長い旅(9)(サーシャ視点)
「ミリーも食べて。」
「はい。頂きます。」
と言ってミリヤムも手を伸ばした。
「私も。」
「私も。」
とお嬢様方が手を次々と伸ばす。
「あちち。」
とコルネリア様が呟いていた。
「サーシャさんも、レキアもルキアもナキアさんも食べて。」
とレベッカ様が言ってくださった。
「ありがとうございます。」
僕達は甘い香りのする焼きたてパンを受け取った。
「可愛いね。」
「可愛すぎて食べるの可哀想な気持ちになっちゃう。」
と娘達が言っている。僕も一瞬同じ気持ちになったが、どのような味と食感なのか?好奇心に勝てなかった。
僕はカメの体を半分にちぎり、口の中に入れた。ザクッとしたクッキー生地と、もちっとしたパン生地の甘い味が口いっぱいに広がる。
両方の素材の良いところが足し算ではなく掛け算になっているような美味なパンだった。ものすごくおいしかった。
「パンおいしい、クッキーもおいしい。このパンサイコー!」
二つめのパンを食べながらレベッカ様は感極まっているようだった。
「実は、さっきからアレも気になっていたのだけど。」
レベッカ様が調理用ストーブにかけられた小鍋を指差した。僕が、ルバーブのジャムを作っていたものだ。
「アレをパンに塗って食べたいなあ。」
「どうぞ、お嬢様。」
僕は、小鍋を差し出した。これもまずアーベラさんが毒味をする。それからレベッカ様が手に持っていたパンに赤紫色のジャムを塗った。
僕は少しドキドキした。ジャムを作るのはすごく久しぶりの事だった。使った食材は初めて使う物だ。口が肥えているだろうレベッカお嬢様が満足してくださる出来だろうか?
ブラウンツヴァイクラントで伝染病が流行り流通が止まると砂糖が手に入りにくくなり、砂糖を大量に消費するジャムは作れなくなった。だからジャムを作ったのは本当に久しぶりだ。貴重な砂糖を惜しげもなく使える事に、この国の、そして侯爵家の豊かさを感じた。
「甘酸っぱくておいしい!」
笑顔でレベッカ様はそう言ってくださった。
「でも。」
えっ⁉︎
「半分にちぎったカメに赤いジャムを塗ると、なんか残酷な姿に見えるね。」
言われてみれば全く持ってその通りである。
「横に切り込みを入れて中に塗り込んだらどうでしょう?」
とユリア様が言われる。
「はみ出たジャムがリアルな傷口に見えるよ。」
「なら、正中切開で。」
とコルネ様。
「同じ、同じ。というか、コルネは時々難しい言葉を知ってるよね。」
お嬢様方が、キャハハと笑い合う。
「ま、『おいしい』と『可愛い』の両立は難しいって事だね。」
そう言って幸せそうな顔をして、半身になっているカメパンをレベッカ様は口の中に放り込んだ。
その日の夕食後。
部屋でゆっくりしていると、風呂上がりの髪を櫛でといていたレキアが
「カメのパン、本当においしかったね。」
と言い出した。
「お父さんの作ったジャムもおいしかった。ミリーが、シュークリームを作ってるのもカッコ良かった。お菓子を作る料理人って本当にカッコ良いよね。今までお父さんが仕事をしているところを見た事がなかったから、こんなすごい仕事してるって私知らなかった。すごく手際が良くて何も無いところから綺麗なものや可愛くておいしいものを作り出していくのが本当に素敵。」
「レキア。」
「私、お父さんみたいになりたい。」
そう言ってレキアは僕の方を振り返った。
「私もお菓子作りの料理人になりたい。ヒンガリーラントならミリーみたいに女の子でも料理人になれるんでしょう。ミリーのお父さんがミリーにお菓子作りやパン作りを教えたように、お父さん私にお菓子作りを教えて。私、お父さんの弟子になりたいの!」
僕は感動していた。自分の娘にこんなふうに言ってもらえるなんて、親としてこれ以上の喜びがあるだろうか⁉︎
ヒンガリーラントに来て良かった。と僕はこの時初めて思った。
「料理人って大変な仕事よ。力仕事だし、慣れるまでは包丁で指を切ったりオーブンで火傷をしたりいっぱいするの。それでもできるの?」
とナキアがレキアに聞いた。
「できる。私、頑張る!」
「そうかー。じゃあ、今からでも勉強するかい?まずは、使う道具の説明から。」
「うん。する!」
「あなた。もう夜なのよ。」
とナキアが言う。
「いいじゃないか。じゃあ、厨房に行こうか。」
僕は涙の滲んだ目元を娘から隠すように廊下に通じるドアに視線を移した。
厨房には、ナキアとルキアもついて来た。階段を降りて厨房へ向かうと、誰か厨房にいるのか厨房から灯りが廊下に漏れている。
中からはガサゴトと物音がした。一番最初に思ったのは『泥棒!』という事だった。厨房には、砂糖や蜂蜜など高価な物がたくさん置いてある。
僕は妻子を背後にかばい、厨房の中を覗きこんだ。
「・・あれ?ミリー。」
ミリーが台の上でパン生地をこねていたのだ。
「こんな時間に何をしているの?」
「カメパンの試作をしているんです。」
とミリーは答えた。
「『おいしい』と『可愛い』が両立できたらと思って。パンにジャムやクリームを塗るのではなくて中に包み込んだらと思って。つまり、内臓のように。」
「酵母はどうしたの?」
「少し残しておいたのを全部使いました。だから、ちょっとしかパン生地作れないけれど・・。」
「大事なものだったんだろう?」
「故郷から、ドライクランベリーも持って来ているから大丈夫です。また一から作ります。私、もう故郷には帰れないんです。だから、ここでなんとしても結果を出さないと。頑張らないと!」
「故郷に帰れないって、どうして?」
と僕は聞いた。
「うちは代々パン屋で、だから父も当然のように兄にパン作りを教えました。だけど兄はこんな田舎で一生を終えたくない!と言って、五年前に街を飛び出して行きました。父はとても落ち込んで。だから、私、言ったんです。『私が跡を継ぐ。私にパン作りを教えて』って。父は私にパンやクッキーの作り方を教えてくれました。でも、一ヶ月前兄が急に戻って来て。『自分が跡を継ぐからおまえはもうやらなくていい、女は厨房から出て行け』と言って私を厨房から追い出しました。それで、父に抗議したら『おまえは王都に行け』って。だから私、もう実家には帰れないんです。なんとしてでもここで頑張って、おいしいって思ってもらって、ここに居させてもらわないと。」
ああ、この子も僕と同じなのだ。帰る場所がない子だったのだ。と思った。心のどこかで、平和な故郷を持っているミリーの事を羨ましく思っていた。でも、この子も帰る家を失ってしまっているのだ。
「手伝える事があったら何でも言ってくれ。それと、包み口はカメのお腹側にするより背中側にして甲羅で隠した方がきっと綺麗な形にできるよ。」
「あ、はい!」
「僕が昼間作った、ルバーブのジャムとレモンのマーマレードも良かったら使って。」
「ありがとうございます。」
そうして僕達は夜遅く、パン作りを始めたのだった。