水飴と椿油(3)
夕方になり、水飴作りは佳境に入っていた。
お母様が台所から出て行った後、私はもち米でお粥を作った。
その後、お粥の温度を60度くらいにまで下げ、すり潰した麦芽を投入した。
それをひたすら煮込んでいく。
とにかく気をつけなくてはならないのは温度だ。
酵素アミラーゼが最も働く温度は60度から65度。
70度を越すと一気に働きが落ちるので、それを越さないよう気をつけなくてはならない。
かまどの燃料は薪なので、弱火とかとろ火には簡単にできない。
温度管理が成功するかどうかがネックだと思っていたが、ここで恐れ入ったのが料理人の『勘』だった。
鍋を木ベラで混ぜている私の様子を、セナはチラチラと見ながら
「温度上がってますよー。」
「60度より下がってますよー。」
と教えてくれたのだ。
それが間違っていなかったのは、今現在、台所中に甘い香りが漂っている事からわかる。
「何で、セナには温度がわかるの?」
「鍋の中の様子と、火の具合ですね。何年、料理人やってると思うんですか。今のお嬢様より小さい頃からソースを煮込んでいたんですよ。」
セナの父親も料理人だったそうだ。エーレンフロイト家と仲の良かった某子爵家で料理長をしていたらしい。
20年ほど前、使用人があまり居付かないエーレンフロイト家の料理人が他家へ転職し、先代の侯爵が子爵家に「誰か一人料理人をまわして欲しい。」と頼んだそうだ。
勤務先が『あのエーレンフロイト家』と知って、セナの兄弟弟子達は震えあがってしまったそうなので、セナがやって来たそうだ。
居心地と給料が良かったので、そのまま20年ずっとここにいるのだという。今や、エーレンフロイト家に最も古くからいる使用人だ。
「驚きなのは、その鍋の中身の方ですよ。本当に砂糖水のような匂いがしてきましたね。」
本当は、季節にもよるが水飴は6〜8時間は煮込んで作るものである。
しかし、糖化が無事成功してドロドロだったお粥はサラサラになったし。良い匂いもしてきたので私は5時間弱しか煮込まなかった。
今現在は、布で漉した液体を煮詰めている最中である。
完成はもう間近だが、ここで気を抜いてはならない。
ある程度煮詰めないと、水っぽくてすぐカビが生えてしまうし、かといって煮詰めすぎると香ばしい味になってしまう。
そして、遂に水飴は完成した。
「できたー!」
と叫ぶと、周囲からなぜか拍手が起こった。
「お嬢様。私も味見してみていいですか?」
とセナが言った。
「ははははは。ぜひしてくれたまえ。そして褒め称えてくれたまえ。」
「では、遠慮なく。」
と言って、セナは熱々の水飴を匙ですくった。それを口に運んで
「・・こりゃ、驚いた。」
と、目を見開いた。
「本当に甘い。蜂蜜みたいだ。いや、クセが無い分、蜂蜜より料理に使いやすいかもしれない。」
「ははははは。そうでしょう、そうでしょう。まあ、作るのに手間と時間がかかるのが難点だけど。」
「こんなの、手間の内に入りませんよ。ブイヨンとかだったら、もっと長く煮込むんですから。」
セナの反応は上々だ。これなら、今後の水飴作りも協力してくれそうだ。
正直、細かい温度管理はセナに手伝ってもらわなければ、とてもできそうにない、と一度作って思った。
ユリアは匙ですくった水飴を、可愛い表情でふーふーしていたが、パクリと一口食べて表情を蕩けさせた。
「おいしいですー。とっても甘いですー。」
そう言って、うっとりと鍋を眺めた。
「それも、こんなにもたくさんの量、夢みたいです。砂糖も蜂蜜も、我が家みたいな新参の商家はほとんど手に入れられないんですよ。大貴族のお抱えの商会が販売を独占してて、何とか苦労してちょっとだけ手に入るっていう感じなんです。それが、半日でこんなにもたくさんの蜜が作れるなんて。」
