春の訪れ
春が来た。
寄宿舎の庭でも、アーモンドやアプリコットの花が咲き、花壇ではチューリップが芽を出している。
そんな中、私は白く燃え尽きていた。
水飴計画に失敗し、私は自信と目標を失っていた。
何かを新しく作り出そうにも何も思いつかない。
もともと日本にいた頃の私は、医者でも物理学者でもない、ごくごく普通の、清く貧しい下級国民だったのだ。しかも、どっちかというと不器用な人種だった。家庭科の授業でエプロンを作っても縫い目がガタガタになり、美術の授業で自画像を描いたら、友人に「ヤバい奴が心理テストで描いたUMAだな。」と言われてしまう腕前だった。
そんな私に、チートでウハウハな人生なんて無理だったんだ。
「お嬢様。お勉強は少し休んでお茶にされませんか?セナさんから、『水蜜』入りのクッキーも届いていますよ。」
と、ユーディットに言われた。
ユーディットは、今日私が授業を受けていた間、エーレンフロイト邸へ帰っていたらしい。自分の子供達に会いにと、私の近況を両親に報告する為だ。
ちなみに『水蜜』とは水飴の事だ。作った時に、何か名称を考えなきゃね、とユリアと話していて『水っぽい蜂蜜』という事で『水蜜』にしたのだ。
甘味料作りが反逆罪になると聞いて、すっかり震えあがってしまった私と違い、強心臓のセナはあれから何度も水飴を作っているらしい。家へ帰る度にユーディットは、甘いお菓子を持って帰ってくるようになった。
「セナさんは、使用人の皆の為にもクッキーを焼いてくれるそうです。子供達は大喜びしていますわ。全てお嬢様のおかげです。」
とユーディットは言った。
私が紅茶を飲みながら、もそもそとクッキーをかじっているとユリアが部屋へ戻って来た。私は、反射的にクッキーを隠した。エリザベートに見られたら、まずいと思ったのだ。
現実には、初日以外エリザベートがこの部屋に来た事はないが、後ろめたい事をしている時は、神経が過敏になっているものなのである。
「おかえり、ユリア。ユリアもクッキーどうぞ。支店の人が手紙を届けに来たんだって。」
「はい。レベッカ様。ついに『寒晒しところてん』が届いたそうですよ。冬の間に仕込んだものが、今日届いたそうです。」
・・あー、すっかり忘れてた。話をした頃は、水飴を作って羊かんや大福を作るんだ、って思ってたけど、水飴作りは頓挫したしな。
だからと言って、今更いらないとは言えないし。
「そっかー。ちなみに聞いてみるのだけど、現地の人ってどんなふうにして寒晒しところてんを食べてるの?」
「現地では、薬の扱いです。肥満気味の方や、血液の中の糖が多い方が食事の前に、水を固めた物やそれに酢をかけた物を食べると体の調子が良くなるそうです。」
なるほど。お菓子作りに使ってないのね。『現地』がどこかはわからないが、そこでも砂糖が高価なのかもしれない。
「レベッカ様は、何をそれで作られるつもりなんですか?やっぱり甘味ですか?何か、おいしいお菓子の作り方を文献で読んだのですか?」
ユリアが、キラッキラした目で聞いてくる。
豆乳とか椿油とか、いろんな物を作ったので、なんだかとても期待されているみたいだ。
でも、正直『現地では薬』発言を聞いて、私はかなり引いている。
ヒンガリーラントは周辺国より医学が進んでいる分、思いっきり既得権益と衝突しそうじゃない?
