの社交界で村八分にされてしまった。
そうしてアズールブラウラントにクラウディア殿下の居場所は無くなった。ヒンガリーラントに戻って来るのは事実上、国外追放されてしまったようなものである。
それで前非を悔いておとなしくしてくれれば良いのだが、クラウディア殿下にはそんな気は全く無く、今度はヒンガリーラントの社交界に君臨すべく既に活動を開始しているという。
現在のヒンガリーラントの社交界はブランケンシュタイン公爵夫人一強体制だ。
元々社交界ではブランケンシュタイン公爵夫人とディッセンドルフ公爵夫人、そしてハーゼンクレファー公爵夫人レティーツァ様がヘビとカエルとナメクジのように三すくみ状態だった。
しかし、レティーツァ様は王都内で天然痘のクラスターを発生させてしまい、現在領地で謹慎させられている。ディッセンドルフ公爵夫人は天然痘が原因で家業の銀行業が破綻し、更に『ジークレヒト事件』で寄子や子分を大量に失い凋落してしまった。
ブランケンシュタイン公爵夫人のもう一人の妹オーベルシュタット公爵夫人はおとなしい性格で、領地に引きこもりがちで社交界にはほとんど顔を出さない。
義妹であるアーレントミュラー公爵夫人はそれ以上に社交界と無縁に生きているし、ローテンベルガー公爵夫人はまだ若くブランケンシュタイン公爵夫人の敵ではない。
本来最強のライバルとなるはずの王妃は、これまた天然痘が原因で王宮内で謹慎状態だ。よってブランケンシュタイン公爵夫人の無双状態だった。
そこにクラウディア殿下という、明らかにお騒がせ系の王女が戻って来たのである。
現在、ブランケンシュタイン公爵夫人に嫌われていたりなんだりで、社交界の主流派から外れている貴婦人達は社交界に地殻変動が起こると思って大いに期待をしているらしい。
「貴女達には、お母様の味方でいて欲しいの。」
「・・そのつもりですけれど。」
「クラウディア叔母様が結婚をしてもよ。」
意味がわからない。しかし、ジークルーネは半笑いをしているので彼女は私にはわからない何かがわかるのだろう。
「クラウディア殿下は結婚をされるご予定が?」
「本人はする気満々よ。今からでも男の子を産んでその子を後継者にしたいみたいね。」
産まれてもいない子供に期待をかけるなど、気が早いにもほどがあるだろう。
「どなたとですか?」
「一人いるでしょう。独身で、13議会の議会員で、ギリギリ30代でお金持ってて顔もまあまあ良くて、宰相に継ぐ権力を持つ大臣が。」
「えっ?」
「息子はいるけど、同性愛者と噂で女性をまるで寄せ付けず、このままではあの家は息子の代で滅門するとか噂立てられている家が。」
私は手に持っていたカメパンを落としてしまった。
「シュテルンベルク伯爵ですか!」
クラウディア殿下がどういう人だったかは、第八章の『地下室の噂(3)』で、もっと詳しく紹介しています
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