・・・。
それを聞いて私はちょっと蒼ざめた。
この前ユリアの家へ言った時、結局ほうじ茶を無料でもらっただけでユリアの実家の店の商品は何も買わなかった。それなのに私は、貴重品の砂糖をドバドバ入れてコーヒーをガバガバと飲んだのだ。ユリアの家はお金持ちだから良いよね。と思ったのだが、私はユリアに階段から突き落とされて背中から刺される未来に、自ら接近していたのかもしれない。
「ユリア、たくさん食べて。ささ、遠慮なく。」
「はい。ああ、こんなおいしいもの、伯母様にも食べてほしいなあ。伯母様は、カフェを経営しているんです。カフェではお菓子も出しますから、甘いものがたくさんあったら、お客さんがきっと喜びます。」
ユリアの伯母さん、という人はユリアの話の中に時々出てくる。
母親の姉に当たる人で、ユリアは母親を生まれた時に亡くしていた。
なので、母親代わりに面倒をみてくれたのだという。寄宿舎にも時々、伯母さんからという手紙が届いていた。
私は、ユリアの店で買ったガラス瓶を熱湯消毒した。
私の分とユリアの分の2つ。その中に水飴を入れてもまだ、鍋の中には半分くらい水飴が残っている。
「残りはセナにあげる。自由に使っていいよ。ただ、砂糖や蜂蜜より水分が多いから、何週間か何ヶ月かしたらカビが生えるらしいけど。」
「ありがとうございます、お嬢様。こんなの数日で使い切りますよ。それより、作り方を詳しく教えてください。ずっと側で見てましたけど、何かコツとかがあるのでしたら。」
「わかった。紙に書いてまとめておく。」
私の意識はすでに、明日作るつもりのお菓子の方に向いていた。
何を作ろう?ショートケーキ。ロールケーキ。日本にいた頃、電気オーブンを使っていたので、薪オーブンはハードルが高いかな。最初はパンケーキにしておこうか。ミルクレープでもいいな。
私は、キラキラと光る水飴の入った瓶を見つめてうっとりとした。
・・・それなのに。
夕食後。
私とユリアは、お父様に書斎に呼び出された。
「セナに聞いたのだが、二人で人工の蜂蜜を作り出したんだって。」
私が頷くと、どういう経緯でそれを作ろうと思ったのか詳しく聞かれた。
どうしたのだろう?
お父様は怒っているわけではないが喜んでいるわけでもない。むしろ、困っているような・・。
「蜂蜜モドキが作れたら、みんなが甘い物を食べられるようになるし、農家の人の冬の手仕事とかにしたら、現金収入にもなるんだよ。大麦は、領地でもとれるしお米は輸入できるんだし。」
「そうか。レベッカは、領地の事をとても考えてくれているんだね。お父さんは嬉しいよ。甘い物はおいしいし、人を幸せにしてくれるからね。でもね。領地で作り方を広めるのは難しいかもしれない。」
「どうして?私達でも作れちゃうくらい、簡単な作り方なんだよ。もちろん、セナにたくさん手伝ってもらったけど。」
「ヒンガリーラントでは、砂糖は国益商品なんだ。」
とお父様は言った。
「え?国益⁉︎どういう事?」
「砂糖の輸入も販売も、全部国が管理して利益を上げているんだ。正確には、国が指定した商会だね。でも、その流通の過程で生じる利益を国が得ている。その利益がとても大きく重要なので、砂糖の密輸や密売はとても大きな罪になるんだ。砂糖の利益を損なわないように、砂糖に代わる甘味料、つまり蜂蜜の製造も一般人には禁止されている。一部の人の間で蜂蜜作りが許されているのは、蜂蜜を作る過程でできる蜜蝋が、ロウソクや薬を作るのに必要だからなんだ。つまり蜂蜜は、蜜蝋を作る過程でできる副産物という扱いなんだ。それでも、蜂蜜を作っても良いと認められている、つまり採蜜権を持っている領主はわずかだ。そうやって、蜂蜜ができすぎないように国が制限をかけているんだ。だから、ヒンガリーラントでは、蜂蜜もほとんど出回っていない。」