「ねえ、ヒンガリーラントでは薬の製造とか販売ってどういうふうになってるか知ってる?」
「製造も販売も自由ですよ。ただ、薬科大学を卒業すると国家資格がもらえて、国家資格を持っている人が作って売る薬は、みんなが欲しがるからとても高価です。国が資格を授与する薬科大学は、王都の国立大学と、ヒルデブラント領にある大学の2つだけです。なので、国家資格を持っている薬師はとても少ないんです。それ以外の薬師が作る薬は安いですが、でも本当に効くかどうかはわからない物も多いですね。副作用が出ても、それは買った人の自己責任です。」
「なんか、怖っ!そんな、素人が作る物とか流通させても法で罰せられないの?」
「もしも、国家資格を持つ人しか薬を作れなかったら、田舎の村などには薬が行き渡りません。小さな村や街には、先祖代々薬を作っている家系とかあって、そういう人達が病人を見ているらしいです。そういう方達は、村長以上に村で影響力を持つそうですよ」
それはそうかもしれないが、それって下手したら魔女狩りとかが起こりそうだ。
薬はある意味とても怖ろしい物だ。
もしも首を突っ込んだら揉める既得権益は、国とヒルデブラント家というのが私には尚更怖しい。
「ヒルデブラント家ってジークルーネ様の家だよね。なんで、そこの薬科大学は特別なの?」
「ヒルデブラント領は、もともと薬草の名産地だったそうです。たくさんの薬師の方がいて、代々続く秘薬とかが受け継がれていました。さらに、領内の森で赤痢やペストにも効くという放線菌が見つかって、その功績で王家から領地に国家資格を与えられたそうです。だから、ヒルデブラント領産のお薬は高いですよ。よく効くようですけれど。」
その割に、嫡男は病弱との話だったが。
まあ、それはそれ、これはこれなのだろう。
そもそも記憶の中のジークレヒト卿は、全然病弱そうに見えなかった。とっても元気そうだった。
「それで、寒晒しところてんは、どういたしましょう。寄宿舎へ届けてもらいましょうか?」
「んー、いや、支店にとりに行きたい。最近できたという、豆乳コーヒーの店とか見てみたいし。もうじきまた、学力テストがあるし、ユリアか私のどちらかが首席になれたら、また一緒に出かけられるでしょう。」
実は最近、じわりじわりと、王都で豆乳と豆乳入りコーヒーが流行っているらしい。
最初はレーリヒ商会の支店で売られていたらしいが、人気なのでついに、向かいの店を買い取って豆乳と豆乳コーヒーが立ち飲みできるバルのような店を開店したのだとか。
実のところ寄宿舎には、コーヒーを淹れる道具が無いので、私はレーリヒ商会の支店に行った時以来、豆乳コーヒーを飲んでいない。
「新しくできたお店で、豆乳コーヒー立ち飲みしたいなあ。」
「立ち飲みはダメです。」
とユーディットにピシャリと言われた。
「ところで、寒晒しところてんってどれくらいの値段なの?」
「お金なんかいりませんわ。豆乳を教えてくださったのはレベッカ様ですもの。その利益を考えたらお金なんて。」
「ダメだよ。友達だからこそお金の事はきちんとしなきゃ。」
とゆーか、君に値段をどうこう言う権限はあるのか?ところてん代をタダにしたせいで、君のお小遣いが減ったりしたら私が困る。
翌週。学力テストがまた行われた。
そして首席は、もちろんユリアだった。
そして、私達はまた一緒に外出をした。
副校長に信頼されたのか、それとも諦められたのか、許可はあっさりとおりた。
今回は、シュトラウス先生も抜きで、私とユリアとユーディットの三人だ。
豆乳コーヒーのお店は、大層な賑わいだった。店の中にはテーブルとイスがあって座って飲むこともできるし、まるで外国映画のワンシーンのように、カウンターにすがって立ち飲みもできる。
豆乳紅茶とか、フルーツ豆乳も飲めるようだし、ちょっとした軽食もとれるようだ。
コーヒーの良い匂いを嗅ぐと、思わずふらふらーっと店の中に入りそうになったが、ガシッとユーディットに首筋を押さえられた。猫のように。
「レベッカ様。お店に入りましょう。」
と言って、ユリアにレーリヒ支店の方に誘導される。
その時だった。
「もしかして、エーレンフロイト家のレベッカ嬢ですか?」
突然、コーヒー店から出て来た人にそう声をかけられた。