ミリヤムの里帰り(2)(ミリヤム視点)
「何があったの?」
聞きたいような聞きたくないような恐ろしい気持ちで私は聞きました。というか、まずこれを聞いておかないとこちらが聞きたい情報は手に入りません。
「あんたの兄貴が貴族様相手にやらかしたんだよ!」
「えっ?貴族様って、まさかネーボムク様⁉︎」
「の所に身を寄せているブラウンツヴァイクラント人さ。」
「えーっ!」
頭を働かす必要も無く、話題がブラウンツヴァイクラント人の話題になりました。でも、嬉しくはありません。何やってんのよ、兄貴!
と、思います。
「何をやったの?」
「エマ様とリナ様って姉妹があんたんちのパン屋に買い物に来たのさ。なのに、店番をしていたあんたの兄貴は『難民に売るものはない、難民は出て行け!』と言って追い出したんだよ。」
「何て事を。あのバカ兄貴!」
「エマ様とリナ様の後ろにはネーボムク準男爵様がいるんだ。そのネーボムク準男爵様が更にどういう貴族と繋がっているかはわからない。それなのにブラウンツヴァイクラントの御方を怒らせるなんて、街中の人間が震え上がったよ。御姉妹方は泣きながら帰って言ったって話だよ。何人もそれを目にしているんだ。」
「・・・・。」
「貴族様から、どんな報復を喰らうかわかったもんじゃないからね。巻き込まれるのはごめんだからさ。街の人間達はみんなあんたの兄貴が店番をしている時にはあんたんちのパンを買わない。って不買活動をしているんだ。」
「それって、もしかして『村八分』って奴ですか?」
とアーベラさんが聞きます。
「ミリヤムの両親が店番をしている時は買っているんだ。頼むから、田舎者は薄情だ。とか思わないでおくれよ。この子の兄貴は『街の人間はみんなそう思っているんだ』って貴族様に言ったんだ。そんな事誰も思っていないのにだよ。あんたも貴族家で働いているならわかるだろう。貴族様を怒らせたら、どんなに恐ろしい事になるかが。この子の兄貴は、街の人間全員を危険にさらしたんだ。」
「ええ、よくわかります。もしも当家で『使用人は皆お嬢様を嫌っている』などとお嬢様に言う奴がいたら、全使用人にリンチにかけられます。センチメートル単位に切り刻まれて豚のエサですね。」
「わかってくれて嬉しいよ。」
初対面の二人にシンパシーが通い合ったようです。
その横で私はへなへなと倒れ込みそうになっていました。
貴族様を怒らせるだけでも重大事なのに、その貴族様はレベッカお嬢様の従姉妹であるかもしれない方々なのです。私は挽き肉になった自分が豚さんにおいしく食されているところを想像してしまいました。
「あんたの母さんはすっかりやつれてしまっているよ。あんたがいなくなって、手が足りなくなったのに息子は店番一つ満足にできないし、息子の嫁はずっと体調が悪くて役に立たないし、その嫁の介護もあるし、過労でふらふらしていて見ていられないよ。あんたが戻って来て良かった、と思ったんだけどねえ。」
「ネーボムク様のお屋敷に謝罪に行くべきかしら?」
「馬鹿言ってんじゃないよ。あんたが首を突っ込んでどうすんの。兄貴のやらかした事だよ。自分のケツは自分でふかせなきゃ!」
「その『エマ様』と『リナ様』という方はブラウンツヴァイクラントの『貴族』なのですか?」
とアーベラさんが聞きました。
「ああ、貴族だよ。間違いないね。立ち居振る舞いを見ればわかるもんさ。あれはかなり高位の貴族だよ。」
「この街には他にもブラウンツヴァイクラントの貴族の方が何人もいるのですか?」
おばさんが質問の意図を探るように、じっとアーベラさんを見ました。
アーベラさんはにこっと微笑んで
「ミリヤムさんに危害が及ばないかが心配なんです。」
と言った。
「ネーボムク様の所に身を寄せている人達で全部だよ。全員で13人くらいだね。だけど、貴族は量より質だよ。酒場でクダを巻いている使用人が言っている事だけどね。相当高い身分の方達みたいだ。お姫様とお姫様のお母様、それに乳母やらメイドって集団みたいだね。」