「でも!うちでは、お茶の時間にいつも蜂蜜が出てくるじゃない。寄宿舎にも持たせてくれたし。」
「エーレンフロイト家は、採蜜権を持っているんだ。」
「・・・。」
「その代わりとして、どれだけ蜂蜜を作っているか国に申請し、それには高い税金がかけられている。でも、蜂蜜を市場に出せば、税金の事を考慮に入れなくても良いくらいの利益は出るんだ。それだけ高価であるゆえに、蜂蜜の密造は重罪で、身分に関係無く死罪になる。過去には、作った蜂蜜の量を過少申告し取り潰された貴族もいるんだ。当主と、ミツバチの飼育を担当していた職人達は死刑に処された。」
「・・・。」
「蜂蜜ではないとはいえ、蜂蜜の類似品を作り出す事が、国からどう判断されるかはわからない。ただ、類似品が大量に出回って、砂糖や蜂蜜の値段が下がるような事があれば、それによって利益を得ている大貴族達が黙っていないだろう。もしかしたら、国への反逆罪に問われるかもしれないんだ。」
背筋が凍りついた。
君主制でそんな事になったら、その末路は日本国での外患誘致罪と同じだ。
法定刑は死刑のみである。
「わ・・私、そんなつもりじゃ・・。」
「わかっている。そもそも、本に書いてあった情報というのなら、いつか誰かが作り出しただろう。家の中で作って、家の人間達で食べるというのは問題ないんだ。だが、現行の体制で、販売したり、製造方法を広める事は許されない。」
そう言ってお父様は、ユリアに視線を移した。
「ユリアーナ君もわかってくれるね。」
「は・・はい。もちろんです!閣下。」
「レベッカ。そんな蒼い顔をしないでおくれ。さっきも言った通り、家の中で消費する分にはかまわないんだ。レベッカが領地の事や領民達の事を考えてくれるのが、お父さんはとても嬉しいよ。そういえば、お母様に聞いた椿油。あれはとても良い品だと思うんだ。最近戦争や大きな災害の無いヒンガリーラントは、この100年で300万人人口が増えたと言われている。国全体が豊かになっていっているから、美容品や薬にはとても大きな需要があるんだ。良質な油がとれれば、高い値段で売れると思う。侍女長も、庭に椿を植えたいと言っていたし、庭や領地の街路樹に椿を植えて油を領地の特産品にしよう。寄宿舎の椿は、ユリアーナ君の家が寄付した物だという話だったね。椿の木を、君の家から購入したいと思んだけど、どうだろうか。」
あ、これは口止め料なんですね。
椿の木をたくさん買ってあげるから、娘がやらかした事を黙っててね、って。
「ありがとうございます。もともと我が家は種苗専門の商家だったんです。椿でしたら、何本でもご用意できます。椿は、とてもたくさんの品種がありますし、花の色も赤とか白とか、花びらが八重の物とか、どんな物でも、ご用意できます!」
「それは良かった。花の色で、実の種類も変わったりするのかな?それと・・。」
なんかお父様とユリアの間で椿話が盛り上がっている。
その横で私はため息をついた。
そりゃあ、まあ、甘味料を作り出したら既得権益と衝突するかも、とは思っていたよ。
だけど、まさか反逆罪とか、そこまで大きな話になるだなんて。
いくらなんでも恐ろしすぎて、家用でさえ、もうとてもじゃないけど作れないよ。
そうして、私の『水飴ウハウハ計画』は幕を閉じた。