「なるほど。エマ様とリナ様にお母様がいらっしゃるのですね。・・・あるいは娘が。」
「違うよ。お二人は乳母や侍女さ。お姫様はまだ五歳くらいって話だよ。」
そういえば、エマ様はある貴人の乳母をしておられると侯爵夫人が言っておられました。
テトラおばさんの情報の正確さ、恐るべしですね。
「おばさんはそのお姫様を見た事あるの?」
と私は聞きました。
「いいや。あんたんちでの一件があって以来、ブラウンツヴァイクラントのお人達は一切外には出てこられないからね。」
「まだ、あのお屋敷の中にはいるんだよね?」
「ああ、それは間違いないよ。発注されているパンの数が変わらないからね。それに、門を出て言ったとは、どこの門の門番も言ってなかったから。」
「お姫様の名前ってわかりますか?」
とアーベラさんが聞きました。
「いいや、さすがに使用人共もそれは言わないんだよ。今のところ名前がわかっているのは五歳くらいの男の子二人がクオレとニルスという名前って事くらいさ。ん!あの集団はいったい何だろうね⁉︎」
振り返ると、ちょうどレーリヒ支店の馬車が通って行く所でした。
テトラおばさんが、興味津々という様子で眺めています。
門番の知り合いで、街の市民権を持っている私と違って、門を通るのにいろんなチェックがあって私達より多めに時間がかかったのでしょう。おばさんの機嫌を良くする為にもここらで少し、こちらの知っている情報を開示しておいた方が良さそうです。
「レーリヒ商会って商会の人達よ。シュテルンベルク家の別荘に買った絵を届けに行くよう注文を受けたのですって。来る途中の船の中で一緒になったの。」
「へー、そうかい。ふむふむ人数は八人。うち女性が二人。」
門番の目はすり抜けられても、テトラおばさんの目をすり抜ける事はできない。と評判の観察力です。突き刺すほどの視線で商人の一行を見ているおばさんに私は言いました。
「おばさん。奉公先でぜひ家族に持って行ってあげなさい。と言われて渡された蜂蜜と蜂蜜酒があるのだけど、兄貴の口に入るのもムカつくし少しもらってくれない?」
「いいのかい!そんな貴重な物。いやあ、あんたはほんといい子だよ。あんたの兄貴なんか、誰にも土産なんか用意していなかったからね。いろいろ外国の街で苦労して、すかんぴんだったんだろうけどさ。」
「自分が外国で苦労したのなら尚更、外国の難民には親切に振る舞うべきなのに!」
「ブラウンツヴァイクラントの難民が嫌いなのさ。あんたの兄貴はアズールブラウラントのホテルで働いていただろ。ところがブラウンツヴァイクラントが荒れてたくさんの難民がアズールブラウラントに押し寄せて来た。難民は安い労働力で働かせられるからね。それでブラウンツヴァイクラントの難民に仕事を取られてあんたの兄貴はホテルをクビになったんだ。それで、仕方なく田舎に戻って来た。だからブラウンツヴァイクラントからの難民を憎んでいるのさ。」
どうやって情報を手に入れているのか知りませんが、家族でも知らない情報をよく知っているなあ。と感心します。
「だからと言って無関係の人間に、しかも貴族様に八つ当たりするなんて言語道断だ。全く困ったもんだよ。」
私は蜂蜜の入ったツボを一つと蜂蜜酒をニ瓶渡しました。更に袋からカメパンを三つ取り出しました。
「おばさん。おばさんはお母さんやお父さんの味方でいてちょうだいね。」
「ああ、まかせときな。」
エマ様とリナ様のお気持ちを考えると胸が痛みます。そして、両親の事も心配でした。
兄と顔を合わすのは憂鬱ですが、それでも帰って来て良かった。とそう思いました。
ミリヤムのお兄さんが何を言ったかは、『シュテルンベルクの花嫁』の『アガパンサス通り』という話で詳しく書いています
お兄さんの発言と態度は田舎街で大炎上してしまいました
当然の結果ですが(−_−;)